はてなキーワード: 毛利元就とは
女キャラをまず全員クリアしてしぶしぶ男キャラをやりはじめてる段階
2と違って3は完全に義元のためだけのステージが用意されててマジ楽しかった
2をはじめてやったときに最初に義元選んだら足遅いし攻撃力も低いしでゲーム自体をやめたくらいだったけど、
毛利元就好きだわ―
俺が女だったら毛利元就ラブになる
つーかおとこだけど もとなり好きだわ
印象的だったのはまいこはんキャラ(名前度忘れした)のシナリオで、
自分(まいこはん)についてきたら歴史みせたげるよって言われてあっさり毛利を捨てるとこw
あと地味に自分の中でラブ度があがってきてるのはぎんちよ
絵かけないけど
まあおまけはやられボイスきいてにやにやするくらいしかできないけど
武将解放するためには一人無双モードクリアしないといけないからめんどい
なんかかんこれのはるなととらぶるのこてがわまぜたようなキャラ
きっちりしてそうでまじどすけべなかんじがたまらん
あとたけなかはんべえなあ・・・あれどーみてもおんなだろ・・・かわいすぎる・・・
かんべえも地味に好きかな
キャラ的に
しかし戦国無双は三国と違ってやたら敵武将がガードしてくるのがすんげーうざい
昔PS2で3とか4とかやってたときはこんなこと感じなかったのに
1は城内戦がうざかったなー道に迷いまくって
あと地味に気になるのはやられモーションが長いことかな
さっさとドロップアイテム拾って次の場所なり敵のとこにいきたいのに、
倒した後にふらふらして倒れてアイテム出るまでがすんげー長くて時間かかる
そうならない倒し方をすればいいのはまあそうだけど
あと2にくらべていいのは視界が広くて移動速度はやいとこ
2はvitaでHDバージョンしてるけど、視界がめっちゃ狭いし移動速度遅いしでめちゃくちゃストレスなんだよなー
終わった。
終わってしまった。
この上なく終わってしまった。
毎週日曜日のお楽しみ。最初から最後までかじりついて見たのは『毛利元就』以来20年ぶり。いやー本当に面白かった。
だけど『真田丸』を見返そうとは思わない。ビデオ録ってないけど、録ってたとしても見返さないと思う。総集編も見ない。
大坂の陣ってのは、戦国の終わりを告げる戦いだ。槍働き如何でいかようにも立身出世できた日本史上における最後の時を終わらせる、不可逆的な戦いだ。
関ヶ原で没落した連中が、夢よ今一度とばかりに大坂城へと篭って幕府に抗うけど、時代はとうに転換していて、大坂方が勝つことは、泰平の世へと進んだ時代が許してくれない。戦国の亡霊たる大坂方が勝つということはまた戦国乱世の世に戻るということであって、それは許されることじゃない。連中は時代によって完膚なきまでに滅ぼされるべきなのだ。
勝頼も、室賀も、氏政も、秀吉も、三成も、昌幸も、そして信繁も、時代の波に乗り切れなかった落伍者は、時代によって淘汰される。それは万物の理とでもいうべき不変の法則で、何人も逃れることはできない。
しかしながら敗れてなお名を残すことはできる。
死に様はどのように生きたかが決める。死したときその者の評価は定まる。
真田信繁は人生のほとんどを歴史に埋没させながら生き、最後の最後でひょっこり顔を出して歴史にその名を刻んだ。
それは信繁が成したことというより、戦国という時代の亡霊が、かくありたいと希い、信繁を依代として成したことと言えはしないだろうか。
その馬印を倒し、日ノ本一の兵と讃えられるほどの奮戦の末に死ぬこと。
そのような死に様は日本史上において信繁を除いて絶無であり、みなが憧れるような最期だったからこそこぞってその戦いぶりと名を残そうとしたんじゃなかろうか。
そう感じてやまないのは、『真田丸』という物語が、時代に敗れていった者たちの生き方、そして死に様をいくつも積み重ねていったからだと思う。
『真田丸』の信繁は決して完全無欠の勇将なんかじゃない。政治的センスに欠け、他者と真正面からぶつかることを避けて策を弄するような、敗れるべくして敗れるような凡庸さがあった。
だから信繁が日ノ本一になれたのは彼の力というより、めぐり合わせ、言ってみればただの運だと思う。しかしそれは何千年という時の流れの中でようやく一回あるかないかというような奇跡。
でも、だからこそ消費し尽くさないで、たとえば夜空に一瞬またたいた流星をぐうぜん目にしたときのような鮮烈さを噛みしめるに留めるべきだと思う。
またいずれ真田信繁の物語が別に語られるとしても、『真田丸』は大坂の陣のような不可逆さとともに鮮烈な印象のまま留めるべきだと思う。
2016年という年号とともに『真田丸』は終わる。終わったままにしておく。
別れの時が来た。
「そうだな」
「つまりそれだけエロには訴求力があるということです。特に男はエロに金を出す生き物なのです」
「なるほどな」
「だから私も女であることの強みを活かして、就職先としてエロ産業に参入して金を稼ぎまくりたいと思います」
