数年前からネットで、漫画Bleachの作者である久保帯人先生の偽物(KBTITというらしい)の画像を貼り付ける文化が広がっている。
2chでBleach関連の話題のスレッドが立つと、必ずと言っていいほどその偽物の人物の画像を貼り付ける連中が現れるし、Google画像検索で「久保帯人」と検索するとその偽物の人物の画像で埋め尽くされる。
個人的にはこうしたノリの何が面白いのか心底理解できない。それどころか、久保帯人先生に迷惑をかけているし、ひいてはBleachのファンにまで迷惑をかけている。実際に、去年の9月に久保帯人先生のTwitterアカウントが削除され、その直後に集英社が、偽物の画像を貼り付ける迷惑行為に対して「法的処置を取る可能性もある」と警告しているのを見ても、久保帯人先生は迷惑に思っているはずである。
また、数日前に久保帯人先生がTwitterを復活させ、亡くなったファンを探すことをお願いするツイートをした。そのツイートは20万件以上もRTされたのだが、そうしたツイートのリプライ欄にも偽物の画像を添付したリプライを送って、面白がっている連中がいた。
こうした迷惑行為が許されて良いのだろうか?集英社からの警告があったのは去年だが、現在も迷惑行為が止まる気配はない。おそらく、偽物の画像を貼り付けている連中は、「この画像を貼り付ける人はたくさんいるから、どうせ捕まらないだろう」などと考えているのだろう。しかし、意外とこうした「有名人をネタにする画像を貼る」行為で捕まる人は居るようである。実際に、有名JPOPシンガーである平井堅が歌っている画像のマイクを男性器に変えるコラージュ画像を作った人は、警察に逮捕されている。当然である。有名人にも人権があるのに、なぜ迷惑行為をして捕まらないと思ったのだろうか?最近、有名人相手なら何をしてもいいと思っている常識のない人間が増えてきたようである。
僕以外にも久保帯人先生への迷惑行為に反感を持つ人はいると思う。そういう人が居たら、久保帯人先生への迷惑行為を見かけたら、どんどん集英社に通報しよう。
溶けませんでした。
そこでまた俺はこの世界に疑問を持ち苛立ちを覚えて死ぬのを記憶を消して繰り返すプレイヤーになっているかもしれない
そもそも無数の宇宙も一体誰のためにあるのか
なぜあるのかという問いに答えられていない
なぜあるのか
既にいくつかのプレイヤーである星がもうシンギュラリティに到達してゲームクリアをして退場しているのだろう
出なければ全く接触がないのはおかしい
人類でさえ人工知能を造りシンギュラリティを引き起こそうとしているというのに40億年以上かかって別の星にそのような種族が産まれないのは不自然だ
雪を無邪気に綺麗といえる自由があるのなら、雪を心の底から憎んでいるといえる自由も欲しい。
北海道に生まれていたら、サラサラとしたパウダースノウで暖房が部屋に行き届いていて、全てが豪雪使用になっているのだから、
「そういんもんだ」って覚悟しながら生きてこれたと思うんですよ。
ここまで魂の底から憎まなかったと思う。
日本でも本州屈指の温暖な土地で生まれ育った軟弱な静岡県民に、東京の底冷えのする寒さはキツイ。きっつい。マジきっつい。
大体静岡県の中でも我が家がある地域は、5年にいっぺん雪が降ればいいほう。
ソリをすれば手がかじかんだりするし、お尻冷えるし、スケートすると足がかじかんで足痛くなる。寒すぎて。
小学校2年の時に、人生でありえないほどの大雪が静岡に降って、翌日授業を急遽変更して先生が雪合戦しよう!!と、
クラス全員がきゃっきゃやってる中で、自分は五分とテンションが持たなかった。寒すぎて。
もう残りの時間は死相を宿しながら、石を入れた雪玉をもくもくと孤独に作ってるよーな小学二年生だった。
じゃあジムでも行って運動して新陳代謝あげろとかいうヤツは全員ぶん殴りたい。
なんでクッソ嫌いな雪に対して、こっちが折れて努力せにゃならんのだ。
「雪ってなーんかワクワクするよなあ」とか、
「雪ってずっと見ていたくなるよね〜」とか
無邪気に言ってくるんですけど、
こっちもそれを大人だから波風たたせないでニコニコしながら頷いてんですけど、
東京の雪なんてボタボタしてて道路でぐしゃぐしゃしてて、全然キレイじゃねえし、すぐ交通乱れてイライラするし、
みぞれ混じりの雪など、もはや降ってくる凶器・狂気としか思えん。
販売の仕事やってた時には絶望的に客足が引いてものすごいマイナスだし(こんな日にきてくれる奇特なお客様は本物の神様にしか見えない)
とにかく百害あって一利なしだ。
全ての法則を解き明かし書き換えることができるようになったとして
スーパーマリオブラザーズのマリオが自分で自分がマリオだと気づきステージを自由に書き換えられるようになったらどうなる?
