はてなキーワード: 性コミとは
私は会話が苦手だった。
この数年間、いろいろな本を読んだり実践をしたりして、それなりに会話に対する苦手意識はなくなった。
自分が会話に対して苦手意識を持っている原因を分析し、対策を立てた。
①何を話したらいいかわからない
②いつ終わらせたらいいのかわからない
これから会話をしようというとき、一体何を話したらいいのかわからないから不安になる。
相手の話の中からキーワードを見つけ、さらに自分の頭の中からキーワードを連想する。
このキーワードは、自分の体験に関するものが多い。それに、体験談はその人固有のものだからそれだけで相手にとって興味を引くものである。
だから、何を話したらいいかと憂うより、ひたすらいろんな体験をすることによって引き出しを増やしていく方がいいと思う。(旅行なんかは汎用性が高い)
相手が最近フランスに行ったということを聞いて、何年も前に自分も行ったことをドンドン思い出すことができた。結果、会話は盛り上がった。
このように、自分の話のコンテンツは相手が話すコンテンツに依存している。始まってみなければどんな会話になるかはわからない。
だから、とにかく相手の言ってることをよく聞くことに集中すればいい。このような意識を持ってから、話題に困ることはほぼなくなった。
ここで私がぶち当たった壁は、会話の起点をどうするかというものだった。
連想するにしても、まずは起点が必要だ。0から1を生み出すのは大変だ。
ここで初めて、会話本でよくいわれる「共通点」が威力を発揮した。
これは大きく、共通する「属性」と、共通する「体験」に分かれる。
特に、共通体験は超強力だ。「いやーお疲れー。あの〜〜は大変だったねー」なんて始めてしまえば、後は連想ゲームのレールに乗っかる。
共通属性は、共通体験がないときに威力を発揮する。まず、それを見つけるための質問をする。見つかれば掘り下げていけばいい。
いわゆる「きどにたてかけし衣食住」だが、中身を覚えるのが面倒くさいし、実際の会話では瞬発力が要求されるので、思い出してる暇もない。
私は、「連想」と「共通点」の二つだけを意識して、とにかく相手の話を聞くに集中した。あまり細かく枠を決めても、かえって話題の発想を制限してしまうと思う。
私は、会話の終わらせ方がわからなくて、このタイプの会話が非常に苦手だった。そのせいで、なるべく人とすれ違わないようにしていた。こんな自分が大嫌いだった。
立食パーティーなんかでも同じだった。
ここは、あらかじめ会話を終わらせるポイントを明確にしておくことで克服した。
大きく分けて、自分の都合で終わらせる場合と、相手の都合で終わらせる場合がある。
自分の都合は、予定がある場合が一番いい。「あ、そろそろ戻らなきゃいけないんで」とか。これは時間という明確な基準があるのでやりやすい。
ない場合は・・・でっち上げる。しかし、私は嘘をつくのが苦手だったので、あまりしなかった。その後の予定が全くないというケースはほとんどなかったし。
相手の都合とは、正に相手に予定がある場合。相手から言ってくれることもあるし、自分が知っていれば「そろそろ戻らなくて大丈夫?」とか聞けばいい。
相手も会話を終わらせたいが、言い出せないというケースもある。会話が苦手なのは自分だけじゃない。この場合は、相手の仕草に注目していれば発見できる。そわそわしていたり、時計を見始めたら、「そろそろ行きますか」とか言って切り上げればいい。
ここでとても重要なのが、会話を「広げるか」否かの判断だ。
会話を広げてしまうと、終わらせるに終わらせられなくなってしまう。会話が広がっているところで強制終了すると、お互いに後味が悪い。
会話を終わらせるポイントに近づいていることを察知したら、話題をたたんで収束に向かわせなければならない。
この辺は、今話してる話題がなんなのか、を意識することで判断できる。
アメトーークの「立ちトーク」の回では、下に話題の流れのテロップが出る。会話中にあんなイメージで話題を追うのだ。
話題をたたむ方法は簡単で、広げなければいい。相手が返す必要のない球を投げればいい。
最後に、よく言われることだが、相手に興味を持って会話を楽しむことを特に意識した。
会話中にストレスばかり感じていると、連想が全くうまくいかないということが多かった。「早く終わらないかなー」なんて考えてたら、相手の話すことも頭には入ってこない。
会話が楽しければ、いつ終わるか不安になることもない。終わってほしくないとすら思う。
会話本を読んで表面的なテクニックだけを知っても、全く前に進んでいないと思う。
つまり、人間が好きな人であれば誰でも会話に対する苦手意識を克服できると思う。ここが、仮性コミュ障と真性コミュ障の違いだろう。