「そりゃいいな」
「かといってAV女優というのは心身共に大変な負担がある仕事だし今や競争率も高い厳しい世界だと聞きますので、官能小説を書いて作家としてチョロい感じでお金を稼ぎたいです」
「そんなに上手く行くのかなあ」
「早速書いてきたので読んでください。公募ガイドに官能小説の新人賞の募集が載っていたので投稿するですよ」
「そうか」
『世界の中心でア~っ! イイ~っ! と叫ぶ』
「なんかだいぶ古いネタを持ってきた上にめちゃくちゃ苦しい引っかけ方だな」
「中身を読んでください」
そろそろ結婚しようかという話もしている。
そろそろ結婚しようかという話をしながら駅弁スタイルでズコバコやっていたらよしおが無理しすぎてぎっくり腰になった。
としお先生の診察室で昼夜を問わず立ちバックでガンガンガンガンつっこまれた結果としてよしおと別れてとしおと付き合うことになった。
としおはしかし早漏だったので、「早漏とはやっとれんで候」と言ったら聴診器で首を絞められて殺されそうになったのでゼロ距離からの寸打で難を逃れた。
よしおとやり直そうと思ったが携帯が着拒されていたので
よしおの友達のかずおに連絡を取ったが、かずおの家に行ってこたつで対面して事情を説明しているうちに
気がついたらかずおと対面座位でぬぷぬぷしていた。
もうこれでいいや、と思ってかずおと同棲して仕事も辞めて、家でナンクロやって日々過ごしていたら
ある日としお先生が家に凸してきた。
曰く、1本1本が早漏であっても、3本あればローテーションしている間に回復するので永遠に果てることはない、山内一豊も3本の矢がどうとか言っていた、ということであった。
としお先生と異常な正常位でまぐわっているとよしおが現れとしお先生の頭をどつき、一撃で昏倒させた。
よしおは別人のようにガチムチになっており、おれはもう以前のおれではない、もはやどんな体位でも不可能ではない、と言うが早いが流れるようなセックス捌きで四十八手を切れ目なく繰り出した。
よしおはおれのことをビスケット・よしおりばと呼べといったがあけみはバキを読んでいないので意味がわからなかった。
そうこうしているうちにかずおが帰ってきたので、よしおりば対かずおという構図になったが、圧倒的なよしおりば有利と見られた対決はかずおが懐から持ち出したコルト・ガバメントでよしおりばの頭を吹っ飛ばす呆気ない決着となった。
しかしその一発の銃声が更なる抗争の幕開けとなることは知る由もなく、あけみとかずおは勝ち鬨ファック後背位でパンパンしていたのであった・・・』
「うーん」
「どうですか」
「3本の矢は毛利元就じゃないかな」
「それよりそろそろセックスしようよ」
そう言って僕は部屋の照明を消した。
年 | 戦国時代 | 実際の出来事 | |
---|---|---|---|
1867 | 応仁の乱開戦 | ||
1868 | 明治元年 | ||
1877 | 応仁の乱終戦 | ||
1897 | 毛利元就が生まれる | ||
1912 | 大正元年 | ||
1921 | 武田信玄が生まれる | ||
1926 | 昭和元年 | ||
1930 | 上杉謙信が生まれる | ||
1934 | 織田信長が生まれる | ||
1937 | 豊臣秀吉が生まれる | ||
1941 | 太平洋戦争開戦 | ||
1943 | 徳川家康が生まれる | ||
1945 | 終戦 | ||
1954 | 高度経済成長開始 | ||
1960 | 桶狭間の戦い | ||
石田三成が生まれる | |||
1967 | 伊達政宗が生まれる | ||
真田幸村が生まれる | |||
1970 | 姉川の戦い | ||
1971 | 毛利元就死去 | ||
1973 | 武田信玄死去 | 高度経済成長終了 | |
1975 | 長篠の戦い | ||
1975 | 上杉謙信死去 | ||
1982 | 本能寺の変 | ||
1983 | 賤ヶ岳の戦い | ||
1984 | 小牧・長久手の戦い | ||
1986 | バブル開始 | ||
1989 | 平成元年 | ||
1990 | 小田原征伐 | ||
1991 | バブル終了 | ||
1992 | 朝鮮出兵(文禄の役) | ||
1997 | 朝鮮出兵(慶長の役) | ||
1998 | 豊臣秀吉死去 | ||
2000 | 関ヶ原の戦い | ||
2014 | 大坂冬の陣 | ||
2015 | 大坂夏の陣 | ||
2016 | 徳川家康死去 |
最強の戦国武将は誰?(教えて!ウォッチャー) - goo ニュース
上杉謙信や武田信玄はその実力を証明する大舞台にとうとう立てなかった。歴史に「たられば」はない。「もし謙信が関ヶ原の戦いに参加していたら」「信玄が大坂の陣で戦っていれば」そういった仮定は無意味だ。最強の力を持っていたのだとしても、発揮する機会がなければ、それは無いのと同じなのだ。
