はてなキーワード: 千円札とは
一緒に飲みに行ったのも白木屋だったな。
「俺はいつか生命科学者になってCNSで一報取ってアカポスに付くんだ」
お前はそういって笑ってたっけな。
「もうすぐ結果が出そうなんだ。これでウチの研究室からCNSが出せるぞ」
「お前も院に進めばよかったのに。専門知識を使わずに就職なんてもったいないぜ」
そういうことを目を輝かせて語っていたのも、白木屋だったな。
あれから十年たって今、こうして、たまにお前と飲むときもやっぱり白木屋だ。
ここ何年か、こういう安い居酒屋に行くのはお前と一緒のときだけだ。
別に安い店が悪いというわけじゃないが、ここの酒は色付の汚水みたいなもんだ。
油の悪い、不衛生な料理は、毒を食っているような気がしてならない。
なあ、別に女が居る店でなくたっていい。
もう少し金を出せば、こんな残飯でなくって、本物の酒と食べ物を出す店を
いくらでも知っているはずの年齢じゃないのか、俺たちは?
でも、今のお前を見ると、
お前がポケットから取り出すくしゃくしゃの千円札三枚を見ると、
俺はどうしても「もっといい店行こうぜ」って言えなくなるんだ。
使えない粗大ゴミ扱いされて、それでも必死に卑屈になってテクニシャン
続けているのもわかってる。
だけど、もういいだろ。
十年前と同じ白木屋で、十年前と同じ、叶う当てもない夢を語らないでくれ。
そんなのは、隣の席で浮かれているガキどもだけに許されるなぐさめなんだよ。
Togetter - 「カオスラウンジ騒動に対する、東浩紀と村上隆の対話。」
http://b.hatena.ne.jp/entry/togetter.com/li/151267(はてブ)
この梅ラボ関連の話題は、東浩紀の言うように、かなりめんどくさい。でも、思ったことをまとめていこうと思う。
なんというか、周期関数かとツッコミを入れたくなるぐらい同じ話題が繰り返されているような気がしますが、こういう創作に関しては、原則として「やっていけないものはない」という前提があります。
極端な例示をするなら、「無差別殺人をしてその血をテンペラ画のように塗りたくって、最後にその包丁を突きつけなければ作品が完成しない」として、じゃあ人を殺してはいけないか、ケチャップじゃいけませんか、というとそうじゃない。
人を殺した代償として裁かれるのであって、人を殺していけないわけではない。
つまり、量刑と藝術を天秤に掛けて、藝術の方に重きがあるなら殺しても仕方がないでしょう、殺された人には気の毒ですが。やっぱり刑は嫌だな、となれば別な作品を探すしかないでしょう。
つまり、何次創作を作るにせよ、著作権なんて屁じゃねーよ!っていう無敵の人にとっては「著作権違反だ!」も「愛がない!」も説得力ゼロなわけです。まあ私自身も、ああいう手法を以て「誠意がない」とか言う批判は正直アホだと思ってます。
繰り返しますが、著作権は明らかに違反していますよ。あとは訴えられるかどうかです。そして、その訴えられたかどうか、刑に処されたかどうかというのは、作品評価の是々非々とは一切無縁だということです。
むしろこの騒動自体は、騒げば騒ぐだけ大成功ということになりますし、私はもう成功したとみなしています。ふたばがどうだ4chがどうだというキメこな起源の文脈はあまり本質ではありません。
たとえば、まあこういうところで引き合いに出されるだろうものとしてマルセル・デュシャンの「泉」があるでしょう。男性用小便器に署名だけして出品したあれです。
今同様のことをするなら、それに小水でも引っ掛けて署名の代わりとし出品するでしょうか、もうされたかな?
作品に関して端的な説明とデュシャンの人となりはここが短くて分かりやすいかと思いますのでどうぞ(http://www.cc.kyoto-su.ac.jp/~konokatu/nakaoku(06-7-31))←括弧付き年月日までURL
そしてもう一人、アンディ・ウォーホルも取り上げるべきでしょう。Togetterまとめの中では、鶉アイコンが今作とウォーホルとを態度の違いで「同列には語れない」などとアホ臭いことを語っておりますが全身全霊をもってスルーしてあげてください。(ウォーホルの言う「表だけを見てください」というのは、裏がないことを意味しない。逆もしかり)
今回の騒動は明らかにこういった系譜の延長上にあります。ゆえに、「もう面白くない」というのはまっとうな言い分であると私も思います。デュシャン以降、何が独創性たりうるのかという問題を突きつけられた芸術家達は、常にデュシャンを意識せざるをえないのです。あの藝大アカデミズムからの反動ガチ保守な村上隆さえも。
このキメこな騒動(そもそもキメこなが使われてるのは一部なんですが)以前にも、近い話題としてChim↑Pomのいわゆる岡本太郎の絵画に添えつけた「原発アート」の話題がありました。
これも同じく私は成功したとしている(というか基本こういうやり方もある、という人が界隈では多いのですが、社会との関わりもあって留保的な回答にせざるを得ない)のですが、権威を借りただけだどうだといろいろな反響がありました。
しかしながら、こうもたてつづけに同じような反応を見ていると、何かを感ぜずにはいられません。
藝術と法律というのは別レイヤーで処理されるべきものであり、例えば貨幣偽造にしても千円札裁判のようなものは、法律で裁かれるのはともかく、「裁かれたのだからこれは藝術ではない」と看做している人が一定数存在するような気がしてならないのです(すなわち、同じレイヤーとして法律>藝術という階層がある)
そして著作権違反だという申告をする人々らは、おそらくその人が裁判にかけられるということそれよりも、「こんな表現が藝術として認められるわけがないから、法律で裁いて非芸術にしろ」という動きのようにも見えるのです。
それ自体はひとつのリアクションなので、どうということはないのですが、様式美にハマっているような気がしないでもないです。
(まとめ中で村上隆が「赤瀬川原平との呼応は矮小化だ」とこきおろしてますが、彼は矮小化の意味をわかっていないのではないでしょうか?あるいは、本質であるところを意図的にずらして矮小化を捏造しているのだろうか?もっとも、彼の態度は藝術と非藝術は明確な区切りがあると考える立場だと察するので、何か藝術階層から退けられる言葉があれば何でも良かったのかもしれませんが)
まあ僕の意見としては、こうして日本にも藝術が浸透していくのは大変喜ばしいことであり、みなさんどんどん騒いでください、というぐらいの感想です。
プライドがあるせいで、全くモテないし滅多に恋愛が始まらない。
性的魅力の意味では自信が無いけど、恋愛無しでも生きていけそうかどうかという意味では自信ある。
人見知りが激しく、第一印象は本当にノリが悪い。ノリ悪いとモテないのわかってるんだけどね。
でもノリの悪さを面白がってくれる人も居るので、別にそういう立ち位置でいいやと思ってる。
これは同意。
男女ともにライトオタって苦手。自己愛発のオタだから、社会的なヘマはしないけど、生き方がダサい。
重いことは言わないな。
悪口全般言わない方がいいとは思ってる。
これも同意。上からのほめ方にならないように注意しなきゃって神経使うけどね…
やられた方がやった方に元々好感持ってたらカワイイ行いだし、
脈ナシだったらキモがられるところだと思う。
前を歩かないようにするっていうの、したいけどできないんだよね。先にドンドン歩いて行ってしまう。
そういうの、大多数の男は嫌がるかもしれないけど、許してくれる人も少数いるんで、まあいいかと思う。
変なの。
床があぶらっぽいラーメン屋とかホルモン屋とかに、飾らない感じで女の子が居るっていうギャップ演出ができるよね。
あえてマニッシュな服装することで女の子らしさを引き立たせる手法のような。ぶかぶかワイシャツ女子の発展型みたいな。
誘われたら付き合うけど、自分から誘うほどのサービス精神は無いな。うちで作るので十分。ホルモンは味が嫌い。
交代でおごるっていうの好き。割り勘は面倒で嫌だな。
するとしても千円札単位。私が多く払ってもいいから、店の外で硬貨のやり取りしたくない。めんどい。
正直、安アクセって使わない。そんなんだったら何ももらわない方がまし。
男の目にはそういうのが女子中高生っぽくて可愛いとうつるのかもしれないけど、
ていうか高いものでもプレゼントは要らない。買い物は自分で選んで自分の金で買うのが一番いい。
なんかよくわかんないな。
そういうの、できないから諦めた。
可愛くなさの埋め合わせはマッサージでやっているつもり。
肩もみだけやってたのが、背中、腰、眼窩、頭皮と範囲拡大して行って、はじめは自己流だったけど今は本も読むようになってきてる。
短所の克服よりも、他のことで短所を埋め合わせたほうがモチベーション上がるみたい。
お互いの短所がどうしても許せない、他のことで埋め合わせてもらっても許せない!っていうのは、相性が悪いから結婚とかしてしまう前に別れた方がいいと思う。
2千円札なんていらねってなる?