ロスジェネ(1972年~82年生まれ)系のメンヘラ男は、尊大で批判的で始終イライラと当たり散らしてる系と、対人関係を回避した結果として貧困や孤独に苛まれている系がいる。合併例もある。しかしあくまで「男性的な性格」だ。
さとり世代(1987年~97年生まれ)系のメンヘラ男は、女性化が著しいと感じる。特徴的なのは異性から見た性的価値の自己客体化。ロスジェネ男は「男は金を稼ぎ、女は体を売る」という旧来的な価値観で途中まで育っていながら、不況により突然放り出されてロールモデル不在の絶望を味わった世代だが、さとり男は最初から「男も稼げるとは限らない」という環境で育っている。稼げる男が勝ち組に限られてしまった今の時代、並~並以下の男たちはどうやって自分という人間の"需要"を確保するか?という難題を突き付けられた。その結果としての「対同性コミュ力偏重文化」と、「女性から見てオレの性的な価値ってどうよ?」という性的価値の自己客体化だ。コミュ力重視と性的価値の客体化は元々女性的な特徴であり、同年代女性も似たような価値観を維持していることから、さとり世代には「総女性化」が起きていると思われる。さとり男の見た目が「男の娘」になっているという話ではない。異性の求める姿に己を最適化し、自己主張の強い生き方を「ダサい」「イタい」とする潮流だ。大学生活板発祥の「まじめ系クズ」などの造語からも、「いわゆる女性的な依存心」を持つ若い男性の姿が透けて見える。
結果として若者の多いインターネットでは、典型的な女メンヘラのとるような行動を取ってしまうさとり世代の男が散見される事態となっている。ツイートを見ているだけでは、病んで不安定になっている若い女にしか見えないが、書いているのは男。そういう傾向があらわれだしている。彼らは女性化することで、男性的攻撃性・回避志向を持つロスジェネよりも仲間を作りやすいが、根本にある依存心と不安が彼らを内側から苦しめ続ける。
(書き直した)
最近の発言について、ズレたやりとりしかできていないと指摘されている。
http://anond.hatelabo.jp/20140303113406
http://anond.hatelabo.jp/20140303060133
会話のつながりや意図が伝えられない「連合弛緩」と呼ばれる症状は、
本人は自分のブログのヘッダーにある簡易プロフィールで「コミュ障」を自称している。
http://rlee1984.hatenablog.com/
過去にも、統合失調症を疑われるレベルの、会話の意味や意図のつながらないやりとりがあった。
http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20140303113406
不可解なことに、
本人は「そのような診断を受けたことはないですし、受ける予定もありませんし、周囲からすすめられた経験もありません」と応えている。
http://rlee1984.hatenadiary.jp/entry/2014/02/10/053509
いずれにしても、病院、行け。
インターネット上の匿名の場で、限られた情報から、素人考えに個人の体質を推測で議論されるよりも、専門家に白黒つけてもらったほうがいいだろう。
コミュニケーション障害に関連する精神疾患のたぐいには、アスペルガーとか、自閉症とか、他にもある。
35歳になった。
ついこの間、魔法使いになったと思ったらアラフォーならぬヤラフォーになるとは。
自分の場合、ルックスは悪くないと色んな人から言われるし、仕事は正規雇用の中堅SEで趣味は文武両道、でも社会性コミュ力ともに破滅的に酷いせいで総合点マイナスという、自他ともに認める「実に残念なおっさん」だ。
「黙って立ってりゃマネキンの代わりくらいにはなるのに・・・」とも言い換えられる。
スーツだと30前、私服になると20代半ばに見られる。でも若いというより、精神年齢の幼さが顔に出ているのだと思うと、あまり素直に喜べない。
そして20歳になってから15年、性格ブサメンな部分は微塵も治っていない。
いや少しはマシになったのかも知れないが、彼女が出来て結婚してるわけでもなし、要はその程度だ。
「もうすこしがんばりましょう、てかやる気あんのかテメー」って感じ。
なのでこれからの15年もこの流れは変わらないだろう。
そうなると、生涯独身になる可能性も大いに視野に入れ、今後の生き方を模索すべきなのだろうけど・・・憂鬱だ。
というのも、周囲の独身40代50代ともに、ろくでもないオヤジしかおらず、全く希望が持てないからだ。
例を挙げる。
これでどうやって独身貴族(死語?)の夢を見ろというのか。「男やもめに(ry」ってレベルじゃねーぞ!
