正直字を練習するために罫線の入ったノートであれば何でもよかったので、
ワゴンセールの品を買ってみたらロジカルノートだったというわけだ。
微妙に型番が違う。
色々宣伝文句はあるが、要するに「記入しやすさ・読みやすさ」のために
まあ確かに便利ではあるが、最終的にはユーザー側の使い方次第で色々使え
劇的にノートの効率が上がるようなものではなかった。もちろんその部分に
期待して買ったわけではないが。
本題はそこではなく、「俺、目が悪くなったな」ということだ(導入長い)。
汎用性を高めるために施された様々な気配りが老人や弱視者には届かないという。
若者向けのノート。また、自ら創意工夫する人向けという難易度高めのノート。
が、自分で工夫しなくてもある程度のところまで行けるやつ、次は作って欲しい。
ほどほどでいいんだよ。そういう方向性で使いやすさも決め打ちのやつ。
それにしても少年老い易く学成り難し。
身体機能の劣化により、知的好奇心を満たす最低限の教養の取得さえままならないこともある。
俺も40だけど分かる。なんか中高生の時の方が穏やかだった。
すっごいラクになった
Googleの期間指定検索の年月日の入力順番が、「西暦/月/日」から「月/日/西暦」に変更された。
今日気づいた。Googleの期間指定検索で終了日を「2007/1/1」とか入力したら「西暦168年」とかになってバグる。もちろん検索結果には何も出てこない。
「月/日/西暦」の順番なんてわかりにくすぎるんだよ。
いくら本家のGoogleが「月/日/西暦」を使ってるとしたって、それを地域に合わせてローカライズするのが現地法人の役目だろうが。
どっかで「新着エントリーなんて見ない。お気に入りさえ見ればいい。」というのを読んで、お気に入り登録してみたんだけど、15人くらい。全然更新されないからつまんなくて新着エントリー見ちゃって、つまんないエントリー読んで憤慨している。
その初心者とやらは誰の為に育ってんの?
何でも良いのですが、人は皆一つくらいは上級者……とまでは言わなくても初心者・にわかから脱却しているレベルの技能・知識は持っていると思われます。
「いやいや、俺はまだまだ初心者だよ」みたいなのは死んでください。そういう謙遜が真の初心者を苦しめているということを覚えてください。
で、そういう技能について、「初心者はこのくらいのことなら出来る」ってラインを想像してみたことがありますか?
恐らく、想像し難いでしょう。そうです、一度技能を身に付けた人間が身に付けてない人の気持ちになることはとても難しいことなのです。
それでも想像してください、「このくらいなら出来るだろう」と、人を馬鹿にしてるとしか思えない様な最低限のラインを。
初心者は、下回ります。初心者は、上級者から見たら驚く程に無能で、馬鹿で、無知なのです。
上級者からしたら当たり前にできることが、初心者から見たら無理で不可能なのです。
そのことを、とにかく頭の片隅に入れてください。「このレベルで想定するのは流石に見下しすぎじゃないか?」と思っても大丈夫です。
それが丁度良いですから。寧ろもっと下げても良いくらいです。いや本当にお願いします。初心者の理解に乏しい上級者が初心者の育成を阻害してるってことを理解してください。
呼んでもいないのに、また誕生日がやってきた。32歳になった。その時を大宮あたりにある自宅のワンルームのアパートで俺は迎えた。
仕事は公務員。俺は一浪で、とある無名大学に入学し、一留で卒業し、さらに卒業後に一年公務員試験の勉強をして入庁した。運良くストレートで入庁までたどり着いた奴らと比べると、3年余分に時間を食ったことになる。くそ、と思うことはいつもであるが、それでも、出身大学のレベルからすれば随分立派な就職先に入れたのでその点は誇りに思っている。なんと言っても公務員は安定している。
まあ、どこかの国も破綻しかけたし、うちの国でもメロンの有名な某自治体が破綻したりして、果たして将来も安定か?というツッコミどころもあるが、なんだかんだ自分の定年ぐらいまでは大丈夫だろう。
だべってばかりで働かない職員やモンスターなんちゃらに囲まれての仕事は決して楽しくないが、生きていくためだ仕方がない。
ちなみに、一浪した時は、実家があまり裕福ではなかったので新聞奨学生をやりながら、予備校に通った。しかし、この新聞奨学生というのがひどいもので、配達作業の時間のせいで十分に勉強時間がとれないという代物だった。今思えば、少し無理をして自宅浪人でもしてれば、早稲田や筑波ぐらいならいけたかもしれない。本当に後悔している。
容姿は良い方だと思う。中学時代はそれなりにモテた記憶があるし、男友達からも、良い方だろうという客観的な評価をもらっている。
だが、恋愛は不調だ。これまでの人生で一度だけ付き合った彼女は美人で、スタイルもよかったし、若かったし(当時23歳だったか)、あっちの方も抜群だったが、いろいろいい加減な子だったので半年ほどで別れた。結婚も考えねばという年齢だったのでそれでは厳しい。その女との出会いは、数年前から流行りの街コン。当時は友達と街コンや婚活パーティーに出かけて出会いを求めていたが、そこで一度だけうまくいったのがその女だった。
