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はてなキーワード: トタンとは

2022-01-20

あさひ観音

 実家の近所に「あさひ観音」と呼ばれる観音様がある。国道何々線と、私の実家に至る車2台が余裕ですれ違うだけの幅はあるがボロい道路のまじわる、信号のない交差点からちょっと実家寄りに入ったところにある。

 「あさひ観音」の「あさひ」がどういう字を書くのかは知らないが、そういう名前なだけあって、東向きに建っている。トタン屋根の小さな祠のような建物の中に、二体の石像が納められている。どちらも「ばかうけ」を真ん中から折ったような形の、子供の背丈くらいある石を彫ったものだ。岩肌は長く風雨曝されたかのようにざらついている。

 真ん中に据えられた一体は本当に観音像のような形が浮き彫りされている。が、向かって右隣の石は、言われてみれば人の形のように見えるかもしれない、「ばかうけ」か皮つきフライドポテトのような形のゴツゴツとした岩だ。

 父に聞いた話では、これらの石像はもともと河原に落ちていたのを、村の誰かが拾って来てここに祀ったものだという。

 祠の前には何故か、一基の鳥居が据えられている。鳥居バブル時代の頃に新品の木の鳥居に取り替えられたものの、それ以降は全くの手付かずなので、今や黒灰色に染まり朽ちかけている。

 祠の周りには紫陽花が植わっている。梅雨になると美しい青い花を咲かせる。昔はお賽銭箱もあった。今はない。

 神社のように鈴が下がっていたかどうかは、記憶曖昧だ。あったような気もするし、なかったような気もする。ただ記憶にあるのは、そこを通りかかる際は、祖母に五円玉をせがんでお賽銭箱に投げ込み、「ご縁がありますように」とその言葉意味も知らない癖に、神妙に手を合わせていたということだけだ。

 「あさひ」というと、父から聞いた都々逸を思い出す。近所の山に住んでいた三軒の金持ちの威光を読んだもので、しめに「朝日に輝く○○(家のあった場所地名)」という。その○○のお家が父の先祖だというが、信憑性は薄い。ただ、父の言うように山の麓の駅の側に、その家の古い墓標が道祖神お地蔵さんのように草に埋もれている。見た感じ「あさひ観音」くらい古そうな、風雨に曝され磨耗した、石の墓標だ。

 なんて、まるで父の生家と「あさひ観音」に関連があるかのようなことを書いたが、全然関係はない。あさひ観音は村の皆で崇拝してきたもので、誰が拾って来たのかは、今となってはわからない。ただ言えるのは、父の先祖明治辺りにこの村に越して来た人なので、村の歴史上では根っからジモティーではないのだ。

 あまり記憶が定かではないのだが、昔、毎年寒い冬の時期に村の公民館で「甘酒祭り」が行われていて、これが「あさひ観音」に関係するお祭りだったと思う。祖母地元の人たちは「甘酒マチ」と呼んでいた。「マチ」というのが「祭り」を意味する方言のようだが、しかし市の中心部にある大きな神社の「夏祭り」のことは「マチ」とは言わないのは、謎だ。

 甘酒祭りでは村の人々に分け隔てなく甘酒が振る舞われた。お年寄り等は酔っ払っちゃうまで飲む。子供も一杯くらいは無病息災のためだから飲めと言われたものだが、私はどうも酒粕が苦手なせいで、一口舐めただけでよした。

 それ以外に、「あさひ観音」にまつわるイベントごとの記憶はない。観音様はただそこにあるだけだったが、定期的に誰かが世話をするようで、湿気った祠の中にあるわりには苔むしもせず、赤い前かけと頭巾は時々新しいものに替えられていた。祠の格子戸には錆びた鎖が巻かれ南京錠で施錠されていたが、鍵を誰が管理していたのかは知らない。ただ持ち回りではなかったと思う。うちに観音様の鍵があったことはないので。

 観音様の祠は一軒の農家敷地に隣接している。というより、農家敷地がわざと観音様の祠を避けるように垣根をそこだけ凹ましてめぐらせてある。もしかすると、実は観音様の所までその家の敷地だったりもするのかもしれないが、よくわからない。その家と同じ並びの数件と我が家には何故か付き合いがない。別に仲が悪い訳ではなく、単に家がちょっと離れているというだけだ。回覧板を回し合う「班」がうちとそことでは違うのかもしれない。

