はてなキーワード: 接続詞とは
言い訳をすることは疚しいことがあると認めることになる。例えば、彼女持ちの男が彼女から他の女性と食事に行ったことを咎められた時に、「上司だから断れなくて」と言うのはれっきとした言い訳であり、彼女から見ればガッカリな言い訳パターンである。言い訳をした時点で負け。疚しいことがあるのを認めることになる。言い訳というのはたとえ正当な理由であっても、やましさを認めることには変わりないのである。もちろん、言い訳をしないことによって上司と出来ているのではないかというような誤解を彼女に与えることもある。そのことによって彼女から不当な非難を受けることもあるだろう。だからこそ言い訳を言うのだという気持ちも分かる。しかし、正当な理由があるからこそ言うタイミングが肝心である。彼女から非難された時に即座に弁解したのでは、余計に怪しまれるし彼女の非難したい気持ちも無視することになる。企業のお客様相談センターでは不当な非難を行うクレーマーに対してまずは話を聞くことをする。相手の言い分を全部認めるのだ。認めるというのは浮気を認めるということではない。本当に浮気をしていないのであれば認める必要は全くない。そうでなく、彼女が浮気を怪しんでいるという気持ち・事実を認めるということだ。こうすれば相手の気持ちを受け止めながら自分の正当性も崩れることがない。そうしてひとまず相手の気持ちが落ち着いてから、非難されている言動の理由を述べれば良い。この理由を述べる時も注意が必要で、あまりにタイミングが遅いと後付けの理由だと思われてしまう。だから、相手を一旦落ち着かせてすぐさま理由を言わないといけない。そして、理由の言い方だが「だから」「ので」の使用はできるだけ差し控えたほうがいい。疑り深い相手に対してこれらの接続詞・助詞を用いると言い訳がましい印象を与えてしまう。プロは単に上司から誘いがあったという事実を伝えるにとどめ、因果関係を相手に推論させる。推論結果を出すのは相手であり、こちらではない。相手が出した結果だから信用度が高まるのだ。しかも、プロは相手の疑り深い気持ちに共感していたのを「でもね」と言わない。「浮気じゃないかと心配かけたね。でも、浮気じゃないから安心して。相手は上司だよ。断ろうとしたけど無理だった」と言うのでは50点であり、素人丸出しである。「でも」はリスクが大きいことを知ろう。素人がよく犯す過ちとしてさらに酷いのは、「いや、浮気じゃないよ。」である。これはまさに愚の骨頂。浮気じゃないかと疑っている相手に浮気じゃないとだけ言うのはアホである。こういう応対しか出来ないから修羅場になる。これに比べて「浮気じゃないから安心して」はまだ相手の気持ちに配慮しているぶんマシである。よく短文のほうが伝わると言われるが、それは相手に受け入れ準備が出来ているからこそであって、敵対的な相手に対する配慮のない短文は大きな危険をともなう。敵対的な相手の防護壁をすりぬけて洗脳するには、長文のほうが実は効果的である。グダグダ言ってる間に相手を洗脳するというパターンだ。ただ、長文は相手をイラつかせる面もあるので、効果的な短文の使い方も知っておこう。その時に限って「だから」をうまく使用するといい。「浮気じゃないよ」じゃなく「浮気じゃない『から』安心して」と言うことでクッションを置いて相手にボールを投げることができる。ただ、これでは「浮気じゃない」という前段に注意が向きやすいので、その部分に相手が反発する危険がまだ高い。そこで、「ほんとに心配性だな。浮気じゃないから心配すんなって。何か不審な点とかあったら答えるよ。質問ある?」と言う。まず「ほんとに心配性だな」で相手に柔らかいジャブを打つ。これは単体だと相手に反発心を起こす危険もあるが、この場合は直後に「浮気じゃない」という重要メッセージがあるので大丈夫である。ちょうど、ジャブへの注意と「浮気じゃない」への注意が分散されるという良い効果がある。さらに、「心配すんなって」という余裕を見せる。極めつけは、「何か質問ある?」である。疑問を投げかけることで相手の注意をコントロールするのは高等テクニックだ。この疑問が「浮気じゃない」や「心配性だな」に対する反発心を忘れさせて、「浮気じゃない」「心配性なだけ」というメッセージを刷り込む効果がある。さらには、不審な点についての質問をさせることで、こちらの言い訳に対する受け入れ態勢が相手に形成される。つまり、堂々と言い訳を言えるのはこのタイミングということだ。完璧である。
参照
http://news.livedoor.com/article/detail/5488888/
↑↑↑
この記事,つっこみどころが多すぎる。
主張をささえる根拠,理由がどの段落にも書かかれていない。
なんなんだろうな, 接続詞 をきちんと使えないの?
「というのは」
「なぜならば」
という接続詞がまったく使われていない。
「なぜなのか?」 「どうしてなのか?」
を書かないと読み手に何も伝わりません。
ひょっとして根拠や理由を述べることができないから,わざと省略してるのかな。
小説を書きたいと思った。早速書いてみる。
ダメだ。読みにくいし、つまらない。そもそもこの日本語は本当に正しい日本語なのだろうか?
