はてなキーワード: みどりの日とは
元々、4月入り予定だった収入が5月入りに遅れたせいでの実入りが思ったよりも低くて
クレジットカードの支払いを分割にして乗り切ろうと思ってたんだよ。
で、4/28に支払方法の切り替え手続きしようと思ったら「未確定分があるのでダメ」って出たのね。
ふーん、じゃあ後日だなと思って昨日4/30に切り替え手続きしようとしたら「もう確定したからダメ」って出てんの。
で、見てみたら「支払日の5営業日前まで切り替え可能」って書いてあるのね。
俺の契約が15日締めの翌月10日払いだから今月支払い分は5/10払いなの、で、今月GWあるじゃん。
5/9(火曜)、5/8(月曜)、日曜、土曜、こどもの日、みどりの日、憲法記念日、5/2(火曜)、5/1(月曜)
ギリギリ払える。家賃光熱費と合わせてギリギリ払えるけどこれを払うともう3万しか残らん。
1日の食費1000円に抑えたとしても、緊急の支出があったらもう終わり。病院にも行けん。
なぜだ。なぜ4/28まで未確定分の計算をしていた。まだ間に合った、入金がないっていう連絡もクソ遅かったけど気づいた時点ではまだ間に合ったはずなのに、なぜ、なぜラストチャンスの4/28を潰した……
ぐああああああああああああ、1か月3万はマジでキツい。
タンジョウビーッス
今日は元天皇誕生日こと、元みどりの日こと、昭和の日でございますね。
間にみどりが入ってるのにちょっと戸惑いますけど、なんでも昭和天皇が植物に詳しくて自然を愛してたから、にちなむそうです。
そういえば人間宣言を行ったのもこの天皇様なんですね、そこら辺詳しく書けないしややこしいんでアレですが
でも少なくとも天皇様に対しての認識が変わったり大戦と呼ばれたものが終わったりしてからまだ百年も経ってないんだなぁと改めて。
百年って割と長いんですねぇ。
長いといえばGWが始まっているらしいです、関係がある人も関係がない人も気付けばあっという間に時間が経っていたりするので注意して過ごしましょう。
ということで本日は
ごく個人的な事だけれど、残しておきたかったのでここに書く。自分の今も心にわだかまる、あるささやかな思い出の話だ。
地元の町では毎年、みどりの日(今でいう昭和の日)にお祭りがある。
朝早くから山車(だんじり、という。これで大体出身地は絞り込めるかな)を、町内会ごとに、男たちが威勢の良い掛け声と共に担ぎあげる。だんじりは、筋骨隆々の大人の男性が数十人でようやく持ち上げられるほど重く、立派だ。
だんじりの中心は幕で覆われており、中には大きな太鼓がひとつ。次代の町内を担う小学生の男子たちが、太鼓を交代で延々と叩き続けリズムを作る。
それぞれがそれぞれのルートで出発しては町を練り歩き、八幡の神社に昼前くらいに集まる。
それから神社で何やら神事らしき事をおこなったのち、昼過ぎくらい出発しては、どの町内会のだんじりも、夕日がさすくらいまでに再び担ぎ出して帰る。
さて、僕の話だ。
僕ら一家は町内会①に、祖父母が少し遠い町内会②に暮していた。
両親は、仕事から帰ってくるまでの間の僕の世話面倒を祖父母に任せていたので、
保育園の迎えは祖母だったし、放課後は祖父母の家…つまり町内会②で過ごしていた。
両親は仕事が終わると迎えに来てくれ、夜は町内会①で暮らす。そんな日々をずっと送ってきた。
友だちも、まあそれなりにいた。たいていは子どもの自由時間である放課後に過ごす町内会②での繋がりで。
なにせ、僕は祭りの日にだんじりに一度も乗ることができなかったからだ。
町内会①も②にも僕が乗ることはなかった。
祭りが近づくと町内会の子らが太鼓の練習に当たり前のように行く中、
とても寂しく切ない気持ちを抱えて、1人で遊んでいたように思う。
覚えてないが、乗りたくないと言ったのか。親が町内会との折り合いが悪かったのか、はたまた本当に地域の慣習上疎外されるべき存在だったのか(なんらかの伝統的な基準を満たさなかったのか、次男だったからなのか)、分からない。
ただ当時の僕は、「自分が町内会①と②のどっちつかずだから、どっちにも認めてもらえないのだ」と思っていた。
両親も、まともに祭りに参加していなかった。住んでいる町内会①の祭りには、ろくに出ていなかったように思う。
一方で、祖父はみんなが担ぐだんじりの上に乗るという栄誉(と思われる)にあずかった事もあるくらい、祭りには毎年参加していた。その写真が、額縁に今も飾られている。
僕はそれを見ながら、誇らしい気持ちと共に、寂しく切ない気持ちになる。
