https://twitter.com/nhk_nethistory/status/1080832047977881600
iPhoneが数年に渡って、ライフスタイルを変えるようなことを機能追加できていない。
仕事端末としてのiPhoneは微妙で、人のスキマ時間を奪うことをいかにして達成するかになっている。なんでもiPhoneで出来るようになったといいつつ、やっているのはTwitterやインスタなどだ。
ゲーム端末としてのiPhoneはPDAではできなかっただろうなとは思う
マルチ波長イメージセンサを積んで食品の鮮度がわかるようになったら買い物時に消費者として選ぶことができるようになるが、お店側からすると基準値内のものは並べて販売したい。
読む気がしない文章なのでごめん
頑張って書いたバカなので読んでほしい
書きたくなったので。
学校ではトップの成績だったが、塾ではそうはいかない。頭のいい奴らがゴロゴロいた。
教育ママだったから小学生低学年から通信教育をやっていて、そのおかげか入塾テストではトップのクラスに入れた。が、成績は二年間でどんどん落ちて、最終的には上から三番目のクラスだった。
志望校は二番目のクラスまでしか入れないというのが恒例だったので、周りにはあまり期待されていなかったようだ。しかし自分は絶対受かるだろと謎の自信が最後まであった。
結果は合格。
二番目のクラスからは合格者がでないおろか、一番上のクラスの奴も2/3くらいしか受からなかったから、三番目から合格というのは驚かれた。
中一からスパルタで有名な某進学塾に入った。入れさせられたの半分、入りたかったの半分。
塾も学校もレベルが高く、ああ自分はだめなんだなとはやくも感じてしまった。特に中間試験という数字で結果が現れる機会は残酷だった。(今思えば勉強してないだけだったが)
それからは暗黒期。
小学生のころはゲームが禁止されていたこともあり、その反動で中学入ってからはアホみたいにゲームした。当然成績は浮上することはない。僕はいわゆる「深海魚」になってしまった。
大学受験が近づいた焦りで多少塾の勉強を真面目にやりようになる。が、それ以上に周りが頑張るので成績はあがらない。
この時期に塾の英語はついていけなくなってやめた。情けなさはあったけど、自分でやればいいかと思って逃げた。
高二までは学校行事を頑張ってて、勉強は意識しないようにしてた。
高三になるといよいよ受験だ。
友人と図書館で集まったりして勉強したが、家では全く勉強できず学校模試では後ろから1/4に入ってしまう。
なのに夏の京大模試では運良くB判定。これで完全に油断して行ける気になってた。
ちなみに理系だったが理系科目の勉強をまったくやっていなかったので、二次試験ではそれがなくても入れるところを志望していた。夏の前にいろいろ情報を漁っていかにコスパよく大学受験を終えるか調べてたのが、そのあとに生きてきた。
(コスパよくというのは勉強せずに周りからの評価が高い大学にはいるということ)
こうやってあさっているうちに、二次試験の前に独自の入試を受けることで、受験回数を純粋に一回増やせる受け方を見つけたので使ってみることにした。
秋からの模試はせいぜいC判定だったのでどうせ浪人だろうと思いながら勉強してるのかしてないのかわからないような日々を過ごした。
そんな中での一度目の入試当日。
ほぼはじめての京大。百万遍のマックで緊張しながら時間を潰した。
試験自体は三時間くらいで、ひたすら長い文章をよんで、問に答えるやつ。
こういうのは集中しやすいタイプだったから、あっという間に終わった。時間ギリギリで。となりの人は全部解けてなかった。
センターもD判定だったしどうせ厳しいと思いながらも、ほぼ最下位で合格した。
実感を得るまでに相当時間がかかったが、その後京都で一人暮らしをして、ようやく京大に受かったんだなあと思えた。
まわりが超難関校に多く進学する学校だっただけに、なんとかしてそういう学校に入ろうとした人間の末路(?)です。
参考にはならないかもだけど、こういう人もいるよってこと。
あと自分は理系だけど、政治とか経済とかに関する興味が高校の頃からあった。ただの逃避だが、みんなが図書館で勉強してるのを横目に、新聞をずっと読んでいた。
こういうところで身につけた(?)論理性みたいなのは多少、合格に寄与したのかもしれない。残念ながら、学校の勉強はまったく関係なかったが。
はじめのうちは、自分のなかではズルして入学した感がぬけず、ずっと劣等感に苛まれていた。
落ちた人は過程より結果だと思うかもしれないが、僕は結果より過程だとずっと信じていたので、そのことが自分を苦しめた。
溶け込んでいくなかで多少は改善されたが、いまだに多少考えてしまうことはある。