日本語に自信がない。文系の大学に行っている人は、日本語に自信があるだろう。僕は底辺高校卒だ。大学に行きたくなった。文学部に行きたい。
とりあえず自分の人生を悔やんでも意味がないので、書店で中学校の国語の参考書を買ってきて、文法から勉強しなおすことにした。(中学校の国語の参考書をレジに提出したことは全く恥ずかしくない。それよりも知識がないことの方が恥ずかしい)
主語・述語の関係、修飾・被修飾の関係……自立語、付属語……品詞(動詞、形容詞、形容動詞、名詞、代名詞、連体詞、副詞、接続詞、感動詞、助動詞、助詞)……。今考えると、中学生ってかなり高度なことをやっていたんだなと思う。というか、当時の僕は文法の意味が分からなかったから、正解だと思われる回答を適当に選んでいた。本当に恥ずかしい。
いきなり全てを覚えるのは不可能だと思ったので、最初から少しずつ解いていった。毎日2、3時間勉強した。
勉強して驚いたことがある。それは、日本語が極めて論理的に構築されているということ。例えば、よく雑誌やネットの記事で指摘される、『間違いだらけの日本語』というやつを見ても、今までは、それを改善する方法が思いつかなかった。『ら抜き言葉』『~の方 の頻発』が好ましくないということは知っていても、では、どういう時に『ら』を使って良いのか、どういう時に『~の方』を使って良いのか、が分からなかった。それが、文法を勉強すれば、分かるのだ。文章の理屈、文章がどういう風に構成されているのかが分かった、というべきか。結局二週間ほどで文法の勉強を終えた。本当は中学生のうちに覚えておかなければならないことを、二週間かけてやっと理解できた。
しかし、文章力は全然向上しなかった。(『全然』の使い方はあってるのかな?それも分からない)そう、文法を覚えただけじゃダメなのだ。僕は言葉そのものの意味を全く知らなかった。相対? 普遍? 主体? 客体? 混沌? 秩序? パラダイム? どれも言葉として聞いたことはあるが、意味を深く知ったことはない。
僕はまた書店に行き、参考書を探した。高校の現代文の参考書を探してみた。文法の他に、『基本用語700』『重要語・頻出語』といった参考書があったので、パラパラとめくってみた。上記に挙げた、相対、普通、主体、客体、といった言葉がたくさん並んでいて、その一つ一つに丁寧に解説が書かれていた。なるほど、これで語彙を増やすのか。僕は一冊買って再び勉強することにした。
文法を勉強した時とは別の驚きがあった。それは、『言葉』には広がりがあるということ。言葉には意味以外にもプラスのイメージ、マイナスのイメージがあり、問題文で作者が使っている言葉から、事物に肯定的であるか否定的であるかを読み取れ、とその参考書は書いているのだ。はっきり言って僕は衝撃を受けた。言葉の意味さえ知っていれば文章は書ける(もしくは読解出来る)と思っていた僕にとって、『言葉に対するイメージ』という考え方はとても貴重なものに感じられた。日本語の根底に流れる奥深さ、豊潤さに触れたような気さえした。
また、普段普通に使っていた言葉が、実は全く違った意味を持っていた事も分かって、これにはかなり赤面してしまった。一義的であると信じていた言葉が、実はかなり多義的であることも分かった。勉強すればするほど、日本語というものが素晴らしく思えた。(ちなみに『一義』『多義』という言葉も今までは知らなかったので、早速使ってみた)
ただ、上記に挙げた日本語の広がりなども、文系の大学を受験する受験生からしてみれば当然の知識なのだろう。僕はどこまで知らないのだろう。そう考えると、何だか本当に死にたくなった。
それでも、何とか全ページ、700語を読み終えた。(これも2週間かかった)ただ、きちんと覚えた言葉はそのうち200語ぐらいだろう。残りの500語はおそらくうろ覚えだ
。覚えた200語も少しずつ忘れていくかもしれない。だから何度も反復して頭の中に言葉をたたき込まなければならない。(ちなみに『反復』という言葉もこの参考書で覚えた。『はんぷく』って読むらしい。今まで読書しているときは『はんふく』って読んでいた)
ただ、僕はまだ参考書を二冊勉強しただけだ。大学を受験する受験生は何十冊も何百冊も参考書をこなしているだろう。あとどれだけ現代文の参考書を勉強すれば、文系の大学生の文章レベルに追いつけるのだろう?
よく「語彙を増やすには小説を読むと良い」と言うが、小説を読んでも語彙は増えないと思う。あれは文法や言葉の意味を知っている人には良いかもしれないが、文法を正しく捉えていない、また、言葉の意味を理解していない人には意味がないと思う。小説の中に言葉の意味などは書かれていないからだ。それぐらいは分かる。
『論旨』を上手く伝えることが重要だと言うことも分かった。参考書の問題文はどれも上手くて上品で精密でユーモアのある文章ばかり。そして意味がちゃんと伝わる。おそらく『論旨』ってやつがうまく機能しているからだろう。『論旨』についても勉強しないといけない。
ライトノベルではなく、一般的な小説を書いてみたいと思う。ちゃんとした日本語で書かれた小説を書いてみたい。ただ……僕は頭が悪い。頭の精度が悪いというべきか。物覚えが悪いし、勉強したことを瞬時に頭から取り出すのが難しいときがある。今だってそうだ。この文章を書いている時だって、100%正しい日本語で書けているとは思えない。おそらくどこかしらに日本語の間違いかもしくは不適切な表現があるだろう。全ての言葉に間違いが無く、簡潔でウイットの効いた文章を書けるようになるのが目標だ。ある程度勉強したら、日本語能力試験も受けてみようと思う。とりあえずこの文章は格好付けず、出来るだけ素直に書いたつもり。
の動画を文にし、その中でもネットの匿名性のところだけ抜粋しました。
書き手は何度も聴き、匿名について意見を持ち、どちらの主張が正しいと思えたか個人的には判断していています。
まあ、こんなとこに投稿してる時点で分かると思いますがw
だからなるべく客観的に書いたとはいえ、それが文中に出ていない、とは限りません。
だれがこれをどうしようが、そんなのどうでもいいですが、そこら辺はご注意ください。
それと、うなずきなど、最低限のものは削除しました。
間違いが当たったら指摘ください。
書き手の確認した範囲内で直します。
*5月4日 訂正
ご指摘ありがとうございます
・相手の会話に割り込んだ会話に括弧をつけて表記しています。あらかじめ表記していませんでした。
どうやってインターネットの中で、ある程度のルールを持って確保するような環境を作りたいかということなんですが……
それは教育じゃないんですか?
