若くて優秀な人材が失われて悲しいという話は裏返すと無能なカスは死ねということなので我々はそれらに断固立ち向かっていくべきなんだけど立ち向かうような人間じゃないから無能なカスなんだよな。
http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/touch/20161008/1475969676
全体的に意味がよく分からないけれど、最もよく分からないのは「補償」という言葉の使い方である。
「補償」とは、例えば「損失を補って、つぐなうこと。特に、損害賠償として、財産や健康上の損失を金銭でつぐなうこと。」と定義される。
http://dictionary.goo.ne.jp/jn/203982/meaning/m0u/
冤罪に関して「補償」という言葉が出てくる場面としては、憲法40条に定められた刑事補償請求権がある。
件の記事における、死刑反対派が冤罪を持ち出す理由として補償の不可能性をあげている、という趣旨の文章の「補償」も、上記の意味で捉えて意味は通る。
しかし、「たいていの死刑反対派は、犯罪被害者への補償を軽視しているつもりはない。むしろ、必ずしも被害者は加害者への重罰を求めないのに補償として成立するのか、といったことを考える。社会的な補償が不充分ではないか、被害者の応報感情を満足させるという単純な方法で逃げていないか、といった主張すらされる。」あたりから意味が分からなくなってくる。
加害者が重罰を受けるか否かは、被害者への上記の意味での補償とは関係がないし、社会的な補償というのも意味が分からない。
善解すると、罪を償うというようなことが言いたいのだろうか。
「死刑囚の冤罪が判明した時、判決をくだした裁判官らはもちろん、死刑賛成派が死刑になる」ことは、死刑になった冤罪者への補償になる、というのも、上記の一般的な「補償」の意味だと考えると、意味不明である。
お金をあげるから20〜30年刑務所に入ってね、と言われて承諾する人は、そう多くはないように、懲役(特に長期のもの)に対して金銭で償いきれるものではない。
金額が非常に高ければ解決できる可能性はあるが、冤罪による懲役刑を受け、(受刑中又は受刑後に)本人が死亡し、その後に冤罪だと判明した場合、補償は不可能である。
この場合、記事中の論理だと、判決を下した裁判官らはもちろん、懲役刑賛成派を懲役にしなければいけないのではないだろうか?
一般的な意味での補償が不可能、ということが言いたいのであれば、単にそう言えば良いのに、独自の定義で「補償」を使っているのでいたずらに議論を混乱させているだけのように見える。
もしこの日本が人権を蹂躙し、人件費をダンピングし続ける形でしか企業がその価値を維持できないくらいどうしようもない状況であるとするならば、なんと劣った国なのだろう。
個人やご家族の幸福の基盤の命を手放す状況が発展した国の実態であるとするならば、一体何のための社会なんでしょうかね。
かつては戦後の荒廃からの復活のため、次の世代によりよい生活を作っていくためにみんなが頑張ったわけですが、これからはなんのために個人はモーレツ社員を続けるのでしょうか?資本主義のため?