と、それが二年ほど前の話。そう。今、俺の心を占めているのは結婚への焦りであり、結果として婚活が自分のプライベートの時間の多くを占めるに至っている。婚活もいろいろやり方があると思うが、今の主戦場はスマホの婚活アプリだ。
婚活アプリでは、それぞれ自分をPRするプロフィール写真や文章を登録し、男女共々、異性のそれを見ることができる。気に入った相手がいれば「いいね」する。「いいね」されると、された相手には通知がいき、運良く相手も気にいって、「いいね」を返してくれたら、晴れてチャットができるようになる。あとはいかにうまく口説いて、「面接」に持ち込めるかだ。
「面接」というのは婚活用語である。婚活アプリでは、チャットをいくらか続けたあとに、アポをとりつけて相手を食事に誘い、そこではじめて相手と対面する。そして相手の容姿や、学歴、職業、コミュニケーション能力などを見る。これがさながら企業における採用などの面接に似ているから「面接」などと呼ばれるのだろう。採用活動における面接ではおおむね企業側が一方的に見るものだろうが、婚活における「面接」では、お互いがお互いの値踏みをする。従って、当然ながら、「面接」に望む時の洋服には十分気をつけなければいけないし、会話を弾ませるよう自分の話術を最大限駆使する必要がある。そうでなければ、二次「面接」、三次「面接」には進むことが出来ない。お祈りメールを待つのみである。
俺が将来の伴侶に求める点は大きく、1)友達が羨ましがる容姿、2)自分よりも高学歴、3)結婚してもちゃんと働いてくれる人、4)性格がまとも、5)年齢は31歳まで。若いなら若いだけ良い、の5点である。特に1)2)5)は重要だ。なぜかって?それは他人に羨ましがられる嫁が欲しいからだ。俺は正直に言って、自分に誇れるものがない。大学へは小学生時代から続けていたスポーツを極めたくて入学したが、結局自分には才能がないことを痛感した。プロなんて夢のまた夢だ。誇れることは、せいぜい、公務員になれたことぐらいである。これがなかったら、ぶっちゃけ、ただのクズなんじゃないかとすら思う。だからこそ、婚活では一発逆転したい。
実際、俺はかなり婚活に入れ込んでいる。中毒といってもいいかもしれない。平均で週に2回程度は「面接」をしているし。婚活アプリも4つ程度を同時並行で利用している。
金もかかる。課金額は月にそれぞれ5000円程度だ。「面接」にだって金はかかる。飲み屋でディナーとなれば、安くても一回4000円は飛ぶ。もちろん支払いは男持ちだ。男女平等が叫ばれる昨今であるが、婚活では関係ないらしい。交通費だって地味に痛い。
トータルで「面接」した人数は50人はくだらないと思う。しかし、未だに婚活は終わっていない。
俺が求めるレベルの女には、一次「面接」で切られてしまう。そのレベルに達していない場合だと、付き合うところまでいけそうということも何度かあったが、どうしても本気になれず、最後まで続かない。
もう本格的に婚活をはじめて3年になる。最近は、周りの友人なども結婚しているやつが多くを占めてきたし、子供ができたというのもFBなどでよく見かける。そういうのを見ると、自分は何をやっているんだろうと思う。俺はちゃんとした家庭を持つことが幸せの重要な要素だと考えているので、何のために生きているのだろうという思いにかられることもある。「面接」がうまくいかないのはコミュニケーション能力が低いせいもあるのだろう。そういえば、うちの親はどちらもコミュニケーション能力に乏しい。遺伝なのか育った環境の問題なのか。くそ。
いや、ブコメだけ読んで、いつも憤ってる人とかネガティブな人とかブコメ間で内紛してたりとかそういうのを見るのが楽しいんだけど。
なんかifとかforとか使えば色々できるっぽい?ってことまではわかったんだけど
サイトからAPI取得して情報をソートして云々ってのがやりたくて二年以上掛かったけど
未だに答えに辿り着けない、調べても難しい単語ばっかでよくわかんないし
「世の中を荒らしてる奴らって本当にろくでもないよね」と口にしながら自分が世の中を荒らし回っている連中は死んだほうがいい。
この世の悪の本質だ。
純粋な悪はやがて裁かれる。
だが善の皮をかぶった悪は社会が持つ自浄作用をすり抜けていきいつまでも世界に毒を撒き続ける。
滅びろ。
死を持って償え。
いらなくない?ていうか邪魔じゃない?
特に2.5次元系の舞台行くと絶対近くの席にぬいぐるみ持ってる人いるんだよね。
昔はダッフィーにキャラの衣装着せたのが多かったけど、最近はキャラのぬいぐるみ持ってきて膝の上に載せて観劇してる。キモイ。
いい歳した大人がなんでぬいぐるみ持ち歩いてるの?いや、ぬいぐるみ持ち歩いてること自体は気にしないとしても、なんで舞台観るときに持ってきて膝の上乗せてんの?
それでTwitterに「○○ちゃんと一緒に観劇~♡楽しみだね~」とかもう意味が分からない。無機物に魂を求めてるの?
偏見が含まれてることわかって言うけどさ、ぬいぐるみを持ち歩いてしかもそれに話しかけてる大人って傍から見ると怖い。精神に異常をきたしてる人かと思う。