一度だけ、祭りの日に友だちについて行って、違う町内会の休憩しているだんじりの太鼓をこっそり叩いた事がある。どうしても叩いてみたかったんだ。
みんなは練習しているから、カッコよく慣れた手つきで叩くし、どこでどんな風に叩いたら良いかも分かっているなか、僕だけがみっともなく不恰好な太鼓を叩いている。
その居心地の悪さは今でも覚えている。
自分の町内会でもない太鼓で、練習してもない腕で、太鼓を叩いているグロテスクさへの嫌悪感と
自分が欲しかったのは太鼓を叩く事ではなく、当たり前のように太鼓を叩くことを求められ、それを、当たり前に思う帰属意識だったのだとわかった失望。
幼かったので言葉にはできなかったけれど、「これは違うんだ」と、だんじりから降りてからジリジリと、違和感を感じていた。
……
その後、ありがたい事にお勉強ができた僕は、東京の困難な大学へ合格し、就職。
10年ちかくキャリアを積んで、いま長年の夢を叶え、働きたかった会社で働いている。
東京の暮らしは心地よかった、だって、ここでは本当に他所者なんだから。
名実ともに故郷であるはずのふるさとに、疎外感を感じながら居ることの方がつらいのだ。
………
こうして僕は、ついぞ大人になる過程の中で故郷という居場所を得ることはなかった。
いや、地元は好きだよ?でも僕の帰る場所じゃない。そんな思いが根強くある。
でもぼんやり思う…もし僕があの頃、本当の意味で太鼓を叩いていたなら、人生は変わっていただろうか?
いや、きっと何も変わらないのだろうけど。
でも老後の暮らしの選択肢に故郷がないのは、きっとこのせいだぜ。
おわり。
ただ1人、こんな淋しさを抱えて生きている僕という人間がいる、と自分を悲劇的に酔いながら書いただけの話だ。
何の薬にもならないだろう。
誰か知らないけど、読んでくれてありがとう。
今日、5月1日が祝日になると、祝日法により、4月30日と5月2日もセットで祝日になる。だからさー5月1日を祝日にしようよ、ねえ。
5月1日というと、メーデーだから祝日にしても良さそうだけど、左翼色が強すぎるから、嫌がる人も多いとか。だったら、提案なんだけど、11月3日を明治の日にしよう、って動きがあるみたいだから、元々の11月3日の祝日である文化の日を5月1日に移すってのはどうよ。
4月29日を昭和の日に変更したときだって、元々あったみどりの日を5月4日に移したって、前例もあるからさ。5月1日が文化とどう関係があるのか俺は知らんが、適当にこじつけて閣議決定すればOKだろ。どうせ山の日が8月11日になってるもっともらしい理由を説明できるやつなんて、いやしないんだから、適当な理由でいいんだよ。ハッピーマンデー法で祝日の意義も薄らいでるんだし。
保守派のみなさんは、文化の日を潰すな!って批判をかわせて明治の日が制定しやすくやるし、左翼のみなさんはメーデーが休みになることで活動がしやすくなるし、俺らは休みが一気に3日も増えるし、全く隙がない。素晴らしい。
髪を切ってもらっている時、ふいに「建国記念の日って何でこの日なんだか知ってます?」と聞かれた。
そう言われてみれば知らないなあと思いつつ、日本政府ができた時かなと思い「明治維新の頃ですかね」と適当に答えた。
「え?じゃあ江戸時代までは日本って呼ばれていなかったんですか?」と更に聞き返されて、「そうかもしれませんね。」と適当な相槌をうってしまった。
それで帰ってきてから謎のままじゃすっきりしないと調べてみたら、全然違いました。
というか、日本書紀とか江戸より以前でも普通に日本が使われていることを思い出してめちゃくちゃ恥ずかしくなった。
さらに畳み掛けるように、「みどりの日って何の日ですか?」とか聞かれてそれなら知ってると思い「昭和天皇の誕生日を、長いこと祝日だったから平成になっても祝日のまま残した日ですよね」と答えたら、今度は「え?じゃあ昭和の日って何ですか?」とか聞いてこられて「そんな日ありましたっけ?え?あれ?」しどろもどろになってしまった。
「え?」じゃねぇよ。自分で調べろよ。というか髪切ってもらってる間じゃスマホも取り出せねーよ。
エクセルでカレンダー表を自動作成するためにVBAでプログラム組んでる最中、ふと「祝日」って何なんだろう?と思って、結局法律なのかなぁと祝日法の条文読んでてワロタw
成人の日 一月の第二月曜日 おとなになつたことを自覚し、みずから生き抜こうとする青年を祝いはげます。
建国記念の日 政令で定める日 建国をしのび、国を愛する心を養う。
昭和の日 四月二十九日 激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす。