個々の人間がどうするかっていうのをなんでサービスの提供者が責任にしてるのかっていうのがぼくはわからないんですよ。
そこですよねそこがたぶんわたしとひろゆきさんのたぶんあの議論の分かれ目で。
わたしはある程度サービスの提供者が場を作ったときにはそこのルールを規定しないと荒れてしまうと思ってるんですよ。
その荒れるってどういう意味ですか?
実際、じゃあ2ちゃんねるで非常に有益なスレッドもあってものすごいスレッドもあれば、まさしくその……なんでしょう、ウップンばらしのための批判であるとか揚げ足取りであるとかみたいなスレッドもたくさんありますよね? それは正しいですか認識として社会として……
社会ってそんなもんじゃないんですか? 居酒屋とかに行ったらみんなそんな話してるじゃないですか?
ただそれが陰口がある程度インターネットってわたし拡声器だと思ってるんでいいことも悪いことも増強されますよね。実際その悪いことに対して、たとえばわたしがやってるクロストークというコーナーでは、基本的にその新聞に対する言論ということで、実名――もちろんそれが戸籍名であるというのは議論がありますけれど――まあファーストネームとラストネームをきっちりと書くような形でお願いしてるんですよ。
で、ファーストネームとラストネーム書いて、誹謗中傷書いた人がいました。でも結局書いた人が誰だかわかりませんという方が問題じゃないんですか?
それはIPアドレスをまさしくその請求して開示してたどることは可能ですよね?
ええ。
これは間違ってないですよね?
ていうのがトレーサビリティーとしてあれば十分であって、別にそれが田中太郎って名前なのかジョナサンなんちゃらって名前なのか別どうでもいい……
コストの問題ですよ。たとえばここらへんに――道にゴミを捨てる人がいますと。ゴミをゴミ箱に捨てるのはいいですよね?
いや、さっきのクロストークの話で、その山田太郎なのか名無しさんって名前なのかってコスト一緒ですよ。書いてあっても。
名無しさん、山田太郎であればそれが匿名であれば概念、ガイシツ(?)が非常に高くなりますよね? 戸籍名が名無しさんである可能性は非常に低いですよね?
だから?
だから、コストの問題だといってるんです。
いやコストはIPアドレス請求して、その人が誰か調べるコストはまったくいっしょですよね?
だからそこに行く必要があるかどうかを(ひろゆき:え?)判断するコスト(ひろゆき:行く必要があるかのコスト?)としてそのIPアドレスの請求までする必要があるかどうかと。
それは書いたものがIPアドレス請求する必要があるんだったら、名前はもうどうでもいいわけじゃないですか? 名無しさんでも山田太郎でも。
そんなことないですよこのコストの問題をやはり責任(?)にしたいんですよ。
いや、コストは一緒ですよね?
一緒じゃないですよ。私がたとえば……
え、なんで? プロバイダに請求するコストは一緒じゃないですか?
だからそれは二日とか待たなきゃいけないですよね? それほんとにコストに(かぶって聞こえず)……
ええそれが、山田太郎になっても、その山田太郎がどこの誰だかわかんないわけで。
じゃあ訊きますよ? ひろゆきさん?
ビジネスしますよね。ビジネスしたときにひろゆきさん名刺渡さない?
いや、今日たまたま忘れましたけど持ってる時は渡しますよ。
ですよね。じゃあ名無しでいいんですか? 名前を名乗らずに。それで、名前を名乗らずに
いや、それは全然違う話してますよね?
違います。リアルではちゃんと名前を名乗って、自分がどういう人だかを開示して、相手の信頼を得ようとするのに、なぜインターネットだけ匿名でいいんですか?
別にインターネットでも名前を名乗りたい人は名乗ればいいと思いますよ? (勝間:でも名前を名乗らない……)たとえばぼく今日スタッフいろんな人会っていますけど、名前言って会話した人ってたぶん4、5人で、あとのスタッフだれも名前知らないですよ
それはクローズドだからですよ(ひろゆき:え?)この環境が。今テレビ東京の天王洲(?)スタジオにいるわけですから、あきらかにこのデキビジの制作が関係者しかいないということは、ある程度担保されている上での……
たとえば公開のイベントやってるときに、スタッフか一般の人かわからないわけじゃないですか? それが全部名刺交換するんですか?
インターネットの話をしてるんですよ、今。
え? いやじゃインターネットの話してください。なんか今リアルの話したの勝間さんですよね?
