俺はどっちかというと増田と同じで、子供の頃から周囲の感情の動きにモロに影響を受けやすいタイプだけど、
逆に人が怒られてる場面や自分が怒られることに対して恐怖もなにも感じずヘラヘラしてるタイプの人もたくさん見てきたので、
どういう脳内メカニズムでこうした性格の違いが出てくるのかには昔から興味があった。
恐怖といえば前頭前野と扁桃体周りが考えられるけど、一方でポジティブでグイグイくる人にも良い方向に気分や体調が影響を受けやすいので(ただしその後の揺り戻しがキツい)、
恐怖だけに感受性が強いというわけでもなさそう。
感受性の強弱に関連したもやっとした概念としてHSPという言葉は知っているけど、他人の一挙手一投足に影響を受けやすいという自我境界の危うさという点で、
どちらかというと関連妄想のスペクトラムの軸上の状態として考えたほうがより一般化できる気がする。
そして、関連妄想は統合失調症の代表的な症状であることを考えると、ドーパミンが関与する大脳基底核まわりも怪しいんじゃないだろうか。
私はしあわせです
賢いエスカルゴが創造した調和は、捕食者の赤いドラゴンではなく、
すなわち、ちょっとだけ余分に黒いうんこをする新種の誕生である。
この腹黒いエスカルゴは耐暑性をもっていて、余分に黒いうんこで環境温度を最適のものより高くすることで、
時を同じくして北の陸地では余分に白いうんこをする酷薄なエスカルゴが誕生していた。
彼らはもちろん耐寒性をもっていて、我慢大会で同種を打ち破った。
こうして似通った生存戦略で分布を広げた二種類のエスカルゴはついに温帯で激突した。
腹黒いエスカルゴが黒いうんこをひれば、酷薄なエスカルゴは白いうんこをひる。
僻地にしぶとく生き残っていた雑魚ナメクジが体色を灰色に固定して漁夫の利をえた。
殻のない彼らが増えれば手のひら状の目のない肉食動物「赤いドラゴン」が増殖する。
こいつは「何か」が赤いアメーバに食われかけているように見える奇妙な動物だが、中心部の「何か」が本体である。
赤いドラゴンが増えれば、そのチャームポイントである爪が立たない殻をもつエスカルゴ属に分布拡大のチャンスが訪れる。
こうして延々と繁栄と衰退のシーソーゲームが繰り広げられる中で、徐々に多様性が増していった。
なお、大陸の南半球側では平和的に進化が展開していて、殻の上部が半透明になっていて
効率的に日光を葉緑体にあたえる「温室エスカルゴ」などが誕生した。
また、ナメクジとの共生を辞めた藻類――あるいは別個に上陸した藻類が、
A子さんは自分が就いている職業を目指しているそうで、勉強の相談をしたいということだった。
ところが、A子さんから来るLINEは雑談や遊びの誘いばかりで、勉強をしている感じがさっぱり見えない。
一度、勉強を見てくれという連絡が来たのであったが、始終、自分の好みの女性のタイプは?とか
将来独立するつもりはあるのか?とか質問責めにあって終わった。
職場で事務(有資格者のサポート)をしているB子さん(31歳)との会話の流れでそのことを話した。
「それは明らかに狙われてますね。増田さんの歳で有資格者って、とても魅力的な肩書きですし。
こんな田舎で三十路過ぎた独身女性は8割地雷です。私も地雷ですw
増田さんは、若くて賢い、独立した際に経営者としての増田さんを支えてくれるような女性を慎重に選ばないとダメですよ」
と言われた。
B子さんがA子さんに少しでも嫉妬のようなものを見せてくれたら、どれだけうれしかったか、と思い
切ない。
萌え作品か否かを判断するのは内容における萌え要素への傾きや重要度の度合が大きいだろうが、萌え要素があるか否かでいえば無い作品なんて殆どないだろうと思う。
硬派な作品だって女が出てくればそれに萌えを感じる人が出てくるかもしれない。
女が出て来なくたって、BL要素とかがなくたって、格好良い男に萌える奴も出るだろうし。
人によってはキャラ萌えに感じられそうな要素が含まれる作品は、萌え作品と呼ばれるための最低条件を満たしているように思う。
萌え作品というのが蔑称に扱われやすいので萌え作品と言われると「あれは萌え作品じゃない」とか怒る信者が出てくるわけだが、作品に萌え要素がなくちゃいけないわけでもないが、あったら悪いということがないのも本当の所だろうと思う。
濃い考察や解釈が避けられるのは自分と違う解釈を許容できない人が多いからではないかと思う
天使とか言うだけなら敵を作りにくいから自然と顔が広くなっていく
深い考察は一部同意できても別の部分が同意できない可能性があるから忌避される
次第に語らなくなり語れなくなっていく 無意識にブレーキがかかり深く考えることを止めていく
住み分ければ住み分けるほど自分と似た志向の人に囲まれるのが当たり前になっていく
その中で更にまた選別し住み分け 自分と少しでも違うものを視界から排除する
わかりやすさと繊細さが均質化を推し進める
顔も名前も年令も大学も高校もフェイスブックも家族も友達も全部毎日流されてたのに
今回は年齢も性別もなにもかも伏せて、それは遺族に配慮してかなぁとおもうけれど
その他の事件で被害者になって亡くなった人とその周囲への配慮はいらないのかね
やっぱり人の命は平等ではないのかなぁとか
施設って最初老人ホームみたいなの考えてたけどあれ?年齢も性別もないの?って思ったらへぇーみたいな。
犯人の思想を完全に否定できない人間がそれなりにこの世にはいるのだろうなぁ。
的な。
共産主義政党や社会民主主義政党や、その他反自民党的な政党やグループのことを日本では何故か「リベラル」とか「左派リベラル」などと呼称する習慣があるが、彼等の主流はあきらかに自由主義者ではない
彼等のなかに自由を愛しそのために戦っている自由主義者がいないと言っているわけではないのだが、むしろ自由主義よりもパターナリズムへの親和性の方が高そうに見える人もチラホラ見受けられる。
全然リベラルではない、実際には反自民党ぐらいしか共通点が無い集団を「リベラル」と呼称するのは何に由来しているのかが知りたい。
ほんとにかわりたいのかな。
その点だけに関していうと、いま、自分は死ぬところだと想像してみて。
車にひかれたり、地震でとじこめられてどうあがいてももうだめな感じのところとか。
そこでね、いままでできたこと、できなかったこと、すきだったこと、きらいだったこと、おもいだしてみて。
すきだったことは、何人と共有できたかな。それいいよね、って、いわれたことあったかな。
嫌いなこと、思い出してみて。それはやめてほしかったとか、これはこうしたら、なんとかなってたかな、とか。
全部できてた?伝えきれそう?
