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はてなキーワード: 国歌とは

2022-05-29

Netflixブラックミラー

・ちょくちょく観てる

 全体的に世にも奇妙な物語だけど海外の人は画面映えするので見ちゃう

国歌1話から掴みが強すぎる面白

ブラックミュージアム面白

全体的に説明手際がよすぎるし3つの話が繋がるの面白

クロコダイル→あの時ああしていればレベル100

事故したらすぐに警察呼ぼうと思いました

殺意追憶名前的に殺人の追憶パロかと思ったけどそんなことなかったぜ めちゃスゴエンジニアあんなことする前に告白せい

・1500万メリット→つまり寝取られ

コンテンツ消費切ないすなあ

・アシュリー・トゥー→いいお姉ちゃんや…

サン・ジュニペロ→アマプラアップロード見たあとにみてしまたから「払う値段によってランク違うとかあるんだろうなあ…」とか考えてしまった でもこっちのが先なんだね

2022-05-13

anond:20220513142042

ロシアから見れば今回の一見だってそうだよな

電話をかけてきたのが仮に政府関係者からと言って、ロシア法律に「日本国歌権力の依頼はロシア国内法より上位である」と書いてないんなら仕方ない

2022-05-10

ロシア国歌について

9日のロシア戦勝記念日で人々が国歌を歌っている場面を偶然ニュースで見てしまったのだが、

なんだあれは!・・・美しすぎる・・・と思った。

かにロシア国歌はカッコいいという認識は以前から持っていたが、

いや、それどころではない、2位以下を蹴散らす段違いに美しくて力強い国歌なんだわこれ。

いい機会なので他国国歌を聴いてみた。音楽理論に造詣がないので描写稚拙なのを許してほしい。

 フランス国歌: うーん・・・勇ましい、リズミカルだ。なんだろう、まるでポップミュージックみたいな国歌だ。

 アメリカ国歌: 美しい。正統派の美しさだ。しかしどこか深みが足りない。炭酸の抜けたコーラのようだ。

 君が代:美しい。でも暗すぎる。奥ゆかしさは申し分ない。

 中国国歌:これはフランス国歌同類のようだ。同じ調だ。申し訳ないが、雄鶏が飛び跳ねるような印象を受けた。でもラストテンション上がるね!

 イギリス国歌:掴みどころがない。こんなに掴みどころのないメロディーはいままで聴いたことがない。イギリス料理もこんな感じ?

振り返ってロシア国歌

もう素晴らしすぎる。美しさ、切なさ、心の奥底に秘める力強さ・・・

ロシアが許すなら、世界が許すなら

これをこの広い宇宙の対しての、人類を表す歌として制定したいくらいだ。

戦争ロシアに対して厳しい視線が向けられ、ロシアに対する嫌悪がはびこる中、久々に美しいロシア国歌を聴いた私は不意を突かれたような気分になり唖然となった。

もしロシア国歌自我があるなら、ロシアの今の状況をどう思っているのだろう。

ロシアが今後どうなるのか全く見当がつかないが、この美しい国歌は永遠にこの地球上で歌い継がれていってほしい。

2022-04-25

anond:20220425014104

生活の安定が欲しくて教師になるやつが全員なんだから、国がネトウヨ化したら教師は率先しして国旗国歌を推進するに決まってる

anond:20220425013244

国旗国歌法制化すら左翼なら反対するのが当たり前やったんや

2022-04-22

anond:20220422172446

キン肉星の国歌だゾ?

ココッハヨッシノッヤ,アジッノヨッシノッヤ,ギュウドンヒットスッジ,

🥁🥁

ハッチジュウウウネン…♪

2022-04-18

anond:20220418210936

ロシア国歌に書いてあるよ

歌詞を読めばロシアがやりたいことが分かる

2022-04-17

日本人おもしろロシア

ウクライナで墓穴掘りまくってるロシアだけど、日本人的におもしろがいくつかあったのでメモ

ウクライナ国歌

Згинуть наші воріженьки, як роса на сонці.

