2017年02月12日の日記

2017-02-12

http://anond.hatelabo.jp/20170212023208

いい加減、みんなと同じ格好をして同じことをすることに価値を重く置くのはやめにしないか

男と女

女3人男俺だけの飲み会が楽しかったので感想

女は余裕のある男についていきたくなる。

女は理由なんてなくて割と簡単に抱きつくくらいはする

それは酔った勢いから彼氏には言うなよ

俺氏、酔った女に手を出さなかった。いんぽかよ。でも褒めて欲しい

結局男は性欲だと思う。欲しい男がいたら性欲をくすぐれ、世の中の女ども

男は去勢しろ。もしくは絶対バレるな。

3回目 ラスト 印象と感想

一旦投稿


毬が転がった後の暗転が、すごく暗闇。DVD撮影日、最前列、と見たので、今まで実はそんな暗くなかった。

ほぼ最後尾だったので、暗闇がすごかった。

その暗闇から「不幸という言葉が…」という一説(長い)(日本どうこうまで入るよ)が聞こえると、井戸の中で亡くなったものの嘆きに聞こえます

場所紀州の孤島。「ここが最後場所」と言う。物語最後場所であるらしい。

ちなみに舞台では紀州の孤島の諸戸屋敷改装しているとやはり最後に言っている。

亡くなられた方が、私たちのいる現代に帰ってこられて、語られているようす。

鬼のことは姿が見えないという。

どうにも諸戸の最後手紙に苦しんだという旨かのような発言に聞こえる。暗記できない…

なんというか簑浦と諸戸やはりお亡くなりになっていて一緒にいる。

私は学生時代の簑浦が「あつい手だね」と言ったこと、~`,+@~若いから嫌悪感なかったということなど、『私』の簑浦は諸戸との恋愛にどうしても繋げてしまう。

というか、学生時代の終わった恋の簑浦、諸戸との友情箕浦というのは、状況的にはスッキリする。いや心理的にもそうなのだけど、後半の解釈がうまくゆかぬのだ…

箕浦「ここからは僕の物語」が、おそらくセリフとして正しいはず。毎日稽古しているようだけどセリフ変わってたらどうしよう…見る回によって難易度違うのは勘弁してほしい…

役者以上に完全に登場キャラクターだよなあこれは。

から結構衝撃だった。

よくよく聞いてないと本当に流してしまう…

諸戸との再会は初代さんちで深山木さんもいる時でしたね。

作中で声が重なるのは4回。

  • あつい手だね
  • ヒグチ?
  • 早くないですか?
  • 僕の(お前の)母親だよ

最初最後はわかる。まん中二つがわからん

「早くないですか」は、もっと諸戸と話したかった(のに邪魔された)という意味

ヒグチは初代と秀子…あ~

言葉に二重の意味がある時に同時に話すのか? いや、私は原作からも「あつい手」を二人が同時に感じる相思相愛エロチシズム表現だと解釈している。これはハッピーエンドを目指すとき絶対に揺るがせない。

私>箕浦って世界への権力差は確実にある。これがな~どこまでを私とし箕浦とするか、というのが厄介にさせている。

いや逆か。おそらくどこかに数式の解があって、それであるならすべて説明可能になるように設定の証拠が上演されているのだ。

『私』と諸戸だと共犯関係のような雰囲気を感じるけれど、箕浦と諸戸は親しく親密にしていてもどこか絶対の別個体感があったんだけどなぁ。う~ん…印象に補正かけている気もする。

諸戸と箕浦萌えるのって、それこそ不倫の恋のように感じて抵抗がある。初代から秀ちゃんに心変わりすることを「恥はないのか」と責めることと、まったく同じ事象が「箕浦が諸戸に心変わりした」という場面でも発生すると思うのだ。

諸戸と箕浦身長であるとか、近い距離感であるとか、激情を秘めた哀しみのHSK×鈍感素直な陽属性ノンケという組合せだとか、萌えなくはないのだけど…ってあーーーー!