結婚式出席で3万円包むのだって、お祝いだから最高額紙幣、でも1枚はなんだから、しかし2枚は縁起悪い、では3枚でってことだろ。
最高額紙幣が二千円札だったら6千円。これが身の丈にあった額だろう。世界的に見ても。
コンビニでもクレジットカード使いやすくなってきたんだから、一万円札廃止にしようぜー
追記いぃぃぃ
アメリカの100ドル札のような扱いにならないかなと思ってね。
小切手が定着しなかったから難しいとは思うけど、クレジットカードやその他諸々整備されてきたから。まだ無理かね?
日本の常識的といわれる金額の感覚が、妙に高いところに行っちゃってる気がしない?それ1万円札の存在関係ないかねと思ったわけよ。
サービスや商品の値付けから冠婚葬祭、一般感覚にいたるまで影響しちゃってるのではないかと。
1万円札が滅多に流通していない(最高額紙幣がもっと小さい額な)社会をぼけーっと考えてると、なんかしっくりきちゃったんだね。でタイトルに至ると。
なんか妙なからまれ方してるよー
ryankigz 増田, ネタ とりあえずこいつは「帯封の札束とは一生無縁の仕事・生活をする!(キリッ」と勝手に自己規定してることはわかった。 2010/09/1211 clicks1 RT
@syuusui507 結婚式のご祝儀に割り切れる金額を包む馬鹿ですからね。 QT @ryankigz: とりあえずこいつは「帯封の札束とは一生無縁の生活をする!(キリッ」と勝手に自己規定してることはわかった。
まあ日常生活で帯封の札束に縁のある生活はしてねーなー。でかい金額動かす必要がある時でも、数字の移動だけだしなあ。滅多にないけどね。
2千円札3枚6千円が割り切れる金額で、1万円札3枚3万円がそうではない、という根拠が知りたいなあ。説明求む!
(もしかして3万円が割り切れる金額だからダメって言ってる?)
幼稚園の息子に買ってやったサッカーボールを同じマンションに住む小学生の男の子がよく借りに来る。で、最後にはほったらかし。
息子が不在の時にも遠慮なしにボールだけ貸して、とやって来る。でも返しには来ない。
今日も最初は何人かで一緒に遊んでいたみたいだが、息子は先に帰ってきた。晩飯前になって「ボールは?」と聞くと「知らない」と言うので表に出て探してみるが見つからない。
もう飯はとっくに出来上がってるのに嫁と息子と3人でボール捜索。使ってたよその子らはすでにいなくなっている。10分後にようやく植え込みの中で発見。
こういうことを余りに何度も繰り返すので、まず息子に説教。「返してって言えないなら貸すな。自分の物ほったらかしにされてて何も思わないような奴にはこれから何も買ってやらない。」
冷静に話そうと思ったが頭に血が上り財布から千円札突き出して「これじゃ大したの買えないかもしれないけど、○○君にボール買ってあげて下さい。うちにはもう借りに来ないでほしいので。」と挑発。相手は平謝りだが、嫁に「やめなさいよ」とたしなめられ帰宅。
冷静に考えると俺の方が大人げない近所のクレーマーということになるのかも知れないが、いまだに怒りは収まらない。
こんなことで近所づきあいが気まずくなるのは嫌なのだが、一方で、借りたもの返す程度の常識も教育できないような家と付き合う必要なんかない、と考えている自分もいる。
どうしたものか。
わたしがワナビの友人二人を見て気付いた事を書いてみる。
わたしとワナビ二人の簡単な紹介。
「わたし」……大卒の社会人二年目。最近ほとんど読書してないや。
「アズサ」……ワナビの友人その一。大学三年生。ライトノベル新人賞への応募経験無し。
「イルカ」……ワナビの友人その二。会社員。つーか会社の同期。ライトノベル新人賞への応募経験は四回で、一度だけ一次通過。
で、本題。
まず二人に共通しているのは、自身が「ワナビ」である事に満足している、という事である。
「小説を執筆して、作家目指してるオレカッコイイ!」と思い込んでいるというか、
自分に酔っているというか。
アズサの場合。
バイトしながら小説を書いているのだが……どうやら大学にあまり友達がいないらしい。
さりげなくその事に触れると、アズサは「オレ、執筆で忙しいし」「バイトあるし」と言うのだが、
それを聞くたびに「大学で浮いてる事の言い訳なんじゃ?」と思わざるをえない。
そんなアズサが一度も新人賞に応募した事がないのは何故か?
