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はてなキーワード: ら抜き言葉とは

2024-04-12

「喋れない」は正しいはずでは?

「喋る」は五段活用

未然形は「喋ら」になる。

動詞未然形にしたときに、直前の母音が「ア行」で終わる五段活用場合は、「ら」を抜いた「れる」を入れる(可能動詞)のが正しいので「ら抜き言葉」とはなりません。

https://kiji-sniper.com/blog/ra-nuki-words/

とのことなので、「喋れない」は正しいはず。

とりあえず、スクショは撮りました。

2024-04-15 追記

「喋られない」も間違いではない。そのため、当初記した「『喋られない』が誤用だと思う。」という記述は削除した。

【喋ら(未然形)+れ(「れる」の未然形)+ない】となるため。

2024-03-25

最近特に酷くなってきたように思われる、ら抜き言葉

その歴史は古く、東京で使われるようになったのは関東大震災以降とも言われている。

ら抜き言葉」とは、可能を表す「られる」から「ら」が抜けた言葉のことです。

たとえば、「見られる」「来られる」を「見れる」「来れる」のように言う言い方です。


例...

 食べれる

 辞めれる

 載せれる

 起きれる

 来れる

 捨てれる

 忘れれる

 受けれる

 開けれる

 入れれる

 覚えれる

 付けれる

 ...

分かればいいとか、言葉なんて変わるものとか、適当に言われてるが、

果たしてそれで良いのだろうか。

こんな風になってしまった日本、爺さんは哀しいよ。

2024-02-17

anond:20240217140448

日本語すらまともに喋れない増田が申しております

「しゃべれる」は、「ら抜き言葉」ではなく「可能動詞

2024-01-26

anond:20240126053534

(受身の助動詞「られる」ではなく)受身の助動詞「れる」に接続してるだけなので、文法的には問題無い。

ただ、最近受身可能尊敬助動詞「られる」について可能/尊敬区別させるために、可能場合は「れる」に変形する「ら抜き言葉」が普及しているので、「れる」の可能ニュアンスが強くなってるかもしれない。

それと、「れる」は「られる」より口語的ではある。

大辞林の「れる」の解説は以下のとおり。

「られる」と意味用法は同じであるが,未然形がア段となる動詞には「れる」が付き,それ以外の場合は「られる」が付くというように,接続のしかたに分担がある。サ変動詞接続する場合,「出席される」のように,未然形のうち「さ」に「れる」が付くのが普通であるが,書き言葉でのやや改まった言い方では,「出席せられる」のように,未然形のうち「せ」に「られる」が付くこともある。の可能の意では,現代語では普通「行ける」「登れる」などのように,可能動詞で表すことが多い

2023-12-20

「おささる」は文法的に合ってると思うけどね?

https://anond.hatelabo.jp/20231219211228

 

たまに標準語で「これ文法的に成立するけど使わないね」みたいなのあるじゃん

ゆる言語ラジオとか見てるとたまに出てくる

 

おささるはその類だと思って使っていたし

「通じない人もいるかも」と思い控えているときもある

 

押す 動詞自分がやってる

押される 受動

押すされる 自分がやったけど受動的であった

→ 押さされる

→ 押ささる ら抜き言葉

 

押さされた 過去形

→ 押ささった 文法上の変形

 

まり、「される」をつければ受動であるが、受動的を「意図してない結果」と捉えるとこういうルールになる

 

食べる 動詞自分がやってる

食べられる 受動

食べるされる 自分がやったけど受動的であった

→ 食べらされる 文法上の変形

→ 食べらさる ら抜き言葉

 

食べるされた 過去形

→ 食べらされた 文法上の変形

→ 食べらさった 文法上の変形

 

anond:20231220094934

先に好意的に接し始めれる人の方がやっぱ素敵に見える

ら抜き言葉を使うレベルの人は、このような考えを持ちやすいという事です

2023-10-13

言葉リズム感が変わってきているということ

ら抜き言葉、だ抜き言葉い抜き言葉、を抜き言葉、…

なんちゃら抜き言葉、と呼ばれる概念は色々あるんだが、それらの根本的原因は何かと考えると、これは言葉リズム感の変化なんじゃないか、って思うわけよ。

まり省略された言葉というものに耳もしくは脳が慣れちゃった。これは適応と言ってもいいかもしれない。

たかが一音が抜けただけで細かい奴だなあ、と思われるだろうか。だけどリズム世界において、「一つズレる」のはとても重要な変化なのではないか

言葉が持つリズムが変化する時、その瞬間に生じる歪みに気付くか、気付かないか。そのセンサーがすなわち感性リズム感というものだろう。審美感と言い換えてもよいが、時代と共に人のそれが変わりつつあるように思う。