 ともかく、私の子時代はまだ、「あさひ観音」は地域の人々から大切にされていたが、いつの間にか「甘酒祭り」は行われなくなったし、お賽銭を集めることももうなく、今はたぶん放置されていると思う。Googleマップで見てみたら、祠は昔と変わらず、だが屋根は錆びて鳥居は朽ちていた。なのに紫陽花そのままで、祠の外の石碑もちゃんとあり、祠のなかには苔ひとつ生えていない観音様がある。だが赤い前かけはだいぶ色褪せていた。

2021-09-20

anond:20210920155302

私も綺麗だと思うから、「ゴットタンに出てた人ですよねー! ありがとうございます、でいいんですかね笑」みたいな反応したけど、正しかったのかよく分からない。

セクハラされてたのかな。

AV女優に似てると言われた

なんと答えればいいのか?

ゴットタンに出てた人だから知ってたんだけど。

2021-09-16

anond:20210915201122

それなら、歴史のある商店会建物を横から見てみ?フロントけがモダンで、それ以外はトタン屋根でできているから。広島原爆ドームも、あれ以外は消えたのだ。

2021-08-12

anond:20210812013555

トタンぶきの民家とかコーポラスとか築60年ぐらいの日本建物の特徴を反映したシムシティ,やりたいよなあ。

2021-07-25

都会に住んでいる人は、田舎の方が楽とか癒やされると言うが…

現実を教えようと思う。

まず車がないと生活に支障が出る。せめてバイクくらい乗れないと辛い。自転車で買い出しなんて大変。

量も持っていけないし、せめてバイクくらい運転できないとダメ

周りの住民と会話ができないとダメコミュ障は正直オススメできない。

田舎は人と人の交流ができて成り立っている。会話ができないと変な噂が立つし、そもそも様々な面で嫌がらせを受ける。

通りがかるだけでボソボソ嫌味も言われるレベル

田舎の人は「そんな事ないよ」と言うが、表ヅラだけなので仲良くなれないと辛い。

仲良くなれると、心強い人たちになる。困っていれば助けてくれるし生活も助けてくれる。おすそ分けも多い。

災害時に困る。都会なんかだとある程度災害に耐えられるが田舎場合、家によっては色々剥がれる壊れる、川が氾濫する。色々やべえ。

場所によりけりだけど、昨日までなんともなかったのに翌日に道がふさがってる時がある。辛い。

住民が協力して復旧作業するけど、また発生する。

ネット環境普通にあるので通販できるけど、Amazonなどは注文しても注文通りの時間にくるとは限らない。都会も同じだけど田舎田舎に進むほど予定通りにならない。

ぶっちゃけ田舎にもレベルがある。

ライトクラス田舎は都会より発展してないだけで普通に暮らせるが、コミュ能力必要

ドルクラスになると車は必須になるしコミュ能力は当たり前で、買い出しが面倒くさくなる。

ヘビークラスになると車がないと死ぬ。連絡手段が途絶えると死ぬAmazon来ナイ。郵便来ナイ。トタンが飛んでいく。屋根無クナル。

都会の便利さに慣れた人が田舎で暮らすってのは、必要以上の労力がいるので挫けないレベル根性を持ち合わせてないとキツイ

というか、その根性があるならメンタルも強いはずなので都会から出ないと思うが。

2021-03-02

グエンさんがグエンマンションから落ちた女児を助け、

グエン首相から感謝状を贈呈される

 

https://www.viet-jo.com/news/social/210301140337.html

 2月28日午後17時30分ごろ、ハノイ市タインスアン区にあるマンション「グエンフイチュオン60B」で、12A階(13階に相当)のベランダから3歳の女児が転落するという事故が発生した。女児奇跡的に命に別状はなかった。

 

 部屋から出てベランダの手すりをよじ登って宙ぶらりんになった女児N・P・Hちゃんは、地面に向けて真っ逆さまに落下した。この様子は、騒ぎに気付いた向かい側のマンション住民ビデオ録画しており、一部始終が映されていた。

 

 力尽きた女児が落下し、もう駄目だと思った瞬間。たまたま現場居合わせ荷物配達員のグエン・ゴック・マインさん(男性31歳)が1階中庭トタン屋根に上って、落下する女児キャッチを試みた。落下の勢いがついており、完全にキャッチすることは出来なかったが、衝撃が弱まったため、女児一命をとりとめた。