マリオどころかソニックやFFやドラクエに書き換えられるようになったとしたらどうなる
もしAIが夢物語で夢想であったのならば永遠にその時は来なかったが
恐らく2050年までには人工知能は完成して驚異的な速度でこの宇宙の謎を解明し始める
その結果何が訪れるのか全く予想が立たない
技術的到達点に訪れた知性体が何を見るのか何を考えるのかまるで予想が立たない
めちゃめちゃ今更なんですが、『君の名は。』を観てきました。びっくりしたんですけど、もう上映から3か月くらいたつのに都内だと結構本数やってるんですね。前前前世が流れた所のスピード感でぐわっと物語に引き込まれて、2時間しっかり堪能いたしました。
ただ、見終わってから一つだけもやもやしていることがあって、それは「あの後2人は幸せになれるのか?」ということ。瀧と三葉がラストシーンで再会して、たぶん雰囲気的にあの二人は付き合うことになるんだろうけど、それってなんていうか、「神様に外堀を埋められた感じ」じゃないですか。時間をも越えて入れ替わった二人、しかもどうやらその運命は何世代も前から決まっていたらしい。そんな重たい鎖をつけられたら、この先何があろうと関係を終わらせることが出来そうになくないですか。
思春期の多感なころに特別な共通の経験をしていたから、当時はそりゃ恋に燃え上がっていただろうけど、数年後、お互い社会人になって再会して、そのままずっとその気持ちが続くものだろうか。末永くあの二人が続いていけばいいけれど、もしすれ違ったり、コノ人ジャナイ感が出てきたとき、重たい運命の鎖を振り切って彼らは別の道を行けるだろうか。むしろ過去の運命的な出会いにとらわれて、苦しみながら二人で沈んでいってしまうのではないだろうか…。そんなことを思いました。
この宇宙は上の次元の膜に張り付いたパン切れの1つのようなもので
俺はその高次元の球の方に行きたいと考えているが何も手段がない。
この世界はいくつもある世界の内の1つに過ぎないのなら、その基本世界に行きたい。
この宇宙があまたある世界のうちの1つだとしたら、基本世界は1つしかないたった1つだ。
そこで俺は新しい宇宙を創る。
不幸の無い宇宙を創る。
俺を神にしてくれ。
俺という人間を拾い上げろ。
お前らよりも俺の方が遥かに使えるぞ。
俺には夢がある。欲望もある。
死ねばいいのか?
生きてる内に確信が欲しい。
くそが。
死んでも恨むからな。
気密性能の基準が違うんじゃ!
気持ち悪いだけならいいけど、そこにストーリー性や主人公感を混ぜてくる今の魔法少女アニメは本当に害悪だと思う。
10代のうら若き乙女が性の喜びを知る前にその辺の雑魚に殺されて終わる展開も酷い。
仮にもその昔女の子の憧れの職業だったりした魔法少女を夢のままで終わらせないでしっかり殺すという愚行は本当に呆れてしまう。
魔法少女が格闘家に転身してクソみたいな死の輪廻から脱したVivid Strikeは良い。
逆にまどマギで散々魔法少女を殺したのに便乗して作られた魔法少女育成計画は見ていて本当に辛いだけだった。
魔法少女なんてもういいですから。みたいに魔法少女の現在とかそっちの方面で多くやって欲しい。
続き
「東京wwwwwこんなちょっとの雪でwwwww」と言ってた新潟生まれの人が関東で暮らし始めて思うこと
http://togetter.com/li/1052206
外の気温はそこまで寒くないのに、家の中が寒すぎる!!!!!
断熱は今や夏もヒートアイランドで1日中冷房かけっぱなしにしなければならない東京では必須だと思う。
最近立ってるアパートとか一軒家ってちゃんと断熱材いれたり二重窓にしてるの?
建築業界の人教えてー!
