はてなキーワード: 独身男性とは
結論から言うと「温泉旅行」になってしまうのだが、ではなぜそんな結論に行き着いたのかを書き残そうと思う。
まず「自分はなぜ生まれてきたのか」 「自分が生きている理由は何なのか」みたいなテーマは、多くの人が一度は考えたことがあるのではないだろうか。
俺も中学生の頃から現在に至るまで何度か考え、その度に「自分が幸せになるため」 「好きなこと(映画やアニメを見る、家族や友人と過ごすなど)をやるため」 「子供を作り、種の存続と繁栄のため」 「他者貢献し、より多くの人にポジティブな影響を与えるため」みたいなことを、その時々で結論付けてきた。
しかしどうもしっくり来ず、もっと本質的に「そもそも何がきっかけで人類、ひいては生物が誕生したのか。そして生まれてきた使命みたいなものはあるのだろうか」を考えてみることにした。
まず、「俺が気がついていないだけで、俺が生まれてきたことに明確な意味がある」と仮定してみよう。そうすると、他の人間にも生まれてきた意味が存在するということになる。
もし全人類それぞれに生まれてきた意味が存在するとなると、人類以外の生物にも存在理由があることになり、更に言えば、生物以外(土、雲、植物等)にも存在理由があるということになる。そうなると地球についても生まれてきた意味が存在することになる。
更に広げていくと太陽、太陽系、天の川銀河、アンドロメダ銀河……となり、最終的に行き着いたのは宇宙だった。
宇宙の声を聞け、そういうことだったんだ。
ここまで行き着いて気になるのは、そもそも「この宇宙が誕生したことに理由はあるのか?」になるのだが、YouTubeで宇宙についての動画を見漁った結果、どうも宇宙が誕生した理由は分かっていないらしい。
一応現時点で有力な宇宙誕生に関する仮説の一つに「マルチバース宇宙論」というものがあり、これは「宇宙というものは実は無限個数あり、湯が湧いている鍋の泡のように、ボコボコと生まれては消え、広がっては収縮しを繰り返している。そして各宇宙では物理法則や物理定数が違う」みたいな話だ。映画や漫画が好きな人なら、平行世界とか異世界みたいなイメージで伝わるかと思う。
このマルチバース宇宙論が正しかったとしても、俺達のいる宇宙ってのはたまたま生まれた無限個数の宇宙の中の一つに過ぎず、その宇宙の物理法則がたまたま星や生物が生まれるのにちょうど良かったってだけで、結局この宇宙が生まれた理由ねーじゃんってことになる。
参考: 【ゆっくり解説】宇宙の果てには別の宇宙が存在する-マルチバース宇宙論-
https://www.youtube.com/watch?v=XIB93mfkEvs&t=1800s
つまり
・そもそもこの宇宙自体たまたまできただけで、生まれた理由がない
・なのでこの宇宙に存在する全てのものも、宇宙に付随してたまたまできただけで、生まれた理由がない
とお前らは思ったろう。実は俺もそうだ。生まれてきた意味はない、で、どうする?とな。
人間の存在証明をマルチバース宇宙論に紐づけて証明するという試みは面白かった。悪魔の証明を解決したような爽快感があった。だが結局行き着いたのは「生まれてきた理由?う~ん…ナシwww」という結論。
これでは結局世の中の多くの人が言うところの「人生に意味など無し!好きに生きろ!(達観)」になってしまうので、あえてここから俺なりに人間が生きる理由というものを考えていこうと思う。
地球で生物が誕生した有力な仮説の一つに「海底、ないしは地上の熱水噴出孔付近で誕生した」というものがある。つまり温泉が湧き出す穴である。地下から湧き出す熱水には硫黄、鉄、水素、その他ミネラル分が豊富で、これによって細胞のようなものが生成され、原始生命体へと繋がったとされる説だ。
参考:最初の生命はどこで生まれたのか? 謎の解明に迫る「新説」とは
https://www.jamstec.go.jp/j/pr/topics/explore-20230626/
また面白い仮説の一つに「睡眠状態(活動量が著しく低い状態)が生物にとって自然な状態である」 「生物は本来はずっと眠っていたいのに、生存競争のため活動している方が有利なので、覚醒を進化させたのではないか」というものがある。
参考: 「なぜ生物は眠るのか?」ーむしろ睡眠の方が生命体にとってのデフォルト状態であるではないか
https://togetter.com/li/1799018
お前らならもう当然分かるよな?
