※前提として、筆者は首都圏や大阪だけでも早急に経済停止を含む処置(少なくとも緊急事態宣言)をとるべきだと考えています。
これについては、文章の最後に私以外の人の意見もいくつか紹介していますので、反論自体に興味がない人も読んでいただけると嬉しいです。
なお、増田における個人への言及が規約違反になりうる、という話については承知していますが、
上記記事の著者であるdeztecjp氏自身がそれについて 「穏当な批判まで第三者が不当視することではない」というスタンスをとられていることと、
今回の内容がなるべく多くの人の目に触れてほしいということを鑑み、増田という形を選ばせていただきました。
もし、deztecjp氏自身から削除依頼があれば、対応いたします。
さて、私がdeztecjp氏の記事について引っかかったのは、主に以下のような箇所です。
新型コロナだけ、必死に対応しようとする人々は、他のほとんど全ての危険について、忘れているのではないか。だからこそ、一点集中で全リソースを投入することを望むのではないだろうか。
最大限の見積もりでも総人口の数%が死ぬ程度で、おそらくはスペイン風邪(総人口の1%)が現実的な目安になる。
ひとつのご意見として理解はしますが、少なくとも「総人口」を基準に置く書き方はフェアではないかと思います。
リスクの高い場所(都心など)に住む人々の何%が死ぬか、というファクターも重要ではないでしょうか。
ひとつの思考実験として、より極端なケースを考えてみればはっきりするかと思います。
例えば、コロナとは別にある特殊なウイルスが流行したとしましょう。
特定の区域に住む260万人の人々だけは免疫を持たず、感染した場合に確率50%で死ぬとします。
また、何も対策を打たない場合、この区域の人々に徐々にウイルスが感染していき、やがて全員に感染するとします。
この場合、亡くなるのは日本の人口1億3000万人の1%程度です。
しかしながら、これを放置するのは、「日本中の1%が(ランダムに)死ぬウイルスを放置する」というのと比べ、倫理的に大きく問題があると考えます。
それは、「放置する」という決定は国民全員(の代表たる国会)でしても、そのリスクを負うのは一部の人々だけであり、また当該の区域に住む人が死ぬまでに感じる恐怖といった面も無視できないからです。
さらには、生き残った50%の人たちについても、家族を含む当該地域の人間関係を複数失うことが想定され、
その人たちのQOLに大きく悪い影響を与えてしまうというようなこともいえます。
大雑把に言うと、「人間関係の5割を失う悲しみを味わうひとが130万人いる」というのは「人間関係の1%を失う悲しみを味わう人が1億数千万人いる」より望ましくない状態だということです(筆者の考えでは)。
以上のようなことから、私は、「日本中の1%が(ランダムに)死ぬケースなら経済を止める必要がないかもしれない」「しかし、今回のケースでは経済を止めるに値する」と考えます。
その上で、deztecjpさんが「いや、今回のケースでも命の値段はそこまで高くない」と考えるのであれば、私に説得することはできません。
(実際のところ、自動車事故や自然死も「完全に平等な死」ではない以上、どこまでいっても価値観の問題ではあるかもしれません)
それでも、「命の値段はリスクの不平等さによっても変化しうる」という点については、同意していただけないかと考えるのですが、いかがでしょうか。
なお、私個人としては、コロナとの戦いを諦めた場合、死亡リスクが高い地域においてパニックが起きると考えており、その意味でも首都圏や大阪は少なくとも緊急事態宣言を行うべきだと考えています。
(以下、いくつか私が同意している意見を引用します。ツイートの文脈については引用しきれていないので、すみませんがクリックでご確認ください)
このくらいの生命の危機に晒された場合、ほんとうにみんなが職場放棄して逃げるエビデンスがあるのかといわれるとわかりませんが、私が都民なら逃げるので、個人的には、感染爆発下で経済活動維持なんて無理だろうと思いますね。
2月くらいにロイター等海外紙が論じていましたが、感染が急拡大しても武漢のように移動制限も取らずに政府が状況をひたすら放置すると、パニックによる都市機能停止が起きることが懸念されていました。欧米はロックダウンでパニックを抑えたので、日本が初ケースになる可能性があると考えています;;
イギリスでの試算では、「緩和」を選ぶと、25万人が死ぬという。
もちろん、医療システムは完全に崩壊する。
集団としての人間は、その状態に耐えられない。
あなた個人がいくら冷血で「いくら人が死んでも気にすることはない」と思っていたとしても、いざ死体の山ができて火葬が追いつかないような状態になってみると、あなた以外の多くの人間が「これではだめだ」と思うようになり、結局は「封じ込め」に方針転換せざるを得なくなる。
イタリアもそうなっている。
日本も、そういう状況になったら、確実にそうすることになる。
※最後のtakeda25氏の意見はちょっと本題と逸れますが、「冷血」などの価値判断はともかく、「結局のところコロナ対策を行うことになる以上、対策を行うのは早いほうがよい」というのには理があると思い、紹介させて頂きました。
実際、下記のニュースのような状態になったら、封じ込めに転換しないというのは不可能だと考えます。(deztecjpさんの書く "負けが明白になっても食い下がるのは、なしにしてほしい。" というのはこのような状態を想定しているのでしょうか? 私は、仮に経済をある程度重んじるとしても、下記のような状態を避けようとする対処は最低限必要不可欠と考えます)
イタリアのコロナ死者数、統計はるかに上回る
死者の多くは病院まで行きつけずか、検査されず
上記のような「完全に崩壊した」地域の経済リスクについて考慮する必要があると考えます。
その点、deztecjpさんの「総人口の数%が死ぬ程度」というような書き方はそのようなリスクを見えなくするものであって、ミスリーディングさを孕むように私には感じられました。
これは戦争なんだよ
国家がやるべきことは、簡単に言えば、コロナで死ぬ人+経済的に死ぬ人を最小化すること
なのに経済無視で、私が考えた最強のコロナ対策政策、なんてものは意味がない
食料と生活必需品は誰が作る?インフラは誰が維持する?物流は誰が担う?