麺のないラーメンは単なるスープである。麺の不在(言い換えれば空なる麺の存在)によってそこには「スープ」という概念が存在している。そこに麺が投入される。すると瞬時にしてスープが消失しそこにはラーメンが誕生しているのだ。このとき、麺は単なる麺という物であることを越えて、全く別種の存在、すなわち「替え玉」になるのである。
もう少し丁寧に述べてみよう。いまそこにスープがあり、未投入の麺玉がある。この時点では、スープはスープであり麺玉は麺玉。すなわち単なる「スープ と 麺玉」であって、イコール「ラーメン」ではない。しかし、麺玉をスープに投入した瞬間、概念Aとしての「スープ」は概念Bとしての「ラーメン」になる。この「なる」という現象に着目したい。言っておくが、客の目の前にスープがありそれをラーメンと交換したのではない。実体としてのスープと実体としてのラーメンの交換ならば、それは単に「ラーメンの追加注文が来たので器を下げてラーメンを出した」のと同じであり、そんなものは「替え玉」ではない。替え玉の替え玉たるゆえんは、一瞬前まで単なるスープ概念に過ぎなかったものが一瞬後にラーメンに「なる」ことにあるのであり、そこで交換されているのは実体ではなく概念である。すなわちスープ概念とラーメン概念の概念交換が発生しているのである。そこで投入されるのは単なる麺ではない。
この概念交換を成立させる「麺玉」は単なる麺ではなくメディア、すなわち概念交換の麺触媒(メンディア)であるというべきであろう。一瞬前まで単なるスープだった液体は一瞬にして「ラーメンの汁」に変貌する。麺は麺のまま物質的には何一つ変化しないにもかかわらず、麺触媒としてあざやかにその機能を果たす。「替えの玉(麺)」ではなく「替える玉」。すなわち「替え玉」である。この「替え玉」がまた一つの概念であることは言を俟たない。
さて納得されたであろうか。こうして麺という単なる実体が麺触媒としての「替え玉」に変貌するとき、我々の内なるラーメン概念もまた現象学的還元を経てゲシュタルト崩壊を起こす。なぜなら、この触媒によれば一杯のラーメンは(人間の食限界を超えることで)無限のラーメンへと拡張されるからである。そうなればそれはもはやラーメンであってラーメンではない、形而上学的存在、あるいは宗教的イコンと化す。だがこのことはまた別に紙幅をとって論じたい。
その恥ずかしさに耐えられない奴らの掃き溜めが増田。
(ネタバレ)
ポケットモンスター サンを買った。発売二週間くらい前に気づいて、近所のゲオで予約した。
予約してから、ずっと前に買ったXとアルファサファイアをクリアせずに積んでいたことを思い出して、Xはでんどういりまでストーリーを進めた。
アルファサファイアは間に合わなかったので、そのままにした。
自分はガチ勢ではないので、久しぶりにポケモンを捕まえて、レベルを上げて、悪の組織のボスと四天王とチャンピオンを倒して満足した。
ポケットモンスター サンの発売日が来た。予約をしたのはつい最近だというのに、待ちに待ったかのように受け取って、すぐにはじめた。
買ってからしばらくたつとやらなくなるのはわかっていたからね。
いぬが好きなので、博士が持っているイワンコがうらやましかった。はやく捕まえたいのにちっとも出てきてくれなくて、いろんなところを探索した。
たのしかった。
ここからさき、ひどいことを書く。自分の意見だし、みんなの意見じゃない。
ポケモントレーナーは、ポケモンとバトルをして絆を深めていくものだと思っていて、今日もそうだと思っている。
でも、サンに出てくる主人公の友だちは、そういうことをしなくてもポケモンと仲良くなれていた。
普通に考えれば、トレーナーじゃないオーキド博士がポケモンに慕われているんだから当たり前のことなのだけれども、
ポケモントレーナーにしかなったことのない自分はそれに気づけなかった。そして、それに違和感があった。
とても優しくてかわいくて、自分とバトルしたい、トレーナーになるからというリーリエに、もっとはやくそう思ってほしかった。
友だちを助けたくて、自分の友だちと戦ったのに、彼女はそれを見ていて、回復はしますから、と言った。
ハウも、自分と何度も戦ってくれて、一緒にダブルバトルもして、友だちになれたと思っていたら、たぶんだけど、ほとんどリーリエのためだった。(と、思った)
トレーナーではないリーリエと、ほしぐもちゃんの絆を見せてもらえてうれしかった。人間とポケモンのつながりをあらためて対等に感じられた。
でも、だったら、ほしぐもちゃん(ソルガレオ)はリーリエといっしょにいてほしかった。
リーリエはトレーナーじゃないからいっしょにいられないというなら、リーリエにトレーナーになってほしくなかった。
ソルガレオはリーリエがカントーで立派にトレーナーをやれていたら、そっちに帰ってしまうのだろうか。
このあとバトルをして、ポケリフレをして絆を深めても、いまここにいるのはリーリエがそうしてほしいと願ったからなんだろうな。
いろいろ考えて、いい年してなに言ってるんだろう、と思ったので、そろそろポケモンを卒業したほうがよさそうだ。