ふふ。ダメだこれ。
ああ、すいませんなんか言葉知らなくて。
すみません。あのーたぶんですね……
なんかそのよくわからない――たとえばその写像って意味ぼく知らないけど――でも一般的にもたぶんそんなに常識的な言葉じゃないんですよね?それを持ち出してダメだこれって言われても(勝間:違います違います違いま)確かにぼくボキャブラリ少ないかと思いますけど、それをなんか人呼んだ人に対して失礼じゃないんですか?
違いますよ。わたしが言いたいのではね、ひろゆきさんがわたしのたぶんですね価値観というかポリシーの違いがあって、それに対してですね、なにか議論をこうふたりで戦わせようとすると、お互いに自分のフィールドに逃げてしまって、で、そのたとえ話が始まって
え、別ぼく逃げてないですよ(?)。じゃあさっきのインターネット上の名前の話で、トレースできるかどうかは、名前と名無しさんでも一緒ですよね。はい/いいえで答えてください。
ようはプロバイダーに対して、(勝間:トレースの……いいですか?)こういうことがありました。住所が知りたいかどうかコストは一緒ですよね(勝間:トレースの……)はい/いいえどちらですか?
言います。トレースを必要とする場合には、はい。ただトレースを必要かどうかという判断がその前に入りますので、(ひろゆき:ん?)その分のコストが削減されます。
じゃあ山田太郎って書いて誹謗中傷をしているのと、名無しさんって書いて誹謗中傷ってしているのって、(勝間:どちらも)内容はいっしょですよね?
どちらもトレースを請求します。
あ、はい。それじゃあ一緒じゃないですか?
トークは白熱しているようですが、ここでコマーシャルです。
・はいはいはい ってひろゆきうぜえwww
・でもひろゆきって、そうやってちゃんとうなずく。相手の話を聞いている感じ。
・そんなひろゆきもらちがあかないと思ったのか、はい/いいえで答えてくださいって強硬に出てたのが笑えたw
http://anond.hatelabo.jp/20091006192224
上の記事によれば、下手と思わせない文章を書くには「繰り返しを避ける」ことだけを気にかければ十分であるらしい。しかし、私はこれでは不十分だと思う。なぜなら、「繰り返しを避ける」ということの意味が明らかにされていないからだ。たとえこの法則を知ったとしても、実践することは困難である。具体的で実践的であることに注意すると、下手と思わせない文章を書くには、少なくとも以下の3点に留意する必要があるだろう。
以下、それぞれについて詳説する。
下手と思われてしまう文章は、たいてい書きたい内容が整理されていない。同じ内容を、表現や話題を変えて何度も繰り返し書く。そのため、書かれた文章全体の内容の密度が低くなり、結果として読者に退屈な印象を与えてしまう。読者の眼を常に文章に惹きつけるためには、内容の繰り返しを避けて、文章全体の「意味の密度」を高める必要がある。
具体的な方法としては、MECE分析やKJ法などの論理的思考のフレームワークを活用することが挙げられる。これらを活用することで伝えたいことを排他的な命題群として整理することができ、内容の繰り返しが起こりえなくなる。ただし、もしあなたがブログなどのちょっとした文章を書きたい程度であれば、文章を書く手を一旦止めて「自分は何を伝えたいのか」「伝えたいことは幾つあるのか」と問うだけでも十分効果的である。
書きたい内容が十分整理できたら、次はそれを文章にしていく。この段階で注意してもらいたいのは、読点を多用して無意味に1文を長くしないことだ。1文を長くすると、それだけ文に込められた意味が多くなる。人の認識能力には限りがあるので、あまりにも長いとその文が伝えたいことを忘れてしまうだろう。1文にはできるだけ1つの主張のみを割り当てて、意味を明確にすることが重要である。具体的には読点を多用しないことが最も効果的だ(注1)。
また、文を短くすることで、自ずとその文の種類が明らかになる。具体的には「断定」か「類推」か「願望」か「事実の記述」かのどれかが明瞭になる。それゆえ、文末の表現も広がりが生まれ、元記事で指摘されていた問題も解消される。この法則もまた、記述の段階における「繰り返しの回避」の戦略なのである。
ひと通り文章が書けてきたら、文と文の関係を見直していくことが重要である。文章を読むということは橋を渡るようなもので、文の間につながりが無ければたちまち先に進めなくなる。下手と思わせない文章は、文と文のつながりが明瞭で読者に疑問を起こさせないものだ。
文と文の関係を見直す具体的な方法としては、すべての文に接続詞を挿入してみることが挙げられる。なぜなら、接続詞は文章間の論理関係を明示するため、文のつながりが不適切であればそれがすぐに明らかになるからだ。
挿入して不自然であることが分かれば、間に文章を加えるなり、文の順序を入れ替えるなりして調整していく。もしあなたがどの接続詞を使えば良いか分からないのであれば、それは文と文の繋がりを考えずに書いてしまったということだ。いちから書き直す必要があるだろう。このように、接続詞の挿入は書き手に具体的な修正案を考えさせる一種の指標となるのである。
ただし、この手法はあくまでチェックのための方法であり、実際にすべての文に接続詞を挿入する必要は無い。むしろ論理の転換といった重要な箇所以外では、接続詞はできるだけ省略したほうが文章が滑らかになる。接続詞の詳しい扱い方については、野矢茂樹氏の名著『論理トレーニング』『論理トレーニング101題』を参照されたい。
以上、私が考える「下手と思わせない文章術」について述べてきた。上の3点は一見するとまとまりが無いように思われるかもしれないが、実は文章を書く上で重要な意識が貫かれている。
