常識的に見ればさ、素手は弱いわけよ。訓練された空手家だって、銃器はもちろん刃物にも勝てない。にもかかわらず素手で戦うキャラクタが大暴れするような描写をしたければ、相応の設定が求められる。気だの何だのの神秘的なパワーを賦与するとか、あるいは逆に武器を入手・携行できないような社会条件を置いてみるとか。
詳しくないけどガンダムだってそうなんだろ。常識的に考えれば宇宙世紀に白兵戦なんてありえない。遠距離攻撃で片付くに決まってる。でもロボット白兵戦をやりたかったからミノフスキー粒子なんて設定をもちだしてみた。
そういうふうに読者の強固な「常識」を沈黙させるために世界設定は要求される。銃でなく剣で戦うのはその世界の工業水準が低くて火薬やシリンダを生産できないから。魔法が迷信でなく本当に有効なのは、その世界では悪魔が実在して魔法使いに力を貸しているから。そうやって「非常識」な事象に説明をつけてやる。
でも現代の読者はマンガ的常識にあまりにもよく適応していて、「常識」を無視するのにいちいちエクスキューズを必要としない。か細い美少女が身の丈ほどもある大剣を振り回すのも、謎の言葉を唱えれば掌から光線が出るのも、素手が銃器や爆弾より強かったりするのも、巨大人型ロボットが格闘するのも、当たり前のこと。いちいち理由をくっつけてやらなくても読者は勝手に納得してくれる。
少なくとも商業的な文脈において世界設定にこだわりを見せ(る必要が)なくなったのは、作者と読者の間に共通コード体系が確立されたせい/おかげじゃないか。
作者側の事情として、キミとボク以上の関係性を描写することがもてはやされなくなったという、テーマ上の変遷も見る必要がある。世界というのは「ボクたち」を抑圧してきたり崩壊の危機に瀕していたりするものでしかない。行動範囲として作りこむマップは学園の中だけで事足りる。その外部には薄っぺらい書き割りが広がっているだけでいい。