自分はしがない同人屋だ。ジャンルは女性向け、ピコ手サークル、
それなのになんでイベントに参加してるんだ?って自分でも思うけれど
今のジャンルに来てから、オンリーを中心にイベントに参加するようになった。
前ジャンルまではずっとマイナー作品で活動していて、小さいイベントにしか
いつものようにイベントに参加した自分は、とある女性と知り合うことになる。
(仮にAさんとする。年齢は自分より年上、活動ジャンルには珍しい層である)
お喋りが好きなようで、サークルの前で随分長い間喋っていた記憶がある。
内容ははっきりと覚えていない。やたら喋る声の大きい人だな、と思った。
初めは「すごく喋る人だな」って思っていたが、回を増すごとに
喋る時間は長くなり(相手がほとんどしゃべっていて、自分は相槌を打つくらいしかしていない)
サークルの前に居座るようになっていた。
といっても、他に人が来たらどいてくれる。その辺は気にしてくれていたと思う。
自分の作った本に関してはかなりべた褒めしてくれる、正直言って怖い位に。
褒められて嬉しくない訳じゃない、だけど本当に怖い位褒めてくれる。
(ちなみに自分は褒められなれていない)
話も長くなっていったが、それに合わせて差し入れの数も増えていった。
初めは普通にイベントで知り合いなどに配る程度のお菓子とか、そんな感じだったと思う。
それがどんどん高価な物になっていき、流石にもらうのも気が引けるし、
自分も毎回「前回のお返し」を購入、前回頂いてしまったのでと渡していた。
自分の本をお返しに渡そうとするともらえない、お金を払うといって受け取って
もらえなかったので毎回お返しを購入して持参していた。
ここまでだと、よく喋りに来てくれる女性だけど彼女はそうじゃなかった。
世間話の内容も、最近あった出来事からだんだんと身内の愚痴やジャンルの
推しカプの話になっていた。
全員公務員にして全員公務員待遇にすれば裏口する大学は皆無になるし授業料も現実的な額になる
安定していてかつ高収入という恵まれすぎた給料と、一度離脱してもまた医者の立場で復帰できる特権が何千万円の授業料や犯罪の裏口が頻発する原因のぜんぶ
体験しておくことのほうが優先すると思ったときはあえてスマホ出さない。
スポーツ観戦とかであれば、ゲーム中はじっくり見るが、試合の前後とかハーフタイムとかは撮っとく。雰囲気を思い出したくて見返すこともある。
記録として覚えておきたいときも撮っとく。趣味のおでかけは行くたびに撮っておけば「今年は何回スノボ行った」とか後からでもカウントできるし。
シャリア法できた当初~200年前の中東とスペインでやってたときはよそより先進的でよかったけど
2018年の今となってはコーラン原典だけならともかくハディースにのってることまでやるわけにはいかないだろう
児童婚とか駄目に決まってるしラマダンで日中は自分の唾も飲めないとかこの夏の日本でやったら死んでしまいます
ただところどころ面白いアイディアはあるし中東の人間は人間通だなと思う一面もある
複数の夫人間で格差はいっさい認めないところとか新しい妻を貰うときには今の妻たちに必ず同意を得るとか
ドラマ「この世界の片隅に」を見ていて、横柄で大袈裟に騒ぎ立てる憲兵さんが登場したところでふと祖父から聞いた話を思い出した。
威張りくさって周りから怖がられていた憲兵さんは、終戦と同時に夜逃げ同然に姿を消していた、相当恨まれていたらしい、と。祖父自身特に憲兵さんと関わり合いになることはなかったのでその話はそれでおしまいだが、祖父から聞いた戦時中の話を忘れないように記しておこうと思う。
終戦の年から二、三年前、東北地方出身の当時十代の若者だった祖父は、軍需工場で働いていた。工場の持ち主は、今でも名を変えて現存する大企業だった。
私の父は戦時下の話をあまり聞いたことがなかったそうだが、祖父は孫達にはよく話して聞かせてくれた。もちろん辛いこともあったろうが、祖父から話を聞くと「結構楽しそうだな?」と子供心に思ったものだ。
何故なら、ある時祖父にパソコンでインターネットの使い方を教えていた時、GoogleMapを開き見たいところがないか聞いたら、祖父は「昔働いていた東京を見てみたい」と言ったのだ。
そこで当時の蒲田区があったところを見せると、祖父は懐かしそうにここに工場があって、ここの川で昼休みに水浴びして、休みの日に遠足でここまで行って…といろいろ説明してくれた。
聞けば祖父が働いていた工場の寮はとても待遇が良く、特に食事が良かったと。
祖父はそこで生まれて初めてライスカレーやカレーうどんを食べたそうだ。とても美味しかったらしい。今でも祖父の好物はライスカレーだ。
近くに他の工場もたくさんあったが、そんなに待遇がいいのは珍しかったそうだ。休み時間に別の工場の人と話をすると、そんなにいいものを食べられるなんて、と羨ましがられた。
そんなに食事がいいのにはもちろん会社側の「健康な若者をこの工場から徴兵して貰って、国から褒めて貰おう」的な思惑があったそうだが、祖父が徴兵される前に終戦を迎えることになる。
祖父に話を断片的に聞く限り、戦時中で大変なこともあったろうが、田舎から出て来た若者らしく都会で楽しく過ごしていたようだった。
ちなみに東京大空襲の時はどうしていたの? と聞いたら、祖父がいた寮から遠くの夜空が明るく光って見えた、とだけ教えてくれた。防空壕に逃げたという話は聞いていない。とにかく直接被害は受けなかったらしい。おかげで私の父も私もここにいる。
(後で調べたら東京大空襲で蒲田区はあまり被害がなく、その後の別の空襲で爆撃を受けたと知ってぞっとした。よく生きていたな…?)
