ズボンの発明自体が馬に乗ること必要に迫られてのものだったわけだし、中国もヨーロッパも、古代は都市民や上流階級は一枚布を巻いたりスカートやワンピースに近い格好をしてるイメージ。
日本もハニワなどから伺えるように、ズボンスタイルだったそうな。
馬なんかろくにいなかっただろうに。
騎馬民族=ズボン、というよりは、都市民=スカート、それ以外の地域=ズボン、というもんだったのかもしれない。
農作業よりデスクワークや営業ばかりしてたら、スカートのほうが捗りそうだわな。
洋装を推進した時に、
「袴(スカート)は中華文化の模倣で軟弱!筒の衣(洋装)はむしろ日本古来への原点回帰!」
みたいなキャンペーンをぶってたとかなんとか。
話を戻して、戦争するんだったら、とくに騎兵は特にズボンじゃないとってことで、西洋も東洋も軍人からズボンをはく習わしになったんだろうと。
で、騎馬民族が政権を取ったり、軍人が政権をとったりしたせいで、支配者層、上流階級にズボンが広がったんだろうなと。
田舎の若者にとっちゃ軍人ってファッションリーダーだったんだろ?
ほんの数百年前の田舎って、人間以下もいいとこだったわけじゃん。
字も読めねぇ、金勘定も出来ねぇ、整列することすら出来ねぇんだもん。
そこに、見たこともない器具で、謎の計算で、みたこともない統率力で、井戸なんか掘っちまったらさ、そりゃ身につけてるもの一つ一つもカッコよく思えるじゃん。
全部思いつきでごめんね。テヘペロ
「金メダルの価値は約5万… 銅ではチーズバーガーも買えない」:イザ! http://p.tl/0Xd3
紙とインクの値段で評価しても、
何の意味もないですよね。
・マッチングしない者同士が出会わないように、きちんと住み分け出来ていればよかったのに。
・問題は起きてしまったので、双方にとって学びの機会となるように着地してほしい。
・どちらかが倒れるまで殴りあうのみっともないと思う。
・店主はブログに客のことを煽って書くというモラルの低さがあり、
妊婦は捨てブログをつくって保身しつつ、攻撃は他人にさせるという陰湿さがある。
・争いは、同じレベルの者同士でしか発生しないという格言を思い出した。
http://anond.hatelabo.jp/20120731083615
完全に同意
自分たちのミスを棚に上げているという点が説明してありすっきりしました。
http://anond.hatelabo.jp/20120731075005
時が経てばネット民はこんなこと忘れて、居酒屋さんだけにダメージが残るという構造に理不尽さを感じます
http://anond.hatelabo.jp/20120731095453
赤ちゃんを持ち出すことで妊婦に良心の呵責を呼び起こしたいですが、
この手の人種の人たちは良心の呵責という概念を理解してもらえませんよね…
返信
http://anond.hatelabo.jp/20120731120028
店主のモラルの低さは叩かれて仕方ないですよね
ただ、叩かれすぎたと思う
失敗から店主は接客とは何か学ぶべきだ、くらいじゃないかなと個人的には感じてる
こんなにいっぱい叩かれちゃ立ち上がれなくなりそうでネット民こわいなと思う
マジレスすると、収益構造によるから売上・人数の関係だけで語るのは馬鹿っぽい。
http://anond.hatelabo.jp/20110202035306
