はてなキーワード: タトゥーとは
https://anond.hatelabo.jp/20190823163251
何年も付き合ってて相手がそんな、いい歳こいて思春期ずっと引きずってるみたいなピーターパン症候群だったのになんで気が付かなかったの?バカじゃね?
股おっぴろげて男のチ〇ポハメハメしたくらい相手に気を許す間柄なのに気が付かなかったって、共感性がないとか思慮が足りないと改善の問題じゃね?脳外科行って自閉症かなんかの検査受けてきた方がいいよマジで
アンタ今いくつよ?5年やそこらも付き合ってんのなら大学の時と考えても20後半言ってるよな?あと数年以内に結婚できなきゃ女として絶望的だべ?
頭の悪さがにじみ出てるような文章なのは読んでたらわかるから、一人で金稼いで一生暮らせるような能力がないのは丸わかりだし、自分で美人じゃないとかいってるうえにババアとか場末の風俗でも雇ってもらえないから就職先どんどん少なくなるぞ?
5年も付き合ってたのなら結婚する意志がないとわかるならなんで並行してほかの男探しておかなかったの?人生舐めてない?自分の立場わかってんの?
こんな騙されやすい性格で女としての価値がある年齢の大部分をスルーしてしまった以上、もう結婚してくれそうな奴といえばウンコみたいな髪の色した鼻ピアスで腕にドラゴンのタトゥーとか入れた無職同然の低学歴DQNとかそんなんしかいないぞ?稼ぎも悪いだろうし、DVされまくって子供を産めたとしたってアンタの頭の悪さとDQNの頭の悪さに輪をかけた、ガイジ寸前のハイブリッドDQNガキ見たいな、後ろ神だけ伸ばして眉毛剃りこんだミニゴブリンを育てさせられる羽目になるわけだ
個人的に非モテがどうとかいう議論自体が馬鹿馬鹿しいと思うから味方なんかしたくないけど。
この手の「おまえがその証拠」メソッドを使う卑怯者は信用するに値しないよなぁとは思うよね。
タトゥー排除にキレれば「やっぱりタトゥーしてる奴は凶暴だな」
セクシャル表現への侮辱にキレれば「やっぱりオタクは性犯罪者予備軍だな」
この手のクズはどこにでも現れるな。
「自由には責任が伴う」というのは単なる「現象としての事実」では? 「かくあるべきか、否か」として扱われている限りどちらの言説にも肩入れできないかなぁ。
私は不自由だと思う。というのは、未成年というのは良くも悪くも責任を取れない存在だから。「責任を取る能力がない」のもそうだけど、それ以前に責任を取ることが立場として許されない。それを自由と受け取るのか、不自由として受け取るのか、評価の分かれるところだと思うけれども。
私が思うに、責任とは自由の根源であるのよな。自由の後に責任が産まれるのではなく、因果が逆。責任があるから自由が産まれる。
ただ世の中には「他人から押し付けられた責任」というのもあって、それは別に果たす必要のないものだと思うけど。それはそれで別の議論じゃないのかなぁ。その時、本題は「その責任とやらは誰の責任なのか?」であって、「彼に責任があるのか?ないのか?」にすり替えるのは議論の大枠からズレてる気がする。
「タトゥーを彫った責任」だの、「エログロを表現する責任」だのがそれ。理不尽な差別に晒された時、「差別を批判する」という責任の果たし方もある。「私にそんな責任はない」ではなく、「お前の責任を放棄するな」と返すべきじゃないのかな。
一方で、これは「自由は必ずしも人を幸せにしない」ことも意味してるのよな。子供がなぜ不自由なのかといえば、そりゃ大概の子供は(よほどの早熟でない限り)責任能力に劣るからだ。「責任を求められるくらいなら不自由である方がマシ」という人は、一定の割合で常に存在すると思う。
人は自分のキャパシティを超えた責任を放棄したがるし、それに伴う自由を謳歌する他人を「不公平だ」と引き摺り下ろしたくなる。キャパシティの大きさは人それぞれだし、「大きいか、小さいか」では測れない連続的な量をとると思う。