両親(双方60代)と実家で同居しています。一人暮らしの経験はありません。
職場は車通勤で自宅より20分です。異動の可能性はありません。
貯蓄は預金で約200万円、株で約200万円持っています。また父親から500万円を借りており、株主優待タダ取り用としてプールしています。
父親には年50万円返済しており、それを小遣いとして使っているようです。
昨年私の名義で購入しました。35年ローン、残額は2500万円、管理費と合わせて今は年110万円の支払いをしています。
両親は現在のところ動ける程度には元気で、双方アルバイト中、手取りで2人合計年平均200万円、また年金も手取りで年100万円あります。
貯金はほぼないと聞いていますが、おそらく預金と投資信託などで500万円くらいは持っていると思います。
元気とはいえ2人とも70歳目前、また父親が耳の病気で治療中、年平均50万円程が必要になっています。
また両親はどちらも車を運転できません。
私には趣味があり、休日の半分くらい、平日の就業後も月に2日程度はそれに費やしています。
関西在住ですが、名古屋や東京、各地方に行くこともあり、趣味には年150万円程の出費をしています。
趣味に費やす以外の休日は、親の買い物や墓参りなどの用事の為に動いています。
(徒歩圏内にスーパーはありますので、現状では平日の買い物は可能)
両親とも特に趣味という趣味はないようで、母親は家事の合間にテレビ、父親は仕事から帰ってきてYoutubeやHulu?アマプラ?を見て過ごしています。
強いていうなら、母親は週1〜2程度の外食を楽しみにしています。外食には車で連れて行きます。
転職や一人暮らしをしたい理由と思い当たる懸念点を列挙してみました。
・仕事そのものが以前より自分に合わないと思っておりストレスがかなりある、また同時に仕事に飽きてきていて、違う仕事をしてみたくなっている
・近い将来社長の代替わりがあり、会社の将来に幾分かの不安がある
・違うことがしてみたいと思いつつ、特に何がしたいということはない
・特になにかスキルがあるわけではないので再就職できるのか、また続けることができるのかの不安が強い
・母は今の業種への就職を喜んでくれたので、転職したいと言い出しづらい
・拘束されない/家で自由にひとりで時間を過ごせる休日がほしい
・お付き合いしている女性が東京にいるので、可能であれば東京で住みたい(始まったばかりなので続くかどうかはわからない)
・両親は車の運転ができないので、買い物や墓参り、外食の日常生活に支障が出る
・初めての一人暮らし(これは慣れの要素が大きい気がしますが)
正直両親は私がいる前提で生活サイクルを構築しているので、私がいない生活は想定していないと思います(私もそうですが)
また両親は今は働いているので収入がありますが、今後働けなくなったときの生活は彼らの貯蓄と私の収入に依存することになり、今の時点で住宅ローンプラス家賃を払わないといけないのが今後に響いてくるような気がします。
そのようなことも含め不安材料が多すぎて今まで躊躇してきたのですが、正直職場の合わなさへのストレスが相当なものになってきました。
自分に合う仕事が何かというのはまったくわからないので、いろいろチャレンジしてみたいとは思っていますが、そんなにうまくいくものなのか?という不安もあります。
大学生の子に聞かれたので、ここにも残しておく。誰かに読まれたらいいな。
すごく良い。この給料をもらって日本で美味しいご飯を食べながら安全な社会で生きていけるのは幸せ。
単純に給料が高いだけでなく、毎年上がり続けている。
これがずっと続くわけじゃないのはわかっているけど、それでも毎年毎年10%から20%も上がり続けている。すごい。
ただ同じかちょっと多い額をもらってもマウンテンビュー周辺とかでは楽しく生きていける気がしないので、できれば日本で働き続けたい。
自分の経験した日本の会社では手続きや誰が発言したかが重要視された。
しかし今の会社では、言っていることややっていることの論理性や費用対効果、問題解決手法として有効かどうかが重視される。
なにかミスがあったときに謝罪はもちろんしたりされたりするけど、再発防止に特にコストをかけている。
またその際、ミスが起こった原因を人と考えるのではなく、環境要因やポリシー、ツールの整備不足などだと考える。
こうなっているとミスも報告しやすいし、ミス以外のところでも心理的安全性が保証され、アイデアを言い出せないなんてことが起こりにくい。
このことは私の人生を変えたと思う。
大学生のとき、私は隣国のことをウソつきでなんでもかんでも日本のせいにしたり、日本のものを自分たちが起源だと言いはったり、すぐカッとなるすごく嫌な奴らだと思っていた。
今思い返すと情けなくて恥ずかしくて辛くなる。でも本気でそう思っていた。私が嫌なやつだった。
