はてなキーワード: ミノフスキー粒子とは
別に語れるほど知識もないんだけどさ。
最近ロボットが巨大で人型なメリットって何とか? 戦車じゃだめなの? とかを見て。なんだかなーって。
巨大な人型のなにかが暴れるのが爽快なんじゃないのかー!? なんて思ったりしてるんだけど。ロボットものにSF的な要素とか、科学考証とか求める人が多いんだなー。
ってのがなんかロボットものが少し元気のない理由なんじゃないのかな? なんて思ったりしたんだよね。
でさ、そういうロボットアニメにおける人型の必然性を求めちゃうのってガンダムからなのかなって思うけどどうなの?
手塚治虫のアトムや横山光輝の鉄人とか永井豪のマジンガーとかがロボットものの土台を作り上げてきたんじゃないかなーとか思う。
そんな時代を経て宇宙戦艦ヤマトの様な大人向け?SFアニメが放送され、満を持して機動戦士ガンダムとかいう戦争を描くロボットアニメが生まれた。のか?
なぜガンダムが生まれたのかとか、富野監督はどういう人なのかとかを語るきはないのだけど。多分ガンダムは当時ものすごく斬新だったと思うのと同時に必然的に出来上がった作品だろう。
アニメは子供向けかつ勧善懲悪で正義と悪を極端に線引きしてた時代があったらしい。それを何だか嫌だなーと感じてる人はいっぱいたらしく。富野さんとかもその一人で、なんでも海のトリトンという手塚先生原作の漫画をアニメ化した際に富野監督はラストをなんともいえない感じに変えてしまった。
子供だましを嫌う富野さんはアニメにリアルを入れようと、現実はそんなに単純じゃない正義と悪は色分けできない事を、まあやろうとしてたんじゃないかな?
当時を知らないのでなんとも言えないけど。
手塚先生はSFばかり描いてたらしいし、ゴジラとかウルトラマンとかの怪獣ブームもあったらしいし、永井豪ちゃんは徹底的に日本を巨大なものが破壊する漫画を描いてたし、スタートレックとかスターウォーズとか松本零次はスペースオペラ?とかを描いてて。
その流れでガンダムやろうって、ロボットっていうジャンルにリアルを入れようってなったのかな。
前置きが長くなったんだけどさ。
ガンダムがリアルだって言われてるというか、リアルロボットものって言われるのはさ。
ガンダムというモビルスーツの構造とか仕組みとかがリアルで物理法則がどうのこうので、科学考証がしっかりしてるとか、してないとか。ではないんだよね。
これは、よく言われてる話で。ガンダムのリアルは人間描写、人間ドラマの部分だ。なんて皆しってる。戦争を扱っていることとか、どちら側にも正義があるとか、ないとかであって。ロボット部分ではないと。どこかで聞いた事があるかもしれない。
たしかに俺もそう思う。20メートルの巨大ロボットが二足歩行するなんて冷静に見ればリアルじゃない。でもガンダムはそこら辺の事情を開き直ってる訳じゃないんだよな。
ロボットの扱いはあくまで兵器なこととか量産されてるとか。そういうところにリアルさを描いてるし、二足歩行や人型な理由も説明している。
例えばミノフスキー粒子とか、作業用ロボットを兵器転用したとか、宇宙空間では人型は対象物がないから大きさが分からずに人と間違えて、敵の戦艦に近づけるとか。AMBACシステムとか、頑張ってるんですよ。頑張って巨大なことや人型な事に必然性を持たせてるんだよね。後付とかもあるけど。
で、俺はガンダムって作品はロボットものにおけるいろんな部分をリアルっぽくしていこう、っていう流れをつくってしまったと思うんだよね。
より戦争という部分を濃くしたボトムズとか、現実世界でロボットを運用している雰囲気をうまくだしたパトレイバーとか、量産兵器としての二足歩行ロボットを描くガサラキとか、設定をしかり練ってSF考証をしっかりと散りばめているフルメタルパニックとか、一期は市街戦描写の多いコードギアスのナイトメアとか。
士郎正宗がメカやSF部分のリアルさを求めて、押井監督が甲殻とかレイバーとかを刑事ドラマみたいに作り変えて、カサハラテツローさんのライドバッグみたいな、ほとんどバイクみたいなロボット漫画もでてきている。
富野さんはガンダムで人間ドラマの部分をリアルに描きたかったのかもしれない。でもそこをリアルに描けば描くほど二足歩行や巨大ロボットという部分もリアルにせざるを得なくなってくるのかも知れない。
どんどん小型化していくロボット、足裏に車輪を付けて走り、ワイヤーを射出し街中を飛び回る。リアルっぽい!
