テレビドラマで見かけるような極端に水商売っぽい服を着ている女の子。
こういう女の子がいたが指名を1本も取れてなかった。
いまどき極端に派手な私服を着ている人は本当にいないので遭遇したら地雷と思って良い。
指名を1本も取れなかったし、ボーイに対して大柄な態度も取ってた。
ただの出勤人数合わせ用でいつ首を切られてもおかしくない使えないキャスト。
客の前でボーイへの態度が大柄な女の子。
指名は取れても、上位指名獲得ランキングには入れない。
客の前でボーイに対して普通に接することができる女の子はみんな指名を取れてたので、キャバクラ初心者は女の子のボーイへの態度を見ることをおすすめする。
くさまん女にチンコ奪われたはなし
貧困家庭に育ってタクシー運転手してたけど実は赤ん坊の時に取り違えられた資産家の子供だった事件とかあったじゃん
現実においては血統それ自体が重視されている訳ではなく、問題となるのはあくまで親の資産や環境、コネ。
最初っから金持ちや王族としてちやほやされて育った主人公ならともかく
孤児や一般人として生活していたけれど実は凄い血統だったっていうのは現実の格差社会肯定にはならないと思う。
逆に言うと一見血統を否定したリベラルに見えるアルスラーン戦記なんかは所詮は前王の養子だったからできた活躍という意味では格差社会の肯定と言える。
ここには『オナキン100日達成!』みたいな修行僧も多いだろうけど
俺の場合は『年末年始くらいは休ませてあげるか』という気持ちで31日から始めて、まだ三日目。
それでも実感したのは
・朝の寝起きが楽になったこと
これまで、体内のエネルギーを射精という形で発射していたんじゃないか?と疑うくらいにエネルギーが溢れてくる。
待ち合わせ場所は住んでいる場所から電車で270円の所だったので、切符を買い移動した。
目的地に着き、改札を出る時に友人から電話が来て、俺の住んでいる場所の最寄り駅にいるがいつ来るのかと聞いてきた。どうやら俺が待ち合わせ場所を勘違いしたらしく、仕方がないのでUターンすることになった。
最寄り駅に戻ったが切符としては一駅も移動していないので自動改札機から出れず、窓口に行く。
当然駅員にホームに入ってから時間が経っているが何をしていたのかと聞かれる。
そこで俺は正直に言えば追加のお金を払わなくて済むんじゃないかと思い「移動したのですが待ち合わせ場所を間違えたので戻ってきました。」と言った。すると駅員は当たり前のように追加の270円を請求してきた。
それを見ていた友人に事の顛末を話し言った言葉が「正直に言えば返してくれると思った」である。
その時は「正直に言った」という自分の善意が踏みにじられた気がしたが、冷静に考えると駅員からすれば当たり前の話だし、何よりこういう世間は自分のために動いているみたいな考えをさも当然のように言ってしまった自分が凄い恥ずかしい。
もしかしたら見逃してくれる駅員はいるかもしれないけど、それはその駅員が優しいのであって、受け手はそれを当然の物だと思ってはいけないはずだ。それなのにあの時の俺は・・・。
今思い出しても「うわ~~~!」ってなる。 今年はこういうことが無いようにします。
今の自分、いろいろとアレ過ぎて経済的な理由で死にそうなんだけど、
みたいな見積もりをする機会が割りと多いんだよね。
そんな悲しい計算をしてていつも思うことがあるんだけど、
世の中30手前くらいで年収500~600万くらい稼ぐサラリーマンって
蓄えを手に入れるくらい割りと現実的にできそうっていうか
そりゃ贅沢や結婚や子供みたいな人並みな幸せっぽいことは諦めなきゃだろうけど、
流石に敵わないと気がするし、
一般人「今年の紅白ってあれでしょ?ラブなんとかっていう犯罪犯しているような人たちが観ているようなアニメが出てくるんでしょ?今年は観るの辞めとくわ…。ていうかそんなもの紅白で流すなんてNHKは何考えてんだろ?」
みたいな感じ?