日々、言葉けが変化しているのではない。我々もまた変化しているのだ。

2023-09-30

anond:20230930172151

まさにその通りだと思う。

ら抜き言葉のように、誰にも誤解が生じない言語用法は「誤用」ではない。

単に「昔とは言い方が違う」だけでしかない。

それは個人の好みであり、正しい用法として押し付けものではない。

この「1番」についても、言語多様性範疇だと思う。

というか、文法や語法は法律と同じで、世間が変わったらアップデートされるべきだ。

実際に、私たち古文を話しているわけではない。適宜、それらを更新してきたのだ。

から既存文法や語法と、現在皆が使う用法合致していないのなら、その文法や語法の方が間違っているとさえ言える。

例えば、辞書だって用例採集」として、時代に合わせて更新され続けている。

まり文法や語法に沿った日本語よりも、今普通に使われている日本語こそ「正しい日本語」だと、個人的には思う。

2023-07-27

他人プログラムが読みづらいのは、

プログラム一種文章であり、他人日記を読めば意味不明記述ばかりで読みづらいのと同じで、仕方ないことなのだ。

と周りに伝えたら、共感してもらえなかった。

私の職場プログラミング専業じゃないわけで、そこで書かれるプログラムなんて、やりたいことを実現するための念仏しかない。

その記述方法に気を払う余裕なんてなくて、だからこそ個人的には、プログラム自意識無意識に溢れる「日記」なんだと思っているのだが。

ちなみに、周りの人間は「正しいプログラムの書き方」みたいなものを語っていたが、そんなものは「正しい日本語」くらい、どうでもいい概念だ。

ら抜き言葉」だから言葉本質が失われるとでもいうのか?

車輪再生産なコードからプログラム本質が失われるとでもいうのか?

言語と同じく、今まさに話されている言語=打ち込まれプログラムこそ、まさに「正しいプログラム」なんだと思う。

それなら逆に、読みづらい書き方をしてしま言語プログラミング言語こそ、何らかの問題があるのではないだろうか。

2023-06-03

誤用が気になってしま

 題名の通りだ。ネット環境という文字でのコミュニケーションが多い環境からこそなのかもしれないが、気にしなくていいような誤用が気になってしまう。

 例えば、「~しないわけにはいかない」の意味で用いる「~せざるを得ない」を「せざるおえない」「せざる負えない」「せざるえない」と表記するだとか。「または」「あるいは」等の意味で用いる「もしくは」を「もしくわ」と表記するだとか。気になる誤用を延々と……そうそう、「延々と」もそうだ。「永遠と」と表記する人をよく見かける。

 話を戻して。自分でどの誤用が苦手なのか、どの誤用なら問題ないのかを考えてみたものの、共通点がてんで分からない。「せざるおえない」「もしくわ」「永遠と」「そうゆう」「~しずらい」は気になるのに、「こんにちわ」「全然大丈夫」は大丈夫だし、ら抜き言葉もそこまで気にならないのはなぜなのか。ら抜き言葉が気にならないのに縦書き文章を左から右に読ませるものが気になってしまうのはどういった理屈なんだろう。

 別にこれで自分けが気にして少し嫌だな~ともやもやするだけなら別にいい。いや、正直なところを言えば嫌ではあるのだが、自分だけで完結するし自衛もできるだろう。気になる誤用が出てきたなろう小説はそれ以上読まなきゃいいし、気になる誤用を扱う切り抜きチャンネルは見なければいい。

 だが、自分は大層厄介なことに、どうしても気になって声を上げてしまいたがる性質だ。このように。今こうしてここに書いてしまっているように。普段SNSやらで友人達交流する時だって誤用が気になって仕方がない。もちろんそんな誰彼構わず指摘しているわけでもないし、親しくなった友人にだってなるべく言わないようにしている。言ってしまたこともあるが、苦手なものを聞かれた時に「そうゆうとかもしくわとか、そういう感じの誤用が苦手かも。使うなとは言えないけど」程度の回答に留めていたように思う。とはいえ、使うなとは言えないと言ったにもかかわらず、友人の誤用が気になり段々嫌になって自分から距離を置いてしまたこともあるから、これも最善ではないのだろう。