ブログ上のこととは言え何であそこまで強く明るく振る舞えるのか。
まあそれも間違いではないだろう。
ただ、誰かに支えられてこその強さというより自分の内側から沸き上がってくる強さの気がする。
多分小林麻央って人生を通して(特に思春期や学生時代)家族や友人から常に愛されながら生きてきたんじゃないだろうか。
顔中にニキビができてちょっとブサイクになってしまったときも、リレーでバトンを落として自分のせいでクラスが最下位になったときも
責め立てる人間などいなくて、周りの人みんなに(特に男から)相当優しくされてきたんだろう。
そんな中でどんな状況でも自分を嫌いにならない精神が形成されたんだろう。
人ってなかなかこういう自分と向き合って素直に愛したりできないものだけど
それはあえて悪い言い方をすれば悲劇のヒロインに堕ちてしまったその状況さえ楽しんでいるのかもしれない。
いや、ガンで余命いくばくもない状況を楽しんでいるってのは失言だった。
ネット上じゃブログは小遣い稼ぎなんて言ってる人もいる。死後書籍化で稼ぐんだろうという意見もある。
だけど普通に考えて、もうすぐ死ぬ人間が(もちろん回復を祈ってはいるが)小銭のために髪が抜け落ちた自分の写メなんか晒せないよ。
パチンカスとか言われそうだけど、遊びでパチスロ打つのが趣味です。
今日仕事だったんで、帰りにちょっと新大○保駅前のチェーンに寄りまして。
色々見てると偽物語のaタイプで、それなりに確率がいけてるのがありまして。
高設定なんて信じてないけど、回ってない台には座りたくないので、この台に座りたいなーとよくよく見ると、
つきひフェニックスで画面止まって、あぁ要するにチャンスね。下皿にはフリスクとメダル数枚。
明らかに嫌がらせの放置なんだけど、10分タイマー動いてたみたいなので、ぼけーと待つことに。
ただすぐ待ち飽きたので別の台ペシペシしてると、店員が放置した台でゴソゴソ。
まぁ意地で待つかなと他の台で待って10分。
別に打ちたいわけでもなくなったんだけど、ものすごくモヤっとした話。
またしばらく行かなくていいかな。
今日は京都水族館ですわ。昨日と今日は夜の延長営業でしたわ。夜の水族館は卑猥な言葉だと思ってた時期がわたくしにもありましたですわ。
京都から徒歩で行けるスタイリッシュ水族館ですわ。そのわりにイルカショーがフレンドリー系でしたわ。
入口すぐのオオサンショウウオが素晴らしかったですわよくあるオオサンショウウオの展示水槽よりかなり大きな水槽で隅っこの方に積み重なっていましたわ。前に来たときもこんな感じでしたわ。
案外小さいですけど都会だとこんなもんですわ。
今日のデトックスペンギンはケープペンギンですわ。もう暗くなってて手前のしかよく見えませんでしたわ。でもここのペンギンはいつもガラス手前にも結構居るようでわりと見れましたわ
全体的に照明で青かったですけど鯖は居ませんでしたわ!
スーパー銭湯に行った。
エレベーターで小学生くらいの子供が、降りる人を待たずに乗り込んできたのが気になった。
風呂場で、幼稚園くらいの子供の髪が湯船に浸かっていて、親なんとかしろよと思った。
外国人がお風呂のかけ湯の吹き出し口からお湯を飲んでいた。目を合わせて首を振った。
化粧台に髪の毛が散らばっていた。
年配の男性が、全てのお客様にお通しを提供していますという張り紙の前で、お通しを断っていた。
仕事のストレスかと思ったが、いつものようにビールの喉ごしは最高で、フワフワした卵焼きは天国の食べ物だった。
酔った頭で気がついた。
私、ババアになったんだ。
いわゆる「明るい奴」を見てると本当に羨ましく思う。
ただ単純に、生きていて楽しそうだから。
もちろんそういう人達だって1人で思い悩んだりすることはあるんだと思う。
でも、ただ単純にそういう明るい人たちのほうが自分より人生楽しそうなのだ。
人生経験の中で、自分の性格が少し明るくなったりということはちょくちょくあったけど、それでも自分とその人達の間には決定的な差があるように思う。
明るい奴暗い奴居る中で、なぜ自分が明るい奴ではなかったのか、とふと思うことがある。
どんなところが好きなの?
