はてなキーワード: ジャップとは
環境とかSDなんちゃらとかLGBT+への傾倒、商売相手のシナ、露助の容認のクソっぷり(メルケルは地獄に落ちろ)。
だが「筋」を通し続けたという点では「ゴミカスクソ野郎だが、認めよう」と思う。
今回もパレスチナのガキどもが何人死のうが、国連の職員が何人死のうが、「ユダヤ人を正しいと認める我が国はイスラエルのやることなすこと正しい」とやったのは本当に評価できる。
そして、俺は「筋論」を高く評価する。
ジャップの権威も権力も「吐いた唾を飲むどころか、その辺一体まで舌で掃除し、ゴミカスサヨの犬小便まで舐め取る」からうんこだって言ってんだよ。
アンサイクロペディアで行われているエクストリーム・スポーツという設定の、その年で行われた謝罪会見で不謹慎の度合やこれまで見なかったありえない謝罪会見を扱った晒し記事
起こした不祥事というよりも謝罪会見の内容を重視するので全ての不祥事や不謹慎の内容を扱っているわけではないが、ほとんどの場合は謝罪会見もセットされているので問題はない
(ロシア・ウクライナ、イスラエル・ハマス、アルメニア・アゼルバイジャンなどの戦争については謝罪会見なんかするわけないので、このあたりでは扱われない)
1998年から自由情報という個人ホームページで独自に展開しているテレビ音楽番組という設定の、その年で不祥事や不謹慎なことを起こした人間やユニット、組織などを晒すための企画
こちらもテレビマニアである自由情報の独断と偏見が強い関係や、そもそも出場歌手の枠数の問題もあって全ての不祥事や不謹慎を扱ってはいないが、「選出に漏れたもの」も含めると8割以上を網羅していると言っても過言ではない
もちろん発表された後に引き起こされた不祥事や不謹慎は審査されていないためか、羽生結弦は夫妻のまま、池田大作は「Wikipedia訃報2023年」で無理やり対処されている
低能先生や銃殺された元首相botなどを批判するために作られたとも言われている自分もやべーやつの一つと言われている晒し増田
上記2つと比べると増田以外の範囲はないのだが、増田における不祥事や不謹慎の確認にはなるとされている
ブラック企業大賞企画委員会がその名の通りブラック企業に皮肉的に賞を与えてその会社に対して業務改善を促すための企画
2019年まで開催されており、ワタミフードサービスや電通などの大規模で有名な企業のブラック企業が明かされていた
現在はコロナの関係なのか開催されていないためエントリ登録時は外していた(復活求む)
また海外版と言えるものとしてパブリックアイ賞となるものもあるが、こちらも現在は賞みたいなことはしていない模様(ただ怪しい企業の審査みたいなことはしているらしい)
Twitterの不動産関係者が募った「全国宅地建物取引ツイッタラー協会」が実施する、話題になった物件・事件を選出する賞
こちらは好意的に話題となった物件(例のプール)や事件も扱われるが、基本的にろくでもないまさにクソな物件や不動産関連の不祥事・不謹慎な事件が扱われることが多い
一応、ある弁護士が「この物件に対してクソと言うのは業務妨害になるのでは」と指摘しているが、そもそもそういうクソな物件だからそういう風に言われることについても考慮すべきである
ウェンディー・ノースカットという人物が勝手に開催している「バカな行動で自ら死亡、或いは子孫を作れなくなった人間」を皮肉的に表彰して晒上げる賞
不祥事というよりも不謹慎の方面だが、原因は全てバカな行動というものであるため、いわゆる『しくじり先生』などのような反面教師としての教訓として確認すべき有用な情報でもある
残念ながら我が国ジャップからも「ニコ生主富士山滑落事故」と「フォークリフトパレット現場猫案件」の2件が受賞しているため、†悔い改めるように†
ユダヤ人や中国人は世界に散って繁栄してるからユダヤ系や華僑という
日本人がユダヤ教に入信したとしてもただのジャップだし、ユダヤ教はユダヤ人しか受け入れてないからそもそも異教徒であり邪教徒
これを見て諸君はどう思う?
その通りだと思うかい?
しかし、差別とは、プレ暴力であるから、言う人間の主張主義が何かという話で扱いが変わることはない。
「人権を語る人間にだけ差別語を使わないことを求めている」とは、
言い換えれば、
「人権を語らない人にはそこまでの厳格な差別語の忌避を求めない」「人権を語らない人へは、もっと寛容に多少の差別語は見逃してもいい」という事だと言えるよね。
あれ?おかしいことに気付けるかな?
という構図なことに気付けるかな?
全く許さないか、それ以外か、の2つしかないんだ。少しでも許してしまうなら、結局、差別の許容でしかないからね。
「どうせネタだから、悪気のない人にまで厳しく言うのはさすがに空気が読めてない」という考えは、実は差別主義者の本質のひとつである。
冗談やネタは「差別が受け入れられやすくなるための戦略」として意図的に使われるくらい、「典型的な」差別の方法なんだ。
匿名ネットで差別語を言っちゃいけないのは「人権語ってる奴」「人権を説くなら人権に配慮しろ」と言ってしまうこと自体が、差別への寛容さのあらわれ、差別の許容の裏返しであること
はわかったかな?
だって、本当に差別がいけないと思ってたら、相手の属性なんか関係ないはずだからね。誰が言っててもダメだ、と言うはずなんだよ。
こんな言葉が出てくるはずがないよね?
「全員」「すべての差別を言う人を、冗談でもネタでも許さないこと」「悪気の有無や主義主張に関係なく、徹底的に排除」
差別をする奴でも、人権について語ってない人はなあなあに許されてしまう空気自体がすでに差別の肯定、差別への加担だってことが、わかるかな?