 そんな中、先日、ついに別の友人に「その表記誤用だよ」と指摘してしまった。「『延々と』と『永遠と』は全く意味が違うよ」と、ついに声を上げてしまった。友人は心優しく、自分のこんな狭量な発言に対して謝罪をしてくれた。気分は全く晴れない。口語表現となんとなくのノリで生きてきてしまった、言葉を扱うのが昔からずっと下手だった、と友人は続けて零していた。気分は全く晴れず、それどころか落ち込んだ。

 言い方が悪かった。このことに関しては間違いはないだろう。けれど、どう言ったらよかったのだろうと考えてしまう。そもそもとして友人たちは好きなように言葉を使っただけであって、その言葉を見て自分一方的に気になってしまっただけなのに、自分が何かを言う必要なんてないだろうに。言わないほうがよかったのかもとも思っているが、言わないなら言わないでまた自分から距離を置いておしまいだろう。見ただけで集中力が切れ、見続けるだけで段々気落ちしていくのだから、言わないままというのもきっと自分精神衛生上よくない。

 誤用が気になってしまう。誤用が気になってしま自分嫌悪感を抱いてしまう。言語は移り変わっていくものだと分かっているつもりでも、移り変わっていく過程で生じた誤用であり数百年後には正しい表記になっている可能性もあると理解しているつもりでも、それでも気になって気分が悪くなったり気分を悪くさせたりしてしま自分嫌悪感を抱いている。

2023-04-01

なんかムズムズする3選

ら抜き言葉

(例:持ち上げれた^ ^)

 

・下手すぎ

る改行

 

句読点として使われる,コンマピリオド.

 

ムズムズする!

2023-03-10

藤井風好きな女ってさあ

餃子を酢コショウで食べるしやたらと「ら抜き言葉」の指摘にこだわるよね

2023-01-10

anond:20230108171904

こんにちは趣味日本語学習している者です。元記事ブックマークコメントしましたが、自分思考の整理も兼ねて、改めてこの問題について考えてみたいと思います。なお、私は日本語学の専門家ではありませんが、日本語教師の資格は持っています

まず、元増田氏が疑問を抱いていた「煙草のくさいカフェ」という表現文法的に正しいかという問題について。私はこの表現は正しいと言えると思います

記事で既に言及されていましたが、「(主語+の+述語)名詞」という表現方法があり、確かにこの文法に則った表現になっています

しかし、文法的には正しくとも、その表現を不自然に思う人は多いかもしれません。彼女氏が仰った通り「煙草くさい」と表現するのが自然であり、わざわざ格助詞使用して煙草を強調する必要性が感じられないからです。

故に、「煙草のくさいカフェ」という表現は、文法的には間違っていないが不適切表現であると思います

厳密に言えば、「煙草くさい」は煙草のようなにおいがするという意味で使われる形容詞で、そこに煙草がなくても使える一方、「煙草のくさい」は存在している煙草性質状態がくさいという意味になっており、両者の表現内容は別物ではあります元増田氏が、なにか臭さを感じて、原因を辿ると煙草だった、という認知をたどった場合は「煙草のくさい」という表現は許容度が上がると思います

続いて、彼女氏の発言について。

煙草は前提としてくさいものであり、わざわざ格助詞「の」をつける必要は無いと仰ったわけですね。この場合問題となっているのは、果たして煙草はくさいものなのかという点でしょう。つまり日本語文法問題では無いですね。この問題は、辞書には些か荷が重いでしょう。物事の捉え方、考え方の問題ですから格助詞を調べたところで解決することはないと思います

彼女氏が急に愛煙家になって、煙草匂いを良しとするようになったら格助詞使用が認められるかもしれませんね。

煙草のくさいカフェ」という表現文法的に正しいのであれば彼女氏に謝ってもらいたいとのお話でしたが、謝罪を求めるのはやめておいた方ががいいと思います

文法的な正しさは普遍的ものではありません。ら抜き言葉なんかが良い例ですね。謝罪してもらえたら一時溜飲が下がるとは思いますが、不毛でしょう。

追記

ブックマークコメント日本語ノンネイティブ疑惑が出ていますが、筆者は日本語母語としています研究ではなく学習と記したのは、日本語について何か新しい知見を生み出したわけではないからです。