 

 女児病院に緊急搬送されたが、家族によると、手足を骨折するなど重傷を負ったものの、健康状態は安定しているとのこと。

 

 危険を顧みず女児の命を救ったマインさんは、「私にも同じ年頃の娘がいます。あの瞬間、落ちてくるのは自分の娘だと思いました。女児の姿を見つけてから落下するまでは1分程度。勝手に体が動き、すぐ中庭屋根に上って落ちてくる少女を待ち構えました。連絡先も伝えずにその場を去りましたが、その後、どういうわけか少女家族から骨折したけど、命に別状はなかったと電話がありました。助かって本当に良かったですが、怪我をさせてしまたことが残念です」と語った。

 

 なお、このニュースを知ったグエン・スアン・フック首相3月1日マインさんの強い責任感と勇気ある行動を称えて表彰状を送った。

2021-02-23

anond:20210220105220

田舎だと、

船釣りとか、海だとか、庭で焚き火したりとか、近所の畑の仕事手伝ったりとか、畜産農家の牛とか鶏見に行ったりとか。ボロいトタン集めて秘密基地作ったりとか。死ぬ前の走馬灯は、間違いなく都会育ちの人よりは長い(分厚い?知らんけど)と思うな。それはホントに親に感謝してる。



   ← こういう話は都会育ちにはぐぐっと来るものがあるね。確かにそれはとても大きな財産だと思うよ。(文化資本かどうかはさておき)

2021-02-20

anond:20210219201256

離島高校生まで育ってきて、今東京に住んでるおれが話そう。

まず増田の「文化資本」の定義についてだが、

読む限りだと、

子供自発的選択できるキャリアを増やす機会」

であってるよな?

昆虫図鑑しか手元になくて、「僕昆虫博士になりたい!」っていう子と、

昆虫図鑑と魚図鑑が手元にあって、「僕昆虫博士か魚博士になりたい!」っていう子がいたとき

後者の子のほうが文化資本が多い。

というような。

この前提で間違いないよな?

その前提で話すと、

かに、将来の身の振り方を決めるに至る程の、価値観を変える劇的な出来事は、田舎には全然なかったな。

あのときの〇〇さんとの出来事人生変えました!っていう出来事田舎にはほとんど起こり得ない。

起こり得たとしても、田舎にいる人々、即ち、先生とか医療職の方々との間でしか起きないな。

人としての輝き方の種類が少ないというか。目に入る輝いてる?人たちが公務員医療職以外にまじでない。だから、それ以外になりたい!という大志を抱く機会が、田舎で過ごすとまじで少ないと思う。

