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はてなキーワード: セクシュアリティとは

2023-07-30

敵のセクシュアリティとか犯罪歴を頭上に表示できるスタンドが欲しい

残り寿命とか本名とか考えてることも全て表示させたい。

2023-07-29

百合BL大好物だし、俺自身がフィクトセクシュアルであることからLGBTsとかSOGIとかセクシュアリティとかの話題には関心がある方だけど、「アライ」の「Shipper」と聞くと警戒しちゃうのはそういうとこだぞって感じ。

対人異性愛者がアライ面するために創作物を利用するのはそりゃみんな嫌だわ。

2023-07-27

anond:20230727094703

自分含めて、告白された推しセクシュアリティーに不満を持った人はほとんどいないだろう。」

推しゲイからファンをやめるわけじゃない。」

不満たらたらじゃん。

自己啓発とかそういうのやってたし彼がそういう人だとはなんとなくわかっていた、と言うくせにゲイとわかったとたんに見限るんじゃん。

ゲイなのがいやなだけだろ。差別からくる嫌悪感をいいように取り繕うなよ。

差別をしているわけではないが、ポリコレ黒人が配役されるのは嫌い」って言って映画に低評価爆撃するレイシスト言い訳そっくり

芸能人セクシュアリティ告白を受けて

異性愛者はあらゆる人間に対して異性愛の前提を押し付けるな。目の前の人間同性愛である可能性を念頭に入れろ。」

みたいなの見るけど、

そう言ってる人は全員、目の前の人間左利き可能性を念頭に置いて行動してるんだよね?

いろんな場面で相手右側に物を置いたりなんかしてないんだよね?

誰かとご飯食べる時はアレルギーがないか気を利かせて直接質問はせず、アレルギー物質もろの食事屋は選ばないようにしてるんだよね?

クッキーパンプレゼントなんてもってのほかで、相手小麦アレルギー可能性はしっかり考えてるんだよね?

あらゆるマイノリティはあらゆるマジョリティに散々な対応される世界が当たり前なのになんでセクシュアリティだけこんなに声がデケェの?

推しゲイ告白した、利用されたなと思った

10年以上いわゆる推しとしてファンを続けてきた推しゲイ告白した。イベント会場で生でゲイだと告白されてオタクが思ったのが、「利用されてるな」だった。

グループ活動休止して以降、彼はアーティストじゃなくて洋服屋さんになった。元々多かった意識高い系大学生(後にマルチにハマる)みたいな発言が目に余るくらいになっていったし、痛めな外国スゲェ発言とか、自己啓発にどっぷりなところとか、やばめの人との繋がりとか、そういうのをファンに発信し続けてた。

たまに開催するイベント自己啓発セミナーみたいになってきてたし、テレビでもSNSでもお金の話や、自分いかアメリカ成功してるか、みたいな発言ばっかりで、本人の自己評価反比例してファンだんだん離れていってる体感もあった。

正直もう彼を本気でガチ恋みたいな形で推してる人なんてほとんどいなかったんじゃないかと思う。彼のそういうイキった部分に傾倒する人が一部いるけど、惰性だったりグループ時代面影を追って今も一応追ってる、みたいなタイプが1番多かったと思う。

そんな中で行われたイベントで、彼は神妙な面持ちで「僕はゲイです」と告白した。

なんとなく予想はしていたからそれ自体には驚かないし、自分の話だけで言うならステージで変わらず輝いてくれさえしたら、推し恋愛対象が男であろうと馬であろうと虫であろうと、どうでもよかった。

でもその後の涙のLGBTQ+お気持ちトークと、やたらといるカメラマンが待ってましたとばかりに寄ってきてファンの顔を撮ってるのをみた時に、「今、カミングアウト劇場を盛り上げる装置に利用されてるんだな」と思って気持ちがスッとしらけた。

たぶん今後はこの日の出来事が感動的な感じで報道されたり、ドキュメンタリーにされたりするんだろうけど、推しの涙のボルテージは全開でも、勝手に盛り上がるステージに比べて客席は冷えていた。別に推しゲイだと分かったからじゃなくて、「あ、次はそうくるのね。はいはい」みたいな雰囲気だったと思う。