2022-04-14

表現の自由戦士くん来ないで

「見れる」「食べれる」「来れる」のような、いわゆるら抜き言葉がめちゃくちゃ苦手だ

自分絶対使わないし、使ってる人を見ると冷めた気持ちになる(口頭では気にしないが、文面だとかなり気になる)

「そういう」が「そうゆう」になっているのもイヤだし、「尊み」「しんどみ」「わかりみ」のようなよくわからない文法活用も苦手だ

別に活字中毒とかそういうわけでは全くないし、本も新聞も読まないし、そもそも現代文の授業とかそんなに興味なかったし俺はギリ理系である

自分絶対にすべて正しい日本語を使っている!という自信ははっきり言って全くない。

それでもなんか上記例の日本語に、すさまじい違和感を覚えてしまって面倒くさい

これが巷で言う老害懐古厨ってやつなのか?!一応まだ20代前半なんだけど…

2022-01-03

anond:20220103230150

いや、元は障碍なんですがそれは…

https://whill.inc/jp/column/16_shougai

お前、ら抜き言葉を「言葉は常に変化していくもの(キリッ)」とか開き直っちゃうタイプバカか?

正しい言葉を使いましょう

2021-10-17

こういう人

お気に入りラーメン屋だったのに「もう来れない!!」 その理由とは…?

https://bunshun.jp/articles/photo/49271

この記事ツイートに対して以下のリプライが。

堂々と「ら抜き言葉」ってどうなのさ。

そもそも「もう『行けない』」だと思うが。

伝えたいことの本質を全く見抜けない人が世の中を少しややこしくている。

自覚を持ってほしい。

2021-09-29

プロゲーミングチーム CrazyRacoonの謝罪文添削した

https://twitter.com/crazyraccoon406/status/1443175558574006278?s=19

見れない→見られない

謝罪するツイートら抜き言葉を使うんですね。

ご報告と謝罪申し上げます。→ご報告と謝罪を申し上げます

※「謝罪申し上げる」は「謝罪」単体は動詞ではない上に、「ご報告申し上げる」のように慣用表現ではないため不自然です。原文の内容を伝えたい場合、「ご報告と謝罪を申し上げる」が自然表現でしょう。

時間がかかった→お待たせした

※駄目という訳ではないですが、「時間がかかった」というのは平仮名も相まって平たい表現に感じさせます謝罪である以上はもう少し硬い表現を使ってはどうでしょうか。

謝罪させていただきます。→謝罪します。

慣用表現と言えなくもないですが、「謝罪させていただきます」は「許可を求める」即ち「相手にの顔色を伺って謝罪する」のようなニュアンスを伝えてしまい、「自身意志謝罪する」という意味合いを欠くと捉えられかねない表現です。

モラルに反する→モラルに欠ける

※この使い方が昔からあり、標準的です。

自己アカウント自身アカウント

※明らかな誤用です。

3ヵ月の活動休止公式イベントも欠場、VALORANTにて活動していた全アカウントの削除、活動再開後も、作成するアカウントに関して、一年間、調査委員会による管理監視を行う→?

※伝えたいことは単語から分かりますが、主述関係が全く掴めません。

知識不足でしたら申し訳ないのですが、「全アカウントの削除」まで名詞を並べているだけになってしまい、文になっていないようにしか読めません。語順句読点の打ち方が英語のようになってしまっていますが、どのような事情があるのでしょうね。

再発防止のため、及び、今後のチームひいては→再発防止のため、及び今後のチーム、ひいては

※「ひいては」の前に読点を打たないのは不自然です。「及び」の後の読点は必須ではないので、こちらを削って「ひいては」の前に補うのが良いと思います

こちもも英語なら自然コンマの打ち方かもしれませんね。どういうことなんでしょう?

何だか英語的な表現、そして語法のミスなどが目立ちます。何故そのような事が発生するのかそれは不可能です私が推測すること

2021-09-07

anond:20210907202106

ら抜き言葉むりなのわかる

食べれるじゃなくて、たべられるだろー!とか

中田敦彦YouTube大学を見なくなった理由

ら抜き言葉積極的に使うから

まあ、彼なりにポリシーはあるのだろうけど、気持ち悪くて耐えられなくなった。

ちなみに「ら」が不要なのに、ムダに「れ」を入れるのはもっと嫌。例えば「行ける」→「行けれる」(中田敦彦は使ってないと思う)。

「ら」を抜く理由はまだ理解できるが、わざわざ加えるのは全く理解できない。殺意がわくのでやめてケロ。

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