で、そんな中で育ったおれが文化資本キャリアの幅を広げるキッカケ)にどうやってアクセスしてきたか?って話を今からする。

おれは2つ幼少の頃なりたいと思ってたものがあった。いわゆる、「こういうキャリアを歩みたい」と思える文化資本と触れ合う機会が2つだけあった。

なりたかったもの

1. ゲーム作る人になりたかった

2. 遊戯王カード効果考える人になりたかった

で、

それを連想させた文化資本

1.「ポケットモンスタールビー

2. 「遊戯王

っていう話。

で、この文化資本をくれたのが家族・親類だったな。

遊戯王はお婆ちゃんがいきなり郵便で送りつけてきた。

ポケットモンスタールビーコロコロコミックで見て欲しいと思ったんだけど、コロコロコミック母親がある日唐突に買って来てくれて、そこからハマった。

こんな感じでおれは文化資本アクセスしたな。

から

1.雑誌とかYou Tubeとか、文化資本に繋がりやす媒体 or 文化資本のもの図鑑とか、解体できる四駆とか)を手が届くところに置いておいてあげる

2. 本人が興味がある分野が出てきたら、金積んで何でも体験させる

とかだな。

キャリアを広げるという意味文化資本は、モノベースであれば、田舎には住んでいても割と金で買い与えられると思う。いわゆる図鑑とか雑誌の類だな。

ただ、体験ベースだと難しいかもな。

スケートリンクに連れてって、子供にスケーターになる将来を連想させたり、サーカスに連れてって、パフォーマーになる機会を連想させたり。

から意識すべきは、金積めば与えられるモノ由来の文化資本と並行して、体験依存する文化資本意識的に与えることだな。

離島育ちのおれがアドバイスするならこんな感じだな。

あと、中段に、

田舎で育てられた自分文化資本が与えられなかった」と落ち込んでほしくない

とあるな。

これはハッキリ言う。増田定義する文化資本に限っていえば、それは思ったことはない。

東京に出て来て初めて見た職業はたくさんあるが、別にからでも成れるものが多いので、

「あー、昔自分も魚図鑑買ってもらってたら、今頃魚博士だったのになーーー」

なんて言うことは全く思わない。

---

ただ、田舎で育って損だったと思うのは、世の中に学歴フィルターなるもの存在することを知らなかったってことだな。

東京来てみて、商社マンとか、外銀とか、そういう職業を知った。

こういう職業だけは、今から努力してもなれないよな?(中途とかは抜きにしてだぞ)

こういう機会に直面したとき

「あーーー、高校時代、いや中学時代学歴フィルターのこと教えてくれよなーーー、そしたらめっちゃ頑張ってたのにーーー」

ってのは思った。

なんでみんな東大を囃し立てるのか分かんなかったし、恐らく田舎高校生MARCHとかすら微塵も知らない。俺も知らなかった。

これだけは今もめっちゃ思ってるな。

子供がある時期になったときどう伝えれば良いかは考えてる。

選択肢が削られた!田舎に住んでたせいで!」と思うのはここくらいかな。

---

あと子供ときにずっとコンプレックスだったのが

とか。

要は趣味を共有できる友達が居なかったことと、趣味までの物理的な距離が一番しんどかったかも。

文化資本与えられたあとで、それに勤しむ機会がないのはしんどかったな!

文化資本担保してあげつつ、こういうところも気にかけてくれ。

趣味があるようだったら自分も同じものを買ってライバルになってあげるとか、東京までの物理的な距離を金で解決してあげるとかそういうやつ。

---

で、ここから話変わるんだけど、おれの文化資本定義を話すぞ。

おれは「文化資本」を、走馬灯で見ることので切る、人生最後映画の厚みだと捉えてる。

俺に言わせれば、ロックしか聞かないやつより、ロッククラシックを聞くヤツのほうが、人生最後映画サントラは充実してると思う。

田舎だと、

船釣りとか、海だとか、庭で焚き火したりとか、近所の畑の仕事手伝ったりとか、畜産農家の牛とか鶏見に行ったりとか。ボロいトタン集めて秘密基地作ったりとか。死ぬ前の走馬灯は、間違いなく都会育ちの人よりは長い(分厚い?知らんけど)と思うな。それはホントに親に感謝してる。

個人的には、後者定義文化資本を捉えるなら、都会の文化資本大人になってからいつでも回収できるけど、田舎文化資本大人で回収するのはむずいな。仕事の都合で大概都会に住んじゃうし、成熟した脳みそじゃあ、釣りよりネットサーフィンのほうが楽しいだろうし。

とりあえず益田に言いたいことは、文化資本を前者の定義と捉えてるなら、それなりに努力必要だな。ただ、後者定義で捉えるなら、田舎への移住ポジティブにとらえていいとおもうぞ。

