はてなキーワード: 選択と集中とは
頭を使うって、なにか判断基準が必要なんだけど、その判断基準がとにかく近視眼かつ矮小だから基礎萌芽研究投資に金が出んのは想像がつくってことだ。
一番いいのは巨視的な費用対効果を見ることだろうが豊田長康先生ぐらいだろう。だが、あれでもだめということは判断基準にできない。
まだばらまきをする方が金が回る可能性が高いな。
https://news.yahoo.co.jp/byline/enokieisuke/20211030-00265675
維新はやっぱり返答なしだよねー。だって科学技術政策って、すぐに費用対効果がでないから新自由主義の連中にとって鬼門だもの。
上辺だけ選択と集中だ!
(儲かるものの前には儲かるかどうかわからない段階の積み重ねが必要なんだが。起業やイノベーションを起こすやつを雑草みたいにかってに生えてくるとでも思ってて、踏みにじっても構わんわ。だってかってに生えてくるだろ。みたいなのが新自由主義)
とかほざくが、費用対効果がすぐ出るもんじゃないから、金を出すきはない。けど、どこかに隠れてるだけだ!そいつらを引きずり回せばいい!みたいなのでしかねーもの。
国民民主党も返答なしというのは残念だが。
無論積極財政もいいし、「俺のは有意義だけど、他のやつのは無意味だ」みたいなドグマに陥るから科学以外を無意味という気はない。だけど、儲かる前の科学は政府しかできないし、次の産業の種となり、芽になる。
だから、積極財政で特に使うのは科学技術予算が多いほうが良いと思ってる。だからきちんと返答してほしかった。
れいわはまあ順当だな。これについては立憲、自民、共産ともに順当な返答だと思う。自民がやや選択と集中寄り気味だとは感じるがな。
表現の価値に格差がある、と法律と思想によって認めてしまったのが、ヘイトスピーチ規制の流れだったわけだが
価値を誰かが判断して価値が低いものを規制しようって発想によって
デスメタルを価値が低いから規制し隔離したがる老害は、はたして本当に表現の価値が理解できているのだろうか?
しかしデスメタルは規制されがちだったりする。価値の高さを知らないからこそ規制してしまう。
価値の高低を誰かに判断できる、と考えるのは間違いなく誤りで、
それは結局かの悪名だかい、科学研究の選択と集中、と同じミスを犯している。
現時点ではクソだと思われている表現のことだ。クソのなかから価値は生まれる。
だから、お前の論も、前提が間違っているはずだ。
https://togetter.com/li/1775893#matome
このエピソードから学ぶべきことは、「偉大な発見のためにはとにかくなんでもやってみることが大事。『選択と集中』なんてケチくさいことを言っていると研究は取り残される」ということですね。研究に予算をバンバン流しましょう。
不景気で金を貯め込みやすい状況なのに法人税を下げたから更に溜め込んでさらに不景気に落ち込んでるのがもう一つ。
なので、財政出動で景気を良くすること、法人の税金は使ったら減税、貯め込んだら増税とメリハリをつけるべき。
あと、投資先がなくなったというのは、選択と集中と、基礎萌芽研究投資不足で、もうかる前の科学が壊れたこともあるな。政府の緊縮の裏側で。
そもそもさ、経済が良くないと産業が成長しないんだ。だから緊縮を前提にしている候補はその時点で駄目。
不景気で選択と集中だとか言って当たる万馬券に全額かけるののと、ただ財政出動して好景気にするだけではまだ後者のほうがマシ。
あと、〇〇に全ブリしますなんてのはいわゆる選択と集中で今まで20年やってきたこと。だけど、もうこれが儲かるなんてのは、すでに儲かる産業に関わる企業がいっぱいいるからその時点で金を出しても遅い。
あえて言うなら、儲かる前の段階に、科学的成果を元に金を出すことなら望ましい。だけど、どこから芽が出るかわからないもの。残念ながらそこに金を出すという候補はいないな。
「選択と集中」は間違えていたのだから研究費をばら撒かないといけない、
将来、どれが当たるかなんてわかる目利きなんて出来ないのだから、お金をばら撒かないといけない、
投資もインデックス投資のように分散させてるのだから、お金をばら撒かないと、
という声がある。
賛成意見が多い中、あえて、そうか?という意見を出してみたい。
過去の研究事例を調べると同時に、応用先の市場調査も実施するのではないだろうか。
税金を投入するのなら、それなりに納得感のある理由付けが必要だろう。
もちろん将来化けて莫大な利益につながるかどうかなんて誰にもわからない。
誰にもわからないが、リサーチした研究者がまだ他の人よりも利益につながるかどうかという結論に近いはずである。
研究者は経営のプロでもないので、分析が足りないなどあるだろうが。
エンタメ、観光などとも結び付けられず、パトロンも見つけられず、お金にはなりそうもないが、研究は続けたい。
研究内容を漫画にして面白おかしく伝える能力はないし、漫画を書いてもらうお金もないし、パートナーも見つけられない。
クラウドファンディングなんて研究を冒涜するようなお金の集め方は出来ない。自分の研究は高尚なものだ。
YouTubeなどで、自分の研究を広く知ってもらうのはこっ恥ずかしい。
というのは、難しいのではないだろうか。
全く新しいものは海外にまかせておき、上手くいきそうな研究をいち早くキャッチアップする。
それでいいのではないか。
アホか。
新しい物事の前には積み重ねがある。
新しいものは、(1)何に使えるかわからない段階、(2)着想を得たが、市場と商品技術が合致したプロダクトマーケットフィット(PMF)がなせていない段階。(3)PMFがなせたが、企業がリスクを取れる段階。(4)企業がリスクを取れる段階。と歩んでいく。
はじめから3以降のものがあるはずだとアホをおだてて無理強いした結果、皆地獄に落ちているがゆえの今の衰退という側面がある。(1)(2)は政府の基礎萌芽研究投資で育むしかないが、選択と集中で破壊した。(1)(2)を政府支出と教育で育み直すことしかない。
だ。なのに、リスクを取ることが必要だと「他人に強いて煽って」実際そいつらはゴミクズのように扱われてる現状がある。起業家や若手研究者だ。すると当然新しいものなぞなくなる。それが新自由主義の結末。
そこを開き直ってデフレのほうがマシだそれを望んでるなんて馬鹿としか言いようがないな。経済学は哲学者がやってたから精神論になるだぁ?ちょっとは実態を見てその実態から得られる事象を見て考えろや。
まずは「他人が危ない道を歩めば、そいつが死んで、俺達は豊かになる」みたいな腐った根性なら一生黙ってろ。経済学は経世済民と言って、世の中を良くするための学問だ。