問題はそんなに単純じゃない、私の足りない頭でもわかる
極論で正義側に立った気になるのはもうやめよう
ア マスク
・ 症状のある人がマスクを着用することによって、咳やくしゃみによる飛沫
(略)
略された部分を戻す:
https://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/kekkaku-kansenshou04/pdf/09-11.pdf
ア マスク
症状のある人がマスクを着用することによって、咳やくしゃみによる飛沫の拡散を防ぎ、感染拡大を防止できる。
ただし、健康な人が日常生活においてマスクを着用することによる効果は現時点では十分な科学的根拠が得られていない。そのため、マスクによる防御効果を過信せず、お互いに距離をとるなど他の感染防止策を重視することが必要となる。
やむを得ず、外出をして人混みに入る可能性が染防止策と考えられる。
・泣かずに起きている時間が増えた
・眠たくてグズるようになった
・クーイングが出るようになった
・なんとなく目で追ってくるようになった
・昼夜のリズムがついてきた気がする。朝方と夕方によくグズり、夜中はミルクを飲むとすっと眠る
・便秘ぎみなようで、出ない日も出てきた
・母乳をやめたので胸が元の貧乳に戻った。でもまだ乳首に刺激があると母乳は出る。しぶといと思った
・1ヶ月検診に行った
・右の金玉が大きめと言われた。よくあることらしい
・私も息子も湯船の許可が降りた。ただワンオペで入れる自信はまだないので、旦那と一緒に入ってもらうつもり
・哺乳瓶のニップルのサイズをひとつ上げた。完飲までの時間がかなり短くなった。今まで飲みづらかっただろう、気付かなくてごめんね
・昨日の夜と今日の昼、寄り目になって目の焦点が合わず仰け反っていきみだして、発作のような状態になった。40度近くまで発熱した。近所の小児科(初めて行った)に駆け込んだら大きい病院で検査入院するように言われた。入院した。当然私も付き添いで泊まり込むことになった。レントゲンでは肺に影はなかった。敗血症の疑いと言われたが、まだ詳しい結果が出てないからわからない
初めての桜、菜の花を見た
産院から退院して1ヶ月家から出ず、ずっと楽しみにしてたのに、私のせいでこんな初めてだらけになってしまった
昨日の夜のうちに病院に行くんだった
ミルク飲んだからって安心していつもどおり過ごすんじゃなかった
よく寝るなと思ったけど、今思えばあれはぐったりしてただけだった、気付けなかった
顔色や泣き方がいつもと比べてどうか聞かれたけど、答えられなかった
もっと消毒しっかりやっておくんだった
よりによってこんな時期に病院につれてくることになってしまった、コロナだったらどうしよう、コロナを貰ってしまったらどうしよう
何もかも私のせい、旦那と息子に顔向けできない
死にたいと思ってたけど、もっと頑張らなきゃって思い始めてたところだったのに
やっぱり私には母親なんて向いてない
別の人に育ててもらったほうが息子のためになる
ほんとうにごめんなさい
【追記】
世の中が嫌で俺以外の全員が死ねばいいと常々思っている。俺以外の全員が死ねば結局のところ俺も死ぬしかなくなるが、皆生きていて俺が死ぬよりはマシだなと。(大体の人間はそう思ってるかもしれない。)
でも今思いついたところ俺以外の全員が死んだとしても、俺にはそれを知る手段がないのだから、今俺には認識できないが世界のどこかで誰かが生き残っているのだろうかと考え、その誰かを恨みながら死んでいくのだから、結局のところ安らかな死など訪れないのだろうな。
その傷ができた頃のことを忘れているのかもしれないが、BCG接種の管針(皆がハンコ、ハンコって言ってるアレな)の跡ってそこそこの深さにまで化膿するのよ。だからああいう跡になるわけ。
独り言が増えた。なんだよこれーとか、まじで?、ふざけんなよ!とか。主に機械やシステムに対してだが。
wifiの速度がおせーなーとか紙のやり取りがなくなって画面上のデータだけでやり取りしようとしてなんか画面が見にくいなとか、そんなやつよ。
価格競争がある民生品が潤沢ならそりゃそのほうが良いに決まっている
そりゃ和牛とお魚(農水官僚かな)よりはまだしも脳みそ有るなって思うよ・・。