我らが敵は日の前の露のごとく亡びるだろう。

ウクライナ国歌に露(роса)とあって、ロシア連想しておもしろい。

人民元タタールくびき

ロシア人民元だよりになってきてるそうで、タタールくびきを思い出した。

ロシアモンゴル帝国やその末裔属国になっていた「タタールくびき」という時期がある。

タタールというのは現在ではタタールタンクリミアタタール等、主にトルコ系を指すことが多いが、当時はモンゴル系も含めたそのあたりの遊牧民の事を指していた。

チンギス・ハンから始まるモンゴル帝国は、東では元寇日本まで来たが、西ではヨーロッパまで行っている。

当時小国に分裂していたロシアは、この時にモンゴル征服されて属国になった。

モンゴル帝国はチンギス・ハンの子孫が各地を支配していてそれぞれ独立していくが、帝国本家中国支配したのが元、ロシア属国にしていたのはジョチ・ウルスであった。

なので「元がロシア支配していた」と言うと、あまり正確ではないが、だいたいあってると言ってもいいだろう。

ド人共

ロシア独立承認したウクライナ東部の自称国家の一つ。もう一つはル人共。

ドネツク人民共和国の略なので「どじんきょう」と読むのだろうけど、「どじんども」と読んでしまいそうになる。

2022-04-11

anond:20220411171209

ハプスブルク氏は、「スターリンの下での共産主義は戻ってこないだろう。しかし、ナチズムはもちろんヒトラーの形ではなく、プーチンと共にやってくる」と指摘し、「プーチンは外向きに拡大し、内向きには鋭い権威主義体制を構築するという非常に明確な政策を追求している」と説明している。

 同氏は2003年、フォアアールベルクで開催されたイベントで、「欧州ではもはや戦争はないと多くの人が信じているが、そうではないことが分かるのは私のような老人の利点だろう」と述べ、「最大の国際的危険ロシアから来る」と警告を発した。同氏は「プーチン冷血テクノクラートだ」と指摘している。

興味深い事実は、プーチン氏が2000年12月末、これまで10年間余り使用してきたロシア国歌からソビエト連邦時代国歌を復活させ、新しいテキストをつけてクレムリンで初めて公式演奏させたことだ。その後、同国歌ロシア国歌となった。

2022-03-15

anond:20220315221829

川の石にコケが生えてワーイとか言うのん気すぎるおもしろ国歌があるらしい

2022-03-10

anond:20220310110130

ロシア国歌世界で一番格好いい歌だ

少なくとも君が代よりは百倍いい

2022-03-06

ウクライナ国歌歌詞ウクライナの現状と一致してた件

立場ロシア擁護しなければいけないがウクライナ国歌を今回初めて聞いてウクライナの現状と合致してて驚いた

Ще не вмерла Украіна, ні слава, ні воля!

Ще нам, браття-українці, усміхнеться доля!

Згинуть наші вороженьки, як роса на сонці,

Запануєм і ми, браття, у своїй сторонці.

ウクライナは滅びず,その栄光も,その自由さえも!

ウクライナ兄弟よ,運命はいまだ我等に微笑みかけることであろう!

我等の敵は日差しの下に浮かぶ霧のように消え失せるだろう

兄弟よ,我等自身の国を統治しようではないか

Приспів (×2)

Душу й тіло ми положим за нашу свободу,

І покажем, що ми, браття, козацького роду!

我等は自由のためなら身も魂も捧げ

我等兄弟コサックであることを示そうではないか

Станем браття, в бій кривавий, від Сяну до Дону

В ріднім краю панувати не дамо нікому.

Чорне море ще всміхнеться, дід Дніпро зрадіє,

Ще на нашій Україні доленька наспіє.

兄弟よ,サンからドン川に至るまで血の戦いに起とうではないか

我等は祖国の地の他人支配を許さない。

黒海はいまだ微笑み,父なるドニエプルは喜ぶだろう

このウクライナ幸福の再来に。

Приспів (×2)

А завзяття, праця щира свого ще докаже,

Ще ся волі в Україні піснь гучна розляже.

За Карпати відіб'ється, згомонить степами,

України слава стане поміж народами.

