僕は大学生で実家暮らし。車も持っていないし遊ぶことも少ないし飲み歩くこともない。
バイトはたまに単発でやる程度。そうして稼いだお金は大抵まとまった金額の商品に消えていく。
僕の家は裕福ではないがだからといって日常生活がそれほど変わったわけではない。
確かに親は野菜の値段が上がった、肉が、魚が、ガソリンが、灯油が、などと言っているがそれほど前と変わったようにも見えない。普段の食事が貧しくなったわけでもない。
今年で20歳になり、衆議院選挙の投票にも行く。別にどこの政党にいれようかなどと迷っている訳じゃない。大して知識も政治にたいする興味もない大学生にとってはどこの政党もおなじた同じだけど自民党が一番ましに思えるからとりあえず自民党、という風に考えている。
公約やマニフェストには当然経済政策が挙げられているけれど果たして実行出来るのかと疑っている。
こんな風に何の知識もない大学生に、20歳になったからというだけで選挙権を与えるのはどうかと思う。
選挙というのは国民のため行われるもので、国民というのはその生活のために投票するはずだ。
経済を肌で感じるようになるのは社会に出て働いたり、主婦として家計を預かるようにならなければわからないと思う。そう思い僕のような人間が選挙に行くことの意味に悩んだ。
HP見て女の子見て口コミみてこの子にするかって時にエロ動画みてヌイてスッキリして満足しちゃう。
なんか毎回3万円得した気分になってたけどなんかちがくね?って思った。
ラーメンすげー食べたいけど家でもらった金鍔大量に食ったら満足したから750円得したと同じ話でしょ。
なんていうのこの現象。
韓国が日本の文化をパクるから、パククネ大統領のパク氏もあってパクるが定着したのかなって最近思うようになった。
それを言うなら父パクチョンヒ元大統領だろってツッコミもあるだろうけど
最も有力なのは物事をパクっと飲み込むから転じてパクるだろうけど、
パクる文化は歴史的に見ても、例えば慰安婦問題も日本の売春文化をパクチョンヒが盗んで公式にやった朝鮮戦争時の慰安婦徴用が起源で
その結果日本にも慰安婦問題と共にこの事件が流布して現在のパクるになったのではないかと思う。
一番の問題は、どうして盗作する、盗用するから、パクるという言葉になったのかという事に尽きる。
彼が求めたものはなんだったのか
ある時、偶然、教授はその友人と再会する
彼はみずぼらしいアパートで一人で暮らしていて、働いていないようだった
彼が今まで何をやってどう生きてきたのか
たしか彼は詳しくは語らなかったと思う
だけど、彼は今がとても楽しいと言った
好きなように生きて、遊んで暮らすだけの日々を送っていて、
例えば、特に予定も無いのに期日前投票に行って投票してくることが出来る、というのは割と高度な嘘つきスキルだと思うんだけど、日本人なら結構出来ちゃうんだよねー
例えば、制限時速50kmのところを63kmくらいで走ってみせる、とかさ。
こういう日本で生きていくための嘘つき行為に嫌悪感を持つ人のことを、やれ潔癖症だの生きづらいだのと社会順応不良者と見なすとか、あるあるだよねー
そんな願望や妄想がいつも頭ン中で囁き続けてくる。
でも人間には理性ってのがあって、たとえパンツ見えんだろって露出した格好してる女見たら
こいつら絶対レイプしてやるって思っても実行に移したりはしない。
思いっ切り女レイプして膣内射精して咽び泣いてる女見てほくそ笑む。
こうやっていつも抜いてはやっちまった、レイプは犯罪なんだって冷静になる。
これの繰り返しだ。
どうしても滅茶苦茶にしてやりたいと思っても結局レイプ出来ない小心者な自分を思い知る。
だからレイプ動画見てスッキリしてんのに、レイプ犯罪見たら物凄く腹が立ってならない。
女性専用車両見たら若い可愛い女がたくさん乗車して、自分は通勤の途中だってのに
ひたすら痴漢したくなる。
痴漢中に自分のナニをスカートの膨らみに押し付けて自己満足に浸る。
そうホイホイ簡単にもらえるんならいいんだけどね
でもどんどんとこの先雇われなくなって、体も頭も動かなくなって、結局ホームレスになるか生活保護に頼るかなんだろうなあと思う
今日の昼食兼朝食には1000円使ってしまったが(週末の楽しみなんだよ)、1000円のところを500円に抑えて、未来のホームレスである自分に500円渡した方が良いのかなと
思った
http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20141204050016
ほんとは仕事やる気ない。
やる気なくても、そこそこ仕事が回る。
責任感はあるし、女だからって見下されるのがイヤだから、そこそこがんばる。
がんばりが男は気に入らない => じゃまにされる => 仕事やる気でない => 専業主婦になりたい => 忙しくて出会いがない
よくわからなくなってきた
疲れてるのかな
先日、うっかり結婚した。
いつかは結婚したいと思っていたし、彼氏(今の夫)もはっきりと「君と結婚したいと思っている」などと言ってくれていた。
親からのプレッシャーもあった。「適齢期」「出産年齢」も気にしていた。同僚や友人の結婚や出産が続いたから。
毎週末にFacebookにポストされる、頑固親父として有名だった友人父が孫を抱いている写真。えびす顔、というのだろうか。友人として素直に嬉しい気持ちと、どこか遠い外国の出来事のような感覚を覚えながら見ていた。
…早い話、キッカケがなかったのである。タイミングも手続きもわからなかった。
結婚式そのもの、ましてやドレスなどにも憧れがなかった。「彼氏をウェディングフェアに引っ張って行きその勢いでプロポーズさせた」という友人のエピソードは、女子会特有の雰囲気に合わせたネタと思っていた。
ちょうど仕事が面白くなってきているというのもあった。管理職になり、海外出張が増え、動けば必ず成果を出せるようになり、まさに旬がめぐってきたのだとさえ思った。
仮に出産するとなると、ここまで築きあげてきたキャリアをすべて失うのではないかと恐怖した。怖いので、あまり考えないようにした。
私生活の課題にだけ積極的に改善を試みないのは、とても悪い癖だと自己批判しながら。
あるとき彼と、たぶん焼肉屋か鮨屋だったかと思うけれど、結婚する時期について話した。
「明日でもいい」と彼は答え、こう続けた。
「仕事は辞めなくていいし、減らさなくていい。子どもは産んでほしいけれど、君が欲しいと思ったときでいい。もちろん遅くならないうちにね。
そもそも僕が好きなのは君で、そう努力している君なんだよ。今の君はかっこいいし、誰にも渡したくないんだよ。
だから家庭的な、僕の奥さんや子どもの良い母親になってほしいとか、そういうことは言ってないんだよ。
今は仕事という形でアウトプットしているけれど、同じように、自分たちが正しいと思うことを、なんとなく、相談しながら、やっていけば、いいんじゃない?」
そして、型破りな自分の性分をいま一つ受け入れられていなかったことに気付いた。
実家は圧倒的な家父長制が強く敷かれている。地方公務員の両親、先祖は地主だ。
大学進学と同時に離れ、できるかぎり疎遠にしていたにも関わらず、旧い結婚観・家族観は私の血肉に染み込んでいたのである。
決別するために、そして当の本人である私よりも私を受け入れてくれる彼への真心として、本当に1週間後に入籍を果たした。
こういう考え方を彼に叩き込んだのは彼の母であり、彼の祖母は戦前から婦人運動家として活動したグループの方だと知るのは、結婚してから1か月ほど経ってからのこと。