そういうことだ。
それが俺達のあるべき姿だ。
いねぇよな
いねぇよな
毎日の入浴をチャチなシャワーで済ませてる奴。ガチで危機感持ったほうが持ったほうが良いと思う。
温泉行けって。
熱くてデケェ湯船に浸かれって。
のぼせるまで入るんじゃないぞ。温泉の入り方は家風呂とは違うんだ。身体が温まってきたくらいで一度出て外気浴しろ。身体が冷めてきたらまた温泉入れ。そんでまたのぼせる前に出て外気浴だ。これを繰り返すと熱い温泉でものぼせることなく長時間楽しめる。もしのぼせてしまったら冷水をかぶってクールダウンしてもいい。まぁとにかくそんな感じでひたすら温泉に入り続けるんだ。
そして温泉に入り疲れたら旅館で寝るンだ。普段夜ふかしして意味もなくYouTubeShortやTikTokでバラエティ番組の切り抜きとか見てるだろ。今日だけはそれを辞めて早く寝るんだ。人間がさき、スマホはあとだ。そして翌朝また温泉入れ。
するとすごく気分が良いことに気付くだろう。当然さ、お前は今久しぶりに"里帰り"したんだからよ……
ここまで読んでくれてありがとう。
35才年収700万円。上場企業で働いてる底辺弱者男性増田だけど
「女性は下方婚をするメリットがない」って増田の投稿を見て驚愕してる🫨
男で35を過ぎたら婚活相手の候補は基本的に上方婚しかないんだわ
独身女性の年収は独身男性よりはるかに高いことはよく知られた話だ
1人は同い年の女医(北陸の方の医学部医学科出たらしい)さん。総合病院で働いてるらしい
もう1人は3つ上の地方のゼネコンの社長令嬢。親の会社で事務をしてるとのことだ
どっちも俺より格上だわ
彼女いない歴=年齢。
大学時代から今までの約9年間、大学のサークル、ゼミ、紹介、マッチングアプリ、職場の人など、それなりの女性とデートをしてきた。
「振られる」という土台にすら立てず、付き合う前のデートや食事で「大人しそう(陰キャ)」、「真面目そう(つまらない)」、「優しそう(良いところ0でキモい)」という評価が下されて終わっている。
いくら非モテとはいえ脈なしの女性にガツガツするみっともない真似はしないので上記の評価が下された時点でちゃんと身を引いている。
これまでβオスから抜け出してαオスとなるべくそれなりに色々とやった。
相席屋に行ったりクラブにも行ってひたすら女の子と会話し続けた。
言葉の始めに「あ」「あの」がつくこともなくなった。
数年かけてようやく「大人しそう(陰キャ)」と言われることはなくなったが、それでも「真面目そう(つまらない)」「優しそう(良いところ0でキモい)」という評価から抜け出せない。
低めの身長と童顔も影響していると思う。
気になってる子にキラキラした笑顔で「〇〇君って本当優しそうだ(良いところ0でキモい)よね」なんて言われた日には次の日が仕事でも、早朝から資格の勉強しないといけなくても悔しさと虚しさで朝まで眠れない夜を過ごすことになる。
「遊んでそう(かっこいい)」「チャラい(タイプ)」「彼氏にしたくないw(彼氏になって♡)」と言われる日は永遠に来ない。
これまで、自分のことを「真面目そう(つまらない)」「優しそう(良いところ0でキモい)」と評価した女性から告白されることもあった。
つい孤独に耐えかねて「喜んで!」と言いそうになるが、そこをグッと堪えている。
ちゃんと自分に異性としての好意を持ってくれている女性と付き合いたい。
もうそんなことを言っていられる年齢じゃないけど、それでも諦められない。
どうすればβオスの呪縛から逃れて女性からら本当に好かれるαオスになれるんだ。
結局、そんなことは無理なのか。
苦しい。
高校時代、大学時代、そして社会人と自分が好意を持った女性はもちろん誰からも好意を持たれず生きてきた。
