はてなキーワード: スッキリとは
変なのは君やで
ずっとこれをテーマに書こうかこうって思ってたけど
生まれつきの認知能力の問題の話になってくるんだなって改めて思ったところ
そう思うと『なんてどうしようもないヤツだ!』とモヤッとしてた気持ちもスッキリはするが、
増田みたいな人たちが働く場所・働く方法って考えると本当に難しい話だなって思う
究極、仕事はどうでも良いにしても(ぶっちゃけ関わり合いにならないので)、
こういう人たちもセックスしたら人の親になっちゃう訳で困ったもんだなぁって思う
あとこれまた普段から「ソフトウェアエンジニアが厳しい口調になるのはプロである以上当然で、より良くするために受け入れるべき(キリッ」って言っておいて開発者擁護とかバカの極み。
もうお前ら小難しいこと言わないでハッキリ言えよ。
お湯で割るタイプのコーヒー(スカフェ ゴールドブレンド コク深め ポーション)、お湯の量でこんなにも味が変わるのか!!とびっくりした。
今までお湯が少なかったのか、クッソ苦くて全然美味しいと思えなかったが、少しお湯の量を増やしてみたらそれまであった苦味・えぐみが消えてチョコみたいな甘さが出てきた。ブラックコーヒーとは思えないくらいスッキリ飲みやすい美味しさになった。
でもよく考えてみたら、これって普通のブラックコーヒー飲んでる人からしたら、味うっすいコーヒーなんじゃないか?と思えてきた。自分はブラックコーヒーの美味しさを味わえているのか?いや、そもそも何が基準なのかもわからない。これが適切なお湯の量なのか?それともうっすいコーヒーをブラック飲めない俺が勘違いして美味しいと言ってるだけなのか?
今まで123と買ってきたがいまいちハマれない
その理由は
とかだと思ってたが、今回初めて理由がわかった
ただ酔って感じていたムカムカを感情的ムカムカだと勘違いしていたっぽい
ってことで俺にスプラトゥーンは無理なんだとハッキリ分かってスッキリした
ー完ー
自分の好きな物が世に出てから何年経っても何十年経っても叩かれ続ける事が嫌だった
毎日毎日、何月でも何年でも叩き続けて馬鹿じゃねえか頭の病気かよこいつらと思っていた
憎悪には総量があって、それを全部吐き出せば普通は叩こうなんて思わなくなるだろ?とも思っていた。何年か前までは
厳密に言うと、以前から嫌いだった物に関係する物というのが正しいかもしれない
流石に時間が経てば依然嫌いだった物も自然と好きになっているかもしれないとほんの少し思っていたけど、全くそんな事は無かった
結局以前と変わらない不快感を嫌いな物とそのファンに対して現在進行形で抱く事になった
とにかく「それ」の事が嫌いで不愉快で仕方ない。「それ」が人気を博している事も、「それ」のファンが鼻高々にしている事も何もかも気に障った
嫌いで嫌いで仕方ないのに、大人気故「それ」を嫌っている人間が少なく、悪口や愚痴を吐き出す事さえままならない。こんなにも自分にとって不愉快なのに
ある日、たまたま都合が良かったのか「それ」に対する不満を思い切り吐き出す事が出来た。自分と同じように「それ」を不満に思っている人の存在も少数ながら確認できた
凄く、スカッとした
まるで長い間我慢していたおしっこをトイレで思い切り出せた時のような…とにかく堪らない…とても良い気持ち良さだった
それまで負の感情として溜め込んでいた自分の中のマイナスをある程度返済出来たような、そんな爽快感があった
勿論そんな快感はその瞬間だけだし、その嫌いな物が消える訳ではないから不快感はまた何度も溜まる訳だけど…
この、ある程度我慢を重ねて一気に負の感情を吐き出すのがこんなに気持ちの良い事だと、それまで好きな物を叩かれる側だと思っていた自分には自覚が無かった
好きな物について思い切り語るのが楽しく気持ち良いように、嫌いな物について思い切り語るのも楽しく気持ちの良い物なのだ
こんな快感があると知った以上、こんなスッキリと出来る行為がこの世から消えるなんて事は有り得ないだろうな、と今では思う
嫌いな物なんて幾らでもある世の中だし、それに対する不満を吐き出せず溜まれば溜まるほど憎しみを吐き出した時に気持ち良くなるんだし
しかし、スポーツ選手ならお咎めなしというのがなんだかダブルスタンダードを感じさせてスッキリとしないところなのだろう。
スポーツ選手と芸能人とで求められる倫理観が違うのはなぜなのか?
「元気があってよろしい」
で済むということなのか?
それにしても彼が所属する球団はどのように考えているのだろうか。
結局のところ、この件に関してどのように判断して処分するのか(しないのか)を決めるのは球団である。
そして、その判断に企業としての倫理観が反映されていると考えるのは当然のことである。
果たして読売グループは、女性を玩具にする中絶男のことを是とするのだろうか?非とするのだろうか?
判断を待ちたい。
「日の丸君が代を国旗国歌とする法律がないからダメ」と言ってた人が国旗国歌法に反対したり
自衛隊・集団的自衛権は違憲だからダメと言ってた人が9条改憲に反対したりするのと似たような雰囲気を感じてしまうんやが
その場しのぎでゴールポスト動かしてる感というか1手先を読まずに将棋してる感というか
岸田が「じゃあ国葬法成立させます」って言ったら反対するやろ?
「日の丸君が代は国旗国歌にふさわしくない」「自衛隊は廃止し日米同盟を解消せよ」「アベは国葬に値する政治家ではない」とだけ言っておくほうが論旨がスッキリポンやないか
ネットで長く続く論争は権利の衝突によって発生しているものがほとんどで、そこに万人のスッキリした結論なんて存在せず、誰かが得をして誰かが損をする結論しかない。俺たちはみんなの最大公約数となる落とし所を綱引きしているに過ぎない。そして論争を眺めている大勢の人たちや、そもそも論争に参加している人たちですらほとんどは真の論点がどこかなんて理解していない。
であるならば、落とし所を自分たち側に持ってくるには印象を操作して論点を理解していない大多数を味方につけるのが手っ取り早い。フェミはお気持ちでしか主張しない、野党は批判しかしない、などの効果的なレッテルを貼れば、本来の論点がどこかわからない人たちが勝ち馬に乗ろうとして相手陣営を叩いてくれる。
だから世間に『相手陣営は論理的でない馬鹿』で、『味方陣営は自浄作用のあるまともな集団』だと思わせるために、相手陣営の極端な主張をする馬鹿は吊るし上げて味方の馬鹿は相手に叩かれる前に叩いておくのが一番いい戦略だし、存在しない答えを論理的に導こうとするのは無駄だと思うね。