今の会社に入って大きなプロジェクトに配属された後、様々な国の人たちと働いた。
ステレオタイプのようにビールと肉しか口にしないアイルランド人とか、皮肉大好きイギリス人、会議中に合意がとれたら「よし、ゴールだ!」って言ってみんなにウインクするイタリア人とかがいた。(ちなみにこのイタリア人のウインクには同席していた日本人たちはざわめいた)
でも同時に、ものすごく人に気を遣うアメリカ人、ずっと仕事しているスペイン人、政治的に危ない冗談を連発する中国人、礼儀正しいのに人懐っこくていつもニコニコしている韓国人もいた。
この人たちと仕事をする中でたくさん話して人となりを知っていく中で、国籍とか関係なくみんなそれぞれ個性を持った一人の人なのだと思い至り、いつのまにか隣国に対する嫌悪感は消えていた。
別に今韓国が好きなわけではない。ただ韓国出身と聞いても、その人の血液型や食の好みのようにその人を構成する一要素だと思えるようになった。
視野が狭く見たいものしか見えない私は、もし外資系の会社に就職せず他の国の人たちと密に働くという経験がなかったら、きっとこれを実感として思えるようはならなかったと思う。
他の人から見たら当たり前のことかもしれないけど、私はなかなか理解できなかったので外資系に就職して本当によかったと思っています。
両親(双方60代)と実家で同居しています。一人暮らしの経験はありません。
職場は車通勤で自宅より20分です。異動の可能性はありません。
貯蓄は預金で約200万円、株で約200万円持っています。また父親から500万円を借りており、株主優待タダ取り用としてプールしています。
父親には年50万円返済しており、それを小遣いとして使っているようです。
昨年私の名義で購入しました。35年ローン、残額は2500万円、管理費と合わせて今は年110万円の支払いをしています。
両親は現在のところ動ける程度には元気で、双方アルバイト中、手取りで2人合計年平均200万円、また年金も手取りで年100万円あります。
貯金はほぼないと聞いていますが、おそらく預金と投資信託などで500万円くらいは持っていると思います。
元気とはいえ2人とも70歳目前、また父親が耳の病気で治療中、年平均50万円程が必要になっています。
また両親はどちらも車を運転できません。
私には趣味があり、休日の半分くらい、平日の就業後も月に2日程度はそれに費やしています。
関西在住ですが、名古屋や東京、各地方に行くこともあり、趣味には年150万円程の出費をしています。
趣味に費やす以外の休日は、親の買い物や墓参りなどの用事の為に動いています。
(徒歩圏内にスーパーはありますので、現状では平日の買い物は可能)
両親とも特に趣味という趣味はないようで、母親は家事の合間にテレビ、父親は仕事から帰ってきてYoutubeやHulu?アマプラ?を見て過ごしています。
強いていうなら、母親は週1〜2程度の外食を楽しみにしています。外食には車で連れて行きます。
転職や一人暮らしをしたい理由と思い当たる懸念点を列挙してみました。
・仕事そのものが以前より自分に合わないと思っておりストレスがかなりある、また同時に仕事に飽きてきていて、違う仕事をしてみたくなっている
・近い将来社長の代替わりがあり、会社の将来に幾分かの不安がある
・違うことがしてみたいと思いつつ、特に何がしたいということはない
・特になにかスキルがあるわけではないので再就職できるのか、また続けることができるのかの不安が強い
・母は今の業種への就職を喜んでくれたので、転職したいと言い出しづらい
・拘束されない/家で自由にひとりで時間を過ごせる休日がほしい
・お付き合いしている女性が東京にいるので、可能であれば東京で住みたい(始まったばかりなので続くかどうかはわからない)
・両親は車の運転ができないので、買い物や墓参り、外食の日常生活に支障が出る
・初めての一人暮らし(これは慣れの要素が大きい気がしますが)
正直両親は私がいる前提で生活サイクルを構築しているので、私がいない生活は想定していないと思います(私もそうですが)
また両親は今は働いているので収入がありますが、今後働けなくなったときの生活は彼らの貯蓄と私の収入に依存することになり、今の時点で住宅ローンプラス家賃を払わないといけないのが今後に響いてくるような気がします。
そのようなことも含め不安材料が多すぎて今まで躊躇してきたのですが、正直職場の合わなさへのストレスが相当なものになってきました。
自分に合う仕事が何かというのはまったくわからないので、いろいろチャレンジしてみたいとは思っていますが、そんなにうまくいくものなのか?という不安もあります。
やってみなはれ。親は親よ。
長文、溜めて待つぜ。