いい大人が、悪気がなければ何やっても許されると思ってそうなのがイラつくんだよ。
自分なんてどうせ誰からも好かれてないし、仲良くしてくれてても皆に対してそう振る舞ってるだけだし…って、卑屈に歪みすぎだろ。
辛いから、苦しいから自分は完全に被害者だと思ってるんだよね。
その被害者ぶってる無神経な態度が、周りの純粋な人たちを加害者に仕立てあげていることに、向けられている好意を無碍にしているということに、自分が誰かを傷つけてるという可能性にも気づかずに。
嫌われていると思っているなら、どうして自分から近づこうとするの?
近づいた以上は「あなたを友達だと思いたいんです」ってアピールと取られることまで、ちゃんと責任取れよ。
あるいは周りからの好意に無自覚すぎて苦しむ悲劇の自分を演出したいだけか?
さすがにそこまでいやらしい人だとは思いたくない。
35年後までローンは払えないけど家賃なら払えると思ってるのは何で?
賃貸と同じ広さでいいなら、ローン組んだ方が安いし。
それに、そこに住めなくなった時、持家は払った分の幾らかは戻るけど、
払った家賃は100%戻ってこない。敷金がちょっと戻るだろうけど。
だから、この手の人が35年縛りとかローンが終わるまで…とかそういう話をするのもよくわからん。
確かに、最初の10年ぐらいは銀行に払う手数料だとか、返済もほとんど進んでいなかったりで
売り払ってもローン完済できず、損をするかもしれない。
逆にいえば、家を買うリスクってのは最初の10年以内に手放す羽目になった時が
問題なんであって、それ以降は特に損することなんてないと思う。
ちなみに10年っていうのは適当な数字。でもたぶんこれくらい。
あ、新築で家に金かけた場合は別ね。建物の評価額は20年ぐらいで0に近づくし。
同じ理由で、地方で土地が安くて建物の値段が総購入額の8割を占めたりするのも想定外。
知人(あえてこう書かせてもらうが)に1人いる。
表題の件も意味不明だが、あとは友達の定義にやたらこだわって悩んでいるのもよくわからない。
自分が相手と仲良くしたいと思っていて、相手もそれに応えてくれてると感じてたら友達、で良いんじゃないのか。
友達ってわざわざ相手に確認取らないといけないのか。自己満足の思い込みでも良いじゃんと思うんだけど。
人に見える場所で「友達いない」と言うが、あなたの周りに集まってる、あなたに好意を持ってくれてる人たちの姿は目に入ってないのか。
7年間片想いしてるうちに、どんどん歪んでいった。黒くなっていった。もはや獣欲しか残っていないような気がする。それでも執着がなくならない。いっそのことどちらかが消えればそれでどうにかなるんじゃないか、とも思うんだけど、残念ながら環境のせいでそうもいかない。いいかげん断ち切りたい。脳の一部を切除して記憶を消去する手術を受けたい。なぜ目の前に相手がいるんだ。なぜ自分はここにいるんだ。どうにもならない。本当にどうにもならない。
今年の干支も思い出せないなぁ、これは俺が年賀状を1枚も書いてないからだと思うけど
自分の年齢を思い出すのにも苦労する
君の考え、面白いね。
でもそれって、「人類の大多数をサイコパスが占め」たようなときに、その人類が「社会」を維持できればの話だね。
サイコパスは反社会的振る舞いをするような人格障害であるとする定義(Wikipediaさんによれば"defined as a personality disorder characterized by enduring antisocial behavior, diminished empathy and remorse, and disinhibited or bold behavior")からするとそれは不可能だろうね。別の定義かもしれないからそれは教えて欲しいけど。これにもとづけばサイコパスが人類の大多数を占めたならばその瞬間から人類の文明社会は崩壊していくという帰結が予想されるな。インターネットとか使えなくなるよ。もしくは別の可能性としては、大多数を占めた瞬間からサイコパスの社会化が起きる・・・すなわちそれは元の定義からすればサイコパスでもなんでもなくなりそうだなぁ。ご苦労様。