これが普段からアーティストで、やたらに思想を発信しないタイプの人ならこうはならなかったと思う。推しファンの間に信頼関係があるからだ。

自分含めて、告白された推しセクシュアリティーに不満を持った人はほとんどいないだろう。でも、個人では国内でさして知名度もない彼がアーティストとして今後振り回せる武器が、元グループ名前とLGBTQ+棒なんだなというのが分かってしまったし、ここからずっと、推しによるファン無知無理解だと決め込んだLGBTQ+お説教トークが続くんだろうなと思うと寒気がした。

終演後に会った友人たちはみんな同じような感想を持っていた。ここから先の未来簡単に予想できる。社会的発言がやたらに増えて、また謎の海外アゲが始まって、今まで少しも推しに興味なかったであろうLGBTQ+系の活動家が群がって、ファンはずっと“推しゲイでも受け入れられるのか”という好奇の目にさらされるだろう。

案の定イベントの内容は彼が自分で呼んだとしか覚えない新聞系のメディアが即日ニュースにしていた。

ここから先、自分含めて彼のファンを降りる人が出るだろうけど、推しゲイからファンをやめるわけじゃない。

その人の今後の活動に楽しさが見出せなくて、もうみんな疲れてしまったんだと思う。

2023-07-24

anond:20230723210848

真剣交際したい」と申し出ることは悪ではないし、他人からとやかく言われるような問題ではないと思うんだけど。手を出してたならいます警察通報して逮捕するべきだけど、好きになることは何も問題ないじゃん。

一般論としては、まったくその通り。

気持ち悪い」というブコメもあったけど、かつて(あるいは保守派の人たちからは、今も)同性愛者に向けられ、現在近親相姦当事者小児性愛者に向けられている差別とまったく同じ。人のセクシュアリティ簡単に「気持ち悪い」と言い切ってしまうことのヤバさを真面目に考えるべき。

両思いじゃないと交際要求してはいけない、なんてのもおかしいよね。告白とか婚活とかの全否定になる。

え? 未成年との交際犯罪? いやいや、禁止されてるのは「16歳未満との性交」であって「16歳未満との交際」じゃないっすよ。「強制性交罪」っていう文字列、読めますよね? 手をつないで見つめ合う程度の交際であれば、50歳と13歳との交際は今も昔も完全に合法です(あれ、デートかに連れ回すと誘拐罪になったりするのか? まあ少なくとも性犯罪ではない)。

ただ、この件限定個別事情を考えると、

あたりがちょっとまずいポイントだと思う。

親のところに来て交際させてほしいというなら、よほどの事情がない限り二人で来るか、二人が好きあってることが自明であるのが普通だよね(たとえば、娘の交際に憤り禁足令を出している父親の下に単身乗り込む彼氏くん、みたいな)。一方、当該のママさんはなんの兆候もなく一人で乗り込んできたらしい。

親が子供交際にあれこれ口を出すのは、少なくとも中高生場合は過剰な介入とみなされうると思うし、仮に中学生に対して特定恋愛禁止する権限(「お前があいつと交際することは許さん!」)を認めたとしても、特定恋愛押し付け権限(「お前はあいつと交際するんだ、わかったな」)なんて認められるわけがないので、まずは本人の同意第一。それを考えると、まずは本人に告白するなり何なりして同意を得るのが先でしょう? なんでまず親にアプローチしてんの? という話になって一気に怪しくなる。まさかとは思うけど、本人に直撃したら拒絶される可能性を見越して親の権力を使って籠絡しようとか考えてないよね?

もちろんこれは疑惑なので、実はとっくに息子くんとは相思相愛でした、息子くんがお母さんには言い出しにくいというので私から、という話なら、変な勘ぐりで申し訳ないけど。

でもって、契約個人自由なので、当該ママさんの旦那さんがどう考えているかわからんのだけど、そういう申し出って、ふつうは「前の関係」を精算してからやるもんじゃない……? いやもちろん「交際相手は一度に一人にすべき」というのは一つの価値観にすぎないので、「同時に複数の人と交際してもよい」という価値観はそれはそれでありうるし、尊重されるべきだ(ゆえにそれが法律婚として認められない現状は結婚平等観点からおかしい)と思うんだけど、だったらわざわざ今の夫と別れる必要はないはずなので、当該ママさんはあくまで「交際相手は一度に一人にすべき」派なんだよね……? だったら前の相手との関係をきちんと精算してからにしない……?