我等の粘り強さと誠実な努力が報われて

いまだ自由の歌はウクライナ全土に響く。

その歌はカルパチア山脈こだまし,草原へも響き

ウクライナ栄光他国にも知れ渡ることだろう。

Приспів (×2)

2022-03-03

anond:20220302171738

ロシア国の代表としてではなく一個人や一団体として参加するならいいんじゃないか

今回のパラリンピックがするように。国旗国歌は出さないで。

ただ対人スポーツ相手がいないとできないので、相手棄権して試合にならないかもしれんが。

一番いいのは早く戦争を終らせることだ。

2022-03-02

anond:20220302171738

正しくはないし酷な決定だが、他にマシな選択肢はなかったとも思う。少なくともスポーツに関しては。

そもそも当初のFIFA措置はそこまで厳しくなくて「ロシアではなくロシアサッカー連合として大会に参加させる。国旗国歌使用は許さない」といった内容だった。東欧諸国のチームがそれに猛反発してボイコット宣言し、試合中止を要求IOCが「ロシア選手国際試合に参加させるな」と勧告したことが決定打になって、ロシア選手の出場禁止が決まった。

IOC勧告はかなり乱暴にも思えるが、彼らが大上段に裁定を下してくれたことで他の組織個人ジレンマに直面せずに済んだとも言える。

勧告がなければ多くの国のチームが強硬に「ロシア排除しろ」と主張し、ボイコットなどの敵対的行為を取っただろう。それによって国家間の亀裂がさらに深まるおそれがあった。裁定を行うスポーツ団体内部でも深刻な対立が起きかねない。

また、試合前にウクライナ支持を言明させるといった措置一種踏み絵であって、帰国後に政治的迫害を受ける可能性もある。特に若いアスリートにそのような難しい決断を迫るよりは、有無を言わせず出場機会を剥奪したほうがマシなのではないか、と自分は感じた。

参考リンク

ロシア選手出場禁止の経緯

https://www.football-zone.net/archives/370204

IOC勧告原文

https://olympics.com/ioc/news/ioc-eb-recommends-no-participation-of-russian-and-belarusian-athletes-and-officials

前文でこの裁定が「解決不可能ジレンマ」に関するものであることを明言している点がポイントだと思う。

2022-03-01

anond:20220301232910

自衛官でなく現役の特殊部隊員じゃないのかね

書類公式記録上隊員でなくなっているだけで日本国歌プロジェクトではなかろうかと恐怖を感じるなあ

これで派遣先戦死したら敵を取るのが日本人の伝統とか言って残りの自衛隊24000人も行くことになるのでは

2022-02-26

大使館前のデモについて調べてみた


こういったツイートがあったのでざっと調べてみた。

大雑把にまとめるとネット上で見つかる範囲大使館前でのデモ禁止されている論拠として挙げられているのは「ウィーン条約」と「静穏保持法」の2つである

前者を調べると出てくるのは慰安婦問題に関する韓国韓国日本大使館前での抗議活動慰安婦像の設置に反対する自民党およびその支持者の意見

具体的な内容としては領事関係に関するウィーン条約31条3にある

領事機関公館侵入又は損壊から保護するため及び領事機関の安寧の妨害又は領事機関の威厳の侵害を防止するためすべての適当措置をとる特別の責務を有する。」

という文面により、慰安婦像の設置などの”日本侮辱する”行為国際的に許されないというものだ。

しかしこの文面はいささか抽象的かつ主観によるところが大きく、デモ自体を直接禁止するような内容にはちょっと思えない。

そもそもこの件に関しては慰安婦像の設置が侮辱と呼べるのか、侮辱するというのがはたして領事機関の安寧や威厳の侵害に当たるのかというのもよく分からないところである

もう一つの静穏保持法、正式名称としては「国会議事堂周辺地域及び外国公館周辺地域の静穏の保持に関する法律」の方はより具体的で、

五条に拡声機の使用制限というものがあり、「国会議事堂周辺地域及び外国公館周辺地域において、当該地域の静穏を害するような方法で拡声機を使用してはならない。」とある

同時に第六条では「警察官は、前条第一項の規定違反して拡声機を使用している者があるときは、その者に対し、拡声機の使用をやめるべきことその他の当該違反是正するために必要措置をとるべきことを命ずることができる。」

とあり、第七条では罰則規定されているので、拡声器を使えば捕まるということで分かりやすい。

しかし一方で第八条には「この法律規定は、法令規定に従つて行われる請願のための集団行進について何らの影響を及ぼすものではない。」ともあり、

やはりデモ自体が完全に禁止されているわけではないようだ。

実際にどう運用されているのかをみるには以下のような記事がある

「知ってる? 韓国大使館への抗議で、やってはいけないこと」

https://www.itmedia.co.jp/makoto/articles/1111/22/news004.html

一度に5人ずつしか立てなかったり、プラカードを出しちゃいけない

5人ルール」と引き換えに、「黙る」という条件を呑んだ

まり拡声器を使ってはいけないというのは絶対ラインとして、うるさすぎないようorやりすぎないように都度警察塩梅ルールを決めているらしい(地下アイドル現場みたいだな)