ここらへんでおれもMacの昔話を書いてみよう。
おれが最初にMacintoshに触ったのは、91年の4月だった。配属された研究室にMacintosh IIsiがあったのだ。OSは、漢字talk6.0.7.1だったように思う。
このころのソフトウェアに対するユーザーの意識はひどいもので、不法コピーがあたりまえだった。今だから、そして、おそらくどの研究室なのかばれないと思うから書くが、使用するソフトはすべて出所の怪しいものだった。
エクセル、マックライトII (Iを使っていたという話を聞いたことがない。マイナーだったのだろうか)、マックドロー、クリケットグラフ。コピーでなかったのはテキストエディタと端末ソフトだけだったのではないか。
その使い勝手はとにかくすばらしかった。マックライトIIの威力は、学会の要旨(一段組と二段組が混在すると当時の一太郎ではプレビューしないとま出来栄えがわからなかった。WYSIWYGという概念がなかったのだ)を書くときに思い知った。
それに貼る図は、クリケットグラフで書き、マックドローで修整してから貼り付けていた。これがほんの一年前には、一太郎で書いた要旨に手書きの図を貼り付けていたという。物理的にセロテープで貼っていたのである。
…だが、それでどのくらい時間の短縮になったかというと、実はかなり微妙だった。そう、爆弾マークが出るからである。
当時は何をやっても爆弾マークが出た。日本語入力と英語を切り替えても出たし、ソフトを切り替えるときも出た。放置しているだけでも出た。ひどい時は、セーブしようとしたら出たときもあった。いったいどうしろというのか。
使い始めてすぐ、漢字Talk7が発表になった。なんだかもっさりして、爆弾が出る比率もそんなに替わらない印象があったが、漢字Talk7.1に糸井重里がつけた愛称「おにぎり」はあまりにださすぎるので今でも忘れられない。そんな名前で呼んでるやつ一人も見たことないよ。
それとほぼ時期を同じくしてMacintosh classicやLCが販売されるようになった。classicは1000ドルパソコンといわれ、貧乏学生のおれも思わず買ってしまおうかと錯乱するほどの魅力的な商品だった。もっとも日本では二十万円台後半だったように記憶している。
LC系やclassicは順当に性能向上を繰り返していたが、ハイエンドはひどいもので、92年にはCDーROMを搭載したMacintosh IIviというモデルを発表しているが、これはなんとMac IIciよりCPUのクロック数が低く、CDーROM(当時はまだ使い道がなかった)を搭載したため無駄に馬鹿でかく、もちろん定価もすごく高いというしろものだった。
「これを買うくらいならLC系を買うよねー」という人がおおかったのかMacintosh IIviは売れなかったので、数か月して価格が改定されたらしい。らしい、というのはそのころパワーマックの噂が出始めて、68系のハイエンドマシンへの需要はかなり減少していたのでおれの記憶もあやふやなのである。
そして94年になると、いよいよパワーマックが発売されるのだが、これがまた遅い、高い、馬鹿でかいという端にも棒にもかからない代物であった。
その他にもレーザーライターNTX-Jがなんと定価120万円で発売されていたり、フォント関係のライセンスのひどさはちょっと混沌としていすぎていた。
まあ、色々と書きたいことはあるのだがおれはおじさんであるのでここらへんが体力の限界だ。
誰か有志がおれのあとを継いでアップルのこっちの足元を見たぼったくり体制を批判してくれ。
それではおやすみなさい。
Linux信者がWindows嫌う理由ってなんとなくわかるよ。
俺もハスケルとかOCamlとかWindowsで使おうと思ったらろくに使えなかったし
でも、それってWindowsのせいじゃないじゃん。
これらはサードの開発したソフトであって、使い物にならないのはそれらの開発者のせいでしょ。
(俺はわざとWin版はクソに作ってWindowsの評判を落とす工作だと考えているが)
MSはWindowsの公式開発ツールとしてVisualStudioを提供してるじゃん。
ここまで優れた開発ツールを提供してくるOS開発者が他にいるか?