それは、「文章を書くことと内容を考えることは、常に一体である」ということである。
私たちが考えることは、ある程度ことばに影響を受けている。言葉なくして、人は自分の思考をまとめることはできない。したがって、文章が下手であるということは、考えていることが整理されていない証拠なのである。文章と内容のつながりを考えず、ただ表面的な修辞に拘っても文章の下手さはいささかも改善されない。文章を書く人には、常にこの点を意識していただきたい。
最後に、この文章はブログの記事にしては長く端的ではないので、下手な文章に該当してしまうかもしれない。もしあなたが、私の文章に問題があると感じるならば是非言及していただきたい。そこからまた有益な「文章術」が生まれてくるかもしれないのだから。
注1 : 「1文を短くせよ」と主張すると、たいてい提出される反論に「小説や日記などのような情緒的な文章では、1文が長くて面白い文章もあるではないか」というものがある。しかし、その種の文章にも、実はこの法則は当てはまるのだ。小説における文章は、主に人の「認識と思考の流れ」そのものを記述するためにある。人の認識や思考はとめどなく続くものであるから、日常の文章よりもどうしても1文が長くなってしまう。小説の1文が長くなるのは、そうなる必然性がある。逆に人の思考や認識の転換を反映せずに、いつまでもだらだらと1文を続ければ、たとえ小説だとしても下手な印象を与えてしまうだろう。いかなる文章においても、文の長さの必然性を問い、可能な限り短くすることは重要である。
現代文は、どうしようもなく苦手ってわけではなかったが、そこまで得意ではなく小説よりも論述文の方が得意だった。人の気持ちを考える能力には自信がないが、それでも文章を読む能力自体はそこまで低いとは思っていない。
なんでそこで「人の気持ちを考える能力」なんてのが出てくるんだよ。
現代文で小説を題材にした問題を解くときに「人の気持ちを考える能力」なんて必要ない。
現代文の問題を解くのに必要な能力は小説でも随筆でも論説でも基本的に同じ。
文章を読む能力だけでいい。語彙が十分にあり、接続詞と助詞・助動詞の役割を意識しながら読むことができ、基本的な修辞技法が理解できていればそれでいい。
文章を読む能力だけで解けない問題なんてただの悪問であって、そんな問題を正解にできる能力なんぞ不要だ。
たかが現代文で文章の種類によって得手・不得手がでるようなら「それなりに頭はいいつもりの人間」という自己分析は当を得ているのだろうな。
等位 Coordinating Conjunctions
相関 Correlative Conjunctions
お悔やみの言葉
会話一般
(語学学習サイト個人的リンクメモ / Lists of Language Learning Links)
http://anond.hatelabo.jp/20090206052528
英語で書く、を書いた増田でーす。ブクマしてくださったみなさん、ありがとうございました。
まずご質問にお答えします。
チャットはレスポンスにある程度、早さが求められますので、初心者の方は掲示板の方がいいんじゃないかな。
YouTube のコメント欄もおすすめです。ビデオがあるわけですから、何について話しているか、一目瞭然ですから。
問題はむしろそこで何を話すかということですね。
コミュニケーションもいいんですけど、英語の学習が目的なら、ただただフレンドリーな話題、環境では「やあやあお元気?」で終わってしまいがちなんですよ。
そうじゃなくて、相手も自分もそう簡単に譲れない問題、何でもいいんですけど、政治とか宗教とか、思想とか、わりあい固めの話の方が、突っ込んだ会話になりやすいんですね。インターネットではむしろ。
私も、英語の学習という意味では、友達よりもむしろ論敵の方が役にたってくれました。
私を育ててくれたのは私の敵です。
だから争いや議論を恐れずに、どんどんハードな環境に身をおいた方が結局は近道なんですよ。
私たちは受験のために膨大な熟語や英単語を覚えてきましたよね。
でもそのほとんどは一回も実際に使うこともなく、見ることもないんじゃないでしょうか。
受験のためには必要なんですよ、どういう試験問題が出るかわからないですから。
でもあなたが化学に何の興味もないなら、化学関係の英単語は使う機会もないでしょうし、見る機会も少ないでしょうから、必要から言えばそれを覚えるのは無駄なんです。
あなたに興味のある分野のことを英語で書いたり話をすることのメリットは、あなたにとって必要性の高い単語や構文を集中的に覚えられるということです。
私は文法はとても大事だと思います。
単数と複数の違いとか、時制の違いとか、三単元のsをつけ忘れただとか、そういうことは正直言ってどうでもいいです。間違えても全然問題なく通じます。国際語としての英語は今後そういう方向に進むでしょう。
先日も、You and him is student? とか、間違って書いてしまったところ、突っ込まれたんですね。
私もbe動詞の疑問文の作り方や、主語の人称とbe動詞の関係はもちろん知っていますけど、たくさん書いていればこういう間違いもやってしまうんですよね。
でもそれでもまったく問題なく通じます。だからあなたが文学作品を書きたいとか、英語で修士論文を書きたいとか、そういう高度な欲求がないのであれば、そんなことはまったく気にする必要はありません。
けれども文法そのものは大事です。
文法が分かっていないとそもそも何をどうやって言えばいいのかが分からないからです。
やっぱり中学の英文法くらいはざっとおさらいしておくのがいいでしょう。