このおっさんたち、社会と関わる上で開き直ったり無視してはいけない部分を踏み外し、投げ出しているように思えてならない。
しかも自分は多分、上の人達にかなり近いところにいる。遅かれ早かれこうなる気がしてならない。
ここまで「明日は我が身」を見せつけられるのは恐怖以外の何者でもない。
それに引き換え、周囲の既婚男性は皆凄い。カッコイイ。輝いている人達ばかり。
なんで俺を嫁にしてくれなかったんだと詰め寄りたくなるレベル。
せめて年を取るなら、そっちサイドに行きたかった。
そう考えると、「オヤジ臭い」というのが褒め言葉ではない理由がよく分かる。
生臭くならず年老いていくのは、かように難しいということだろう。
ナンパをしてみたいが、様々な理由(これは結局の所、女性に声をかける勇気が出ないという事に理屈をつけているにすぎない)で自分には到底無理だ、考える人は少なくない。もちろんそれは貴方だけのせいではない。生まれ持っての性格、容姿、両親の教え、兄弟・姉妹の有無、学校のクラスメート。様々な、自助努力ではどう仕様も無い所(人はこれを運と呼ぶ)で貴方の大部分の対異性コミュニケーションのスキルは形成される。だからまず初めに言っておこう。「モテないのは貴方のせいだけではない」と。
しかし、モテない原因が貴方だけに帰結するわけでないのにも関わらず、このモテなさによって引き起こされる様々な悪循環の被害を受けるのはあなただけだ。そう自分のケツは自分でぬぐわねばならない。もちろん早く何とかしなければならない、と考えている人も少なくないだろう。しかしどうしていいか分からない。とりあえずはてなブックマークで「異性から好かれる方法」みたいなエントリをブクマしとくか?しかし定期的に人気エントリーとしてあがるこの手の記事を数年間見続けたにも関わらず、今日も貴方はまたこんなエントリーを藁をもすがる思いで見ている。つまり、貴方は何も変わっていないのだ。もう安全地帯でいちいちピーチクパーチク「リア充氏ね」と騒ぎ立てている場合ではない。時はきた。この手の記事をブックマークするのはこれで最後にしろ。実践だ。貴方が変わるのに必要なのは、聞きたくないだろうが「実践」以外にはありえない。断言するが、可愛い子とイチャイチャするのは、貴方が実践で多くの失敗を積むことなしにはありえないのだ。
さてここでの実践とは「ナンパ」の事をさす。もちろんナンパ以外にも異性と仲良くするスキルを身につけることは可能だろう。そういう奴は各々思い当たる事をやれ。だがもう一度聞く。「思い当たる事」をやった、やったけど上手くいかなかった、あるいはそもそも出来なかったから貴方は性懲りも無くこんなものを「真剣」に読んでいるのではないか。
本題に入ろう。大丈夫だ。いきなり下心を出し切った状態で女性に声をかける度胸など、私は貴方達に期待などしていない。最初は「ナンパ」ではない。だが王道だ。道をたずねろ。ヘタレの中のヘタレ人々が最初にやる事。それが「道を聞くこと」だ。道を聞け。駅員じゃない。人の良さそうなオッサンでもない。若い女の子だ。自分の恋愛対象になりそうな容姿をした女の子だけだ。「すいません、(女性が反応してくれるのを確認しろ。そして確認したら間髪入れずこう言え。ただし早口はダメ)この近くに薬局ありますかね」「図書館がこの近くにあるって聞いたんですが」とにかく場所は何でもいい。そして、愛想良く対応してくれて、かつ暇そうなら雑談しろ。不安ならスモールトークになりそうな話題をマニュアル化して対応すること。「今日すごく暑いですよね」を最初に必ず持ってくる、と決めておくだけで不安は和らぐはずだ。「道を聞く」という作業をする理由は単純だ。何の接点もない(強いて言えば同じ道を歩いていることが接点か)男女が交流するという、貴方のこれまでの人生にはありえなかった体験に慣れる事が一つ。あとヘタレに嬉しいお知らせ。道を聞かれて無下な対応をする女性は「ほぼ」皆無だ。いるにはいる。まあこれは通り魔に襲われるよりほんのちょっと高確率なぐらいだ。