……単に最後まで書き上げる事ができないだけで、
「書く→それを書き終える前に別のネタを思いつく→そのネタで書き始める→また別のネタを思いつく→書く」を
繰り返しているとの事。
正直呆れました。
最後まできっちり書き切る事って結構大事なんだと思った。
途中で放棄する事はいつでもできるけど、
完成させる事はやっぱり難しいんだろうね。
今書いている物がつまらない、今いちテンションが乗らず書けなくても、
とにかく最後まで書く事が必要なんじゃないかな。アズサの場合。
完成させたからこそ見えるもの・わかる事ってきっとあるでしょ。
「やっぱこれはクソだわ。吐きそうになるくらいつまんねええええ」でもいいし。
「とりあえず完成させた」=「一本、小説を書く事ができた」という自信が次にも繋がると思うんだ。
一度でも書き上げた人と、一度も書き上げた事がない人では相当差があるんじゃないかな。
一度だけ、一次選考に通過してしまった事がイルカの失敗だと思う。
イルカを見ていると、それで満足してしまった感がある。
一次に通過――つまり、一応は認められてしまった事が勘違いに繋がってしまった。
「オレが本気出せば賞くらい取れる」とか。
また、イルカの場合、書き上げた事・完成させた事は良いのだが、
応募したあとに「いや、今回は時間なかったし」「後半駆け足だったしなあ」と、
言い訳しまくる所がマイナスポイントだった。言い訳するのはアズサも同じだが。
「お前はもしデビューしたあと、つまりプロになってもいちいちそういう事言うのか?」と
心の中で突っ込んでしまった。
落ちた時の言い訳(保身っていうの?)ばかり考えていて、
実際に落ちた原因がまったく見えていない気がする。
二人共「書いていればいつか賞取れるだろ、作家になれるだろ」という、
そもそもさ、受賞さえすれば……デビューさえすればなんとかなると思ってない?
あなた達が憧れて読んだ、先人達と戦わなきゃいけないんだよ?
あなたの書いた本と、あなたが尊敬する作家の本が同じスペースに並べられるんだよ?
デビューする事しか考えてないから、その先がまったく見えていない感じ。
野宮が「目先の千円札を拾いに行くつもりはねえ。オレがチームを引っ張るんだよ」とか
言っていたけれど、
ワナビにもああいう気持ちは必要だと思う。
「オレがライトノベル界を変えるんだ!」とか。
「ハルヒ? シャナ? 禁書? オレの本が一番おもしれーの!!!」とか。
もし新人賞受賞したら、言ってほしいね。
受賞時のコメントでそういう事を堂々と宣言してくれたら……、
おそらく今のままでは二人とも受賞するのは難しいと思う。
仮に何年か経ったあと、ワナビを辞めた二人が当時を振り返ったとしよう。
アズサは……おそらく触れたがらないだろう。
そもそもワナビだった事を思い出さないっつうか。
アズサの中で苦い思い出として残る事にはなるが、それをわたしと語ったりはしないだろうな。
イルカは「まあ一応、○○大賞で一次選考通った事もあるんだけどね」が口癖になりそうで嫌だ。
ワナビってさ、
みんな危機感が足りないんじゃないかな。
「まあ今書いているものがダメでも次があるし……」と、
何処かで甘えちゃってる(言い訳を用意している)から
今執筆しているものがぬるいんじゃないかと。
〆切に間に合わなくてもヘラヘラしたりね。
「生涯最後……もし今書いている作品がダメだったら、作家を目指す事は諦める!!!」くらいの気概をもって、
本気で書いてみたらいいんじゃない?
覚悟が足りない気がする。
アズサやイルカと接していて、〆切に間に合わなかった時の言い訳とか聞いててうんざりするもん。
そんなわけで。
惰性で書くなら足洗いなよ。
あるいは。
いま一部で大流行の「サイエンスクラッシャー」ネタなんですが、実は壮大な釣りプロモで、内田さんの狙い通りにコトが進んでる気がしてきた。
なお、私は決起集会の動画は見ていて、内田さんの関連blog記事は読んでいるけれど、内田さんの新著は読んでいない状況。
元ネタ: 「サイエンスクラッシャー」 http://anond.hatelabo.jp/20100429013047
引用元: 「新著「疑う力を阻害するもの『科学教の狂信が思考停止に』」掲載」 http://ameblo.jp/marika-uchida/entry-10518383971.html
ちょっと引用してみましょうか。
そのとき、ある新聞社から以下のような質問が出ました。
「科学技術の大切さは誰しも理解していると思う。しかし、国民の素朴な疑問として、スパコンになぜ多額のお金がかかるのか? というものがある。これをどう説明しようと思うか?」
それに対し、あるノーベル賞受賞者が、「まず1つは、マスコミにもっとしっかりしてもらいたい」「メディアの力は大きい。メディアがもっと科学技術を理解しないと、国民には伝わらない」と。
このシチュエーションで、たぶん回答者が言いたかったことを私なりに翻訳すると、
情報の1次発信者が、どれだけ正確かつ丁寧に説明したとしても、情報の最終到着地である一般読者に到達するまでに、*必ず*マスメディアのフィルタが入ってしまう。このことは、科学者に限らず、一次発信者がどんな者であっても言えることだ。
そして、このマスメディア・フィルタの掛かり方次第で、情報はどうにでもなる。繰り返すが、一次発信者がどれだけ正確かつ丁寧に説明したとしても、マスメディアの記者や編集部がそれを理解することができなかったり、本意・不本意を問わず歪曲したり、勝手に画角やフォーカスを調整したりしてしまえば、一般読者には「そういう」情報しか伝わらないのだ。
だから、我々1次発信者も一般読者に分かりやすいように努力はするし、しているけれども、マスメディアの記者・編集部もまた1次発信者の意図を理解し、それに応えられるような努力をして欲しい。
このような意図になる。違うかなぁ…、僕はそう思うし、常々そういう主旨のことを思っているけれど。
その上で、内田さんの、あなたの立場を考えてほしい。
あなたはサイエンスコミュニケーターを標榜しているけれど、あなたの立場は上記のコメントでいう「マスメディア」に該当するはずである。職業はともかく、「本を出版する」(まさにマスメディア)行為をしているからだ。
そして、決起集会を見て(一次発信者の主張を取材して)、本を出版し(マスメディア行為)、それを読者(きっと一般の方が主たる想定顧客だろう)に伝えようとした。
このとき、内田さんは「内田さんの」マスメディア・フィルタを掛けてしまった。
(追記)
私は、そのノーベル賞受賞者が、「国民がスパコンの重要性をわからないのは、マスコミが悪いせいだ。勉強不足だ」と言うのには、まったく納得がいきません。
これでは、一般読者は、「ノーベル賞受賞者って、自分(たち)がエライと思ってるのね。イヤなヤツらだ」という、否定的な印象しか持たないと、私は思います。そして、後でも少し触れますけれども、私には内田さんのこの態度に、内田さんのいう「『疑ってかかる』のが科学的態度」を感じられないのです。もし「『疑ってかかる』のが科学的態度」ならば、「ほんとにこのノーベル賞受賞者は、そういう意味で言ったのかなぁ。他にも解釈があるのではないか、言いたいことはあるんだけど結局こういう言い方をしてしまっただけではないのか、そして、その理由はなんだろうか?」などと、いろいろな思索をめぐらすはずだと、私は思うのです。
そして、「賛同の嵐」「科学教の狂信者集団」「その新聞社に向かって、自己の責任を放棄したこの発言。」「ノーベル賞受賞者らの発言に対し、会場がいちいち拍手を送り、twitterでも賛成の一色だったこと(もちろん、100%その賛成意見で占められていたわけではありませんでしたが)。」「科学教の狂信が思考停止に」などという、科学者に対するレッテル貼りの行為です。
もちろん、内田さんの記事を丁寧に読めば、「(もちろん、100%その賛成意見で占められていたわけではありませんでしたが)」「でも、反対意見は容易にかき消され、ほとんど賛成の声しか見えてこない、この全体主義のような雰囲気は何だろう、と私は不思議に思ったのです。」「念のため、その場にいた人の中にも、「あの様子に居心地の悪さを感じた」と言っていた人がいたことも、申し添えておきます。」などという、反対意見もあったということに触れて、「公平さ」を装っているわけです。