it~to, it~that, so that 構文はとくによく使います。関係代名詞もあやふやではなくきちんと分かっていたほうがいいでしょう。
完了形、過去完了形はあんまり気にする必要はありません。
それでしか言えない文章、過去の経験とか、継続してその状態にあるとか、そういう時以外は普通の現在形、過去形で押し通して差し支えありません。
話していると、相手ももちろんいろいろ書いたり言ったりしてきますよね。
それも、私に対して、私が興味があることについて言ってくるわけです。
その時、ああ、なるほど、これはこんなふうに言うのかっていうことがよくあります。
そういうのは興味と驚きとともにインプットされるんで忘れないんですよね。
そういう時は早速自分も使ってみて、表現力を高めましょう。
表現力を高めれば、ニュースを読んだり聞いたりしても、何を言っているかが分かります。
私、日本人はヒアリング能力がないんじゃないと思うんですよ。ヒアリング能力がないんじゃなくて、そもそも単語力や構文力がないから何を言っているかが分からないんだと思うんですよ。
その発想を理解するってのも大事だと思います。
たとえば…。
インターネットを通して知り合ったアメリカ人の友達にデービッドくんっていう男の子がいます。
彼、ニューヨークに住んでいるユダヤ人でものすごくイケメンなんですよ。
「あほか、そないなゼニにならんことしてどないするんや。男は甲斐性やで」
と言ったところ、
「あのな、うちのお父ちゃん、ものすごくお金持ちやねん。そやからわいはお金のために勉強せんでええのや」
と言っておりました。
なに!お金持ち!ということで、
「そかそか、ほなら結婚しようか」
と言ったんですが、「わいはゲイやで」とおっしゃいました。
「ゲイでもなんでもええわ。うちが欲しいのはあんたの体やない、あんたのカネや。正確に言えばあんたのお父ちゃんのカネや。カネのために結婚してやろうって言っとるんじゃ!」
と言ったんですが、なかなかうんと言ってくれません。強情な男です。
その、ユダヤ人でニューヨーカーで哲学者でゲイでイケメンで金持ちのボンボンのデービッドくんと、ある時、パレスチナ情勢について話したんですよね。
彼はユダヤ人のくせにシオニスト嫌いっていう希少種で、イスラエルに批判的なんですけど、その時に彼がこう言いました。
What do you think of israeli invasion with impunity?
私、衝撃を受けましてね。この文章を画像にして、いま、デスクトップの背景にしてますけど、それくらい衝撃を受けたんです。
訳しますと、
「イスラエル、好き勝手に侵略やっておりまんな。あなたさん、どない思われます?」
くらいの意味です。
impunity (不処罰性、処罰されないこと、免責)ていう単語がちょっと難しいくらいで、他はどうってことないですよね。
別に何の変哲もない文章です。文法的にもまったく難しくありません。
ただ、この意味する内容のことを日本人が英文にする時、まずこういう構文では言いませんね。
Israel invades. But it never be punished. What do you think of them?
とかでしょうか。
まず with impunity ってのがほれぼれしますよね。日本人だとここは without punishment ってするでしょう。
不起訴、とか、免責、じゃなくて「処罰されない」って言うのが日本語の癖なんです。
侵略、じゃなくて、「侵略している」って言うのが日本語の癖なんです。
それと、否定文ももちろんありますけど、形としての否定文じゃなくて肯定文に直して言う、そういう発想は日本語にはあんまりないですよね。
without punishment や not with punishment じゃなくて、with impunity ってやるってのが英語っぽいというか、英語の癖なんだなって思います。
日本語の構文に沿って英訳すると、どうしても長くなりがちなんですよ。
接続詞や関係代名詞が複雑に入り組んで、そういう時はひとつの文章を複数にわけるのもひとつの手段なんですけど、動詞を名詞に変えられないか、否定文を肯定文に変えられないかって発想するのも、すっきりした英文を書くコツなように思います。
で、まねをして、I don't know him っていうところを、I have absent of knowledge about the male って言ったことがあるんです。いくらなんでもこれはやり過ぎだったみたいで、「君はイギリス人みたいな英語を書くね」って言われました。
これ褒め言葉じゃないですよ。
なにもったいつけてんだYO!ってことです。
ただ、もったいつけるべき場面、論文とか文学作品とか、ちょっと高尚に見せたい時には有効だってことです。
彼はイギリス人みたいって揶揄しましたけど、実際、イギリスのメディアではこういう文章を書く人が案外います。
BBCとかはすっきりした表現が多いですけど、新聞ではけっこうありますよね。
ま、そういうこともお楽しみのうちということで。
前のやつで書き忘れた上、間違えてたんだが、うちの妻の意見を否定する時は、
肯定 → 否定
ではなくて、
否定 → 肯定
でないと怒る。
「増えてる感じはするね。おー怖ー。けど統計的には減ってるんだけどねー。」
はアウト(なんか否定されていると感じるらしい)で、
「統計的には減ってるんだけどねー。そんな感じしないよねー、おー怖ー」
はOKらしい。言っていることは同じだけど、最後に肯定されないと気が済まないらしい。
てーか、それはお前の妻に限った話じゃなくて、心理学的にはごく普通の事。てかよく聞くだろ?知らんの?