それでは誰がその機会に恵まれたのか。やはり真田幸村をおいて他にないだろう。長きに渡る戦国時代の、最後にして最大の晴れ舞台において、最も活躍したのが幸村なのである。その一事はそれだけで彼を「最強」せしめるものであると考える。
大坂の陣においては毛利勝永を推す声もある。端的に言って幸村を疎むオタクの逆張りでしかないと思う。勝永の奮闘を否定するわけではないが活躍の度合いではやはり幸村が上だ。有名な「真田を云いて毛利を云わず」も幸村が一、勝永が二である前提での言であるし。
大坂の陣と並ぶ大舞台である関ヶ原の合戦において名声を高めたのは島津義弘であるが、こちらは敵中突破と言っても本陣を突くとみせかけて脇へ逃げたようなものであるし、大勢が決したあとで東軍も本気では追わなかったということもあるので、いくらか劣るように思われる。
「真田信繁」という呼称に妙にこだわる連中がいるが、通りの良い「幸村」で何ら問題ないだろう。
以下、二位と三位を挙げる。
先に島津義弘の名前を出したが、島津ではやはり家久が群を抜いている。耳川・沖田畷・戸次川の三戦での活躍(耳川では総大将ではなかったが)は、河越・厳島・桶狭間の三大合戦を一人でこなしたに等しい、と言っても過言ではない。結果的に九州内に留まる活躍に終わったため次点とするが、一部隊を率いての戦いでは最強であったのだろう。
大内・尼子といった大大名との戦いに明け暮れながらも自らが兵を率いれば不敗という戦勝率、小領主から身を興して中国地方を丸ごと次代に遺した領土拡張率は凄まじい。総合力での評価で言えば秀吉と並んで間違いなく最強の一角である。ただ、元就の強さはやはり戦術面にとどまらぬ謀略や政治的な部分が大きいわけであり、「戦術的な最強」という趣旨にはそぐわないために三位とする。
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http://ramendb.supleks.jp/s/12401.html
http://tabelog.com/hokkaido/A0102/A010201/1041495/dtlrvwlst/5082277/
http://tabelog.com/miyagi/A0401/A040101/4010522/
雑誌が崩壊の一途を辿っているのは、一つはインターネットというメディアに押されて現代人のライフスタイルの中で存在できる場所を失っているから、というのはもちろん大きな原因の一つだろう。だけど、あまりにも多様化するニーズに追われて雑誌自体が細分化し過ぎて行ったのも雑誌を自ら崩壊させた原因の一つだと言うことができる。
マンガ雑誌を例にとると、『少年週刊ジャンプ』は今やオジサンとなってしまった世代の絶対的な存在であった。週刊少年ジャンプこそが『ジャンプ』であり、今でこそ月曜日になってしまったジャンプの発売日は、以前は火曜日だったのだ。火曜日はブルーマンデーを乗り越えた少年たちへのご褒美であり、ジャンプを読まない火曜日なんてそれは火曜日ではなかった。そのくらいの存在感をジャンプは示していたのだ。だがいつの日かジャンプはいくつかの成年誌へと派生し、分裂し、細分化されて行った。マンガ家は多くの活躍の場所を得て、『ジャンプ』でマンガを描く必然性は無くなった。多くのマンガ家は色んな場所へ分散して行った。宇宙が膨張していくように、多くの生物が進化して細分化されるように『ジャンプ』は多様化し、細分化して行った。それは時代が求め、消費者が求めた変化なのかもしれない。だがいつの間にか、『ジャンプ』は細分化された事で力を失って行った。毛利元就の三本の矢が一本になるように、多様性がもたらしたものは脆弱性であった。
携帯電話も同様だ。いつの間にか細分化、多様化のスピードについていけず、脱落している現代人が多くなっている。時代の最先端の製品について行っている者は極僅かだ。早すぎる進化によって、ユーザーの分布はロングテールになりつつある。8メガピクセルのカメラ付き携帯をCMで見かけるが、そこにはカメラ付き携帯が初めて出た頃のインパクトも需要も無い。今までと同じような開発費、広告費をかける意味合いはあるのか。これ以上の多様化がユーザーと業界を幸せにするのか。考えるべき岐路に来ているのではないだろうか。
現在求められているものを例えるならば、Web3.0ではない。Web1.5だ。
細分化、多様化によりユーザーを置いてけぼりにするのではなく、ユーザーに遍く受け入れられるインターフェイスやデザインが重要だ。そして、何よりも資源の選択と集中こそが重要だ。今までと同じような散漫な多様化、細分化を追い求める業界に未来は無い。あらゆる資源は枯渇するだろう。宿命のように、選択と集中を迫られる。それは、三本の矢を一本にまとめるように、進化の過程を逆に辿るように、ロングテールを圧縮するように。