まあでも、後に入金があることを予定して高額の商品を予約するとか、転職がうまくいくという見通しで新居探しをするとか、よくあることなので、そこまで責められる話ではないのかもしれないけれど……

追記

大元増田追記見落としてたわ。マジで息子くん何も知らんかったのね。まあ9割9分そうだろうとは思ってたけど……

anond:20230724102752

あるらしいよ。

https://jobrainbow.jp/magazine/gender-fluid

ジェンダー・フルイド(gender-fluid)とは、性自認こころの性)が複数の性のあいだで揺れ動くセクシュアリティです。不規則に変わることもあれば、場面や状況に応じて変化することもあります

2023-07-16

マジで場面で性別変わるトランスジェンダーっているの?

風呂トイレだけ女はになる場面的トランスジェンダーかいネタツイっぽいのが回ってきて、ネタっしょと思いながら調べてみたら大真面目にそういうの語ってるページがでてきてびっくりした

マジでそのうちそういう男まで女として押し付けられるようになるわけ?

ジェンダー・フルイド(gender-fluid)とは、性自認こころの性)が複数の性のあいだで揺れ動くセクシュアリティです。不規則に変わることもあれば、場面や状況に応じて変化することもあります

2023-07-14

トランス女性トランスアライの目指してるところはペドフィリア子供押し付ける事

もう消されたようだが、身体男性のまま女子トイレを使わせろと最高裁まで争って中年男が女子トイレに入る権利を勝ち取ったトランス女性は「露出狂ペドフィリアサディズムはもはや異常ではなく、尊重されるべき個人多様性の一つ。脱病理化すべき」とツイートしていた。

https://twitter.com/akishmz/status/779860576805593088?t=lIKb8ZkbW4MOjGy1zEmWaA&s=19

フェミニズムクィア理論トランスアライ学者は「どこから再燃しているのか知らないですが、またTLにあがっているようなので。ペドフィリアセクシュアリティの一つだと思いますし、ペドファイルはその意味ではセクシュアルマイノリティです。それは否定できない。そのことと、性暴力や性虐待を許容しないこととは、別の話です。」とLGBTQ+にペドフィリアを含めていた。

トランスアライ作家https://twitter.com/Li_Kotomi/status/1300013588677980161?t=t1e1stJTfLxsNqLExtn64g&s=09

「「小児性愛」が何故かトレンド入りしている…

小児性愛はLGBみたいな性的指向ではなく病気である、という言説があるが私は必ずしも賛同できない。何が病気で何がそうでないかを断ずるのは常に権力者側なので、慎重にならざるをえない。

同性愛だって50年前は病気だったってことを忘れないで。」と小児性愛同性愛と同じだと語っていた。

共産党政治家

https://twitter.com/seijinikokorowo/status/1673302080390582272?t=nHPra4zdgHtCH8CDUPAhBg&s=19

今日埼玉大学で、

女性の知恵で社会デザインする講座」のLGBTQについてのお話しをお聞きしました。

全てのマイノリティの人々が自分らしく活躍できることを願っています

私の知人は、年齢自認に苦しんでいます。実際の年齢は20代ですが、心の年齢は小学生なのです。」

トランスエイジについて語りだした。

まり彼らは中年男性トランスジェンダートランスエイジですと自称すれば、小学校に通い女児と共に着替えをし、何なら小学生との恋愛トランスジェンダートランスエイジレビアンです!と言えば許されるような、狂った世の中を目指しているのだろう。

おかしい。

2023-07-09

anond:20230708182513

政治家批判する文脈だったとしても持病を揶揄するようなやり方は差別だし、セクハラ批判する文脈だったとしてもセクシュアリティ揶揄するようなやり方は差別だよ。

ツイフェミの人たちもいい加減、ミソジニー批判する文脈だったとしてもオタク趣味やFセクのセクシュアリティ揶揄するような直球の差別をいい加減反省して欲しい。

そういうことをしなくても批判できることは批判できるはず。


シスヘテロ女性女子中学生に向かって「将来元気な赤ちゃん産むわよ~」とか言ってたら、「男性なら問題だけど、女性から問題ない」ことになるだろうか?