ちゅーわけで大使館前でのデモ自体は実際このように行われているわけだ。

ではロシア大使館の前ではなぜやらないんだというと実は普通にデモが行われているようだ

ウクライナ平和を」 出身者がロシア大使館前で抗議活動

https://mainichi.jp/articles/20220223/k00/00m/030/161000c

ウクライナ平和を」。午後2時ごろ、大使館近くの歩道に集まった参加者らは「戦争反対」などと書かれた紙を掲げ声を張り上げた。ウクライナ国歌合唱し、その後は5人交代で大使館前に立ち、平和を訴えた。

やはり五人ルールは健在らしい

とくにオチ結論もないけどこんな感じ。

2022-02-17

anond:20220217104216

敵をぶち殺して畑を血で染めてやろうみたいなふさわしくない歌を国歌にしてる国もあるしね?

2022-02-07

オリンピックロシア

ドーピング問題ペナルティ選手個人資格の参加で国旗国歌が使えないことになってるらしい。

でも国家代表ではないって体裁の割に団体種目にも普通に出場してるし。

ウェアについてるマークロシア国旗の色そのまんまだし。

そもそも略称ROCロシアオリンピック委員会を指してるから結局ロシアですって言ってるのと同じだし。

かに国旗は掲げられないし国歌も流れないかもしれないけど、こんなんでペナルティ意味あるのか?ってテレビ見ながら思ったわ。

2022-01-24

ヤニカスってだけで全人格否定されるのは酷いと思う

ヤニカスなぐらいいいじゃないか

キャバクラソープで女を買うのと同じ程度の悪徳だ。

警察パチンコを見逃しているような国で、たかがタールの塊を他人の肺に吹き付けるぐらいで絶対悪と決めつけられるのも酷いものだ。

ヤニを売りつけている本物のカスだってヤクザ仕入れルートを作るのを防ぐために存在していると思えば我慢できる。

もし、ヤニの一本が100円を超えれば、底辺カスどもはよりコスパがいいからとシンナーを吸うようになるだろう。

歯と肺が真っ黒になっているぐらいならまだ奴隷として働けるが、脳も歯も溶けてしまえばもう鉄砲玉にしかなりえない。

自分意志煙草呑みをやめられない慢性精神衰弱学習機能障害者達の暴走を、ヤニの破格の安さが食い止めているのだ。

もしもヤニの一本が1000円を超えれば、奴らはガンジャを吸うだろう。

そうなったとき現代に阿片窟は蘇り、東京の街は巨大な紫煙の渦に巻かれ人口2000万人のスラム誕生するだろう。

日本首都機能は失われ、気の狂った暴徒によって国歌象徴は殺され、首脳陣の首は電柱にでも吊るされるだろう。

そうして日本という国は失われる。

ヤニカス共はその未来の一歩手前で必死に踏みとどまっている。

ヤニ売りのカス共がデッドラインロープを張って食いとどめている。

カス共はカスなりに頑張っているのだ。

まり蔑んでやるな。

底辺どもは底が抜けないように努力をして「今の底辺」に喰らいついているんだ。

その努力をたまには認めてやれ。

2022-01-20

同和地区に生まれ

同和地区に生まれ育ち、多分『それなり以上の同和教育を受けた最後世代』だと思っている私。

私は昭和の終わりかけに、関西大都市に生まれた。自営業の父と専業主婦の母のあいだに生まれ、1歳児の頃から公立保育所に通った。

現在幼児もつ親でもあり、『保活』『保育園落ちた』などのワードネットで見るにつけ、自分の育った地域時代現代のどちらがおかしいのかわからなくなるのだ。

まず、私の母は専業主婦だ。母方の祖父と同居だったが、その祖父が要介護だったとか、母自身病気だとか何もなかった。1ミリも『家庭での保育に欠け』てなどいない私が、普通に公立保育所に通った。

母は私を幼稚園に入れたいと思ったそうだ。しかし、親族を含む周りの多くの人たちが、いつ保育所に預けるのか、保育所の申し込みをまだしてないのかとものすごくうるさかったらしい。『保育所が当たり前だった。同じ小学校に行く子は町内のどこかの保育所出身で、幼稚園に行く子なんていない』と言われたらしい。