憲法記念日 五月三日 日本国憲法 の施行を記念し、国の成長を期する。
みどりの日 五月四日 自然に親しむとともにその恩恵に感謝し、豊かな心をはぐくむ。
こどもの日 五月五日 こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する。
海の日 七月の第三月曜日 海の恩恵に感謝するとともに、海洋国日本の繁栄を願う。
山の日 八月十一日 山に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝する。
敬老の日 九月の第三月曜日 多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う。
体育の日 十月の第二月曜日 スポーツにしたしみ、健康な心身をつちかう。
みなさんご存知の通り、今年のゴールデンウィークの暦はこうなっています。
4月30日(水)
5月 1日(木)
5月 2日(金)
「あれ、今日ってみどりの日じゃないの?」とつぶやいていた馬鹿がいましたが、4月29日は2007年より「昭和の日」になりました。そして、「みどりの日」は5月4日に移動になりました。といっても、「昭和の日」だからといって、特に昭和めいたことをするわけでもなく、ごく普通の休みと同じようにして過ごしました。日本国民の大半はそうなのではないかと思います。
ところで、今年の5月6日って休みなんですね。どうやら、5月4日の振替えで休みになっているらしいです。そこで、私も含めて、日本の祝日制度が平成初期で止まっている人は違和感を感じるわけです。
そこで、曜日周りが同じ年のカレンダーを調べてみました。2003年がそうでした。
4月30日(水)
5月 1日(木)
5月 2日(金)
5月 6日(火) (平日)
参考(http://www.benri.com/calendar2/2003.html)
5月4日は2006年までは、「国民の休日」として休みになっていました。「国民の休日」とは本来、3日と5日のように、1つの平日を挟んで2つ祝日があるときは、その2つの連休の間の日も休みにしましょうという日でした。これは、飛び石連休をなくして、まとまった休暇を取りやすくしようというのが目的だと思われます。よって、4日が日曜日となっている場合は、「国民の休日」にするまでもなく3連休になっているので、これ以上休みを増やす必要はなかったのです。
ところが、2007年より、4月29日が「昭和の日」に、5月4日が「みどりの日」に、改定されました。これに関しては、「なーんだ、休日の名前が変わっただけじゃん」と思ってました。でも、実は5月4日が「国民の休日」という便宜的な休日から「みどりの日」という正式な祝日になったことで、私達に意外な恩恵をもたらしていました。それは何かというと、今年(2014年)の5月6日の休みがそれに当たります。祝日法の改定により、休みが1日増えたのです。
もっと厳密なことを言えば、2007年の祝日法改定前は「振替休日は翌日の月曜日」というルールになっていましたが、2007年の改定によって「その日後においてその日に最も近い『国民の祝日』でない日を休日とする」というルールになりました。同じことのように思えますが、この変更がなければ、今年のみどりの日の振替休日は、こどもの日と重複してしまい、結果として休みが1日減っていました。
こんなこと気にしても仕方ないのかも知れないが、
「自主憲法が公布された日が、5月3日に替わって、新憲法記念日」に書き換えられる、ということになろう。
そうなった場合、「旧」憲法の記念日である「5月3日」は、果たして祝日であり続けることが出来るのか?
恐らく自民党としては、「旧」憲法は「忌むべき歴史、消し去りたい歴史」だから、
「5月3日を祝うこと自体、取りやめたい」と考えてしまうのでは?
そうなると、5月3日は祝日でなくなり、つまり「ゴールデンウィークの一角が崩れる」ということになり、
そういえば以前は、5月3日が憲法記念日、5月5日がこどもの日、その谷間の5月4日は「名無しの権兵衛の休日」だった。
これは「祝日と祝日の谷間は、特別に休日にする」という特例に基づく休日だったが、
穿った見方をすると、「占領憲法改訂で、5月3日を祝日から外してしまったら、5月4日も休日でなくなってしまう」
という事態を回避するために、5月4日を「祝日谷間の名無し権兵衛休日」から「みどりの日」に
「格上げ」したのかもしれない。