はてなキーワード: 魍魎の匣とは
基本的には尺の問題だな。
文庫本には大体1ページに300-400文字くらいの情報が詰まってるんだが、それは大体映像で言うと1分でキャストらがしゃべる情報(+背景や動きの情報)になる。ということは、小説を映像に直すとき、本来なら1ページ1分で240ページなら240分必要になるはずなんだ。
だから、たとえばラノベでは3巻(約600P)くらいで1クールのアニメ(約330分)を構成するようになってる。すでに圧縮されてるけどな。
そうして「圧縮」作業を強要された映像作品は、おおむね大事な部分もカットしてしまっている。取捨選択が悪いからではない。ただ単純にカットする量が多くなると、総合的に見て「必要だった部分」も捨てざるを得なくなってしまう場合が多いということだ。
そういった必然に反目する向きもある。
2009年くらいに上映された「魍魎の匣」(京極夏彦:著)がそれだ。この作品は、原作では1300ページにも及ぶ分量を大胆にも100分くらいの映像に収めようとしてしまった。
こうなってしまうと、もはや「削る」という行為は意味をなさなくなる。もとある形から削るのではなく、再構成しなおす。作業から言うとそうせざるを得ないし、そうしたいと監督は考えたのだろう。
結果は、酷いことになった。原作レ×プなんて目じゃない。ミステリを作ったつもりがちょっとしたホラーになった。ファンは涙し、新規ファンがつくはずもなかった。監督はショックで死んだ。
一部には事実でない部分も含まれているが、まあそういうことだ。小説を映像化するにふさわしいメディアというのがなかなかない、というのが現実だ。ある意味では小説は冗長すぎるのだろう。そこを増田は面白いと思っているのだろうし、そうでない人もいるのだろう。ただそれだけの話だ。
3か月前に「脚本がしっかりしてそうな新番組教えて」と書いた増田です。
来期にそういうのあったら教えてください。
現在の視聴予定:
(参考:2009年冬期(新春)放送開始の新作アニメ一覧 - GIGAZINE)
これだけ? でも本当に、今のところこれくらいしか興味が出ません。
参考までに、
http://anond.hatelabo.jp/20080930111642
に書いた「10月開始アニメ視聴予定」の結果発表を。あくまで主観ですんでそこはよろしく。
余談:BS2で始まっている「蟲師」は新番組ではありませんがすごくいいので、みなさんにおすすめです。
そんな私に新番組からおすすめを教えてください。「夏目友人帳」は「ニャンコ先生」というキャラクター名にどうしても引いてしまいます。
ここ最近ミステリと言っていいのかよくわからないけど、推理小説みたいなのをいくつか読んだんだけど、多くの小説でいわゆる「天才」が描写してあるんだよね。基本的に自分は天才じゃないから、天才の描写って難しいと思ったんだけど、どう書けば天才らしく見えるものか考えた。
真賀田四季という天才の女性が出てくるんだけど、いくつもの人格を抱え、常人の思考の及ばない世界にイッちゃってる。「7は孤独な数字」とかパズルのような謎かけの好きなんだけど、思考パターンというか考えている事の世界があまりに違いすぎて、逆に天才ぶりが感じられないような気がした。
犀川創平も設定上は天才なんだと思うんだけど、真賀田四季がすごすぎるので彼女に振り回されている感じで、どうにも天才と言って良いのかわからない。西之園萌絵もさくさく暗算したりしてこれはこれで天才なのかもしれないけど、役回り上犀川より思慮が及んではいけない立ち位置なので、思慮が浅すぎるお嬢様像が前面に出ていて、かわいそうではある。すごい桁数の掛け算とか計算できるのは果たして天才なのかどうか良くわからなかった。天才を描写する際に計算はそんなにいらんかもと思った。比較による「天才」の表現というのはありだと思うのだが、誰をどこまで落すか、誰をどこまで上げるかは難しいとも思った。