↑この人間の屑の文章をもう一度読み返したらまだまだ書きたいことが出てきたので増田に書いておきます。
論理操作能力が低い自分でも、論理操作能力が高い人間が多く集まる東大という環境にいられたおかげで、こういう論理操作能力が高い人間の中で立ち回る技術を身につけることが出来た。人類の大半は、論理操作能力が低い人間だ。みんなで、共闘して奴らを追い落とそう。
2006年に発生した福岡県筑前町立三輪中学校のいじめ『自殺』の件(→http://yabusaka.moo.jp/miwatyu.htm)は実は他殺であり、スポーツマンで彼女もいてリア充だった被害者を周囲の人間が虐め倒して、最終的には加害者が被害者に対して首吊りの真似事をやっているうちに手が滑って本当に死んでしまった(「生まれかわったらディープインパクトの子供で最強になりたいと思います」という言葉が書かれた遺書も、実は加害者たちが用意した)という話を聞いたことがありますが、この元増田の人間の屑は、要約すると「自分より優れた奴がいるのが気に食わないから、どんな手段を使ってもいいから(最終的には殺してでも良いから)社会から排除しよう」と主張しています。
「何故現代社会ではここまで『いじめ』が発生するのか?」という事を考えてみると、このような「(自分の気に食わない人間、または自分より優秀な人間は)皆で共闘して奴らを追い落とそう」という考え方の持ち主が増加しているからだろうと推測されます。
以前内田先生が「教育に市場原理が導入されると、生徒は自分の学力を上げるためではなく周囲の学力を下げる方向に努力するようになる」と書いていたのを記憶していますが、このような行動を取る人間の屑が大量発生するからでしょうか。人生において「豊かさのパイが一定で、成功は誰かを蹴落とす事でしか手に入る事ができない」と考えている欠乏マインドの持ち主は、決して他人と協力関係を結ぶ事ができないと故スティーブン・R・コヴィー氏も「7つの習慣」で書いていましたが。
こういう考え方の持ち主が、表向きは人当たりの良いように装っているけれども、何か自分の気に入らない事があった際には仲間を売ってスキャンダル写真をBUBKAに持ち込んで小金を手にして喜んでいたりするのでしょう、きっと。文章から推察すると恐らく顔も性格も気持ち悪くて正視できないような感じの人間かと思われます。
あと、
論理操作能力は遺伝的なものだから、訓練しても高くはならない。だから、論理操作能力が低い(才能がない)我々のような人間が彼らに勝つためには、「論理操作能力が高いヤツとは最初からマトモに議論しない」ということが重要だ。例えば、相手が持っていない情報に基づいて反論する。いくら論理操作能力が高くても、知らないものを知ることは出来ない。それから、論理操作能力が高いヤツの前では、自分のやっている仕事を面白そうに見せない。論理操作能力が高いヤツが自分の仕事を持って行くからだ。
人間の能力にはある程度「先天的」なものと「後天的」なものが存在する事は否定しませんが、何かの能力が先天的・遺伝的である事を認めた瞬間にその人間は努力する事を放棄するのではないか?と思われるのです。
この人間の屑が定義している「論理操作能力」とやらが、「遺伝的なもので訓練しても高くはならない」と考えた瞬間に、おそらくこの人間の屑は自分が努力したり成長したりする事を止めて、ただひたすら他人の足を引っ張ったり、他人の成果物を盗んでそれを自分の物にする事しか考えなくなるのではないでしょうか?