現代社会で男として生きるにはあまりに遺伝子が弱すぎたというだけの話である。
昨年度、毎日定時の出先から平均残業時間80時間の本庁に異動となり、平日は忙しさで孤独を紛らわせることができる。
産休中の同僚や子供がいる同僚の仕事、新規採用職員の教育係も引き受けさせてもらっており基本的に一番早く出勤して一番遅く帰宅している。
溜まった仕事を片付けるために休日出勤しているので土曜日も辛くない。
しかし、出勤することができない日曜日や祝日、システム自体がストップするノー残業デーなどで明るい時間帯に帰宅する日や職場に行けない日が辛い。
部屋にこもっていると精神的に辛くなる。
「今暇?」というノリで誘えていた友人や同期には妻、子供、同棲する恋人がいる。
この先の長い人生が恐ろしい。
独身男性だから70代に到達することはなく50代〜60代にかけて病気になり数年間苦しんで孤独に死ぬと思うのだが、それでもまだ約30年近くこの生活が続くという事実に目を向けられない。
出かけなければよかったのか。
俺は30超えた独身男性なんだが、この年で恋愛しようとするとどうしても頭の隅からツイッターのタイムラインの映像が出てきて「こういうアプローチするオッサンまじでキモい」みたいなツイートが頭をかすめて、女性にアプローチしたり誘ったりしたくても「俺キモい行動してるじゃん」ってなって嫌になって行動できなくなる。
多分マッチングアプリやってもそれ以外の場でもずっとそれがまとわりつくから上手く行動できないし精神的なエネルギーも使ってしまう。つまり嫌になって結局踏み込めないまま諦めてしまう。
恋愛に興味を持つためには、まず自分自身のことを理解し、何が自分を幸せにするのかを考えることが大切です。以下の方法を試してみてください:
1.新しい趣味や活動を始める:新しいことに挑戦することで、異性との出会いの機会が増えるだけでなく、自分自身の魅力も高まります。
2.自己分析を行う:自分の価値観や興味があることを深く掘り下げてみましょう。それによって、共通の興味を持つ異性との関係が築きやすくなります。
3.社交的になる:友人や知人を通じて新しい人々と出会うことで、恋愛に対する興味が自然と湧いてくるかもしれません。
4.ポジティブな考え方を持つ:恋愛に対して前向きな姿勢を持つことで、恋愛への興味や意欲が高まります。
5.自分磨きをする:外見だけでなく、内面も磨くことで自信がつき、それが恋愛への興味につながることがあります。
恋愛は人生を豊かにする素晴らしい経験の一つです。自分に合ったペースで、楽しみながら恋愛に対する興味を育てていくことが重要です。また、恋愛に興味がないと感じる場合でも、それは自分自身の価値観やライフスタイルに合っているかもしれません。自分に正直に、自分のペースで進んでいくことが大切です。
---ここまで
ただ、作品を読んで「不快だ」と感じた気持ちを書き記したいだけだ。故に、その作品名や作者については記さない。
ただし、詳細は触れないが、物語の簡単な説明・登場人物には触れるので、作品を読んだ事がある人なら分かるかもしれない。
件の作品は、集団自○を企てるサークルの話だった。SNSで知り合い、とある島に集う事になった彼等の群像劇…というか。
高校生、社会人、様々な立場の人物が登場するが、それぞれの動機には強弱があるらしく、その描写がわりと書かれていた人物と、ほとんどない人物がいた。
…というか。まず言わせてくれ。主人公的な男子高校生の行いが、まずアウト。自分に告白してきた女子高校生に乱暴するのだから。
その場面(文章)は高速スキップした。見るに耐えないからだ。何故こんな場面を入れたのか。最初の不快はここだった。
いくら相手が告白してきて、好意があったかもしれなくても、相手の同意の無い行為は犯罪でしかない。