全部文字とか映像とか情報にして残したり、だれかにその価値観を伝えて、それをもしかしたらの
分岐に生かしてもらえるように準備とかできてた?
あれはあいつがやってくれる、あれはあの子がやってくれそう、これはあの人が引き継いでくれてる、とか。
もしかなにかひとつでも、自分でたりなかった、自分の人生で足りなかった、次の人生になら解決はしないにしても
なにか一歩を進めることはできるんじゃないか、と思うことはなかった?
なかったらもうなんでもいいし今の残りの人生を楽しめばいいと思う。そのあとには何も残らないから。
もし、なにかひとつでも、残したい、足りない、もう少し先へ、と思うことがあったら、
いま自分のためだけにならなかったとしても、どこかのだれかがすこし先にすすめることがもしあったら
その答えを、きっと観測できるなにかがこの先にあるかもしれないとおもったら、
いまの、つまらなくてあたらしいものをさがしたい気持ちを、いまのままでもうすこし積み上げようと考えるかも。
ただ、いまそれをそこで積み上げる運命ではないかもしれないってはおもう。最後のひとつに出会うための旅を
いましてるのかもしれないっては思う。それは自分で選べばいいとおもう。
ただ、自分のための自分だけのたのしみをそこで探すということは、自分の得るものを他者には一切共有させないという
究極の孤独のための覚悟だから、もしなにかをだれかと共有したかったときがあるとすれば、考えてみて。
だれかがあなたに、重要な選択だということがあれば、それはその人にとって重要なことなだけだから。
あなたがその人のことをどれだけ重要かと考えている度合いによってその重要ということばの意味がかわるから。
その人ひとりというのも、残せる選択肢の一つであって、自分自身の選択肢に、ほかの人の選択肢を合金のように合わせて
強度を増すのもよいし、自分個人だけの楽しみをひたすら追求して純度を高めるのもありだとおもう。
一緒に、なにか次の一手を、残してみるために、積み重ねることが、いまできるのかどうかって。
自分は香川出身で、香川はうどんが強くて、とにかくうどんが強くて、というアイデンティティが、香川県民にはあるわけだ
些細なことだけど羨ましい。自分の出身地がある分野において全国でダントツの1位で、しかもそれが超有名。そんなのがあるのは香川県くらいじゃないだろうか?
これが見えた人に「私はしあわせです」と書く呪印を仕込みました(ゝω・)vキャピ
食べ過ぎた
申し込む側からは見えなくても、申し込まれる側からは傾向的に見えてしまうという。
馬場A「身の回りに悪い事が続いて、病気やケガも続いて、友達にも裏切られて、何か悪い事してるのかなあと思って…」
神主様「はあ(んなもん、時計と周りを見りゃすぐにわかりそうなもんだが)」
何でも自己流で勝手にこなすから、その反発をくらって自分にとっての悪い事が続発する。
周りの状況を見ずに自由に動き回るから、病気やケガをする確率も上がる。
自分の流儀を崩さず押し付けるから、友達にも愛想つかされて裏切られたように感じる。
周り=当然ながら、申し込みをしている人間は他にいない。
周りに合わせず自己判断を至上の価値基準として行動するから、その反発をくらって自分にとっての悪い事が続発する。
健康な大多数の人に合わせて行動しないから、病気やケガをする確率も上がる。
周りに合わせて思いやりをもって行動しないから、友達にも愛想つかされて裏切られたように感じる。
基本的な事なんだけど、守らない人は多い。
顕著なこの傾向によって、
『変な時間に来る人は変な祈願を依頼する』というジンクスが成立すると。
で、こういうのを本人に伝えてもまず「論理が飛躍しすぎ!理屈も穴だらけ!暴論だ!」とか言って認めないんだが、
そういう奴ほど、