しかしそれでも、内田さんの書き方では、熱狂的な賛同者の意見の抽出とその強調に始終していて、反対意見を持った人がどれくらいいて、その人たちはどういう意見を持っていて、どういう反応を示したのか、ということに、決して具体的には触れていないのです。このことに、私は「『公平さ』を装っている」という同情を示せても、「公平に記している」という同意までは示せないのです。
なぜ私が、このblogに対して批判的にコメントしているかといえば、このblogの内容から、内田さん自身の、内田さん自身が「サイエンス」ライターやマスメディアの一端にいることを自覚していることを示唆するモノの見方・言い方・考え方を、垣間見ることができないからです。
上述のように、私は、あのblogの内容は公平さに欠けていると思っています。そして、その公平さに欠けた主張が、blogや出版物を通じて一般読者に波及していくことで、「あぁ、あいつら科学者は、やっぱり権威主義なんだ。だから、現役の間は好きなことだけやって、説明しようなどという熱意は微塵にもないし、定年後に私立大とかに天下りして平然としているのだ。エラソーにしやがって。」などという、悪意に満ちた理解が拡がっていくこともまた、恐れているのです。
(追記2)
このような危惧を過激な一言で言い捨てた表現が、「サイエンスクラッシャー」という称号じゃないかと、私は思うのです。これまで説明してきたように、少なくとも私には、どうも内田さんのblogの文だけでは、「やっぱ科学者って傲慢だよねー。でしょ?サイエンスコミュニーターから見てもそう思うよ、うん。」という、科学者の態度を批判する内容しか伝わってこないです。その上、科学者の態度が感じられない程度の考察しかできていないのに、科学者の態度についてのご高説が書かれている。ちょっと待て、その科学者の態度とやらで自分の態度・考察を振り返ってみ?と。
じゃぁ、内田さんの今後に、どういうことを期待したいか、ということですが...
「サイエンス」の「コミュニケーター」を標榜するならば、しばしば言われる、「科学者はコミュニケーションが苦手」であることをフォローするような解説をすべきではないでしょうか?(たとえば、上で述べたように、なぜノーベル賞受賞者がマスコミに注文を付けたのか、ということの解説。「あれは科学者が職務放棄した、ゴネだよ」というコメントは、科学者の気持ちやマスコミの取材事情を知らない、一般人と同程度の認識に留まっていて、考察が全くなされていないようにしか見えません。)
もしも科学者の態度を身につけているならば、賛否両論のどちらもを取り上げて議論し、それを補強するデータを示すべきではないでしょうか?(たとえば、Twitterやニコ動、ustのタグ付発言でのpositive/negativeコメントの、tweets数およびtweeter数の統計でも、いいんじゃないですか?それなら、個人に迷惑かかることなく実施できると思います。)
サイエンスコミュニーターはともかく、あくまで「物書き」だとしてもいいです。それでも、賛否両論とは、「賛否『両論』」を取り上げるからこその賛否両論なのですから、両論をきちんと取り上げましょう。そして、twitterに必要以上に頼らず、実際に本人や学内外の科学者に取材してみて、その声も聞いてみてはどうでしょう?たとえば、あのノーベル賞受賞者は、果たしてどういう意図でマスコミに注文を付けたのか、本人に取材しましたか?
こんなことを思いながら読んでいくと、最後に書いてあるんですよ。
「それはどうか?」とか「なるほど」とかのご意見をお持ちになる方がいらっしゃいましたら、ぜひ拙著『科学との正しい付き合い方』 を手にとって頂けたら、と思います。
全体を読んでの、ご感想、大歓迎です!
やられた!と思いましたね。
上で述べてきたように、本文では散々、情報リテラシーを持った読者や、科学者の心を持った読者が持っている「『疑ってかかる』のが科学的態度」という、ある種の正義・倫理観を煽っておく。しかも、そんな彼らが持っている「やっぱり原文を読んでからでないと、ちゃんとした批判はできないよね」という良心をも煽っておく。
そして最後に、「賛否両論、どっちでもいいから、何か思うことがあったら買ってね!」と落とす。
ここ最近、会社の近くにすげえ気に入ったお店ができて、お昼は良く通ってんだよ。
しかし、かならず水曜日に糞DQN客が来て、水曜は避けていたんだ。
この前水曜日でもないのに、俺が飯くっていたら、そのDQN客がきやがって、「うわ~最悪」と思ったけど、食べはじめたばかりだったので、どうしようもなかった。
DQN客は「おいー、いつものー」ってでかい声で叫ぶし、まだ3分もたってないのに、「まだかよー」ってにぎったハシの頭でテーブルをカンカンたたいたりすんだよ。まじで同席したくないよ。
バイトの子が、「ただいまーおもちしまーす少々お待ちくださーい」と答えたら、なにか気に食わなかったらしくて、ぶつぶつ言っていた。
関係ないが、4月になって入ったらしい新しいバイトの子、けっこう若いとと思ったけど、厨房の話を盗みぎいてしまったんだが、4X歳だそうだ。もっと若いかと思ったんだけどなあ。
10分くらいして、DQN客に定食が持ってこられたんだけど、「おい!おせーぞ!」とまだ文句つけるんだよ。バイトの子は笑顔で、「申し訳ありません、ただいま込み合っていまして」と返事してた(実際昼飯時で混雑していた)
そうしたらDQN客が、「てめーふざけたこといってんじゃねーよ!飲食店が客を待たせんじゃねー!お客様は神様って習わなかったんか!」って切れだしたんだよ。俺の勝手な推測だけど、水曜日は用意してすぐに出せるようにしてたんだろうな。
バイトの子はぽかんとして、びびっていた。かわいそうすぎる。
せっかくのお昼が飯マズだよ、と思っていたら、その子が「お、お客様は、神 様 で す か?」って答えたんだ。
DQN客は「あたりめーだ、きまってるだろう。基本だろが」と口に飯が入ったまましゃべってた。
こっからが神展開なんだがバイトの子が、「神様でしたか、大変申し訳ございませんでした。店長さーん、神様がいらっしゃいましたー」って叫んだんだよ。
そうしたら、厨房から店長さんと奥さんが出てきて、「やはり、神様でしたか。私もそうじゃないかと思っていたんです」、「私たちのお店にも、ついに神様がきてくださったんですね」と、やりだして飯吹きそうになった。
バイトの子が「お祝いいたしましょう!」と言い出して、なんかお経みたいの唱えだしたんだよ。天津神とか言っていたから祝詞かな。
バイトの子が、独特のハリのある声で唱えている間、店主夫婦はニコニコしながらDQN客を見つめていた。
DQN客が「神ってそういう意味じゃ、頭おかしいんじゃねーか?」って机をたたいて立ち上がったら、「神様もう行ってしまうのですか、もっとごゆっくり」って店主が言う途中で「こんなバカな店、もうこねーよ!」と千円札を投げて店を飛び出ていった。
バイトの子と店主夫婦は手を合わせて開けっ放しの出入り口に深々とお辞儀、少し沈黙があって、店内は大爆笑。
店長夫婦が「バイトさんのおかげで、あの客と手を切ることできた。ありがとう、ありがとう」と言って、他の客もDQN客を嫌っていたことと、バイトの子の勇姿(でいいんだろうか)を褒めちぎっていた。俺は笑いすぎて麦茶がのどにつまってむせてしまったよ。
都内は210円均一なので、ついそのつもりでお金払って降りたら、無賃乗車でもしたみたいにイヤそうな顔で「あと90円」とか言われちゃって。
いちおうこっちにも落ち度はあるので「すみませんね、いつものつもりでつい降りちゃって」って言いながら小銭探したらなくて。
あわてて震える手で千円札を両替機に入れようとするんだけど、なかなか入っていかなくて。
そしたら運転士のやろう、とっととしろみたいな顔して貧乏揺すりしてるし。
もうね、わたしが何をしたっていうの。
300円なの気づかないで210円で降りようとして、指摘されたからちゃんとお金払おうとしてるじゃないの。
こういう客がいるから運賃が乱れる?
