ゲームの実況を見てたら可愛い女キャラ(盲目で意思薄弱、いつも大人しく主人公の後をついていく感じ)に対して
最初からヤリたいだのなんだの下品なコメントが散見していて嫌だったんだけど
中盤キャラの目が見えるようになって自分の意思をはっきり伝えるようになったら途端にま~〇だ何だって叩きで溢れ始めて吐き気がしたわ
この人なんかおかしいな、と感じていた人
たぶん自閉症スペクトラムなんだと思う
けどとにかく異質な感じがする
ネットで検索すると、大きな成果を出した有名人にも自閉症スペクトラムの人がいるとある
けど、そんなこと言われても だから否定するなと暗に示されても 違和感はどうしようもない
悪い人ではないけど
「普通と違う人を認めましょう、仲間外れにしちゃいけません」
それはもちろんその通りだし、ずっとそういう考えで生きてきた
けど、だからって
”普通から極端に外れた人も、普通の人と同じように扱いましょう”なの?
”普通から極端に外れた人も、普通の人と変わらずに好きになりましょう”?違うよね?
その人から好かれたからと言って、”普通の人と同じように好きになるべき”というのは違うよね
断る理由が、「あなたは振る舞いが普通とは違うから」っていうのは十二分に正当な理由だよね?
私はまおさんと同学年の34歳です。でも独身です。
まおさんと違ってデブスで子供の頃からいじめられていてすっかり自信が無くなってしまったからです。
ずっと死にたくてたまりません。まおさんは大学時代からテレビに出ていて輝いていて、今は死ぬ寸前ですごくうらやましいです。
こういうの見るたび、はてなーの多くが失言を延々責めたり、重箱の隅をつつくようなこともせず、例え論理が破綻している相手でも安易にバカにしたりせずに攻撃的な言葉を使わずに冷静な内容で指摘するに止め、集団になって叩き続けるということをしないのはネットコミュニティの中では奇跡的ことに思える。
嫌いなところを100でもあげようという人は
きらいであることの証明を科学的推挙で嫌いというポジションに追い込みたい気持ち
2点がつながったりすると大逆転されたりする可能性もあり
それが恐ろしくて嫌いだという言葉や表現で埋め尽くそうとしているのか
http://anond.hatelabo.jp/20161004215334
↑のような無駄に攻撃的なやつって、ストレス発散というか何も考えずにただ相手を罵倒するためにツイッターを利用してるから
攻撃的とか心理的にどうこうって考えるのが無駄な気がするんだよな。
そもそも無料で利用できる時点でそういう無駄な罵倒用のアカウントを作れてしまう。
有料になれば、全体数としてそういうくだらないアカウントもごっそり減ると思うんだけど。
目の前に車椅子が必要なくらい太ったおっさんとファッションの権威みたいなおばさんが楽しそうに喋ってる。
外は小雨で俺はカフェで雨宿りしてる。
歩いていけるんだけど、ちょっと疲れたし、なんとなくカフェにいてる。
メニューは全て英語でよくわからないけど、ミルクが読めたので暖かいミルクを買った。
この時期のカナダはダウン着てる人もいればTシャツだけの人もいて服装は本当にバラバラだ。
紅葉はまだ少し先のように感じる。赤い葉もあれば黄色い葉もあり、もう枯れてる葉もある。
カフェには太ったおじさんとファッションおばさん以外にも多くの客がいて店内はほとんど埋まってる。
二面が大きなガラスになっていて外がよく見え、とてもオシャレだ。
こんなオシャレなカフェは俺の住む日本の田舎ではスターバックスしかない。
地獄耳で地球の裏側の悪事を聞きつけて、一瞬で移動し、完膚なきまでやっつける。
世界同時に地球的危機があっても大丈夫、一件あたり0.0001秒で解決するからなにも問題ない。
未知の宇宙人や異次元の侵略者は少し手強そうだけど、俺なら守り抜く。
守り抜ける自信がある。
普段は名もなき普通の48歳のパソコンオタクだけど、いざとなればいつでもスーパーマンになる。
お金や名誉のためじゃない。俺だって世界に対してちゃんと意味のある人間だって自己満足したいだけ。
いや食材鮮度の問題もあるんじゃね? あと水道水が軟水とか。東京名古屋あたりは硬度高いから水変わるだけでも結構差を感じるよ。