これが「諸戸と簑浦は何かへんだぞ」か! そして箕浦完璧ノンケの態度しかとっておらず、盗み見たり接触しようとしたり近い距離にドキドキしていそうなのは、変なのは諸戸の方だ!

学生時代の再来ではないか

そうだ、二回聞いたなと思っていたのはここだ。学生時代の思い出語りで諸戸の友愛や親切に感謝していると『私』は言い募るのだ。セリフの仔細はちがうだろうけど、井戸で襲われかけている時も『私』はそう募る。

どうにも『私』は諸戸と恋愛できる可能性を抱えているように見えてしかたなく…やはり手を握り返さな箕浦に驚いて『私』を見るシーンの解釈が…

あれは握り返すより握り返さない方がエロくないか…?

あれ?もしかして再会してから、諸戸が初めて『私』を見たのがあの時か!?

ねえそれなら、諸戸は「手を握り返されられない」ことに『私』=簑浦の中にある恋の種に気付いたのではないか

から諸戸に見られた『私』は顔を背けその瞬間箕浦は手を握るんじゃないか

恋する人格から初代さんの名前も呼ぶ…?

ああそうか、もし諸戸が自分の身を恋に燃えるイドと美しい友情超自我に分けられたなら…

箕浦が居ないときに『私』と話していたり、

五郎滞在していけと言われた時、諸戸は先に『私』を見て「だってさ。」と言い、それから箕浦を見ている。

秀ちゃんが吉ちゃんの手を自分の胸にやるシーン。あそこは死んでしまいたいというセリフだっけ? 井戸の中で諸戸と死ぬことを受け入れた箕浦は、抱き締める諸戸の手をどうした?

あの時は吉ちゃんは発情していなかった。だから胸に手をやるのは凌辱表現ではなく、秀ちゃんによる吉ちゃんの受容だったのでは。セリフはなんだったか

《みのうら》している箕浦は、諸戸の回想とか見えていない。だから語っている諸戸を見ている。『私』には諸戸の回想が諸戸と同じように見えている。

そう、秀ちゃんに恋したところを見咎める諸戸、めっちゃ非難する諸戸、あれって諸戸よりももう一人の自分みたいだったんだ。ある意味箕浦に似ていた、諸戸とは少し違わなかった?

私、簑浦が同性愛否定するようになったのはあの夜以降で、その倫理形成は諸戸だったのではと思うの。超自我教育で培われるでしょ、簑浦の同性愛嫌悪はそのまま自己否定する諸戸のようだと思うの。

「君は嫉妬しているの?」ってセリフ、あれはああ言うしかない会話の流れででもそしたら嫉妬しているって答えるしかなくてじゃあ今こそ受け入れてくれるの?って流れになるに決まってて…って思うんだけど、そこでも簑浦は友情しか受け取らない…「うん秀ちゃんが無事で嬉しい」って言えばよかったの?