あと「しかし」という接続詞を使った場合、そのときの主張の重点は後半にあるというのは論理学でも学ぶことだろ。
「否定、しかし、肯定」だと「基本的に肯定しています」というメッセージが相手に伝わる。
「肯定、しかし、否定」だと「基本的に否定しています」というメッセージが相手に伝わる。
「言ってることは同じ」……ではないんだよ、そもそも。
同じと見なしている時点で、そもそもお前が非論理的。論理学の本でも一冊買ってみろ、まず接続詞についてうんたら書いてあるから。
お前自身、自分で気がついていないだけで、実際こういう心理が働いていると思うよ。まあ、そんな事ない絶対ないと言い張るかもしれんが。
最近増田には、この手の「文章がまったく読めない」「理解力のない」コドモがよく沸くよ。
あまり相手にしても疲れるよ。
このやりとりを見てて思い出したんだけど、友達が「この4月に入ってきた新入社員がとんでもない」って嘆いてた。
文章の理解力がまったくないんだって。
例えば友達が
3FのAルームで行います。
各人、現在進行中のプロジェクトの報告書を用意してきてください」
ってメールを投げたとする。
そうしたら、「会議では何をするんですか?」「場所って何の場所ですか?」とかわけのわからない質問が来るんだって。
友達もびっくりしてよく話を聞くと、1行目と2行目と3行目が繋がって相互に補い合っている文章だということが読み取れないらしいんだって。そして「ちゃんと接続詞をつけてくれないとわかりません」って言われたんだとさ。まあ、この例文は極端な例だけど、一連の議論の流れが読み取れないというか。文脈が読めないというか、そういう人はどうしてもいるんだよね。
あれは中学校を卒業して、初めて携帯電話を買って浮かれていた頃。同じクラスだった男子のAとメールのやりとりをして、どういう流れか奴が「彼女できた」と打ち明け、私は「おめでとー」と言った。ちなみに私とAは別段仲が良かったわけでもなく、ただ私が男っぽい奴だったので、下ネタなんかは普通に話したし、お互い男友達みたいな感覚だったと思う。そういえば、中三のはじめの頃にはなぜか奴は私を「ボス」と呼んでいた。(由来は不明)
そんな距離感だったから奴に彼女がいることなんて周知のことだと思い、翌日奴と同じ部活でそこそこ仲の良かった友人に「Aの彼女ってどんな人だろうねー?」と尋ねたら、「え、Aって彼女いるの!?」と驚かれて、あ、あれ?知らなかったの?と私まで驚いた。Aは目立ちたがりでプライドが高く、またずっと彼女を欲しがってた節があるので、勝手に吹聴してると勘違いしていた。でも、恋人ができることを隠す理由が奴にあるとは思わなかったから、その時は大したことを言ったつもりはなかった。
けれど、数日後、Aから突然電話がきて事態は一転。電話に出るとAはひどく怒っていて「何で彼女ができたこと話したんだよ!?」と怒鳴られた。どうやら私が話した子が色んな人に言いふらしたらしい。
「ごめん。てっきり皆知ってると思ってたから…」
「んな皆になんて言ってねぇよ。勝手に思ってんなよ」
「……ごめん」
どうしてそんなにAが彼女ができたことをバラしたくなかったのかわからなかった。でも、言われたくないことを言いふらしてしまったのは事実で、非がある側としてはひたすら謝るしかなかった。
「…はぁ」
この溜息が、怒鳴られるよりズキッときた。電話越しで相手の表情もわからない不安もあって、どうにかして取り繕いたいと思った私は言った。
「あの、ほんと悪いと思ってる!私、何でもするから!」
その後色んな漫画やら何やらを読んできた身としては、この台詞フラグ臭いなぁと思う。でも、その時は何奢ろう…くらいに思ってた。中学生の身分で出来ることって、せいぜいそのくらいだろうし。「何でも」って言ったわりに自分の中の選択肢は一つだった。てっきりAもそうだろうと思っていたけど、違った。奴は間髪容れずにこう言った。
「じゃあ、エッチしよーぜ」
いや、何だその「野球しよーぜ」ぐらいの軽いノリは!というか、お前彼女いるだろ!?大体、私デブですけど!出るとこ全部出てますけど!昔カビゴンっていわれたけど、どちらかといえばムック(NOTデフォルメ)似だと自負してますけど!