さて「道を聞く」という作業もやっぱり出来そうにない、という「真のヘタレ」 言わば「ヘタレの中のヘタレ」にはこんな工夫がある。タイトルの通り「地図を持って道を聞く」という事だ。大抵の女性は、それなりの警戒心を備えている。そしてナンパの第一関門は「警戒心を解く事」にある。もう少しいえば「俺全然怪しいもんじゃないですよ」と直接言わずに警戒心を解く事にある。「道を聞く」という事は「それ以上の目的があってあなたに近づいたわけではないですよ」という暗黙のエクスキューズを発信する事に他ならない。だから大抵の人は、特に女性は、貴方が思うより親切に対応してくれるだろう。しかしここで問題なのは、この警戒心の解き方は「○○ってどこですかねー」と貴方が自然かつスムースに言える事によって成立するということだ。もしかすると貴方の対異性コミュニケーションスキルは、そのような単純な会話が出来ないほど錆び付いているのかもしれない。だったらもう物に頼れ。そう地図だ。地図が貴方を「道に迷ってる人」に勝手に仕立て上げてくれる。あとはこう続けるだけだ。「スイマセン、ここってどこら辺ですかね?」
以上、初歩の初歩から書いた。やる気のある奴は明日から始めろ。そして若い女性との一瞬の交流を楽しめ。もちろんここまでヘタレに配慮したのにも関わらず、やっぱり出来ない奴は、正直手の施しようがない。しかし繰り返すがそれは貴方のせいではない。ある意味仕方のない事だ。なので残りの人生、空からルイズたんが降ってくる奇跡を信じて心安らかに生きて欲しい。
考えるべきなのは、
そういう自分の理想はなんだっけ・・・みたいに考えると、自分の足りないところを補ってくれる女性像にしかならず、
高望みや理想主義になって、釣り合わずに付き合えないで終わるパターンだ。
本当に考えるべきは、自分と相手の相性に尽きるよ。
どんな部分の相性があえば、二人は上手くやっていけるのかってこと。
言い換えるなら、自分が生きていく上で、ゆずれないところを共有できるか?ってこと。
きれい好きじゃなくてあんま掃除しないから、相手も掃除を自分と同じレベルで掃除をしない人の方が相性が良いわけだし。
SEXの頻度だって、片方がしたいしたいばっかいってても、やりたくなる頻度が違えばどっちかが疲れるし。
参考までに、自分は3つの基準をおいてる。他は、多少の違いでも我慢できるからな。
・コミュニケーション=会話してて楽しいか。疲れないか。興味や、話したがり聞きたがりの相性。
・性コミュニケーション=男・女の距離感。恋愛の距離感。1人でいる時間と2人の時間を選ぶ割合。あとはSEXの頻度とか。電話の頻度とか。
俺そうかもしれん。
キャラクターに自分を投影できない。というか、話の外から眺めているのが好きになってた。自信のなさからくる、という可能性はじゅうぶん考えられるな。別に異性と話が出来ないわけじゃないんだけど…ぶっちゃけ話すことがない。テレビ見ない。相手と合う話題を用意する気もそれほど持ち合わせていないorz
それは百合男子が腐女子になりたくてなってるわけでもないし、憧れてるわけでもないと思う。
ふたつとも、単に行き着いたなれの果てだ。
はっきりいって性への劣等感と罪悪感。主に前者がそのなれの果てに関係すると思う。
