山戸結希監督の『おとぎ話みたい』の初日公演がテアトル新宿であったので、行ってきた。
ずいぶんと言葉に愛着のあるひとなのだな、という印象だ。作中、高校生の主人公を通して山戸監督の言葉が「これまでか」という程に発せられる。
「元来、踊りとは身体を売り物にするものであって、嫌らしいものであるから。その身体性を意識して、私は踊るのです」
といったような台詞が連続してゆく。ぼくはこういった言葉が嫌いでなくて、むしろ好物であったりするものだから、楽しみながら観た。「こんな女子高生おるんかいな」という感覚は否めなかったけれども。
上映後に山戸監督がふっとあらわれて、いや、「あらわれて」という表現は適切ではなくて、ぼくがスタッフの女の子と認識していたひとりがいきなりマイクをもって、「監督の山戸です」と話をはじめたから衝撃を受けたというのが実際のところなのだけれど、とにかく山戸監督が話をはじめたとき、ぼくが感じたのは、「やっぱりこのひとは小難しい言葉を好むひとなんだ」ということだった。「証左」ということばをあなたは日常で使うか。三十年前の大学生はもしかするとつかったのかもしれない。
山戸監督をとりまくそれぞれに対しては、頭のなかで文筆をして、それを読み上げているような、そんな印象を受けていて、ぼくはやはり文章が大好きなものだから、それが若い女性の声で再生されるのを耳にすると、妄想の世界が現実になった気がして、「ああ嘘くさいけどやっぱり最高だ」、と思ってしまうのだった。