「このような人間の屑共が、私の人生を破壊するような行動を何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も繰り返すので、その行為に応じた天誅を下し、その邪悪な魂が二度と生まれ変わって更なる悪行を積み重ねないようにこの世から完全に消え去ってほしい」
願わくばこのような人間の屑どもが今後の私の人生に関わりを一切持つことなく、私の現在手がけている事が速やかに成功に導かれますように。
横レスで失礼だけれども、ここ(http://anond.hatelabo.jp/20120731005653)で言われてるのは、
「チャウシェスクの子供たち」みたいな、親に望まれない子供たちや、教育を受けないで育つ子供たちが
経済や社会にとってもマイナスだし、生まれてきた本人たちにとっても不幸にしかならないって話か、と。
※もし、ご存知無いようでしたら、「チャウシェスクの子供たち」「人口増加策」とかでググってみてください。
あと、「望まれない子供」の話は、アメリカで妊娠中絶の合法化が、犯罪発生率に与えた影響、という点でも統計があって
ベストセラーになったスティーヴン・レヴィットの『ヤバい経済学』で、その話は書いてあります。
http://kosodatemedia.com/archives/641
http://ameblo.jp/mamababy01/entry-11315762961.html
ブコメにもあるように、このブログ、どうやらこの店叩きのためだけに作られたもののようだし、エントリをツイッターに最初に流したアカウント @feminin0610 がどう見ても捨てアカなのもそうだ。
が、店のブログに書かれていたのは事実なので何かしらトラブルがあったのは間違いない。ただ、第三者がどちらが悪いなどというのはおかしい話。店の外に書いてある注意書きを見落としたご夫妻も悪そうだし、店主も何かしら言い方に悪い点があったのかもしれないが、我らネットの大衆が知る由も無い。
そんなことよりも、この「ネットの知らないみんなを使ってこの店を叩こう!」とかいう姿勢がすごく気持ち悪い。「妊婦」「フェミニスト」を名乗って大衆を煽ろうとしている姿勢も気持ちが悪い。
俺がお腹の赤ちゃんなら産まれた瞬間にこの両親の子供であることに絶望しそうだ。そういう意味で、登場人物の中でたった一人、唯一可哀想なのは、お腹の赤ちゃんであろう。子供は親を選べないのだ。
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まとまってたわ。やっぱり気持ち悪いな。
こだわりというより、小規模の居酒屋にとって、小料理は廃棄率も高いし仕込みの手間暇もかかる。利益率の悪い商品だが、利益率の高い酒類があるからやっていける。
という価格設定のお店があって、その手のお店では酒類を頼むのはあるていど、持ちつ持たれつの関係。
酒で売ってる所は料理のみでいいかどうかは店に確認の必要がある。というのは、よくある話。
ただ、いずれにしろ、酒を扱っている場合、客と店のトラブルはよくある話で、こんな小さな規模の店の叩きにネットで群がるのはどうにかしてる。よくある話すぎる。
広報のある大企業を集団で叩くのはいいけど、この規模を集団で叩くなら、単なるイジメ。 ようするに、よくあるトラブルでしか無い。
私は少なくともお金持ちではないが、お金に対して恐らく真理であるだろうことの一端を掴んでいると思う。それは、お金に価値があるという誤解が経済を破滅へ導く、ということだ。
まず最初に自覚すべきことは、お金というものはそれ単体ではなんの価値もない、ということだ。本当に価値があるのは土地や食べ物といった現物であり、お金そのものではない。お金は単にそれらのものと交換が出来るだけで、もしお金を何かしら現物や権利と交換できないとしたら、それは単なる紙切れでしかないのだ。
ここで敏い方ならこう思うだろう、定義が違う、何かと交換できるものがお金と定義されているのだ、と。しかしそれはやっぱり違う。お米と着物を交換したとしても、お米も着物もお金とは違う。では、いったい何がお金をお金たらしめているのか?それは「信用」だ。
そもそも私たちは物を売るとき、買うとき、なぜお金を使うのか?それは、私達がお金は多くのものと交換することが出来ると信じているからである。ここで重要なのが、みんながお金を信じている、ということである。