「え、や、冗談でしょ?」
「は?本気だけど」
「アンタ彼女いるじゃん!」
「あー、俺の彼女、箱入り娘っつーの?そんな感じでキスもさせてくんないんだよね。そんな女と俺がずっと付き合ってくと思う?」
もはや「 最 低 」の一言に尽きる。
Aは県で一番の進学校に受かったのだけど、一年の頃なんか成績は学年の真ん中くらいだったから、凄く努力して勉強したんだろうと思った。たまに高慢ちきなことを言って、クラスの一部からは「頭が良いからって偉そうにしやがって」なんて言われてたけど、ただレールに沿って生きてるだけの私なんかには想像できないほど努力して奴は優等生のポジションを得たと思ったから、少し尊敬していた。それなのに、この言い草。怒るよりも呆れて、思わず脱力した。
「…いや、ていうか、私デブじゃん。どう考えてもアンタ勃起しないでしょ」
「んなことねーよ。お前かわいいって」
身内以外の異性に可愛いって言われたのこれが初めてだったけど、ぜんっぜん嬉しくなかった。流れからしてどうみてもお世辞。というより、とりあえずこう言っときゃいいだろ的なウソ見え見え。大体、その頃の私といえば、眉を剃ることはおろか体毛の処理すらしてなかったし、それを気にすることもなかった。友達に「ねえ、眉毛繋がりそうだよ。このままじゃ両津になっちゃうよ」って言われてやっと眉毛を手入れし始めたくらいだし、髪の毛ボッサでスカートはばっちり膝下10cmだった。その上、恥じらいなしにチンコだおっぱいだと会話で言える、そんな女を抱くなんてコイツの美意識を心底疑った。
唖然とする私をよそに、Aは勝手にエッチのプランを進め始めた。自分の家は母親が常にいるからダメ。お前んちも親いるだろ?なら、ラブホにするか云々。とんとん拍子に話が進む展開に今度は焦って、「ラブホは高いよ!一万くらいする!」と大ボラを吹いた。トゥナイト2を見ていると公言していた奴には、こんなちゃちい嘘はすぐにバレるかと思ったが、意外にあっさり納得された。
ここが私のダメなところなのだけれど、「何でもする」と言った手前、セックスするという提案を拒否できなかった。自ら言ったことを覆してはならない。そんな変なプライドが邪魔をした。「それは嫌だ」と言って、Aに「何でもするって言ったろーが」とまた苛々されるのが怖いというのもあったからかもしれない。
ラブホはダメならもう場所もないし、Aも諦めるだろう…と安堵していたのも束の間。
「だったら、俺んちの近くの公園にすっか。お前、俺んち知ってるっけ?」
あまりの展開のスピードに思考力が遅鈍な私は置いてけぼりだったけど、もしかしてコイツ早漏か?とは思った。こういう時ほどくだらないことを考えてしまうのね、人間って。
小学校は違っていたから、Aの家なんて知らなかったし、別にこれからも知りたくはなかったけれど、「や、知らない…」と言うに留めた。私としてはセックスなんてする気はさらさらなかったし、まして公園。初体験が青姦て。どれだけ性に対してアグレッシブなの。確かに私は下ネタを話すのは好きだったけど、イコールセックスがしたい、というわけじゃなかった。下ネタと性欲って全く別物だった。
公園はないだろ、と私が言うより早く、Aは淡々と自分の家の場所を説明し始めた。半ばその勢いに圧倒されて、私は「ああ」とか「はあ」とか生返事をしていた。どうせ「公園なんてムリ!場所ないからできないね!それじゃ!」と言って切るつもりだったから。ただ、やっぱり私に非があることに変わりはないし、せめてAの話はきちんと聞こうと耳を傾けていたら、さらにAはとんでもないことを言い出した。
「んで、その公園って小さいんだよ。だから、砂場でいいよな?」
大体、だから、って接続詞おかしいだろ。ははあ、もしや砂場プレイをご所望ですか。普段は子供たちの楽しい遊び場、夜は大人の営み場。その背徳感にドッキドキ☆砂場の砂の感覚でさらに気持ち良くなっちゃう…☆って、だからどれだけお前は性に対してアグレッシブなんだよ!海で砂が濡れた水着の中に入ってなかなか出てこないもどかしさを思い知れ!
一瞬ぽかーんとした後、もうこいつの話聞くのすらしんどい…と疲労が襲ってきたので、「お母さんがうるさいから」とか何とか言って適当に電話を切った。メールも着たけど、無視。次の日また電話が着たけど、それも無視。もともとしつこい男ではなかったので、連絡はそれきり。(半年後にまた連絡が着たけどそれは割愛)
うっかり言われたくないことを言ってしまったのは悪かったけど、今でもやっぱりこれはないなあ、と思う。後に人づてに奴が高一まで童貞だったことを知った。顔も悪くなかったし、クラス一性の知識があるような喋りだったから、てっきり非童貞だと思っていたが、奴も奴なりに焦っていたということか。そして、これまた人づてに聞いたことだけれど、奴は私を非処女だと思っていたらしい。多分、ネットや雑誌のおかげで耳年増になっていたからだろう。
奴とはもう二度と会いたくはないが、「何でもするなんて軽々しく言ってはいけない」という教訓を得られたことには感謝したい。
Blogでイナゴ共が使う、「というか」「ばーか」「通りすがりの人」って感じの名前のコメント。こういうの見ると反吐が出る。
まあ増田もその一部ではあるのだが、ちと違う。
増田が少しマシなところは、コメント欄をなくしたことだと思う。
文句があって罵倒なり批判なりするにしても、エントリの一部となるコメントではなく、あくまで自分の増田エントリでそれをやってTB飛ばすることになるから、元増田と対等な立場で議論ができるんよね。だから自分のエントリの中に、このキモい接続詞名前の通りすがり君(笑)コメントがイナゴのように群れて領域を浸食されるような感覚がない。あくまでTBだから別意見なのだ。
この文章読むだけでも、文章の前後関係の繋がりが全くといっていいほど繋がっていないから、そりゃ伝わらないだろうなというのは分かる。
とりあえず、自分の考えている事を順序だてて、話の間の連関をきちんと示せるような訓練をしてみるのがいいんじゃない?
とりあえず接続詞をつけたり色々してみた。
私は無口でほとんど話題も持たないので喋ることは滅多にない。けど今日は特別な日だったのでちょっと喋りすぎてしまった。
なのに、私の喋ることは大抵伝わらないし、聞いてる人はおかしな顔をする。それに、無知なこともばれる。
だからなるべく人に喋せなければ。
しかし、こんな事をやっているようじゃいつまでたっても成長できない?
このままでは、いざという時何も伝えられない?
じゃあどうすればいいのさ!!!!!!!!!1知るかカス