普通の恋話みるときとかだと自分をキャラクターと同一視するところがある。
要は、エロゲーとかで主人公の顔が見えない的な、アレ。
だけど、自分の性の能力(対異性コミニュとか全般含む)に自信がないと、同性キャラに同一視できない。
おれは、この男みたいに○○できないよ・・・とか
私は、この女みたいに○○できないよ・・・・となるわけ。
けれど、自分の性が登場しない同性ものの場合だと、完全に自分はただ作品を見てるだけの人になる。
そこでは、読み手に王子様を期待されないし、読み手にお姫様も期待されない。それは自分と同じ性の人間がいないから。
もちろん女性の対男性コミュニケーションには友達コースと恋人コースの2つしかなく、
その2つが大きく異なることも知らない。
純粋な男と付き合いたいという話を聞くことが結構ある。
でもその話を聞くたびに、なんか無理目なこと言ってるなーと思ってしまう。
理由は主に2つ。
まず、純粋だけどいい歳して独身の男というのは、本人のパーソナルスタイルの問題から、
というのも彼らの場合、「清潔感がある、体に合ったシンプルな服装、手入れの行き届いた髪型」
「自信に満ち溢れ、それでいて気さくで、にこやかで落ち着いた大人の態度」という
最低ラインすらクリアしていないことが多いからだ。
もちろん出会いを求めて独身女性が多数いる場所に進んで出かけることはないし、
交友関係が似たもの同士になったりするので合コンに現れる可能性も低いし、
そもそも女性に対して積極的に話しかけたりしない。
これでは女性の眼中に入らないのも無理は無い。
次に、純粋な男は純粋な反面、ナイーブで子供っぽいことが多い。
どれだけナイーブかと言えば、いい歳こいて女性と何を話していいか分からないのは当たり前、
もちろん女性の対男性コミュニケーションには友達コースと恋人コースの2つしかなく、
その2つが大きく異なることも知らない。
当然、結婚と恋愛とセックスの区別なんてついていないと見ていい。
こういう男と付き合えば、浮気性の男とは別の意味で泥沼化するリスクがあるし、
そんな彼のありのままを愛するのは、それはそれで大変だと思うのだ。
昔はお見合い制度のおかげで、こういうウブで不器用な男も恋愛抜きに結婚できたのだと思う。
でも今の恋愛結婚一辺倒なご時世じゃ、恋愛をする上で必要な知識も工夫も知らない彼らには、
女性と付き合うことはおろか、出会いすらありえないのが現実だろう。
つくづく恋愛至上主義は罪深い。
橋下知事に「『お前』メール」 府職員に100人もいる! : J-CASTニュース
http://www.j-cast.com/2009/10/09051410.html
ファックコミュニケーションが男性コミュで主流な理由とか - pal-9999の日記
http://d.hatena.ne.jp/pal-9999/20070527/p1
【トレビアン恋愛】ファックコミュニケーションで男女関係の恋愛攻略! - livedoor ニュース
http://news.livedoor.com/article/detail/3195575/
どの作品を読んでそう考えたのか知らんが、普通は何らかの理由付けがされてるよ。
「やさしいところ」って
んなわけないだろと内心ツッコミながら読むのは野暮
ナンパだって普通はナンパが許されたナンパスポットでやるでしょ。
そうではない場所でナンパするのはただの迷惑な人だし、繰り返せば不審者として通報されても文句は言えない。
ピンポンだって同じだよ。
自分の場合だと飲み屋で隣の席とか、外国で同じ電車とかが女性に声をかける勇気の限度だけどさ
人によっては違うんじゃないかな