2021-02-02

雨かな雪かな

トタン屋根の音だけじゃ分からないが雨だろうな

おっさんらしく慌てるかな

ほら鳥さんも風呂のチャンスだって通り過ぎてったぞ

2021-01-29

散歩終了

風が荒れてる

全焼した家やトタン屋根が恐らく風で剥がれてる家を通過し田んぼ白鳥集団適当に見た

2021-01-20

東京都、自宅療養者が9400人!入院・療養調整中7481人 「入院が出来ない」「歩けなくても自宅待機」

グラウンドゼロだな

熱いトタンに巻かれても寒いと言い続けて死んだ兵隊さんのコマを思い出した

2021-01-10

都内ボロアパート寒い

都内木造ボロアパート1階。

日当たりは良くない。

断熱材とか入ってないんじゃないかな。

トキワ荘想像してくれたらいい。

風呂がついてるだけ良いかな。

夜になって気温がマイナス。超寒い

畳の隙間からナメクジが這い出てきた事あるから、床板とか隙間まみれだと思う。

から畳の隙間から冷気が凄い入ってくる。

下の土が冷えてるのがわかる。

2階の人はここまでじゃないだろうな。

でも、逆に夏はキツイんじゃないかな。トタン屋根から

うちはホットカーペットと毛布で凌いでる。

炬燵よりも暖かい領域が広いからこっちにした。

窓周辺、アルミサッシにはプチプチ貼ってる。

それでも今年の冬はうんと冷えるよ。

同じような環境の人、暖かくなるまで

なんとか耐えようね。

土が暖かくなったら少しはマシになる。

2020-12-26

中野さら無駄に停まる

中野駅は、千葉から三鷹市を結ぶ総武線や、山梨大月まで伸びている中央本線の中継点になっている。ふだん通勤新宿駅阿佐ヶ谷駅あいだ(つまり総武線のほんの一部区間)を毎日行ったり来たりしているだけの私には、中野は少しイラッとさせられる駅だ。停車時間がいつも長いからだ。中野駅電車がいったん着くと、ドアを開けたまま、再び走り出す気配すらない。思い出したように電車が再び走り出すまでの間、乗客列車の中で押し黙っている。

乗客の忍耐を承認と受け取ったのか、国鉄中野駅での停車時間を少しずつ延長しはじめたみたいだった。

2分間停車とアナウンスはいっているのに、それより長く感じる。たぶん自分が焦っているだけだろうと思い、最初の頃は気に留めなかった。数日後、やっぱり長いなと思って時計で計ると、5分を越えていた。それから日ごとに中野での停車時間は長くなっていき、20分を越えた頃にはさすがに乗客ほとんどが異変気づきはじめた。停車時間が2時間を越えた頃にはもう国鉄は隠すこともしなくなった。これから2時間停車する旨アナウンス流れると、乗客は全員降りていった。

中野毎日2時間電車を待つのはそれなりに大変だったが、しだいに慣れた。電車待ちの客をあてにした商売中野駅の周辺で増えて、時間を潰す場所には困らなかったからだ。駅前広場パブリックハンギングで人が首にロープをつけたまま落下するのを眺めたり、うずら園へ行ってお茶を飲んだり卵を拾ったりしていると、それなりにしのげた。

停車時間が2日間になったときには、もっと腰を据えて時間を潰さなくてはいけなくなった。それだけ時間があるなら歩いて阿佐ヶ谷へ帰ろうかとも思ったが、検問が行われていて中野から西へは自由に行けなかった。これほど長く乗客中野に留め置くことは疫病対策になにか関係があるらしかったが、詳しいことはわからなかった。

なんにせよ2日間は長い。食料を仕入れて寝る場所を探そうと思い、とりあえずブロードエイに行った。その名のとおりブロードエイはとても広く、20〜30mくらい幅がありそうな道路の両端にはかすかに黄色い葉を残す銀杏が並び、樹の下には雑多な屋台が出ていた。植木屋金物屋肉屋魚屋おでん、綿あめ、射的、大人のおもちゃ根付オーディオ用品、型抜き、スマートボール骨董品、ありとあらゆるものがあった。

道路脇にプロパンガスボンベを持ち込んでソーセージを焼いていたので、2本買った。真冬でも麦わら帽子かぶったおばさんが、ちぎった生のキャベツ、青い唐辛子と一緒に小さなビニール袋へ入れてくれた。この辺でどこか安く泊まれるところはありませんかとついでに訊くと、最近電車待ちの人向けにキャンプ場ができたよと教えてくれた。

キャンプ場はうずら園の裏手にあった。入口で受付を済ませると、カーキ色のテントと寝袋を借りた。米も売っていたので買った。調理場にたくさん積んである飯盒を借りて米を炊いているうちに日が暮れた。

暗くなると一気に寒くなった。このまま寝られるかどうかもわからないほど寒かったので、斜め向かいテント前でやっている焚き火にあたらせてもらった。そこにいたのは自分と同じくらいか少し上の年頃の男性で、柔らかい物言いのわりに目の奥の光が鋭かった。焚き火の上で沸かしていたお湯で焼酎を割って飲ませてくれたので、自分ポケットに入っていた南部せんべいを渡した。