あさましい!」と叫んで振り切って、「(原作セリフ) 死んでたまるか!まっぴらごめんだ!」と

http://anond.hatelabo.jp/20170211113552

そんな自らの過去すらもちゃんと認識しないなんて、歴史修正主義ネトウヨみたいなことを正義体現者たるリベラルがするわけがない

から津田リベラルではない

以上

屁が加速する。

40代も半ばを過ぎ

最近ビックリするほど屁が出る。

しかも止まらない。加速する。

寝ているときにはした瞬間お尻のあたりが暖かく感じるほど。

既に特技かもしれない。

http://anond.hatelabo.jp/20170210234705

違うよ、そうじゃなくてこんなに質の悪いのが溢れてるのに

改善していかないのが不思議なんだよ。

プレイヤーは多いのに質の向上に結びつかないのは迫力だけで稚拙な絵が流行りなのか

もはや編集に育てる余力さえも残っていないんだなって。

卒業式

卒業式の日。成人式の日。入社式の日。

いつだってイベントごとの日は両親をがっかりさせた。

卒業式ー。

悲しいほど綺麗なままの卒アル

卒業式を終えた子達が集まって、門の前の桜並木写真を撮っており、その周りでは父兄が談笑している。

そんななか、たった一人で一番早く門を出てくる我が子。

そんな子供の姿を見て、母はどう思っていただろうか。

私は、彼等の立つ桜並木には、一生立つことができないだろうと思った。

成人式ー。

これも、身内だけの、小さなさな儀式

誰に見せるわけでもないのに着物を着て、誰に見せるわけでもないのに美容院スタイリングして、最後に家の前で写真を撮った。

テレビをつけると成人式話題ばかりで、華やかに盛り上がる新成人達の姿を見て、わたしは心底面食らった。

卒業式の時感じたあの予感は、あながち間違いではなかった。

入社式ー。

本来であれば入社しているはずの年に、私はそれができなかった。

真新しいピカピカのスーツを着て、意気揚々と歩く新入社員達の姿を町で見て、母は何を思ったのだろう。

これからも、何かイベントごとがある度に、家族を悲しませるだろう。そして何より私自身が挫折し、絶望しなければいけない。

華やかなイベントの裏にこうした人種もいたのだということを、記録に留めておく。

タンクに元々チャリオット意味を持っていた戦車という言葉を当てはめた日本軍人馬鹿さ加減は異常。反吐が出る。もう死んでるが死んだほうがいい。墓を暴いて骨を豚に食わせても飽き足りない。

作曲に関してはわかるような気がする

http://anond.hatelabo.jp/20170212020035

ある程度勉強したり経験をすると、作るという行為を楽しむより成果物の良し悪しの方が気になってきてしまい、

作業の途中で、この作業の直線状に良いものができる未来が見えなくなってくるとその作業をやめてしまう。

バンドとか他人音楽をやってると他者から評価されるので、余計に成果物の良し悪しを考えて作るようになってしまったのかも。

プロセス純粋に楽しむというのも、作曲において大事なことかもしれないなぁ。

http://anond.hatelabo.jp/20170212012039

読んでくれてありがとう^ ^

実は大好きだったのに付き合うに至らず、、、数ヶ月後、彼は他の女性と付き合い始めることになるのです。

http://anond.hatelabo.jp/20170212005040

でも今物語がないものは売れたり受け入れられたりしない時代にもなっていると思う。

物自体価値で売れていた、受け入れられていたのはその物自体価値だけで買うがわが想像できたからで、

今はそれをどう使うかまでも提供する側が提示しなきゃいけないのだと思う。

ふと我に返る問題

自分好きな物事でも、途中で白けてしまうことがないだろうか。俺はしょっちゅうある。

例えば趣味作曲したり絵を描いたりするんだけど、ふと、こんな思いが浮かんでくる。

「俺、なんでこんなことやってるんだろう??」

こう思った時はもうダメで、その日はもう何も出来なくなってしまう。

この現象アウトプット作業を行っている時に起こるもので、映画読書などのインプット時には起こらない。

ついさっきも絵を描いていたら興覚めしてしまい、モヤモヤしてしまって仕方がないので今、こうやって文章にすることで多少の発散を試みている。

しかし、どこかのタイミングでこの文章入力作業頓挫してしまいそうな気がして、少し怖い。

何故このようなことになってしまうのだろうか。

昔はこういった現象はあまり起こることがなかった。

作曲してる時は、それこそ何時間でも没頭出来た。では、何故今は出来ないんだろう。

少し考えてみたのだが、これはアウトプット作業における目標設定の問題のような気がする。

例えば昔は作曲行為のもの目的化していた節があって、その目的を果たす為にアウトプットリソースを存分に注いでいた。

しかし今の自分にとって作曲並びにアウトプット行為はそれ自体目的足りえない(多分バンドをやめてから)。

では今、何のためにアウトプット作業を行っているのか?

