はてなキーワード: カップ麺とは
ちゃっちい割に長生きしたよお前は
安らかに眠れ
お前はケトルだから保温はもちろんできなかった
沸騰させた後もう一度お湯を沸かす際は5分ほど置いてからじゃないと多分熱すぎて変形して水漏れするなどというおっかない仕様が取扱説明書に載ってた
確か生協だったと思うんだけどシール集めると安く買えるやつで買ったやつだった
なんか3千円切ってた気がする
沸かせる最大量が600mlだからカップ麺作るともうお茶すら淹れられないサイズでなあ
4年は使ったと思う
長持ちしたなこいつ
一昨日の夜さてココアでも飲むかとスイッチを入れてしばらく待ってたんだけどいつもする沸騰の音?が聞こえなくて
おや?と思って側面に触れたら冷たいままだったのでちょっと水替えたりコンセントを抜いたりしたんだけど復活せず
故障原因が分かるような知識もないのでこれはおしまいだなと思った
よくもった方だと思うよケトルの平均寿命は知らないけど
フライパンでお湯沸かすのが早いけどとても不便なのではやく買い換えようと思う
次のケトルも長く使えたらいいなあ
きのうはしごとはじめだった
1しゅうかんぶりのしごと
しごとちゅうはそうでもなかったけど帰ってパソコンやってたらなんかめっちゃしんどくて早めにねた
夜はしおカップ麺 やっすいぐがないやつ
とココナッツサブレ1袋全部
6個おかずはいって1000円かーってなった
からあげもどき5個とかシューマイ5個とかエビチリっぽいのとか・・・
1000円あればトライアルの割引弁当とかたくさん買えるしなー
それにカップ麺くったからそんなおなか減ってないしなーと思ってガマンした
休み中にたべるか凶かえtttってたべようと思って
でも結局塩カップラーメンとココナッツサブレでおなかいっぱいになったなー
はやくねちゃって金曜のよる 無駄遣いしてもったいなかったー
途中でトイレには起きたけど
きのうそこまでくってないのに食道になんか上がってきてる感ある
たべすぎたときにそうなるのはわかるけどさあ
まあいいや
S級 子に殺される
精神も肉体も壊される
努力でどうにもならない
A級 親に金を稼がせる
まともなコミュニケーションが取れない
人生に大きく影響
ゲームとラインしかしないため社会的前提が養われず、社会性に大きく影響
親の性格に大きく影響
C級 極度の貧困
B〜D級 一人っこ
どうしてもいざという時の頼り先が1人になってしまうのでスタートラインが後退する
子に余裕がなくなったり、恋人ができたりすると唯一の頼り先まで失い不良化しやすい
この場合他の親戚が頼れるかどうかでだいぶ変わる
B〜D級 本がない、飯が適当、汚部屋、暴力が日常、言葉遣いが汚い、昼夜逆転など
夜おきてきて一人でカップ麺くって100キロ越え、子の常識を疑う
年明けすぐに発生した能登半島の地震で、東日本大震災のことを色々と思い出した。
当時小学2年生で、地震発生時は帰りのHR中。関東でもかなり揺れて、確か震度5強か5弱か。揺れてる最中のことはほとんど覚えていなくて、隣の席の机から水筒が落ちてきたこと、その席の子は背が高く頭が入り切ってなくて落ちた水筒が頭にぶつかっていたことだけ覚えている。
そのまま保護者引渡しになって、グラウンドで姉と一緒に親を待っていた。外出中だった母はすぐ迎えに来てくれて、かなり早く家に帰れた気がする。そのまま急いでコンビニに寄って水とカップ麺を買って、ガソリンスタンドで給油して、家に帰った。
この時私はだいぶ興奮していた。
楽しいとか面白いとか、そういうのではなくて、台風で学校が休校になるとかと同じ感じ。地震そのものはめちゃくちゃ怖かったので、どちらかと言えば目が血走ってるような興奮だった。
震度5の揺れなんて初めてで、5分近く揺れ続けたのも初めてで、学校であんな切羽詰まった教頭の放送を聞いたのも初めてだった。昔の地震の記録映像とかでしか見たことないような、知識としてしか知らないような規模の地震だったから、そういう時は学校で一晩明かすとか、しばらく店が閉まって学校も仕事も休みで社会機能が成り立たなくなるとか、そういうレベルのことが起きると思ってた。
実際は普通だった。
平時に比べたら普通じゃない。コンビニで酒が落ちて割れて中身が出たままとか、30分に1回は震度3が来るとか、全然普通ではない。でも、学校も休みにならなかった。テレビも番組は違うけど放送してた。コンビニは瓶が割れてても営業してた。電車も走ってたし電気もついてたし水も出た。
すごくびっくりした。
私の中では震度5強とかはめちゃくちゃ大きい揺れで、生きていくのがしんどくなるようなものだと思ってた。でも、家の皿が何枚か割れても、タワマンのエレベーターが止まったままでも、私から見える生活はほとんど変わらなかった。
今になって考えれば、それだけ災害に対しての備えがあったんだろうな、と思う。
10年以上前だから、今と比べればその備えも足りなかったんだろう。東北では関東と比べ物にならないような揺れだっただろうし、津波では恐ろしいほど被害が出た。東北に住んでいた従兄弟は中々学校が再開しなかったという話も聞いた。
それでも、これだけ大きいと感じた揺れでも、何も私の周りは変わらなかった。親も普通に仕事に行った。私も姉も変わらず学校に行った。あれだけ興奮していたのに、非日常は存在しなかった。存在させないような日々の努力が存在しただけ。
10年以上経って、能登の地震を見て、やっとそれに気がついた。当時より発達したSNSやテレビ放送で、東日本大震災の経験が垣間見えた。日本海に近い実家にいた友人は、津波から逃れるために避難したけど、家は被害に遭わなかったと聞いた。ここは大丈夫といって逃げない家族を引き摺ってでも避難してきた、というツイートを何件も見た。
潰れた家の写真もたくさん見た。
あの時の非日常だった部分が、今こうして活きている。そう見えた。日常のままあの日を通り過ぎた私たちは、血で滲んだ教えを、そうやって生かしていく。
多分、東日本大震災をまともに覚えているのは、私やその1個下の年齢くらいがギリギリなんだろう。今の中学生はそもそも生まれてなかったと聞いて、気が狂いそうになった。全然発狂した。あの震災はもっと最近だって。
そこにあったのは小学2年生の日常でも、私はその日常を続けられたことも、私の見えない場所に非日常だってたくさんあったことも、忘れちゃいけない。
能登半島地震で被害に遭われた方々に、お見舞い申し上げます。募金など間接的な支援しかできませんが、復興をお祈りしています。