「アフリカの子供よりも日本のホームレスを先に救え!」などという人に限って
アフリカの女児虐待よりも日本のセクハラを先に撲滅しようとしたら「そんなことよりももっと重大な人権侵害を先に解決しろ」と叩くという謎
保坂和志の言葉をとりあげてつぶやいていく Twitter アカウントが人気だ。
彼は文筆のプロであるわけで、仕事についてストイックな姿勢を持っているわけだから、そこでとりあげられる彼の言葉はどれも至言にみえる。だからみんな、彼の言葉をお気に入りに登録し、リツイートをして他人へと共有したがる。
そんな光景を見ていて、ぼくはちょっとした悪意をふくむ欲望にかられた。そのアカウントをハックして、保坂和志の言葉のなかに、こっそりとぼくの言葉を紛れ込ませたい、と。
おそらく大多数のひとはぼくの言葉が混ざっていることなどに気づかないだろうから、ぼくの言葉は多くのひとびとに重く受け止められることだろう。
そんなひとびとをぼくは笑いものにしてみたいと思ったのだ。
http://anond.hatelabo.jp/20160102115432
コーチを首になり、野球の仕事もなく、生活への不安から心を病み、妻と娘の目の前でマンションの7階から飛び降りた。
地面に叩き付けられた遺体の前で錯乱する奥さん。110番したのは当時小学生の娘。
そういうのが見たいの?
クビを宣告された男達を見た。
苦悩の日々に野球への思いをこじらせ、体良く諦めるための家族もなく、報われない努力と心中することしかできない、そういう人間の叶わない夢の顛末が見たいんだよ。
実家ぐらしだと責任能力がなさそうに見えるんだよね。だからうちの会社では中途だと一人暮らし経験ないと採用しない。もちろんばあちゃんの介護とか、そういう正当な理由があれば話は別だけどね。
自由に使える空間の広さや管理下に置くことが出来る人数って、責任能力や社会的信用、またはいわゆる器の大きさで変わってくるものじゃないかな。
山戸結希監督の『おとぎ話みたい』の初日公演がテアトル新宿であったので、行ってきた。
ずいぶんと言葉に愛着のあるひとなのだな、という印象だ。作中、高校生の主人公を通して山戸監督の言葉が「これまでか」という程に発せられる。
「元来、踊りとは身体を売り物にするものであって、嫌らしいものであるから。その身体性を意識して、私は踊るのです」
といったような台詞が連続してゆく。ぼくはこういった言葉が嫌いでなくて、むしろ好物であったりするものだから、楽しみながら観た。「こんな女子高生おるんかいな」という感覚は否めなかったけれども。
上映後に山戸監督がふっとあらわれて、いや、「あらわれて」という表現は適切ではなくて、ぼくがスタッフの女の子と認識していたひとりがいきなりマイクをもって、「監督の山戸です」と話をはじめたから衝撃を受けたというのが実際のところなのだけれど、とにかく山戸監督が話をはじめたとき、ぼくが感じたのは、「やっぱりこのひとは小難しい言葉を好むひとなんだ」ということだった。「証左」ということばをあなたは日常で使うか。三十年前の大学生はもしかするとつかったのかもしれない。
山戸監督をとりまくそれぞれに対しては、頭のなかで文筆をして、それを読み上げているような、そんな印象を受けていて、ぼくはやはり文章が大好きなものだから、それが若い女性の声で再生されるのを耳にすると、妄想の世界が現実になった気がして、「ああ嘘くさいけどやっぱり最高だ」、と思ってしまうのだった。
むしろ子供が面倒見てあげてる家もあるだろうけど、それはそれで性格歪んでそう。
ええー?
はてブの人達当たり前だからあげてないだけなのか? それとも最近のブックマーカーはこの作品知らないの? そんな複雑な思いを抱いてしまった。
自分で1個前に書いたことを忘れるのか、とぼけられると思ってるのか、
あとそれとさ、最近流行りのシドニアの名前はしってるけどバイオメガを知らないって、にわか扱いされても仕方ないと思うけどどうなの?
そして、やっぱり
「俺は知ってる自慢」
「俺が知ってるこんなのも知らない奴をバカにしたい」
じゃんお前のモチベーションは。
1個前どころか同じエントリで否定したことをすぐさまやってどうする。
いや無理があるだろ。
疑問符つけてるでしょ。ブックマーカーがあえて挙げてないだけなのか? ってな。
バイオメガの項目も挙げられていないから挙げておく、と丁寧に誤解を解くように書いてる。
ほら、こうして丁寧に誤解のないようにだよ。
しょっぱい保険かけようとするティキンだけど
それが保険にもなってない低能さ。
お前には確かな器があるよ。