ふざけんな。
わたしは行きにも同じバスに乗ったけど、何もなくても15分遅れてくるバスになんざダイヤの乱れとかいう言葉なんかあるわけないでしょ。
つづき書いた
http://anond.hatelabo.jp/20100813005210
16万というのはあくまでも個人的な例で。もっと少なくてもうまくやれば可能でしょう。
家賃はよく言われる「手取りの3割」に則って5万円としておきます。
下記のすべての口座を作ってください。どれもネットで開設できます。
毎月3回まで無料なので3回分セットしておきます。また給与25日払いを例に考えます。
| 日付 | 金額 | 振込先 | 内容 |
|---|---|---|---|
| 26日 | 50,000 | 既存口座 | 家賃を大家に振り込む or 既存の引落用口座に振り込む |
| 1日 | 72,000 | 新生銀行 | 衣食住のうち「衣」「食」の部分 |
| 2日 | 8,000 | スルガ銀行 | VISAクレジット決済用 |
家賃と新生銀行振り込みの間に日が開いているのは、ここにクレジットカードの引落日が入るからです。休日とかが入ると、後ろにずれ込むこともありますから。
水道やガスなども、極力クレジットカードにまとめましょう。銀行引落でもいいのですが、たいてい引落日がバラバラなので残高不足になりがちです。
額はライフスタイルによって異なるでしょうが、余裕を見て2万円としておきます。
自動振込みをセットしても、肝心の収入が別口座では意味が無いですので。
8000円くらいであるみたいです。ぐぐってください。
楽天、アマゾン、Y!ショップなど。既存のクレジットカード登録をすべて抹殺してVISAデビットカードに切り替えましょう。iPhoneにハマっているひとはiTunes storeも忘れずに変更しましょう!
財布には「新生銀行キャッシュカード」と「スルガ銀行VISAデビットカード」のみ入れておきます。他のキャッシュカード/クレジットカードは家庭用金庫にいれて、鍵は親にでも預けましょう。特に住信SBIネット銀行は自動振込みしか使いませんので取り出す必要はありません。
新生銀行からお金を下ろすときは千円札のみにしましょう。週の頭にATMから二回9000円下ろして、それで一週間すごすようにすると個人的にはちょうど良いです。
ええ、この方法だとスルガ銀行残高の毎月8千円までしか買い物できません。足りない人は調整してください。
VISA加盟店であれば、決済の際にVISAデビットカードで決済できます。デビットカードというと店の人も「?」な顔をするので、普通のクレジットカードとして堂々と使いましょう。支払いも聞かれたら「一括で!」
便利ですけどね。使いすぎてしまいますので使わないでおきましょう。
ここまでの方法を使った場合の収支をまとめますと
| 日付 | 内容 | 収支 | 移動額 | SBI残高 | 新生残高 | スルガ残高 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 25日 | 給与 | 160,000 | 0 | 160,0000 | 0 | 0 |
| 26日 | 家賃振込み | -50,000 | 0 | 110,0000 | 0 | 0 |
| 27日 | クレジット支払 | -20,000 | 0 | 90,000 | 0 | 0 |
| 1日 | 生活費 | 0 | 72,000 | 18,000 | 72,000 | 0 |
| 2日 | VISAデビット費 | 0 | 8,000 | 10,000 | 72,000 | 8,000 |
| 例:楽天で散在 | -8,000 | 0 | 10,000 | 72,000 | 0 | |
| 生活 | -72,000 | 0 | 10,000 | 0 | 0 |
残った!一万円残ったよー!
住信SBIネット銀行の自動振込み機能とスルガ銀行のVISAデビットカードを使って、なるべく無理なく無駄遣いしない方法を紹介しました。
あとは王道の積立定期とかも組み合わせると最強ですね。
http://anond.hatelabo.jp/20091126043441
お金のことに鈍感だと、生活上のパートナーとして不適格だから、小銭を出せる(つまり、お店の釣り銭ダネを減らさない)意識を持ってるって、恋人に見せつけてるんだよ。
夫は小銭数えるのがめんどくさいって、百円の買い物にも千円札出すような奴で、金銭感覚がどんぶり勘定で細かい支出がいっぱいあって塵も積もればなんとやらなんで貯金できないよ。
夫はうちに帰るとポケットから小銭を出して、箱の中にバラバラって入れるから、一度数えてみたことがあるけど1年分で8万円くらいあったよ。私と子供たちはジュースとか買いたいとき、そこからお金を出してきて「パパ、ごちそうさま」って言って使うよ。
……ごめん、話がズレたね。
512 :FROM名無しさan :2007/12/23(日) 20:05:29
なあ、お前と飲むときはいつも白○屋だな。
一番最初、お前と飲んだときからそうだったよな。
おごってもらったのが白○屋だったな。
「俺は、毎晩こういうところで飲み歩いてるぜ。金が余ってしょーがねーから」
お前はそういって笑ってたっけな。
お前は月30万稼ぐんだって胸を張っていたよな。
「バイトの後輩どもにこうして奢ってやって、言うこと聞かせるんだ」
そういうことを目を輝かせて語っていたのも、白○屋だったな。
あれから十年たって今、こうして、たまにお前と飲むときもやっぱり白○屋だ。
ここ何年か、こういう安い居酒屋に行くのはお前と一緒のときだけだ。
別に安い店が悪いというわけじゃないが、ここの酒は色付の汚水みたいなもんだ。
油の悪い、不衛生な料理は、毒を食っているような気がしてならない。
なあ、別に女が居る店でなくたっていい。
もう少し金を出せば、こんな残飯でなくって、本物の酒と食べ物を出す店を
いくらでも知っているはずの年齢じゃないのか、俺たちは?