これから毎回、西に向かおうとする度に足止めを食らわせるつもりなんですかね、国も呑気なもんですね、などと話し合っているうちに私たちは打ち解けた。国分寺に住むミヤシタさんというそ男性カメラマンで、戦場というよりは紛争地帯取材を専門にしているらしく、数年前、パキスタンからアフガニスタンへ入った時の話をしていた。自動小銃を持ち、黒い布で顔を覆ったタリバン兵士が乗るピックアップトラックについて村を、学校を周って子どもたちを撮影したこと。片目のない子、腿から膝にかけて爆撃の痕で肉がえぐれたままの子が珍しがって寄ってきたこと、阿片栽培関連の場所は一切撮影を許されなかったこと。暗闇の中で炎を眺めながらそんな話を聞いていると、自分東京にいることを一瞬忘れた。

テントに戻って眠りについたものの、寒さで目が覚めた。寝袋が冬用なのかどうかわからない。奥歯がガチガチ鳴るのを自分では抑えることができなかった。このまま横になっているのに限界を感じて外に出ると、空がかすかに明るくなり始めていた。バラックトタン屋根が、木が、電柱が、金色紫色の混じった光から現れてきた。今日一日をどうするかはまだ決まっていなかった。

2020-12-19

anond:20201219182023

……重機での解体に伴う……飛散防止措置のための散水も……手元の一種で……材料重機オペさんから飛んできて……トタン屋根のついた木材バールハンマーで外したり……木材をまとめてあるところに投げ入れたりする相判もあるので……まぁ……現場メンバーの思い付き次第でしょうが……

2020-12-15

とある北の田舎より

車の外気温計がマイナス8度と出ている。車を降りて雪を踏むとキュッとかギュッとか言うくらい寒い

僕は春に田舎市役所を辞め、ギリギリ地方都市と呼べる街で福祉系の仕事に就いた。今日用事を足しに、仕事終わりに車で一時間ほどかけて実家へ帰って来た。その田舎の町中にも用事があって行った。

かつては小さいながらも賑わった市の中心部も今ではシャッター街

数軒の飲み屋歯医者地銀支店地域で展開しているスーパードラッグストア。遠い昔に店舗だったであろう、赤黒いトタン屋根家屋。何軒か置きにある、最新モデルの車が停まった妙に今風のこぢんまりした家。個人の家や会社公園か花壇か何かのイルミネーションが、街中の所々で雪を照らしながらほわほわ点滅している。

夜8時にはもう誰も歩いていない。

今日はここまで。

2020-12-11

anond:20201211182743

これが頓珍漢な事を言ってるならまだマシでコミュニティから駆除対象になるだけであるのだが、鯵刺が魚を捉えるが如く寸分の狂いも無く正論を叩きつけてくる人間がいる。得てしてそういう人間は、本人は「デキる」人間であるが為にコミュニティ地位も高く、対して言われた方はぐうの根も出ない状況に追いこまれ雨風に晒されるトタンよろしく初めは徐々に、やがて一気に錆が回ってくる。

この事象を見たことがない

打たれ弱過ぎ(異常にプライド高すぎ) か 半沢直樹の見過ぎでは?

ガチガチ正論を唱えるヤツは得てして爪弾きにされるもんだぞ

既存コミュニティで異物扱いされるのみならず、自分が立ち上げた組織から規模感関係なく追い出されるとか日常茶飯事だぞ

 

強いて言うなら技術コミュニティ技術がある方が正義みたいなところは若干あるよね。分野問わず

もちろん、建設的なフィードバックってあるとは思うけど、

本人はそれに重きを置いてないのだから仕方がないのでは?(社会通念上問題があるものを除く)

技術が錆び付いてそいつが追い出されるのが先か、コミュニティ過疎化破綻するのが先かはわからんが、

いずれにせよ増田責任・決定権に無い話よ

狭いコミュニティで「辛辣な事を言う人間」についてと「見返す」事の脆弱性

物事には「言いかた」ってものがある。

まり認めたくない話の一つなのだが、人間には感情というもの存在する。

例えばデブが服屋に行った時に「デブは着れる服が少ないんだからこーいう服でも着てろ」なんて言いながら服を差し出す店員なんていない。「身体ラインが柔らかい人はこんな感じの服が似合いますねー」とかなんとか、外敵から種を守る綿花のように、或いは訪れた人間脂肪のように柔らかい言い回し必死に探しながらサイズが大きくて身体ラインが隠れる服は無いものだろうかとサーチして少しでも小気味よく服屋を後にしてもらおうとするだろう。言ってる事は同じで事あるにも関わらずどうやらこの違いは心象というものに大きな影響を与えるらしい。