マルチプラットフォームといいつつWinでは実質使えなくしている開発者どもの実力不足が悪いとしかいいようがない。
結局、Linux信者の文句ってWindowsユーザーがLinuxでC#使えないからクソって言ってるのと同じくらいの馬鹿馬鹿しさなんだよね。
Windows信者にはそんな馬鹿はいないし、まともな知能を持っていれば馬鹿げたことだとわかるので
Windowsを貶めるための過剰反応した工作でしかないとはっきりわかんんだね。
F#ってMS版OCamlなんだけど、数年前Linux信者のニワカどもががOCamlをベタ褒めしてたけどF#には誰も触れなかったw
デリヘルで嬢に素股してもらってたんだけど、気が付いたら生で挿れられてた
「挿れちゃった、内緒だよ」って耳舐められながら囁かれてキスされながらガンガン腰振られてイカされた
童貞ちょろいよね、挿れられただけでその嬢のこと好きになっちゃったよ
むしろ「首相がいいとも出演」っていうのは囮なんじゃないか?そうやって大衆の目をひきつけておいて何か重要な事を裏でやってるんだよ。「何か」がなんなのかは知らんけど。
なんか、どう見ても国民のご機嫌取りしてるようにしか見えない。
三月いっぱいで国民的長寿番組が終わるというのもあるんだろうが、小泉の示した前例のように、電話で済ませたって良かったろうに。
たまたま昼飯食ってたらテレビに映ったので見たけれど、バラエティ出てタモリとぎこちない会話してないでさ、だいたい国会会期中なんだろう?
そんなヒマがあるんだったら、増税を少しでも軽くする方法を真面目に考えて欲しいなあ。
首相の仕事はバラエティ番組から国民の皆さんに挨拶する事じゃないだろう?
「長寿番組の有終の美を飾りに永田町からもやってきました」てアピールする事じゃないだろう?
エグザイルから贈られた花輪を見て「私エグザイルと食事した事あるんですよ、晩餐会にゲストで招いて」とか言ってる場合じゃないだろう?
せめて選挙の前の時期とかだったら、「ああ得票に大変なんだな」と思えるし、まだ微笑ましいで片付けられるんだが、
消費税増税前、しかも国会会期中にわざわざお昼のバラエティ番組に出るとか、それはもうちょっと笑えないと思う。
あの時も首相が迂闊な現地視察のような行動をとって制御不能の危機に瀕した原発の現場を混乱させたり対処を遅らせたりしたよな。
もちろん菅と安部では首相としての評価も全然異なるだろうが、それでも安部が何やってもいいって事にはならないし、ましてや賛否両論百出する事が想定され得る行動なら、そもそも選択するべきではないとは思わないのか?
そもそもちゃんと国民の事を考えているのか? 庶民や苦しい生活をする人々の事を、たった3%のちっぽけな消費税増税の負荷が生活にもっともかかる層の事を本当に考えているのか?
「笑っていいともは国民的番組、国民的番組」て免罪符のように連呼していたが、国民的番組の最終回付近にゲストとして首相として出ておく事が、すなわち国事を考える事にはならないんだぞ?
この年度末に家やら車やらばんばん売れているけど、それは大勢の金持ちが金を吐き出しているのではなくて、たった3%の値上がりを許容できないレベルの貧乏の裏返しでしかないんだからな?
まとまった量の文章を一気にかけなくて、必ず箇条書きからはじめてる。
この文章書くのにすら、項目入れ替えたり消したりを繰り返してる。
意味のある文章になってくれない。
昔の人はすごいな。アンドゥもコピペも手書きじゃ出来ないしね…
文章だけじゃなくて、電話する時も
話しながら伝えたいことをうまくまとめられず、
「…何行ってんだこいつ?」って反応をされてしまう。
マインドマップで必ず話の内容をまとめてから電話するようにしてる。
そんな事してる人あまり見かけないし、
高知新聞:高知のニュース:社説:【国会後半へ】安倍カラーにこだわるな
http://www.kochinews.co.jp/?&nwSrl=317424&nwIW=1&nwVt=knd
しかし「国のかたち」の大転換となる安全保障政策を、こうした性急なやり方で決めるのは許されない。国会で堂々と議論し国民的関心を高めていくことが先決である。
週末に酒飲みながら、あーだこーだ書きなぐられた増田みるのもいいもんだよ。
まあ、難しいよね。引かれたり、場の空気壊してもアレだしね。
また何か言いたくなったら増田においでよ。