でも、今のお前を見ると、
お前がポケットから取り出すくしゃくしゃの千円札三枚を見ると、
俺はどうしても「もっといい店行こうぜ」って言えなくなるんだ。
お前が前のバイトクビになったの聞いたよ。お前が体壊したのも知ってたよ。
新しく入ったバイト先で、一回りも歳の違う、20代の若いフリーターの中に混じって、
使えない粗大ゴミ扱いされて、それでも必死に卑屈になってバイト続けているのもわかってる。
だけど、もういいだろ。
十年前と同じ白○屋で、十年前と同じ、努力もしない夢を語らないでくれ。
そんなのは、隣の席で浮かれているガキどもだけに許されるなぐさめなんだよ。
1 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/09/26(土) 11:07:30.90 ID:qwqUFbVw0
千円札をカラーコピーして偽造し、雑貨店で使ったとして、香川県警は25日、
県内の小学6年の男子児童(12)を通貨偽造、同行使の非行事実で補導した、と発表した。
男児は非行事実を認め、「自動販売機で使えるか試そうと思って作った」などと話しているという。
発表では、男児は9日頃、自宅で千円札を片面ずつカラーコピーし、ノリで張り合わせて11枚を偽造。
10日午前11時頃、休み時間に学校近くの雑貨店で1枚を使ってジュースとガム計150円分を買ったとされる。
地元の教育委員会などによると、学校の廊下で12日、偽札が落ちているのを教諭が見つけ、
この男児が「僕がやった。店で使った」と話したため、県警に届けた。
男児が「友だちにあげた。残りは捨てた」などと話したため、県警は友だちから、残っていた1枚を押収した。
90 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/09/26(土) 11:40:12.68 ID:cYKgHXOu0
なぁ俺の妄想なんだが
雑貨屋といっても最近は駄菓子屋と呼ばれる、主にお菓子しか置いてない店だ。
そこは一人の老婆が経営している。
老婆は数年前に夫に先立たれ、残された老婆は夫が30年切り盛りしてきた駄菓子屋を受け継いだ。
亡き夫は生前、学校帰りの子供達によくただで駄菓子をあげたりもしていた。
決して楽な生活ではなかったが、それは楽しい生活であった。
老婆は子供達の笑う顔をもっと見たかった。ゆえに続けることにした。
91 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/09/26(土) 11:40:59.09 ID:cYKgHXOu0
老婆「おや、あの子は・・・」
そうだ、この子はいつも学校の帰りにこの店を覗きに来る子だ。
ただ外から覗いているだけで、駄菓子をあげたことはあったが買ったことは一度も無い。
しかし今日はその少年は店の中に入ってきた。心なしか落ち着き無い。
老婆はできるだけ少年を見ないようにしながら、煎餅を齧っていた。
少年「これください。」
老婆の前に置かれたジュース1本と10円ガム5個。
老婆「じゃああわせて150円だよ。」
少年「こ・・・これで!」
差し出されたのはいかにも不恰好な、おおよそお札とは言えない偽の1000円札だった。
老婆「・・・」
少年「・・・」
老婆「じゃあ1000円預かって、お釣りが850円だね。」
お釣りを老婆は少年の手に乗せ、半ば放心状態の少年に老婆は言った。
老婆「今度はそのお釣りで買いに来るといい。その時はお茶でも出そうかね。」
少年「!!」
引用元:http://yutori7.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1253930850/
博士に対する見方
大学:学費を払ってくれるカモ
周りの博士:こいつより俺の方が優秀!!こいつは才能がない。ポスドクで一生終わりだなwww
修士の学生:教授の奴隷乙www学費上納乙www博士取ったら劣悪な労働条件でポスドク乙www
学部の学生:こいつ30近くになって学生ってあほか??そんなに働くのが嫌か?
マジで頭悪いわ。そばに寄るな気持ち悪い。
企業:こいつ博士のくせに英語でディスカッションも出来ねーのかよ・・・完全な道楽で学生やってる甘ちゃんだな。
親:・・・もう、博士退学してよ・・・家計が・・・苦しい・・・。
幼稚園児:すごーい、このおっちゃん、ガンダムをつくれるんだ~
まわりの反応
23歳修士1年 「へえ~。大学院に行っているんだ。頭いいんだねえ。こっちはこの前ボーナスもらって大型液晶テレビ買っちゃったよ。正社員っていいぜ。」
25歳博士1年 「すごい! ドクターコースなんだ。卒業したら博士? 将来は大学の先生か、すごいねえ」
26歳博士2年 「先月車買っちゃってさ、ローンが大変だよ。今度どっかに遊びに行かない?え、お金厳しいんだ、そっかあ、がんばれ!」
27歳博士3年 「結婚したばっかりなのに、海外勤務になりそうだよ、参ったよ。駐在員は給料は破格なんだけど、お金だけあってもね・・・・。社会人も大変だよ」
28歳ポスドク 「え、すぐ助手になれないんだ。ポスドクってよくわからないけど、大変な世界なんだね。気にするなよ、数年後には助教授だって!」
30歳ポスドク 「気に障ったらごめんな。ただ、人には向き不向きがあるからアカデミックの世界にこだわる必要ないと思うよ。もういい歳なんだし、早く定職と嫁さん見つた方が・・・
36歳塾講師 「子どもが今度中学校受験のために塾通い出してさあ。受験か、懐かしいよな。お前はどうなんだ。
博士号取ったのに、塾講してんの? ふーん。人生色々だけど、やっと落ち着いたんだな。早く結婚しろよ。
親がかわいそうだぜ」
38歳無職 「え?少子化で塾が潰れた・・・。35歳過ぎで仕事探すの大変だろ!え??派遣会社登録してる?で、仕事もらえてる?
やっぱムリだろ・・・。正社員はさすがに紹介できないがうちの工場でライン工で
働いてみないか?搾取がない分、派遣よりましだろ?決して楽ではないが衣食住はそろっているぞ。
なあ、お前と飲むときはいつも白○屋だな。
一番最初、お前と飲んだときからそうだったよな。
一緒に飲みに行ったのも白○屋だったな。
「俺はいつか生命科学者になってCNSで一報取ってアカポスに付くんだ」
お前はそういって笑ってたっけな。
お前は博士号取るんだって胸を張っていたよな。
「もうすぐ結果が出そうなんだ。これでウチの研究室からCNSが出せるぞ」
「お前も院に進めばよかったのに。専門知識を使わずに就職なんてもったいないぜ」
そういうことを目を輝かせて語っていたのも、白○屋だったな。
あれから十年たって今、こうして、たまにお前と飲むときもやっぱり白○屋だ。
ここ何年か、こういう安い居酒屋に行くのはお前と一緒のときだけだ。
別に安い店が悪いというわけじゃないが、ここの酒は色付の汚水みたいなもんだ。
油の悪い、不衛生な料理は、毒を食っているような気がしてならない。
なあ、別に女が居る店でなくたっていい。
もう少し金を出せば、こんな残飯でなくって、本物の酒と食べ物を出す店を
いくらでも知っているはずの年齢じゃないのか、俺たちは?