社会が自由であればあるほど世の中は弱肉強食に近づくし、弱者に優しい社会であればあるほど監視社会は間近に迫る。でも強者が弱肉強食を望んでいるかと言えば必ずしもそうではないし、弱者だって監視社会の息苦しさに耐えられるわけではない。みんな強者になりたいんだよね。
結局何が言いたいかと言うと、みんな、自分のキャパシティは大きくとれるようにしような。勉強して力をつけような。強く生きような。自分のために。他人のために。
私も、もう生涯独身なんじゃないかって、今からそれを受け入れる心の準備をしている。
早すぎるかもしれないけど、備えあれば憂いなしということで。。
彼氏もここ数年いなくて、その数年間の中での性のほうはマッチングアプリで会った男らと済ませてきた。
一応、長い時間をかけて「セックスを断るのはめんどくさいけど断らなかったらもっとめんどくさいことになる(性病)」という答えを見つけた。
マッチングアプリでなくとも出会いはいろんなシーンであるけれど(バー・スナックとか、一緒に飲んでる友人が誰か呼んでくれるとか)、そこで自分が好きだと思う人と出会うことはまだ無い。
アラサー迎えてから、嬉しいことに綺麗とか美人とか言ってもらえることが増えた。うれしい!
でも、私は袖まくれば腕に傷があるしタトゥーもある(後悔してないけど傷の方がつらい)、精神科にも10年通ってるし、はっきり言ってものすごい地雷だ。
いつも普通に仕事して生活して、稼ぎは少ないながらも趣味も楽しみつつ暮らしてるから、自分でも自分が異常者のド地雷だってことをついつい忘れる。
なんというかそこの罪悪感が強くて、「どうせ」と色々否定し続けてしまって性格がひねくれいってしまっている。
それにマッチングアプリでたくさん男と会ったから、それによって悔しくて「舐められたくない」と思う気持ちも強くなってしまった。タトゥーをいれたのはそれが理由・・・
結局タトゥーいれたって、女っ気ゼロの服着てたって、ついでに無愛想でいたって、オマンコ舐めてくる奴は舐めてくるんですよね。
とりあえず、強く楽しく生きれればなんとかなるか。と思って深刻に考えないようにしている。
ただ、ふと、自分はなんのために生きていくんだろう?と我に返ってしまうのだ。。。
無条件に愛されるってどんな感じだろう。
10年ぶりにヨーロッパ西域の某国を訪れたのだが、カフェやレストランのサービスのよさに驚いた。
街中のどうということのないバルのおっさんから、カフェのアルバイトのタトゥーバリバリの女の子、
レストランのソムリエに至るまで、驚くほど気持ちのいいサービスをする。
かゆいところに手が届くとか、いたれりつくせりとかではなく、単純に自然体で愛想がいい。
某国語は片言の外人(俺だ)相手でも目が合い、声がかかるし、忙しい中でも楽しそうに仕事をしているように見えた。
あれ?昔からこんなだったっけ?と思うほどだった。
この10年で彼の地が変化したのか(相変わらず失業率は高いようだがすさんだ空気は感じなかった)、
タトゥー入れました!みたいな報告に「もう温泉行けないな」「市民プール行けないな」とか、マジで余計なお世話すぎない??
大抵「自分の子どもと」って頭につくけど、こんなご時世なんで親がついてないといけない年齢の子どもを、どこの誰とも知らない、やべえ奴が紛れ込んでるやもしれない温泉やプールに連れてかないから安心して。行くとしても貸し切り使うから。
てか親と温泉に入る事ってそんなに大事か?年1程度のイベントがなんでタトゥーの話題になった時だけそんな重要視されんの?「子供に温泉のマナーが身につかない」とかも言うけど、温泉のマナーなんてググりゃ分かるレベルのもんなんだから親がわざわざ詳しく教える必要性無いだろ。