2021-09-02

研究の「選択と集中」の話

選択と集中」は間違えていたのだから研究費をばら撒かないといけない、

将来、どれが当たるかなんてわかる目利きなんて出来ないのだからお金をばら撒かないといけない、

投資インデックス投資のように分散させてるのだからお金をばら撒かないと、

財務省国家を衰退させる売国奴

という声がある。


賛成意見が多い中、あえて、そうか?という意見を出してみたい。


リサーチした上で、あえて、お金にならない研究を選んで税金をつぎ込んでも自分研究価値があると言っているのか

過去研究事例を調べると同時に、応用先の市場調査実施するのではないだろうか。

個人の単なる好奇心からくる探求に税金を投入するのか。

税金を投入するのなら、それなりに納得感のある理由けが必要だろう。

もちろん将来化けて莫大な利益につながるかどうかなんて誰にもわからない。

誰にもわからないが、リサーチした研究者がまだ他の人よりも利益につながるかどうかという結論に近いはずである

研究者は経営プロでもないので、分析が足りないなどあるだろうが。


お金に結びつきそうにない研究は捨てるのか

エンタメ観光などとも結び付けられず、パトロンも見つけられず、お金にはなりそうもないが、研究は続けたい。

研究内容を漫画にして面白おかしく伝える能力はないし、漫画を書いてもらうお金もないし、パートナーも見つけられない。

クラウドファンディングなんて研究冒涜するようなお金の集め方は出来ない。自分研究は高尚なものだ。

YouTubeなどで、自分研究を広く知ってもらうのはこっ恥ずかしい。

自分の興味の赴くまま自由研究がしたい。

というのは、難しいのではないだろうか。


そもそも海外の先端に追いつく、理解できる人材がいればいいのではないか

全く新しいもの海外にまかせておき、上手くいきそうな研究をいち早くキャッチアップする。

それでいいのではないか

そもそも日本人既存のものを改良する方に能力がある。


OISTは何をもたらしてるのか

研究環境を充実させれば論文は出る。

出るが何を社会還元しているのか。沖縄になにか貢献してるのか。

論文あくま指標の1つにしか過ぎないのではないか

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