でも、今のお前を見ると、
お前がポケットから取り出すくしゃくしゃの千円札三枚を見ると、
俺はどうしても「もっといい店行こうぜ」って言えなくなるんだ。
お前が前の研究室のポスドク任期切れになったの聞いたよ。奨学金の返済も国民年金も払えないのも聞いたよ。
新しく入った技術者派遣で、一回りも歳の違う、20代の若い専門卒や主婦の中に混じって、使えない粗大ゴミ扱いされて、それでも必死に卑屈になってテクニシャン続ているのもわかってる。
だけど、もういいだろ。
十年前と同じ白○屋で、十年前と同じ、努力もしない夢を語らないでくれ。
そんなのは、隣の席で浮かれているガキどもだけに許されるなぐさめなんだよ。
2 名前:今日のところは名無しで :2008/10/13(月) 09:17:46
今年度で任期が切れる。年齢が年齢なのでもう次はないだろう。
俺の人生終わったな。
この実験は急ぎだから、PIのために死ぬ気で働いて欲しい。
うん、「将来の保障ゼロ」なんだ。済まない。
地獄の沙汰もって言うしね、職を世話しようなんて思っていない。
でも、この現実を見たとき、君は、きっと言葉では言い表せない「人生\(^o^)/オワタ」みたいなものを感じてくれたと思う。
そういう気持ちを忘れないで欲しい、
そう思って、大学院重点化してポスドク増やしたんだ。 WEも導入済みだし過労死しても労災もでない、
PIの意向の元で「好きなだけいくらでも働ける」夢のある職場だ。
じゃあ、土日深夜も実験してもらおうか。
僕は昔から小説家になりたかった。小説でなくとも、何か文章を書いてメシを食いたかった。
世の中には物書きになりたいという人間が腐るほどいる。僕もその腐った残飯の中であることは違いないが、しかしその夢を捨てきれずにいる。
今年、4月にある小説の賞に作品を送った。僕が生涯で完結させた小説では2作目となるものだった。今まで沢山の完結しない小説もどきは書き綴ったが、なんとか完成させたものではふたつめである。
先日、1次選考の結果が発表され、稚拙な我が作品は何とか残ってくれた。僕の書いたひとつめの作品は、とある文学賞に投稿したのだが、そちらでは箸にも棒にもかからず、下読みの段階で落選してしまったわけだが、今回は何とか生きながらえてはいるようだ。
こうやって、我が作品が落選してしまうかも知れないというやきもきした気分で毎日を過ごしていると、何故自分が小説家になりたかったのかを反芻せずにはいられなくなる。そもそも、僕にとって小説は本当に大事な存在であった。
僕は小さな頃から父親に暴力を受けて育った。言動でも行動でも、つまりそのどちらにも暴力の力が伴っていて、僕は文字通り精神的にも肉体的にも鍛えられてきた。父親はアル中だが、この話には関係ないので省く。
そんな鬱屈した毎日の中で、中学生くらいの時に本気で自殺をしようかと考えたこともある。自殺の方法をいくつか考えている内に、生きていることがくだらなくなってきて、同時に自ら死ぬことのくだらなさにも気付かされてしまい、感情が空白になってしまった。
誰かと話していても、楽しくはなく。勉強やゲームに没頭していても楽しくはなかった。何だか、全部流れていくだけの白昼夢に思えて仕方がなかった。
醒めてしまえば、全部が存在しないんじゃないか。なんて意味もなく思ってしまっていた。
僕はそんな風にして、幼少期を過ごし、共に遊ぶ「友達」と呼ばれる存在もいくつか出来たが、だけど友達ってのが何なのかよく分かっていない。それは未だに理解が出来ない。
辞書を引いてみれば友達というのは――親しく付き合っている友人。友。――だなんて説明されているが、『友達』なんて言葉を『親しい友』だなんて同意義としか思えない言葉で説明している辞書ですら、酷く滑稽に思えた。
意味が分からなくなってきた僕には、本当に心が許せる友人は存在しなかった。過去形で表されているが、だが、今でも本当の意味での友人はいないのかもしれない。
同時に、僕には本気で好きになったひともいなく、「ああ、もしかしたら彼女のことが好きなのかも知れない」と考えても、何故、好きなのか? と考えてしまうともう駄目で、顔が可愛いだとか、振る舞いが華麗だとか、性格が良いかも知れないだとか、そんな曖昧な理由で人を好きになってしまうなんておこがましくないのか? と勘ぐってしまう。こんな浅はかな理由で人を好きになるならば、別にその人じゃなくても良いハズだ。とも思う。
もっとシンプルで良いハズだ――とも、確かに思う。好きだから、好きで好きで理由はないだとか、そんな風で本当は良いのかも知れない。
そんな諸々の世界に対する訝しみ、この世界と付き合う方法を考える時には、どうしても脆弱であっても――言葉が必要だった。
僕はある日、こんな恥ずかしい話はないだろうが、中学校の頃に学んだ夏目漱石の「こころ」の抜粋部分(確か授業中には抜粋部分のみだったはずだ)を読んで、初めて文章を読むことの意味に気付かされた。「大造じいさんとガン」を読んでも気付かなかったが、「こころ」で気が付いた。
鮮烈でめまいがするような秀逸な筆致が、その頃の僕には酷く輝いて見えた。夏目漱石なんて、千円札でしか知らない人だったけど、彼が何かに煩悶しながら世間に訴えたいことがあるということは幼い僕にも分かった。それは幼少期の勘違いであったかも知れないがね。
それからは、様々な小説を読んだと思う。世間の読書好きの人々には決して敵わないだろうが、それでも本は読んでいた。昼休みや授業中や帰宅後も、暇があれば読んでいた。
ここでは、誰の小説を読んだとか、どこそこが良かったとか、そんな無意味なことをあげつらう気はない。ただ、僕が重要視したのは『本を読んで考えること』であった。
だけど、間違いだったかもしれない。
余計な言葉知識が頭に埋め込まれてしまったせいで、余計に僕は生きていく上で悩んだり、無意味さを噛み締めたり、そんな感慨を抱くことが多くなってしまい、なんて生きていくのは切ないんだ。と物思いに耽る中二病患者になってしまった。
今は、社会人として仕事をしているが、自分が雇われている企業での僕のこなす業務というのは、僕以外の何者かが代行しても全く僕と変わらないレベルでやり遂げることが出来るのではないか、と思う。当然ではあるが、大抵の仕事はそうだ。
地下鉄の駅を降りて、ホームからの階段を登り、世間の人々の波に埋没していたら、すごく自分が存在していないんじゃないか? なんて思ってしまう。
恥ずかしいことだ。だけど、こんな風な思考回路を構築してしまったのは僕だ。僕が悪いのはよく分かっている。
だから、そんな自分に対するセラピーの意味合いもあるかも知れないが、僕は文章を書くことで精神の安定を得る。実際は何でも良い。文章だったら何でも良い。ブログを作って意味の伴わない単語を羅列したっていい、誰にも理解されない主張を標榜してもいい、だけど何か考えていないと、何か書いていないと、僕は本当におかしくなってしまうんじゃないかと、そう感じてしまう。