男性でも女性でも、シスでもヘテロでもトランスでもホモでも、言うべきでないことは言うべきでないだろう。

2023-07-04

anond:20230704193427

大人同士で同意があればセックスしても誰も傷つけない」と主張する人もいますが、それは間違いです。

現実には大学生新入社員など、20代前半の女性が酒やドラッグ酩酊させられ、「同意」を捏造するという性犯罪の手口が横行しています

大人同士であろうが、同意があろうが、「生きた人格のある人間相手セックスしてもよい」という狂った倫理観肯定すること自体性犯罪蔓延奉仕しているのです。

そもそも対人セックスなんて人生必要はありません。

生きた人体の内蔵と内蔵を擦り合わせて性的快楽を得るという危険行為に走らずとも人は生きていけるし、性的に満足することも可能です。

あなたセクシュアリティ肯定するために、対人セックス必要ないはずです。

先進的な人々は既に対人セックス卒業しています

あなたも早く意識アップデートしましょう。

2023-07-01

「対人セックス自由」なんて憲法のどこにも書いてないんだから禁止してもよくね?

そんな人権ねぇだろ。

セクシュアリティを充足させる権利」という意味であれば、まあ近年の流れからして「新しい人権」と言えるかもしれないが、だとしてもオナニーでいいじゃんという話なんだよな。対人セックスにこだわる必要は何にせよない。

2023-06-27

最近自分ジェンダーセクシュアリティも両方分からないんだけど両方もともと形のないもの名前を無理矢理つけてるだけだからからなくても当然なんだよね……

2023-06-15

anond:20230615170242

シスヘテロ対人性愛者が自身セクシュアリティと向き合ってこなかったために、人間性的に充足することの必要性議論がすっぽり抜け落ちてるんだよな。

から「鶏姦」とかをあっさり規制できる。

自分たち悠々自適セックスを楽しむ聖域を守りながら、「性的快楽人生必要ないよ」と簡単に言う。「むしろ有害だよ」と簡単に言う。なら自分たちがまず率先してやめるべきなんだよ。

ところで水着グラビアってそんなにダメ

そもそもこの話題議論、みんなが「女性が肌を見せる活動はすべて不道徳であり搾取、つまり社会悪」っていうスタートラインに立っているのがすごく不思議

水着グラビア=人のいやがる仕事、ヨゴレ仕事」っていう前提、なんか間違ってないですか?

話題吉岡里帆さんは去年の写真集でも水着姿を披露しているし、フカキョンもごく最近水着写真集を出している。いずれも押しも押されぬ大スターになった後であり、ヨゴレ仕事は断れるしアサインされない身分。「事務所からの無理強いで」「売れるために仕方なく」撮らせたとはさすがに考えづらいよ?

 

おっさんなので例が古くて申し訳ないけど、平成の昔、ヌード写真といえば落ち目ジリ貧となった女性タレント苦し紛れ最後っ屁として出版するイメージだった。

そのイメージを一変させるきっかけとなったのが篠山紀信撮影による樋口可南子ヘアヌード写真集。そのヒットによってアーティスティックヘアヌード写真集を撮らせるのは女性芸能人にとってステータスとなり、平成ヘアヌードブームを現出した宮沢りえの「Santa Fe」を始め、続く菅野美穂の「NUDITY」、高岡早紀井上晴美といった一連の人気タレントによる写真集も、多くは彼らのキャリアピーク近くで出版されたものだ(個人的には石田えり写真集「罪」がお気に入りだが)。

これらは目ん飛びなギャラを提示されて半ば札びらで頬を叩かれるように撮られた写真集だったのかもしれない。でも、それを断ってもタレント生命には特に影響のない案件でもあったはずだ。「仕事なのだから、いやなこともしなきゃいけない」どころではなく、彼らは仕事を選べたはずなのである吉岡里帆が「今は水着グラビアをやってよかったと思っている」みたいなことを述べたのと同じように、ヘアヌード写真集を撮らせた彼らも誇りを持ってその仕事を選び、今でもその仕事を誇らしく思っていることだろう。

これは性的搾取なのだろうか?