まぁ、住宅街でナンパは普通はしないだろと言うのは確かにそう思うし
ピンポンも通報されてもおかしくはないと思う
だが、ピンポンでやってくる宗教と新聞の勧誘との迷惑度の違いはよくわからないな
ピンポンナンパの彼が壮絶なキモオタだったてのなら主婦が恐怖を感じるのはわからないでもないが
それこそイケメンならOKの本人次第なんじゃないのかと思う
それはさておき
ある種の相手は自分に好意を抱いているはずだという妄想を抱いていない限りは
場数を踏んで勘が働くようになる前の初心者ならなおさら
一種のKYだと思うが
女の子同士はお互いの腹の探り合いがあるから
女性にはわからないかも知れないけど思春期の男子は基本的に妄想的で人の気持ちが読めない
成人になっても男の告白なんて断られるケースの方が多いわけだからさ
絶対成功すると自分に暗示かけるくらいじゃないとやってらんないよ
それができない奴が非モテになる
扉を開けた女性が一目自分を見て気に入ってくれると思ってるの?
だれでもいきなりインランになるとか?
暇だったら遊んでもらえるかもくらいは思うんじゃね
ナンパだって99%断られるのに一応は社会的に認められた声のかけ方じゃん
ピンポンして声をかけるのも同じだろうよ
「だれでも」なんて期待するアホもいるかも知れないけど
100人に一人いるのを期待してやるんだよ
俺はセックスがそんなに好きじゃないからしないけどさ
ネットだと散々ネタ扱いされているけれども、新條まゆという作家は侮れない。読者のニーズや流行を一歩も二歩も早く察知する探究心と、サービス精神は赤松健クラスじゃないかと思う。そして思春期女子を問答無用で黙らせる力技は並じゃない。強引男によるエロという様式だけ真似た「まゆたんチルドレン」とは格が違う。彼女の作品を俺たちが理解できないのは当然だ。新條まゆは特定の読者層を極めて正確に狙い撃ちしているのだ。一般女子が「ToLOVEる」を読んでも全く面白くないようなもんだ。
「バカでも描けるまんが教室」という新條まゆの技術書というか自叙伝があるが、これを読むと彼女がいかに自分の長所と短所を正確に把握し、「それまでの少コミにないジャンル」を開拓したかが分かる。最初からエロだったわけではないのだ。新條まゆははじめから「それまでの少コミにないジャンル」を描かなくてはいけない、と言っている。新條まゆ作品は雑誌にとって異端でなくてはならない存在だったのだ。
ところが、新條まゆの作り出した新ジャンルには、たくさんの「まゆたんチルドレン」がむらがった。とにかく強引男、そしてエロであればいいというような作品が増え、従来の少コミ作家が肩身の狭い思いをするようになってしまった。結果、新條まゆは少コミが性コミ化した戦犯扱いとなってしまったのだが、この場合、本当の戦犯は編集部だろう。
一方、雑誌がそんなことになってしまったのをよそに、異端でいたい新條まゆ本人は、(少コミにしては)ほとんどエロのない男子校の姫×女子校の王子様のラブコメなんて描きはじめてしまう。しかも心底楽しそうに。エロ鬼畜セレブ男子×没個性一般女子を描かせたかった小学館は相当焦ったと思う。エロ少女漫画の旗頭がそれでは…といったところだろう。そのあたりのいざこざが小学館との決別につながったんじゃないかと俺は勝手に想像しているんだが。
新條まゆは自らの手でムーブメントを引き寄せることの出来る作家だ。そして、世間が追いついたころにはすでに次の段階にいる。トンデモ台詞やオモシロポーズに騙されてはいけない。彼女の真価は既にそんなところには存在しない。新條まゆは、天然と計算が絶妙にミックスされたニュータイプなのだから。