母は心配しながらも私を保育所に入所させた。まず、町内に公立保育所がいくつもあった。1学年1クラス、私が通った保育所はその中でも人数が少ないところだったので、年長クラスで一緒に卒園したのは12人だった。最近の『保育所が足りない』どころか、どう考ても当時の子供の数を考えれば保育所が多すぎるくらいだった。

運動会宿泊保育、遠足卒園式などは合同で行われた。保育士さんはどうだったか忘れたが、市の公務員である給食調理員さんたちは、その町内の保育所のどれかにしか転勤しない。(当時給食調理員だった知人が近所にいたため、知っている)

今、雨の日でもお昼寝布団セットを自転車で運んでいる保育園パパママさんを見かけるが、私が通った保育所ではお昼寝布団の他、給食で使うスプーンや箸など、肌に触れるものや口に入るものも持参する必要はなかった。かばんに入れて持って行ったものは連絡帳以外思い出せない。

私は二人の子供を私立幼稚園に通わせた。ひとりは卒園し、ひとりは在園中。まあ、これでもかというほど指定用品を買わされ、毎日スライド式のカトラリーセットを始めあれこれ通園鞄いっぱいに持って行く。最初自分の子時代とのあまりの違いに驚いたが、『あ、こっちのほうが普通なんだ』と最近では思うようになった。

保育所時代はほぼ同和教育はなかったが、小学校に入ると一変した。

まず、入学時に必要もののほぼ全てが無料支給だった。ランドセルまでタダだった。母と一緒に入学用品を近所の『会館』に取りに行ったことを覚えている。鉛筆消しゴムまであった。筆箱は自分のものを使えたかな。それが最初の一回だけではなく、『とくしゅうひ』というものがあって、冊子が配られて必要学用品に丸をつけて提出すると支給された。これはいつの間にかなくなった。高学年になる頃にはもうなかったかと思う。

私の実家貧乏ではなかった。後に書くが、学用品無料支給してもらわないと就学できないほど生活に困窮している同級生などいなかった。

ランドセルデザインも何もかも皆同じ。ほとんどの学用品が全員同じだった。出どころが一緒だからそうなるんだろうけど、他の学校のことを知らないのでそれが普通だと思っていた。給食で使うお箸、食後に使う歯ブラシまで皆同じ。歯ブラシの色選びでじゃんけんしたことも覚えている。

それから子供会』というものがあった。放課後に行くところで、別に親が働いているからとか何もなく、ほとんどの同級生が在籍していた。行くか行かないか自由だったが、小学校の下校時に集団になって歩いて行ったことを覚えている。おやつが出たり、遊んだり、土曜日は昼食も出た。学童保育のような感じだったが、違いは『(ほぼ)全額無料』で『まあまあゴリゴリ同和教育機関でもあった』こと。そこで働く人たちのことは、先生さん付けではなく、『指導員』と呼んでいた。(例 田中指導員)

主に教えられたのは狭山事件のことで、歌まであった。私はその歌をなぜか今でも覚えている。小学校1年生のときから教えられる。それから、何の日だったかは忘れてしまったが、5月23日10月31日が近づくと、狭山事件のことをいつもより色々聞かされた。

大人集会もやっていた。たまに祖父について行ったことがあったが、集会最後シュプレヒコールがお決まりだった。後になって祖父はその集会になぜ参加していたのか母に聞くと、『お父ちゃん、その年確か町内会の役しとったかちゃうかな』そんな理由だった。

小学校の名札のところに『差別裁判をゆるさない』とかワッペンをつけて登校する期間があったりもした。『ワッペン登校』と呼ばれていたが、今考えるとすごい。小学生制服に、別にの子意思でもなくそういうワッペンをつけさせていたのだ。

学校道徳の授業は、同和問題を始め、とにかく何かと差別を絡めた内容だった。在日コリアン問題とか。私の子供が入学して教科書名前を書いていたとき道徳教科書何気なく見ると、『金の斧 銀の斧』の話が載っていたりして、自分ときとの違いにまた地味に驚いた。

小学校1年生に狭山事件のことを話してこれは差別だ!とか言われても正直よくわからなかったし、狭山がどこかもあまりよく知らなかった。『かなり昔、遠い関東で無実の人が逮捕されて、裁判が何か差別らしくて………』といった感じで記憶している。