本編では、京極堂が天才とは一言も書いてないような気がするけど、逆に「天才」を強く感じさせる京極堂。人の話を聞いただけで全てを見通す。凡人が見えないところが見えている。それを言葉で「天才」と言わずに筆力で感じさせられる。それが京極堂のすごいところだと思う。ただ、願わくばもう少し早く、気づいてる事を言って欲しい。もったいぶりすぎて死人が増えてる。
天才石神と天才湯川の会話で、「天才」を感じさせる手法かもと思う。かなり専門的な数学の話を二人の天才がするのだが、数学を知らない人にどう天才ぶりを伝えるのかは難しいと思った。逆に数学を知っている人にこの話が天才に見えているのか興味があるところ。すごいトリックを考える天才とそれを読み解く天才という構造は好敵手同士がお互いを高めあうと言う意味で、天才を描くのには良いのかもしれないと思った。警察がアホなのが必須な条件かも。
いわゆる西尾維新の「戯言シリーズ」。西尾維新の名前は知ってたけど、文庫本になっていたので初めて手を出してみた。最初の一冊では「戯言」というのが意味がよくわからない。五冊読んだ頃、ようやく「戯言」の雰囲気がつかめてきた。そういう自分は鈍いのかもしれないと思う。
シリーズを通して、どちらかと言うと「天才」が連呼されているがあまり嫌味が無い。
シリーズを通して「ぼく」の戯言を越えて真実を語る哀川潤に強く「天才」を感じた。哀川潤と比較され、完膚なきまでに毎回「ぼく」は貶められる。その貶めぶりは見ていて清清しいくらいで、気持ちよく哀川潤の「天才」ぶりが引き立つ。だが、哀川潤の煽りは基本的に「天才」では無くて「請負人」。
むしろ「天才」と言われる久渚友の天才ぶりは最初の一冊ではあまり伝わってこない。サイコロジカルで死体を見て、不気味な笑みを浮かべる久渚に「天才」を感じた。凡人の自分は読み返してやっと言える事だが、この時点で久渚は全てを見通していたんだなとようやくわかる。この「全てを見通した感」が、小説においては一番「天才」を感じさせられるんじゃないかと思った。暗算で多くの桁の計算ができたり、チェスが強かったりするよりもそれは効果的だと思った。
本屋に我が物顔でどすんとふんぞり返る京極本。
その文庫本のあまりの厚さの無茶ぶりに、最初に見た時は我が目を疑った。サイコロかよ、と。いつも気になっていたけど、ついに最近手を出してしまった。
京極堂という神主であり本屋の主の主人公がいろんな人に憑いた憑き物を落すんだけど、理詰めで落すというかなんというか。私には到底表現できない。すごい薀蓄の嵐だ。
最初は「文庫版 姑獲鳥の夏」最初の幽霊とか意識の話がかったるく、なかなか読み進む気がしないでしばし、放置。
だけど再度手に取ってそこを乗り越えて榎木津が出る辺りから俄然面白くなり、もう止まらなくなる。厚いけど、読みやすい。慣れると癖になる文体でずるずると引き込まれる。
「文庫版 魍魎の匣」は一日で読めるくらいはまった。途中で止めるとか途中で寝るとか出来なかった。
「文庫版 狂骨の夢」も面白かったが、三つ読んだ中では「文庫版 魍魎の匣」が一番好きだった。
ただどれもちょっとグロい表現があるので、そういうのが苦手な人には向かないかも。
で、何がいいたいかと言うと京極本をとりあえず読んどいて良かったと思った。
僕の考えた京極堂『小女子の報』 - 脳髄にアイスピック
あー、すげえ、笑った。いいなあ、こんなのがすらすらっと書ける人は。
はじめてえがちゃんに感謝した。えがちゃんの話題を追っていなければ、こんな面白い文章を理解する事が出来なかった。
でもこれを読んで思ったなあ。現実には京極堂に落せない憑き物は多いんだなと。
渾身の憑き物落しの応酬が毎日のように繰り広げられ、お互いブクマでざっくりコメントして切捨て合う。
そして、誰一人として落されない。
「脚本がしっかりしてそうな新番組ってほかにあったら教えて増田」の増田です。
「若干…女性向けです…」の方(anond:20080928215619)の意見やGIGAZINEの記事も参考にしつつ、こんな感じでいこうと思います。
はっきりいって多すぎるので、途中で積極的に整理する傾向で。