だったら、もうそこまで来たら、僕は仕事をやめて、実家に帰ってニートをやって、インターネットの世界に没入して、日々を食い潰して、そのまま死んでしまった方が良いのかも知れない。その方が、誰の毒にも薬にもならず、迷惑を掛けないまま、緩やかな自殺として完遂出来るかも知れない。
だが、親に迷惑を掛けるのも嫌だ。これは我が儘に違いないが、僕は誰にも迷惑を掛けたくないのだ。自分以外の誰にもに、人畜無害な存在であり続けたい。本当に自殺するなら立ち入り禁止の富士の樹海へコンパスを持って行く。
そうした曖昧模糊な思考の行く末は、誰しもが抱く物書きになりたいという夢だった。
結局、こうなってしまう。馬鹿な邯鄲の夢だ。
実際、小説家の仕事についてはよく分かっている。自分の書きたいことを書けずに職業として編集者に指示を受けながら書かねばならないことや、サラリーマンよりも低い年収で、しかも売れなきゃゴミだと評価されることも分かっている。
それでも、こうして文章を書くことに意義を見い出すことが出来るのは、個人的に素晴らしく有意義に思える。自分が真っ当に生きていく結論としては、小説家になることが最も分かりやすくてシンプルなんじゃないかと、そう思った。
先述した――恋はもっと、シンプルで良い――なんて青臭い科白は、そのまま僕の文章に対するスタンスに直結している。
もっと、シンプルで良く。僕は心の底からシンプルでありたいと思っている。
だから、小説家になりたい。そう思って僕は文章を書き続けている。
駅を出て喫煙スポットでタバコをつけようと思ったら、ポケットにライターがなかった。どうやら家に忘れてきたらしい。少し歩いてコンビニに行き、ライターを買うことにした。もう少し歩けば会社に着くし、会社にはライターがあるか、もしくはライターを持った誰かがいるのだけれど、ぼくはライターを買うことにした。どうせコンビニに寄るし、お茶も買うし。もうすぐにでも吸いたいし、コンビニの前に灰皿もあるし。
だいたいが、タバコを吸える年齢のぼくにとって100円の消費というのは、気持ちさえ切り替えてしまえばたいしたことではないのだ。例えばいつも買っているファミリーマートの100円のジャスミン茶1リットルパックを、奮発してvolvicにしたと思えばいい。その程度のことだ。大人力だ。
そんなわけでいつものファミマで100円ライターを引っつかみ、ジャスミン茶と一緒にレジに出す。
ここのところ、どこのコンビニでも「Tポイントカードをお持ちですか?」と尋ねられるようになった。ぼくはTSUTAYAの会員でTポイントカードも持っているけれど、どうにもこの質問がうっとおしくて仕方がない。LIFEのポイントカードは平気なのに。というか、LIFEで買い物をするときは聞かれなくてもポイントカードを出している。首都高に乗ったときに料金所のかなり手前から千円札をヒラヒラさせるような、あんな感じだ。
思うに、この「コンビニTポイントカード」問題は長年の習慣とコンビニという場所の性質によって巻き起こっているのではないだろうか。
まずひとつに、コンビニでこの問題が発生しだしたのは、つい最近のことだ。ぼくはもう20年くらいコンビニを利用していて、コンビニのレジにおけるリズムというのが身に染みてしまっている。商品を出す、レジを打つ、金を払う、おつりをもらう、野球の結果や天気についての会話を振られない、そのシンプルで味気ないやりとりこそがコンビニのコンビニたるゆえんだとさえ思っている。
そのシンプルさ、それがコンビニという場所の性質だとも思っている。ぼくはコンビニで「毎度ありがとうございます」と言われるのがあまり好きではない。店員諸氏、どうかぼくのことなんて憶えていないでくれ、と強く願っているフシがある。幾度か通って妙に馴れ馴れしくされてしまうと、ちょっとそれは違うだろ、と思ってしまう。「どうせあなたはひと夏のアルバイトで、私の前から消えてしまうのに、だのに優しくしないで!」とまでは思わないものの、人間関係を構築するべき相手ではないように思っている。
コンビニはコンビニエンスで、何でも置いてある。当然、買いにくい物もある。買いにくいものを買いにくい時間に買えるからこそのコンビニエンスであり、そこに、いつ行っても「顔見知り」がいる、という状態は非常にインコンビニエントだ。買いにくいものを買っているのを見られてもっともイヤなのは「全然知らない人」でも「親友」でもなく、「ぼくのことをちょっとだけ知っている人」だ。なぜなら彼らは勝手にぼくのイメージを形づくっているし、それを買っているのを見てそのイメージを湾曲させるからだ。そして買いにくいものを3度も買えば、「買いにくいものを買う人」というイメージだけが固着してしまう。それがイヤなのだ。かりそめの関係でも、関わるならば本当のぼくを知ってほしいのだ。いつも行ってるから顔見知りになることは仕方がないけれど、そこであえて初見みたいに応じるのがコンビニエンスを名乗る者のマナーだと思っている。
そんなわけでぼくはいつも、コンビニではぶっきらぼうな態度に出る。レジ台に商品を投げつけないまでも、あまり店員と目を合わせないようにする。「Tポイントカード」問題についても、首を軽く横に振るやいなや「suicaで」と会計の段へ進もうとする。
その日もぼくは、ジャスミン茶と100円ライターをレジに出しつつ、伏目がちに「suicaで」と言ってやった。我ながらうまくやったと思った。iPodのイヤホンから流れる音楽に軽く乗ってるフリなんかもしてやった。
ところが、会計が603円だった。100円のジャスミン茶と100円ライターを買ったつもりが、そのライターが何やらガス式で、サッカー日本代表のグッズで、緑の炎が出るとかで、500円だというのだ。
100円の消費はたいしたことないが、500円となれば話は違うだろう。何しろ、もう少し歩けば会社に着くし、会社にはライターがあるのだ。先日ランチに贅沢なラーメンを食い、900円以上使ったばかりだ。
だが、ぼくはすでにぶっきらぼうを気取って、余裕の表情で金額が表示される前から「suicaで」と言って、読み取り機械のうえにsuicaの入った財布をかざしている。ここから「ちょっと待って!」なんて言えない。ここで照れ笑いなんてしながらライターを100円のものと交換しに行こうものなら、それこそ顔を憶えられてしまう。
ぼくは結局そのまま顔色ひとつ変えずにsuicaで603円を精算し、会社に向かった。デスクの引き出しを開けると、100円ライターが3本も入っていた。
ところで、コンビニで買いにくいものってなんだ。ぼくはコンビニで、生理用品もコンドームも快楽天も買った記憶がない。せいぜい「いつも同じ弁当食ってやがんな」と思われるのがしゃくだ、という程度のものだ。インコンビニエントなのはぼくのほうだ。