あるけども、そういう方向でリアルさを求めれば求めるほど。
戦車でいいじゃん、戦闘機じゃだめなの? ミサイルでやったほうが効率よくない? なんていうロボットアニメ視聴者あるまじき突込みが返ってくる。
でもそれって当然のことで、マジンガーとかゲッターとかみたいに現行兵器よりも強いとか、エヴァンゲリオンみたいにもとから人型でしたーとか、勇者シリーズとかエルドランシリーズみたいなロボットものは、ロボットはヒーローであって、そんじょそこらのミサイルじゃなんともないぜってもんなんだよね。
でもガンダム系リアルロボット? は量産兵器であり、秘密組織でもない公の軍隊が運用している。じゃあなんで巨大でなければならないのか二足歩行のメリットは? 人型の意味は? ってなるのもしょうがないんだよ。
なんで人型なんだよ!? って突っ込みに対して、ロボットものだからって開きなおるんじゃなく。一生懸命二足である意味人型である必然性を考えてほしいよね。
俺がロボットものに求めるのは巨大感とかスケール感とかで、街を破壊し敵の怪獣を引き千切ってバシバシとなぎ倒していくようなもを求めているので、そこらへんを描写するロボットものが減ったのが悲しい。
進撃の巨人もワンピースもNARUTOも遊戯王も全部ファンタジーの世界での話なのに、
そもそもファンタジーの世界ってツッコミを入れようと思えば、際限なくできてしまう。
例えばワンピースで言うなら、悪魔の実でなぜ特殊能力が身に着くの?
etc...
作者は物語の核心に影響のあるところは考えて、作品の中で発表するだろうけど、
それ以外のところは考えても発表しないかそもそも考えてすらいない。
考えられていないところは「まあ、そこはうまく行っているってことで」という、
が、そんな数ある作品中のお約束のたった一つに過ぎない男女の役割について、
現代社会の価値観を持ちこんでネチネチ言ってるのが件の人達である。
お約束で済まさずにあれこれ理屈付けしようとすることそのものは、必ずしも否定されるべきものではない。
ガンダムのミノフスキー粒子とかはそういったファンの後付け設定だし、そういった考察が物語に厚みを持たせることもある。
作中の枝葉末節を切り取って
作品を愛する心、作品を楽しもうという心なんてこれっぽっちも持ち合わせていない。
はっきり言って害悪以外の何物でもない。
MGS3をやって「男女に体力差が無い」と本気で思うようになった人は居ないだろ。
その書き込みがどこの事か知らんが、想像するにメタルギアソリッド3に関するスレッドで、
「ボスが女なのに強すぎる、現実をベースにしているゲームなのにおかしい」と言う書き込みに対して
「別にゲームだから良いんじゃね?実際に男よりも強い女子もいるし」とレスがあったという感じで良いのか?
ゲームに限らず作品のファンは作中世界での出来事は、現実世界と矛盾していても肯定するための理屈を考えるものだ。(ガンダム世界のミノフスキー粒子みたいに。)
MGSファンは、核搭載二足歩行型戦車もダンボール箱もボスの強さもファンタジーとして受け入れていて、
そのための理屈が「(MGSの世界では)男より強い女がごく稀に存在する」という程度じゃないのか?