田舎の飯はうまい、都会の飯はまずい、はたぶん同じ金額を払って食事した時のコストパフォーマンスによると思う。
例えば自分の住んでる田舎は冬に新鮮な鍋用クエがそのへんのスーパーで1500円で売ってる。それと地元の採れたて新鮮野菜で作るクエ鍋マジうまい。
同じものを都会で食べようとしたら何倍の値段になるのかわからないけれど、おそらく30000円ぐらい出したら同じものを食べられるのではないか。
ああトラバ先間違えか。失敬。
妹に「すっげー感動すっからマジ見てみ」と言われて『君の名は。』を見に行った。全然感動しなかった。
体が入れ替わったからって、どうしてお互いのことを好きになり始めるのか全く理解不能だった。
しかもお互いに記憶が失われているんだったら、何か気になって「君の名は?」とか聞くまでに、
「あのー前に会ったことありましたっけ?」とか聞くだろ、つかこれじゃベタなナンパだろ、とか思った。
そういえば、大昔に細田守監督の『時をかける少女』を見たときも、友人に「マジ感動するから見てみりん」とか言われて見に行った記憶がある。
でも、全然感動しなかった。「あれ、これってどこらへんが感涙ポイント?」的な感想しか思い浮かばなかった。
「未来でお前を待ってる」と言われても、「えーでも再会するときはヒロインおばさんになってるよ?」としか思えなかった。
昔から「感動するよ」と言われて見に行った映画で感動したことがない。
アニメではないが『西の魔女が死んだ』という映画も薦められて見に行ったが、見終わった後「( ゚д゚)ポカーン」としかならなかった。
みんなは「ダッシュツダイセイコウ」で感動するの? なんで? キム兄がタンクトップでキモいから?
ま、それはともかく、恋愛もので感動できないのはたぶん自分に恋愛経験がないからだろう。
逆に『ドラえもん』幻の最終話(CGアニメ化済み)のような、友人との別れものは結構泣ける。
これは自分に引っ越しの経験があって、親しい友人と二度と会えなくなるという辛い経験をしてきたからだろう。
ようするに、作品鑑賞というのは人生経験が大事なんだよね、当たり前だけど。
自分はどんな恋愛ものを観るたびに「( ゚д゚)ポカーン」としてしまう。
男が女に恋するのはまだ何となく理解できるけど、女が男に惹かれるシーンがどうも納得いかない。
『真田丸』で真田信幸に本多家から嫁いだ吉田羊が突然信幸に抱きつく場面が納得いかず、母親に質問したくらいだ。
(答えは「(夫が前妻にばかり気が向いていることに対する)嫉妬で火がついたんだよ」だそうだ。そうだったのか?)
恋愛ものって、まるで中東かアフリカの紛争の話を聞いているときのように、
恋愛という意味で他人に強く心惹かれたことも、他人から強く執着されたこともないので、恋愛ものに全然現実感がない。
自分にとっての「好き」はマンガなら「週刊誌で一度読んでいても全巻コレクションしたい」程度の意味であって、
人間に対していえば「写真を撮りたい」「近くで眺めていたい」と思う程度のことだ。フィギュア鑑賞と同じ。
恋愛もので描かれているように一緒にいたいとか、相手のことが知りたいとか、理解し合いたいという感じではない。
たぶん多くの人に自分は宇宙人のようだと思うだろうし、自分には一般人が宇宙人にしか思えない。
個人の選択権がほとんどないことまでひっくるめて、初めて「お見合い」というんだから。
今はお互い堂々と断ることができるから、何度お見合いしてもまとまらないなんてのは普通にあるし、
そういうのをサポートしたって、空振りに終わることの方が圧倒的に多い。
地元の自治体も、最近じゃ婚活ツアーとかやってはいるけど、あれもどんだけ効果があるのやら。
「婚活支援と銘打てば予算がつくから、消化のためにとりあえずやってます」的な空気がある。
あるいは「他がやってるのにうちがやらないと突き上げ食らいそう」的な。
少子化が個人の選択の結果だということはわかっていても、今更権利を取り上げることなんか不可能で、
選択権を渡したまま面倒を見ても、選り好みばかりして費用対効果が悪い。
そういうことはあの人たちも薄々わかってるんだと思う。