他にも後で特殊だと気づいたことがある。天皇制否定国歌を教えない、卒業式定番仰げば尊し』はなぜそこがダメなのか忘れたが『我が師の恩』のところに文句がついていたっけ。

ある日の子供会の集会とき、『天皇制おかしい』という話を聞いたのをおぼろげながら覚えている。『天皇誕生日祝日なのはおかしい』と力説されたが、子供心に『学校休みになるんだし祝日にまで差別とか言うのか』と思った。

洗脳レベル教育だったが、低学年頃にはなくなっていった(後述)こともあり、『差別に負けない大人になってほしい!!』だとか『(何にか忘れたが)誇りをもってほしい!!』と言われても全くピンとこなかった。

ワッペンをつけたり、子供向けの集会があったりというゴリゴリ同和教育は私が高学年になるより前くらいから一気になくなった。そのため、冒頭に『最後世代』だと書いたのだ。

理由は、狭山事件容疑者とされた人が仮出獄となったからだと思う。学用品がタダとかそういうのも、その頃からだんだんなくなっていった。

一世代上、私の母世代は、狭山事件が起こった頃に小学生くらいなので、大人になり、子育てをする頃までずっと続いたということになる。

母は私立高校卒業しているが、『タダだった』らしい。無料から私立高校を選んだわけではなく、公立高校に行く学力がなかったかららしい。高校無償化なんてつい最近一部の地域で始まったことだが、これも『同和特権』のひとつだろうか。それよりも驚いたのが、自動車教習所授業料も『タダだった』と言うのだ。私も運転免許をもっているが、確か教習所に入るときは30万円くらい払ったと思う。それもタダ?

それから、これは自分家族はいないが、市の公務員になれるルートみたいなものもあったそうだ。失礼な話だが、『この人、どうやって公務員になったんだろう?』と思うような人が、市の職員だったりした。

母も私と同じで、そういう環境で周りもそれが普通だったし、他のところのことを知らないので、疑問をもったことがなかったらしい。大人になってから、『あれは普通じゃなかったんだ』と思ったという。

江戸時代身分制度の名残で同和問題差別があるわけではないと、成長するにつれわかった。私が背負ったランドセルも、入学試験で特待生だったわけでもない母がタダで通った高校も、税金から…と考えたら、嫌われるようなこともしてるよなあ、知らなかったとはいえ…といつからか思うようになっていった。

その後、高校大学と進むうち、部落差別っぽいものは時々あった。というより、特に悪気のない、同和地区に対するイメージを誰かが話しているのを聞くことがあったというくらい。

まず、『あのへんは治安が悪くて行くもんじゃない。どんなやつがいて何をされるかわからない。最寄駅で降りないほうがいい』と言っていたバイト先のおじさんとか。

かにイメージとして、ガラ悪いとか治安が悪いとか思われがちだが、これが意外とそうでもない。麻痺してるのか慣れきってるのかとも思ったが、夜になると人通りはほぼなく、ガラの悪い人や治安を乱しそうな人もいない。夜の町は、『ここ?本当に関西大都市?』と思うほど人通りもほぼなく静か。逆にそれが不思議だとか怖いだとかで動画サイトに載っていたりするが。

かに治安がよくて人が住みたいイメージではないよなと長年思っていたが、最近では転入者も増えて、昔はボロボロ団地ばかりだったところに一戸建ての家が建ち並ぶようになった。相変わらず市営住宅が多く、整備されているものの見た目がほぼ同じ。スマホマップが普及するより前は、宅配ピザ配達員さんが迷って電話をかけてくることもあるくらいだった。

そういう街はここだけではない。似たようなところをたまたま電車などから見ると、『あ、ここ…同和地区かも』とわかるようになった。

人生で、『あ、これが部落差別?』と思ったのは一度だけある。結婚ときだった。目の前でやりとりしたわけではなかったが、夫の両親は同和地区の嫁が来るのは嫌だと言っていた。私に直接言ったことはなかったが、義母から夫へのメールを見たら結構すごかった。

結局結婚したのだが、10年経っても『ほら、同和地区の人となんか結婚するから』みたいになったことはない。結婚を反対されたことを知った両親も、『まあ、そりゃ、どうぞどうぞ大歓迎ですってことはないよな』というような反応だった。従姉妹たちも同和地区出身でない人と結婚している。親である伯父と伯母は、娘の結婚相手の両親に出自を話したらしいが、それを理由に反対や差別はされなかったという。