終戦の直前、国の広報は日本は勝ってると言い続けていたが、みんな負けていることはわかっていたらしい(それこそ憲兵さんに聞きつけられると面倒なことになるので、誰も口にはしなかった)。米軍が撒いた「日本は負けるよ」と書かれたビラもよく落ちていた。
それと同時に祖父が働いていた工場は操業を停止した。軍需工場だから戦争に負けた今、工場で作るモノなんて無いから。そこで祖父は同じ地方出身の者達と相談して、故郷に帰る電車の切符を手に入れるのに奔走した。
交代で列に並び、四、五日かかってようやく切符を手に入れられた。その時に町を出て、祖父は荒廃した東京の風景を見て愕然としたという。今現在、よくテレビで目にする終戦直後の驚くほど何もない東京の映像や写真そのものだった。
その後祖父は一旦故郷に帰ったが、働く場所を求めて親戚の伝手ですぐに遠く離れた地へ渡り、現在に至る。
祖父は現在91歳。もう少しいろいろ話を聞きたいと思っている。私が作ったカレーライスも食べて欲しい。
祖父から聞いた戦争の話はここまでだが、ちょっとしたおまけがある。
ある時、祖父が不思議な顔をして郵便で届いた書類を見せにきた。「これはどういう意味だ?」と。
それは『ねんきん特別便』だった。よく見てみると、祖父が戦時中に軍需工場で働いていた頃に納めていた年金がいわゆる「宙に浮いた年金記録」となっていたことが発覚し、年金受給者の祖父に支給されていなかったのだ。祖父自身、その頃に自分が年金を納めていたことなど全く知らなかった。
インターネットで検索したら「全国消えた年金相談センター」のウェブサイトによると戦時中の宙に浮いた年金記録はたくさんあるらしい。知らなかった。
とにかく書類に書いてある通り、記入して返送すればお金が貰えるよ、と説明した。書類には覚えてる限りの勤めていた会社の名前、住所を書いてくださいとあった。祖父はきちんと記入出来た。きっともう覚えてなくて書けない人もいたんだろうな。
後日、祖父にお金が振り込まれた。祖父曰く「案外少ない」でした。
おわり
漏らすのは初めてではないのだが、特に今回は体調が悪くお腹が緩かったため、ズボンと脚をうんこ色に染めながら路上で途方に暮れてしまった。
近所に買い物に出かけた帰りで、家まで耐えられると思ったのが甘かった…。
商店街の外れの住宅街で、人目を避けながらなんとか家に逃げ帰った。
早く土砂降りの雨にならないかな。
簡単な答え:日本人全体が貧困化してるのに、私大医学部受験できるほど恵まれた「差別」に抗議しろとか言われても。
貧乏人が私大医学部受験できないのは必要悪というのは認められてるから、貧乏人には一律減点されてるどころか、0点どころか、氷点下じゃないの?
貧乏人には自己責任の態度できてるのに、それに同じ口で賛同しながら、女性減点は必要悪は絶対に許せない!だからね。
それじゃ、貧乏人にも機会が絶対平等になるように、高収入から金を取って貧困家庭にどんどん回すか?
女性限定公募とか見ると、優遇されてきた高収入家庭にストップをかけるのはそんなに変な理屈でもないしな。
女子だけの時にはこんなに騒ぐのに、全くもって貧困家庭は知らんぷりなんだもの。
そして、日本は貧しい家庭が増えてるんだよ?分かる?
だから、日本全体から理解を得ようとかしても、普段から貧困家庭には自己責任とか、
地方に住むのが悪いとか地方田舎叩きとかしてるんだから、女子減点の時だけ叫べとか言われても、
何で叫ばないといけないの?普段の態度は何?となるわな。自覚ある?
簡単に言うと、日本全体が貧困化してるのに、それには知らんぷりなのに、
特にコミュニティーがある程度固定していて、かつ、ある空間の中で皆が思い思いに雑談しているであろう場所に行くのが怖い。
誰だって最初は多少緊張するよ~と言ってくる人がいるけど、緊張とかいうレベルではなく恐怖で足がすくむ感じ。
そもそも全然平気~多少緊張するレベルの人は今までそういう場所で拒絶された経験がないんだろう。
そういう場所で私が受け入れられないかもしれない、というか今まで受け入れられなかったからこそ、恐怖を感じるんだと思う。
今日も頑張ってその類いの場所に行ってきたけど、案の定辛い気分になって帰ってきたよ(もちろん自分が萎縮してしまったせいで浮いてしまって勝手に傷ついただけなんだけど)
でもこのまま友達が少ないままなのも辛い。