商売に限らず人間関係というものにおいてネガティブ言葉なんぞ使うべきではない。そんな文明人にとっては真夏の晴天に太陽を見るより明かな不文律を物ともしない人種がいる。それは殊職場というコミュニティ存在し、そうでなくとも度々見掛ける事がある「良かれと思って人に辛辣な事を言う人間」だ。人の落ち度や欠点孔雀の羽のように押し広げながら恫喝しそれを悪びれもせず虫を潰して遊ぶ子供の如くくりかえす。そんな人間がこの世にはテーブルコショウの瓶に入っている胡椒の粒程度には存在する。

これが頓珍漢な事を言ってるならまだマシでコミュニティから駆除対象になるだけであるのだが、鯵刺が魚を捉えるが如く寸分の狂いも無く正論を叩きつけてくる人間がいる。得てしてそういう人間は、本人は「デキる」人間であるが為にコミュニティ地位も高く、対して言われた方はぐうの根も出ない状況に追いこまれ雨風に晒されるトタンよろしく初めは徐々に、やがて一気に錆が回ってくる。

この手の人間への対処法として、よく「見返してやれ」という意見存在する。非常に前向きな意見であるが、それは人参を吊されて延々と走り続ける馬の如く愚かな行為である。仮にその過程の上で一定以上の実力を得て相手を「見返せた」として、その相手は「アイツは俺が育てた」というハウステンボスもびっくりの花畑を咲かせそれを自身成功体験にしてしまい、また別の人間「教育」を施し悲劇再生産が始まる。成功体験がある以上その過程で心が折れた人間がいたとして「使えないヤツだった」と思うだけでそこに自らを省みる思いは存在しない。

一つだけこれを回避する「見返し」かたがある。それは相手凌駕する実力と地位を身に付けた上で「私怨」を報しめながら自身のやった事を反芻させ相手コミュニティ地位を下げる事である修羅を狩る物はまた修羅にならなければいけない。だが概ねの場合そうはいかないだろう。それまでその人物がそのコミュニティにいたということはその存在は許容されている訳であるから、「余計な騒動引き起こした」という事で自身コミュニティ地位も一緒に下がる事を覚悟しなければいけない。コミュニティに全体に対する寄与差し引いた時の総評がどうなるかは場合によりけりだ。

悲劇再生産は止まらない。

2020-11-18

ホームレスになりたいとは思わないけれど

ホームレスになりたいとは思わないしできればなりたくないけれど

ああやって自分で創意工夫で雨風しのげる住むところを作って生活してる姿は単純に尊敬するなって思うわけよ

トタンとか上手く組み合わせて生活用品突っ込んだりして、場合よっち電気引いたりとかもあるんでしょ?

まあ河原とか公園とかは不法占拠な訳だけれどさ

簡易宿泊所とかネカフェとか駅とかの通路段ボール敷いて寝るとかそういうこともあるし、そっちの方に自分はなるんだろうなと思うだけに

2020-10-27

近所のゴミ屋敷を見ていると老後が怖くなる

近所にものすごいゴミ屋敷がある。

庭にはペットボトルとか洗剤やカップ麺の容器が散乱していて、窓から見える室内にも空いたティッシュ箱や使い古されたであろう電池の山が詰まれている。家は家で、トタン屋根はあちこち剥がれて庭や道にまで落ちているし、あろうことか玄関の扉すら壊れているのか存在していない。まぁ、あの家に泥棒で入ろうなんて人はいないだろうが………。

普通に通りがかった人であれば廃屋だと思うだろう。玄関扉が無いんだもの

でも、そこには独りの老婆が住んでいる。歳は80代くらいだろうか。いつも近所のお年寄り方と井戸端会議をしているので、心身はまぁまぁ健康のようだ。庭には時々洗濯物が掛かっているので、最低限の家事もしているのだろう。