私が昔受けた同和教育の題材にもよく結婚差別が出てきたり、同和の子貧乏いじめられて排除されて…みたいな内容が多かったが、思い出してみれば小学校同級生には食べるのにも困るような生活をしている子は誰一人いなかった。それでも色々支給されたり…あれは何だったんだろう?と思う。

これもまた同和地区特有の話だと知ったのだが、とにかく近所の人達情報を何でも知っている。私達世代はそうでもないが。今時隣の家の人のこともあまり知らないのが普通みたいな世の中だが、母より上くらいになると、『全くの他人のことを何でそこまで知ってるの?』と驚くほどだ。

私は聞いているだけのことが多いが、たまたま何となく会話にAさんという人が出てきたとする。たとえば私が『Aちゃんのお母さんが入院したんやって、Aちゃん大変そうで心配やなぁ』とか言ったとする。

すると母と伯母が、

『A?ああ、あの子な!うちの一学年下の子旧姓増田やろ?増田おっちゃんとこは立ち退きなる前は◯◯に住んでて、今団地入ってるやろ?おばちゃん滋賀から来た人やったわ。Aは高校出て化粧品屋に勤めとって、学会の男の人連れてきて結婚して西宮のほう行ったけど、結局別れて娘二人連れて帰ってきてたなぁ。増田おっちゃん怒ってたわ。あの子入院したんや、それは心配やな』

増田おっちゃん覚えてるわぁ、Aちゃんて姉ちゃんの一個下やったら、うちの二個先輩やろ?その子の弟がうちと同級生やねんけどな、中学同級生のCと結婚して、夫婦で市に勤めとったから、お金持ってんで。団地出て関空とかあの辺りに家買うたらしいわ。増田のおばちゃん不倫しとったん覚えてる?近所同士でようやるわぁとかみんな言うとったなぁ』

こんな感じ。一体何の話だったかこちらが忘れそうになるが、私の友人の母親実家事情を、同学年で仲が良かったわけでもない二人が知り尽くしている。

これは、同和地区出身者同士の結婚が多かったこともあるからかなと個人的に思っている。大人になってからは、では近所に住む誰かの会話に『私』が出てきたとすると、ここまで知られているのかとゾッとして、母に聞いたこともある。

『まあ、このへんやったらそうやろうな。でも、若い子らはそこまででもないと思うけど。うちの娘ていうことはみんな知ってるやろうし、行ってた学校ぐらいは知ってるやろな』

と、当たり前のことのように言われた。

同和地区も、私のように町並みでわかる人でなければあまり他の町と変わらないようになってきた。それに、顔を見たら同和地区出身者とわかるわけでも、戸籍を見たらわかるわけでもない。有名な同和地区が現住所や本籍であった場合はわかるかもしれないが。

解放会館も人権センターとか名前を変えた後、いつの間にかなくなった。『部落差別をなくそう!』『差別落書きを見つけたら云々』という文言が書かれた町内会ポスター掲示板もなくなった。私が少し通ったあの子供会もなくなった。

今でも、『住まないほうがいい町』とかググると私の地元が出てきて、理由に同和地区がどうのこうのと書かれているが、外から人はたくさん来ている。市営団地の入居者は全員知り合いだとか、市会議員や解放同盟コネ団地簡単に入れるという話も聞かなくなった。

実際、24年ほど住んだが、事件らしい事件ひとつも見たことがない。通り魔ひったくりに遭った人が近所にいようものなら3分で噂になるはずだが、これも聞いたことすらない。いや、別にB地区とか犯罪がとかヤクザがどうの、治安悪いとか言われてるけど、全然怖くないですよ、町も綺麗で平和で、他のとことそんな変わりないですよ』とここで主張したいわけはない。

イメージしかない同和地区と、そこに生まれ育った私とでは、全く違うだろうなと思って書いたに過ぎない。

改めて、自分の生まれ育った場所を考えてみたとき、そこがたまたま特殊なところで、確かに差別されたり嫌われたりしても仕方のない面をもっていて、でも何だか普通生活の中で出さないほうがいい話題』のひとつであって…

何かそんなことを思って書いてみた駄文だ。

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