それを考えたときに、何も答える事が出来なくてゾッとしてしまった。

ようするに、以前はアウトプットの為にアウトプットを行っていたのに、いつの間にかその目的は失われてしまい、それでも習慣でアウトプットを行っている状態なのではないだろうか。

そう考えると辻褄があう。なんせ目的がないのだから「なんでこんなことやってるんだろう?」という疑問は至極真っ当なもので、この場合「我に返った」と表現すべきだろう。

(というか、アウトプットの為のアウトプットってすごいな……)

そこから更に考えてみると、自分は“過程を楽しむこと”が酷く苦手なのではないだろうか、という疑惑が湧いてくる。

アウトプットの成果にのみこだわって、その過程を楽しんだり、そこに自分の成長を実感したりすることがほとんど無かった。

そして今も漠然と“良い物”を生み出そうとしている。その“良い物”は一体何のために作られているのかは一切不明だ。

となると、アウトプット作業に適切な目的を与えるか、もしくは不毛アウトプット作業は潔く止めてしまうかを選ばねばならない。

少なくとも、目的らしい目的が見つかるまでは余計なことは控えるよう心がけよう。

そもそも、どうして俺はこうも何かを作ろうと躍起になっているのだろう……

じゃあエアトラバで書くけど

暴言吐かれた側が叩かれるってそもそもおかしくない?

彼もダンサーになるのだろうか

三浦大知が同い年で、しかもつ最近子どもが生まれたと知って

ここ最近で一番びっくりした。

息子さんご誕生おめでとう!将来親子共演とかするのかな 楽しみだな

わたし

前世でどれだけ悪いことしたのかな

どうしてこんなに醜いんだろう

なんかエアトラバにすればいいのに余計にトラバ飛ばししまった結果暴言吐かれてる感じの人がいるけど

もしかしてこの前のエアトラバ云々の揉め事を深刻に捉えてるの??

http://anond.hatelabo.jp/20170212013110

補記させてもらうと、

別に「説得にかかる」のを「絶対にしてはいけない行為」だとかみなして「封殺」する気はない。

あくまでも不毛だし、するメリットはあまりないんじゃない「かなあ」程度に思っただけ。

説得を試みて理論を構築するということそのものは「頭悪い」なんて言ってないし

そのニュアンスを出すために「偏差値的な頭の善し悪しとはまた別」と書いたつもりだった。

別に自分反論されたのに対抗するために議論を持ちかけるのは、「自分文句つけられたわけでもないのに」

の部分で除外してるつもりだったから、「議論」を「封殺」には当たらないと、「解釈した」の。

http://anond.hatelabo.jp/20170212012042

この記事トラバ先書いた人間ではないが、傍観者として言うと

貴方に向けられたイチャモン基本的には不適当」つったって理由が異なるから腹は立つだろ。

そもそも説得にかかるのを頭悪いと表現するだなんて、議論自体封殺してるようにも解釈できる。

ネトサヨ転向してから一週間が立ったが

twitter共産趣味者とサバゲーマーにフォローされまくってる。

ネトサヨはいいぞ。

http://anond.hatelabo.jp/20170211230038

高校受験偏差値60って、大学受験の実績ベースではそこまで大したことなランクだった気がするが。

高校受験偏差値だと、大抵の場合私立一貫の人が母集団にいない数字になるから、60と言っても中学生全体で図ればそんなに上じゃないと思う。

まあ、それとコレとは別として、中学から受験で這い上がるってのはそこまで上の高校行かなくても達成しうるシチュエーションな気もするから

自分の書き方は不適切なのかもしれんが。

http://anond.hatelabo.jp/20170212005952

選ばなきゃ仕事はあるんだよ。

ただ、あれは嫌だこれは嫌だと駄々こねる奴の声が年々でかくなってきているだけ。

誰が好きこのんで日がな一日パチンコやる奴に金くれてやるってんだ。世の中甘くねえぞ。

http://anond.hatelabo.jp/20170211214038


よくわからんが、偏差値って言葉理解できてない人がわりと多くいるってのは、貴方個人理解してるかどうかとは別個の存在として、事実としてあるって言いたいだけなんだが。

イチャモンつけてきた人のイチャモンがどれぐらいトンデモだったかどうかとか関係ないと思ったけど。

というか要するに貴方に向けられたイチャモン基本的には不適当だって言いたかっただけなんだけど、不満なんです?

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