ここでひとつ極端な例を出そう。あなたはコンビニでレジ係をやっている。やってきたお客が山ほどのお札を出してジュースを一本買おうとした。しかしそのお札は、ジンバブエ・ドルだった。あなたはジュースとジンバブエ・ドルの交換をするだろうか?しないだろう。お客は一生懸命あなたに説明する。このジンバブエ・ドルは偽札ではないこと。日本円で考えたらジュース一本分の値段に相当すること。しかしそれで納得するだろうか?しないだろう。なぜか考えてみた時、答えはジンバブエ・ドルは他の場所では使えないから、というものが出て来はしないか。それはジンバブエ・ドルが通貨として有効だと思われていない=「信用」がないからである。
この「信用」がなければ、お金はただの紙切れにすぎないのだ。
では、この「信用」を作り出しているのは何者なのか、現代のお金はいかにして発行されているのかを追求して考えると、巨大な詐欺と呼んで差し支えない構造に行き当たるが、それは本題ではないので置いておく。今私が話題にしたいのは、みんながお金を信じているという事だ。みんながお金に価値があると信じた時、お金は様々な手段で自己増殖をはじめる。
上手く説明できるかわからないが、例を紹介しようと思う。余談だが、この例を理解してくれる人に出会ったことがない。
AさんとBさんがいる。AさんはBさんに100円を借りた。利子は1割で、AさんはBさんに110円返せばいい。そしてBさんはAさんに100円を1割の利子で貸すという証文を書いた。この証文は約束を書いた紙切れである。しかし、お金を信じている人にとっては110円の価値がある証券である。けれども待って欲しい。今、AさんとBさんの間には100円しかない。だが、利子付きの借金のおかげで、二人の間では110円のお金がやり取りされることになっている。この10円はどこから生まれたのだろうか?それは二人の間の「信用」から生まれたのだ。Aさんは、後から110円にして返すから今100円を貸して欲しいとBさんに頼んだ。Bさんはその言葉を信じたから100円を貸したのだ。その「信用」を計ったところ、10円に相当した。言わば、この10円は「信用」に依って生み出された仮のお金なのだ。
さて、Aさんがどこかから10円余分に引っ張ってきてBさんに110円を返すことができたら、めでたしめでたしである。しかしそれが出来なかった時、どうなるのか?110円を用意できなかったAさんは、他の人から120円返す約束をして110円を借りるかもしれない。しかしそうしたらまた10円分仮のお金が増えてしまう。この利子分は仮のお金で現金ではないが、お金を信じている人は利子分を含めた証券を見て、120円のお金があると計算してしまう。こうして仮のお金は増えていく。このお金が増えるプロセスの中で、20円に相当する現物などの富が新たに生み出されたりしたわけではない。未来にそれが手に入ると信じて増えたお金なのだ。
この利子(と言うより信用取引全般)に依って増えるお金は「信用」さえあれば簡単に増える。実態のない仮のものという注意書きはつくが。そしてそれは条件を満たせば実際に現金に化けるのだ。お金そのものに価値があると信じている人は、額面のお金を増やすためにどんどん信用取引をはじめる。お金が自己増殖をはじめるのだ。
しかしこのお金は実態のない仮のものだということを忘れてはならない。それを忘れた顛末がバブル崩壊やサブプライムローン問題なのだと思う。これらの事件では膨らみすぎた架空マネーがポンとはじけて消えてしまった。増えすぎた仮のお金が実際の富と釣り合わなくなったのが原因だ。
だが、仮のお金が生み出される構造が残っている限り、同じ事件は何度でも起こるだろう。そして大きな問題は、現代の資本主義は信用取引なしでは回らなくなっている。
ここでもう一度声を大にして言いたい。本当に価値があるのはお金の額面ではなくて現物なのだ。それを忘れた取引を続ける限り、資本主義経済は自滅への道を歩み続けることになるのだ。
日食の時もそう。自分が興味ないイベントに関していちいちTwitterで「みんな盛り上がってるみたいだけど俺はそれの何が面白いのか理解できないね」とつぶやく奴が居る。
こっちは盛り上がってるのに、水を差されたみたいで正直イラっとする。
あーはいはい、かまってちゃんですか?俺はミーハーじゃないよってアピールしたいんですか?カッコイイデスネー。
しかも「俺はオリンピックに興味ないですアピールうざいですから〜」とかツイートしててさらにウザイ。
それはいつかのお前の事だね、鏡を見ろ鏡を。
「全員が盛り上がってるTLいいなー」
じゃあオリンピックに興味ない奴全員リムってそういうTL自力で作れよバカか。
自分勝手すぎるだろ。
裁判所の前に行方不明者の掲示がされるけど毎日新規で更新されまくってる
・脱退
・転校のススメ
・不登校のススメ
そういうことです これをおかしいとは言わない人が多いんです
いじめられている人がコミュから排除されればそれで「世は事も無し」
親に金が無くて転校できない子ども