もし「MGS3を遊んで女でも鍛えれば男より強くなることが分かった。レスリングも男女統一で競うべきだ。」と言う発言を本気で言うやつが出たら、
いわゆる「ロボット戦争物」作品で核弾道ミサイルが使用されない理由を考えてみた。
他に何かあるかな。
たとえばガンダムの場合は「届かない(ジオン公国があるサイド3は地球から最も離れたコロニー)」「効かない(ミノフスキー粒子)」「撃てない」あたりかね。
マクロスは「届かない」「狙えない(敵勢力は艦隊なので場所を決め打ちで撃っても回避される)」、マジンガーZは「持ってない」「狙えない」で他の全てが説明可能か。
鉄人28号は「存在しない」が有力だろう。第一作目の登場が1950年代だが、最初に実用化された弾道ミサイル登場は1960年代だったわけだし。そもそも核攻撃な必要な敵役が殆ど登場しないので「撃てない」もアリか。
エヴァンゲリオンは「撃てない(使徒は基本的に第三新東京市を目指してくるので戦闘はもっぱら人口密集地帯で発生するため)」と「効かない(核兵器級の威力を持つN2兵器直撃でもピンピンしてる)」。あと使徒側に限れば「持ってない」も適用出来る。
何だか突っ込みどころや不十分な部分が大量にある気がするけど、夜勤の暇つぶし程度にはなったのでよしとする。暇なら適当にトラバぶら下げてくれ。
うわぁ・・・・
久しぶりにオタクってこういう生き物だよなぁって文章に会って感動している。
そんなのが好きな奴をオタクって言いたいなら、僕はただのマンガ好き・アニメ好きでいいや。
だって、実際の女の方が気持ちいいんだもん。
それは性的なところに行く前に笑ったり怒ったりするパターンがわからない分、自分がその人を本気で喜ばせてあげたいって思える。
でも、そういう人はオタクじゃないんでしょ?いいよ。
最後にこれを言いたいがために、オタクが指すものを狭義に再定義する。
そして、僕はそんな価値観持ってないから、僕が定義した狭義のオタクじゃないよと繋げて、自身をオタクから解放する。
そうだ、ぼくはオタクじゃないんだー。
常識的に見ればさ、素手は弱いわけよ。訓練された空手家だって、銃器はもちろん刃物にも勝てない。にもかかわらず素手で戦うキャラクタが大暴れするような描写をしたければ、相応の設定が求められる。気だの何だのの神秘的なパワーを賦与するとか、あるいは逆に武器を入手・携行できないような社会条件を置いてみるとか。
詳しくないけどガンダムだってそうなんだろ。常識的に考えれば宇宙世紀に白兵戦なんてありえない。遠距離攻撃で片付くに決まってる。でもロボット白兵戦をやりたかったからミノフスキー粒子なんて設定をもちだしてみた。
そういうふうに読者の強固な「常識」を沈黙させるために世界設定は要求される。銃でなく剣で戦うのはその世界の工業水準が低くて火薬やシリンダを生産できないから。魔法が迷信でなく本当に有効なのは、その世界では悪魔が実在して魔法使いに力を貸しているから。そうやって「非常識」な事象に説明をつけてやる。
でも現代の読者はマンガ的常識にあまりにもよく適応していて、「常識」を無視するのにいちいちエクスキューズを必要としない。か細い美少女が身の丈ほどもある大剣を振り回すのも、謎の言葉を唱えれば掌から光線が出るのも、素手が銃器や爆弾より強かったりするのも、巨大人型ロボットが格闘するのも、当たり前のこと。いちいち理由をくっつけてやらなくても読者は勝手に納得してくれる。
少なくとも商業的な文脈において世界設定にこだわりを見せ(る必要が)なくなったのは、作者と読者の間に共通コード体系が確立されたせい/おかげじゃないか。
作者側の事情として、キミとボク以上の関係性を描写することがもてはやされなくなったという、テーマ上の変遷も見る必要がある。世界というのは「ボクたち」を抑圧してきたり崩壊の危機に瀕していたりするものでしかない。行動範囲として作りこむマップは学園の中だけで事足りる。その外部には薄っぺらい書き割りが広がっているだけでいい。