スーパー銭湯に行った。
エレベーターで小学生くらいの子供が、降りる人を待たずに乗り込んできたのが気になった。
風呂場で、幼稚園くらいの子供の髪が湯船に浸かっていて、親なんとかしろよと思った。
外国人がお風呂のかけ湯の吹き出し口からお湯を飲んでいた。目を合わせて首を振った。
化粧台に髪の毛が散らばっていた。
年配の男性が、全てのお客様にお通しを提供していますという張り紙の前で、お通しを断っていた。
仕事のストレスかと思ったが、いつものようにビールの喉ごしは最高で、フワフワした卵焼きは天国の食べ物だった。
酔った頭で気がついた。
私、ババアになったんだ。
だから記念に書き込むことにした。
サークルの中で好きだった女がサークル内の複数の男と関係を持っていたのが公になった。
しかしそれでもまだ彼女のことが好きな気持ちと自分だけ全く相手にされてなかったという事実を知って
頭の中がいろんな感情でぐちゃぐちゃでわかがわからなくてどうにかなりそう。
【追記】
>その娘さんは自分のことを好きになるような男は嫌いなタイプのビッチなのかも知れないよ
(自分が恋人になれるかどうかは置いといて)彼女は自己評価が低いタイプなのでまさにこれだと思います。
>増田は彼女にしたかったのかただヤりたかっただけなのかもいっしょに考えとき。
知り合って3年くらいかな?お互いいろんなことを話して関係を持ったとされる人たちよりは仲が良かったと思うし
自分ことをこんなにも受け入れてもらえたって気になって精神的に満たされてました。
お祭り中で入館料100円(通常は300円)、福引きができました。
上から6番目、下から1番目に良い景品のポストカードが当たりました。
美濃陶芸の明日展(あすてん)として現地の若手陶芸家の作品が特別展示されていました。
「せんぱい」と「ふれっしゅ」に分かれて別の部屋におかれているのですが、
二つの間の展示室には巨匠、荒川豊蔵のコーナーが存在していました。
創意を表に出さざるを得ない若手作品をみた後の
しぶい荒川豊蔵コーナーでは思わず「いいしごとしてますわね」と呟きました。
巻物に墨で書かれた彼の作品論も興味深くて、
「古いものに名品が多いのは時代を通じて淘汰されているからで、
直感を信じることの勧めには銀と金の美術商編を思い出しました。
「あすてん」では単色の陶磁器に無数の小さな穴をあけた新里明士氏の作品に
やはり存在感があります。この方の作品は各博物館に長く展示される気がします。
時間のかかる緻密な仕事ができる精神に作品を通じて触れることで、
ふれっしゅ部門では白木千華氏の壷に魚をたくさん張り付けた作品がユニークで魅了されました。
鯖もいたと思いたいですが、魚がカラフルすぎたので怪しいです。
後、常設展示の総織部の茶碗が気に入りじっくり眺めました。
ひ色が混じったこの茶碗のわびがなかなか出せていないように感じます。
ひたすら眺めたところ胎土も赤色のようでした。
総織部と言うのでしょうか。
休憩コーナーにはへうげものの全巻がおいてありました。
横だけど、なんでそんな事をしたのか気になるわw
好きなことを伝えて、相手もじぶんを好きなのがわかって
あぁおたがいにすきだなぁっていう
そんなあいてに
すきだからいろいろきみのことで考えるのだよって
こんなこととか考えちゃうのだよって伝えて
そんなことも喜んでくれるのって
そんな土曜日を思い出す
そんなそんな日曜日
そんなにちようび
それで何故なのか、長年考えたんだけど
やっぱり「肘の重さ」が一番だと思う
そうなったとき、もたれ掛かるタイプの椅子ではどうしようもない
(普通の椅子のタイプはリラックスしづらいから、今はリクライニングチェアを使っている)
もちろん動画鑑賞などのときにはもたれ掛かるタイプの椅子で良いんだけど、仕事などの作業をする際は
しかも椅子についている肘置きではダメだ、その先にキーボードがない
結局「リラックスモード」と「仕事モード」で環境を分けるしかないのかもしれない
もしくは、リラックスした腕をおろした状態でPC操作ができれば最高なのかも
___
追記
ちょっと伝わりづらいところがあった
リクライニングチェアのようなもたれかかるタイプだと、机と肘が遠くなるのが問題
無理やり介護用ベッドについてる机みたいなので肘を置くことはできると思うが
あと机が邪魔で起き上がりにくくなる
今度模様替えのとき色々工夫してみたいな