はてなキーワード: オリンピックとは
オリンピックの事務方の責任と現場や選手の頑張りは分けて考えているので
その指摘はあたらない。
トヨタのお陰で小山田の曲が流れる中入場という事態は避けられた。
辞任でなく解任ならまだ良かったがな。
どうあがいたって感染者数急増は避けられないのに、オリンピックのニュースで上書きできると思ってんだろうか?
お前らが騒ぐからCM中止という大金を無駄にする英断をしたのに、いざ始まったら楽しむことは否定しないみたいにトーンダウンしやがって。
強引にでもやっちゃえば愚民は盛り上がるという上級国民の言ったとおりになってるじゃん。
これじゃあお前らの気持ちを汲んだトヨタがバカみたいじゃねーか。
CM中止を提言した人達は社内で相当バツが悪いだろうな。かわいそうに。
今回の件は今後団体が動く際に考慮すべき重要な事例になるはずだ。
誰かが騒いでも「オリンピックの時を思い出してみろよ」と言われるようになる。
爆笑問題太田がサンデージャポンでほぼ同じ事を言ってたらしいが視聴者の誤解や反発があったらしい
この問題に関しては数十年分の複雑な文脈があって滅茶苦茶議論し辛いんだよね
ちょっとでも擁護と受け取れるような発言をしたら共犯として牙を向けられる状態だから芸能人らは迂闊に批難以外の発言が出来ない
雑誌の内容が盛られていようがいまいが「小山田がオリパラで大々的に仕事するのは不適切なのか」という最優先議題の結論に影響がないのも辛いところ
オリンピック組織委員会が極めて杜撰な仕事をして本番数日前にキャストを公開する愚行をしなければもう少し建設的な議論も出来ただろうしねぇ
第二次世界大戦中に美術や音楽など文化芸術が戦意高揚に散々利用されたよな
戦後の前衛芸術全般が、大衆を突き放すような難解な表現に傾いていったのは、
文化芸術が戦中のように政治的イデオロギーに利用されるのはけしからんという反省があったはずだよな
ワーグナーの勇壮かつ陶酔的な音楽は、ナチスドイツのプロパガンダに大いに利用された
第二次世界大戦後にクラシックの前衛派がリズムもメロディもよくわからん、何回聞いても覚えられないわけわかめな曲を作っていったのも、
大衆迎合的な、全体主義的な表現を、オリンピックで無邪気に繰り広げていた
あっ、こいつらって自分たちが携わってる表現の歴史とか何も知らないんだと虚しくなったよ
(そもそもオリンピック自体アマチュア故に意識が高いとはちょっと違うと思うけど、)
高校野球云々は個人的には実質プロのシステムの一部みたいに捉えてるわ
入場式はゲーム音楽賛否両論あるけど知らん人からしたらただのかっこいい音楽だしいいんじゃないかな。ループはもうちょい曲増やしてもよかったんじゃないかと思うが。
ドローンはまじすごい。
合唱良かった。
五輪の開会式でゲームのBGMが大々的に使用されていて好評を博していた。
世界中の選手が入場し、天皇陛下や総理なども列席するイベントの音楽にゲームBGMが採用され、アナウンサーは「日本が世界に誇るゲーム音楽」という感じで紹介していたようだ。
これ自体は文句なく素晴らしいことだし、開会式も思っていたより遙かにまともだった(事前のゴタゴタで期待値が低すぎたせいもあるが)。
しかしながら、末席ながらゲーム業界で働いている者の実感としては、なんというか違う世界を見ているような気分になったのも事実だった。
というのも、私の実感ではいつゲームが国家の一大イベントの音楽に採用され、「日本の誇り」と当たり前のように語られるようになったのか解らないからである。
思えばリオ五輪の閉会式でも当時の安倍総理はマリオのコスプレをしていた。これもまた画期的なことで、政府が世界に通用する、知名度の高いコンテンツとして実利的な観点からゲームを選択したと言うことだ。
しかし、日本政府はそこまでゲーム産業の知名度や競争力を理解しておきながら、ほとんど国家としては何の支援もしてこなかった(そして現在も特にしていない)。
クールジャパンという題目が掲げられて20年ほど経つが、その間についぞ政府の支援を受けてゲームが作られたという話を私は知らない(これは本当に無知なだけかも知れないが)。アニメ業界にも共通する、末端のクリエーターの低賃金、長時間労働は一向に解決されていない。
マリオの生みの親、宮本茂は2019年に文化功労者に叙されるまで何の政府からの表彰もなかった。人間国宝でもおかしくないだろうに。
世間の目も一貫して冷たかったはずだ。ゲーム脳等というオカルトが蔓延ったのはさすがに一昔前だが、今でもゲームというのは教育に悪いもので、映画や文学などの「芸術」とは違う、低級なモノという偏見は拭われていない。香川県では県ぐるみでゲームの規制が進行している。
そもそもゲームがお茶の間の話題になるのはせいぜい新型ゲーム機が発表されて電気屋に行列が出来たときか、任天堂からポケモンの新作が出たときくらいである。
例えば日本のゲームがGoTY(その年に発売された全世界のゲームの中で最も優れたゲームに贈られる賞)を受賞しても、それを大きく報じるのはあくまでゲームメディアだけで、一般のメディアには触れられさえしなかった。
国産ゲームがGoTYを受賞するというのは、その競争率や産業の大きさを考えれば「邦画がアカデミー作品賞を受賞する」「日本がワールドカップで優勝する」といったインパクトに匹敵する偉業といっても大げさではないと私は思う。
しかし全くニュースにもならない。ゲームというコンテンツを楽しむ人の数は映画やサッカーに全く負けていないはずなのに。
ちなみに日本は2000年代以降でもGoTYを3度受賞している。
このようにして、日本のゲーム産業というのは国から無視され、社会から蔑視されつつ、勝手に作品を作ってきた。予算の桁が一つ違う海外産のゲームにアイデアと日本独自のテーマなどを駆使してどうにか張り合ってきた。
そうしているうちに海外では評価されるようになり、今や一部の例外的なジャンルを除けば、国産ゲームの売り上げの大半を海外での売り上げが占めるようになった。
自分の認識している日本におけるゲームの立ち位置というのはおおよそ上記のようなものだ。
だから、オリンピックの式典のようなハレの舞台に唐突に日本のゲームが登場し、「日本が世界に誇る~」みたいな紹介をされているのを見るとパラレルワールドに来たような気持ちになった。
「今まで無視してきたのに都合良く利用するな」という憤りより、戸惑いの方が大きい。
競技の合間合間の茶番劇。ニュースでたいそうに選手の生い立ちからうだうだ流す茶番劇。
薄ら寒い。
各競技の世界大会は見てる人も限られるから淡々と進み競技の尺が9割を越えるのに、オリンピックは6~7割茶番劇とCM。