ただ、流石に足腰は年相応に悪くなっているのであろう、歩く様子は結構大変そうだし、自力で一軒家をメンテナンスするのはなかなか難しいだろう。かといって家事代行を頼むような余裕も無いから、家は年々荒れていき気付けばゴミ屋敷…というのが現状という感じだろうか。実際、ストリートビューで見た数年前の近所の画像だと、荒れてはいものの今よりは多少マシなものだった(別にその家の確認のために見たわけではないが)。

一昔前であれば多くの人には頼れる子や親族がいて、彼女のような境遇にあれば一緒に住むなり時々でも世話しに行くなりする人がいたのだろう。実際、自分祖母限界集落のような田舎に住んでいたが、親の兄弟が交替で定期的に通っていたので、祖母は90代で死ぬまで綺麗な自宅で過ごすことができていた。

でも昨今は独居老人というのがテレビでもよく取り上げられるし、実際にこうやって目にするケースもある。恐らく頼れる親族がいないのだろう。

自分場合きょうだい揃って子供はいないし、頼る相手としてどうかはともかく甥姪すらいない。平均寿命から考えれば、もしも伴侶に先立たれたら独りだ。その時にある程度の蓄えが無ければ、自分もそういう風に身の回りのことも満足に出来ずに朽ちていくのかと思うと、暗澹とした気分になる。

いや、彼女別に今を不幸だとは思っていないかもしれない。ただ、自分がそういう境遇に至るのが怖いのだ。

だったらお前が彼女を助けられるのかと言われたら、それは難しい。ちょっとしたことでも一度何か助けたりでもしたら、近所で顔見知りだとズルズルと引き込まれそうな気もするので、変に関わり合いを持つつもりはない。他の人達もおそらく同じように考えているから、現状なのだろうとは思う。そして自分がそういう境遇になった時も、まぁ周辺住民が助けてくれるなんてことはきっと無いだろう。

別にかに看取ってほしいとか構ってほしいとか、そういうのは無いんだ。ただ、歳を取って弱ってきた時に頼れる人なり金なりを作っておかないと、自分にとっては厳しい老後になるだろうなという、そこはかとない怖ろしさを感じるのだ………。

2020-10-06

の子供たちって「錆びた鉄」をイメージできるのかな?

理科先生が「鉄の特徴は、さびやすいこと」と仰られたときに、私のような前時代人間

クズ置き場にある錆びた釘、ポイ捨てされた錆びた缶、錆が見窄らしいお下り自転車、裏庭の剥げたトタンに覗く赤錆、校庭の鉄棒茶色く染まる掌、

などをイメージするのだが、果たして其れ等を今現代の子供たちも同様なのか、いましがた気になりし所存。

そのような疑問を思いついた理由としてまず1つ、現代は昔より段違いに「塗装・鍍金」の技術が著しく進化している点がある

あらゆる鉄製品ほとんどが塗装鍍金されてると言っても過言ではない

しかもその技術は昔のそれとは段違い、錆も守るし、剥離もしない

そうなると鉄製品は錆びる前にどっかが壊れてすぐ捨てるということになる

あと、昔は家具かに釘が使われてたけど、今はクロゾメとかユニクロメッキされたボルトナットで組み立てる、骨組みも塗装済み、

特有白銀の光沢がある部分はほぼステンレスなので錆びない、ゆえにインテリアで錆を見たくても見られない、という状況なのだ想像できる

次の理由として、単に「鉄が少ない」

スマホとかアルミ家電とか外装プラスチックフライパンとか鍋はテフロン、水回りはステンレス

数少ない「鉄」はみーんな塗装済み

これじゃあ、小学生に「磁石がくっつくものを探そう」ってなったとき

「色がついている金属磁石がくっつきます」「ピカピカした金属磁石がくっつきません(ステンレスアルミ合金等)」

といった、一昔の常識とは真逆結論が出るということになってしまうかもしれない

でも、学校っていう場所は、物持ちが良いという意味で古くてボロい旧世代の代物がたくさんあるから、この疑問は杞憂なのかもしれない

から出た錆ってか(?)

2020-09-07

anond:20200907140642

そもそもそよ風ではトタンはがた付かないw

そよ風とは、屋外で草花がそよそよと風にたなびく程度の強さを表している。別の言い方をすれば微風。

anond:20200907140504

そよ風トタンがガタついたのを、うるさいと言ってるだけかもしれない」

って、そういうレベルで言い合いすんの?

ほんとくだらねーなお前

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