それを最初に「そうした行為を推奨する目的ではない」と断っていても、誰でも簡単にインストールして読めてしまうようなゲームに入れた時点で問題があるだろう。
この作品に限らず、不快な表現をするアプリゲームが多すぎる事にも辟易している。
総じて言えるのは、「ゲームを遊ぶ人への配慮不足」。文章にせよ、映像にせよ、目にした人がどんな気持ちになり得るのか。
全ての人への配慮が難しいとしても、せめてセンシティブな話題や、デリケートな内容を扱う時には、配慮や注意をする努力が必要だと思う。その努力が、作品の中ではあまり感じられなかった。
作品のテーマというか、作品を通じて言いたかった事が何なのか、よく分からない読後感も不快だった。
作者自身があとがきで「正解を書きたかったわけではない」というような事を書いていたが、扱うテーマが重たいものである以上、その書き方や提起の仕方には、もっと配慮が必要であると感じた。
共感を呼びたいのか、投げ掛けたいだけなのか。描き方や配慮の浅い作品では、メッセージ性に欠ける。
現に、私はただただ「不快だ」という感想しか残っていない。作者や製作陣の頑張り…には申し訳ないが。
要は、中途半端なのだ。多くの登場人物を入れすぎて、一人一人の内情を想像する余地も少ない上、場合によっては理不尽に、残酷に命を奪われる人物もいる。
今、振り返ってみても、結局作品を通して何が言いたかったのか、よく分からないという一言で終わってしまう。
賛否両論が分かれるテーマはいくらでもあるが、あまり考えなしに投げ掛けるだけ、というのは無責任に思う。
(考えなしに、とは言ったが、作者の考えが全く無いわけではなく、確か設定資料?やら、あとがきやらに書いてあった気はするが、重さを感じない言葉だったので覚えていない)
他にも、人妻に接近し過ぎる独身男性や、グロテスクな描写、快楽殺人犯など、不快な要素は多々あったが。
申し訳ないが、二言申すなら、描写不足。配慮不足。これに尽きる。
人の生き死に、特に自ら望むような場面を描くのであれば、直接的な表現も含め、心理描写は本当に慎重に描くべきだろう。
敢えて軽いタッチで…という姿勢なら、描き方が浅すぎて伝わらないし、描く必然性が薄れる。
総じて、後味の悪い印象を覚えてしまった。ふと他の方の反応が気になり、レビューを見てみると、不自然な好評価コメントが並んでいた事に驚いた。
私の価値観を押し付けるつもりはないが、この話はそうした次元のコメント以前に、不快という感想が勝ってしまった。
残念ながら、不快と感じた事自体に議論の余地はない。私にとっては、何故この作品に高評価が付いているのか、といった事の方が疑問ではある。
これもこの作品に限った事ではないが、作品に何らかの共感や感動を覚えた人々の感性は、必ずしも共通する部分ばかりではない。
皆、自分に置き換えたり、単純に好きなキャラクターがいたから等、感想の抱き方も千差万別だ。至極当然だが。
しかし、昔から「名作」「素晴らしい作品だ」と言われる数多の物語において、多くの人々が共通して「良い」と感じる部分があるのも確かだ。故に名作は色褪せない。世代も時代も越えて愛される。
・加害者が被害者と結婚できると思って、ガールズバーの経営資金として車やバイクを売った金を渡した
・加害者が被害者に対し「一緒に帰ろう」などと店の前で待ち伏せをするようになった(被害者目線)
・被害者が警察に相談し、いろいろあって被害者はストーカーとして逮捕、店でもトラブルがあったため出禁になった
・「結婚ができないなら金を返せ」と付きまとった
・「金を返してもらおうと思ってタワマンに行った」と供述している
当時49歳独身男性と22歳の女だろ…?
それで結婚ができるって舞い上がるのはどうなんだろうか
「そんなうまい話があるわけない」と思わんのか…?