しかにあの時、私達はテレビで見慣れた雲の上の美人タレントたちの無垢な裸身を見て、キンタマが枯れるまでオナニーした。性的まなざしをそそいだ。しかし、性的にまなざされることと、それが誇れる尊い仕事であることは矛盾しないんじゃないか? 両立するんじゃないか

芸術わいせつか、なんてそんな高尚なことを言おうとはしていない。「男が性的にまなざせばそれは搾取」みたいな、主客転倒した、因果関係あべこべな、乱暴な持論を展開する人がいるようなので、それは違うと思う、と言いたいだけだ。

肉体美や肉体の持つセクシュアリティ資源として経済活動することは罪や穢れなのだ、みたいな、ほとんど宗教的立ち位置から議論を始めたのでは、肝心の性的搾取のところにまでは議論が到達しないと思う。女性の肉体は美しいし、それを正しい手続きのもと鑑賞するのも人に鑑賞させるのも行いとして正しい。「が、しかし」から議論を始めるべきだろう。

2023-06-13

anond:20230613113222

空想表現だけで満足出来なくて、「大人同士で丁寧に同意を取り付ける」という妥協をしてまで絶対に対人セックスをしないと気が済まないっていうのは、やっぱり病気だと思うんだよな。

セクシュアリティというのは本来、究極のプライバシーなのに、それを他者と共有したいというのは露出症的な欲望だと思う。あるいは、「他者セクシュアリティ自分のそれで置き換えたい」という支配欲の表れか。

いずれにせよ、対人性愛者に必要なのは、「恋愛自由」とかじゃなくて、適切な治療だと思う。

2023-06-12

では逆に、スタアを目指すJCは何がセーフなのか

はてブ市民によると、女子中学生水着姿の撮影会公序良俗に反する、けしからんいかがわしい催しであるらしい。

ワシもそう思う。けしからんいかがわしい

しかし、そうだとすると、たとえば、スポーツブランドカタログに載っている写真はどうだろう。

スポーツブランドカタログに、中学生モデルジュニア向け水着を着用してポーズをとっている写真が載っていたとする。

これはセーフだというのがおそらく社会通念だろう。

健康的なポーズからセーフなのだろうか。

それとも、その写真が撮られた目的健全からセーフなのだろうか。

プロカメラマンスタジオ撮影しているからセーフなのだろうか。

カタログを手にとって見るのは主に就学児童を持つ親御さんだからセーフなのだろうか。

カタログが置かれるのがスポーツ用品店の店頭からセーフなのだろうか。

どこかのブクマで「撮影者が性的に興奮してたらアウト」という意見を見かけた。

健全目的撮影カメラマン性的に興奮していないと言い切れるだろうか。

私は健全企業活動の一貫として女性向け下着プロモーションに携わったことがあるが、その業務従事している間しばしば性的な興奮を覚えた。

しか女性下着の開発や販売促進が公序良俗に反する行為とは特に考えなかったし社会通念上もそうであろう。

話が脱線した。

グラドルとは、自らのセクシュアリティ経済的価値を持つ資源自覚し、自己表現自己実現あるいは利益獲得の一貫としてそれを衆目に晒すことを業とする者を言う。

その営みは、成熟した大人個人判断において行う分には何も問題はないが、少なくとも未成年にはふさわしくないと思う。

しか未成年とてアイドルを夢見、スタアを志す。というか、若いアイドルたちの大半は未成年デビューする(成人してまでアイドルになりたいなどと寝言を言っている大人がいたら早く目を覚ませと言ってやるべきだろう)。

そうした未成年たちに許される営為範囲とはどこからどこまでだろう。

そもそも女性アイドルは、プールサイド撮影会なんかしなくても男性ファンから性的にまなざされることが宿命である

思春期の男は誰しも多かれ少なかれ、あのアイドル恋人にしたい、あの子チョメチョメしたいと思うのである雑誌水着写真があれば健康的なポーズであっても10円玉で隠したりするし、顔面アップの写真には精液をぶっかけるのである

フリフリのロングドレスを着て能天気な歌を歌っているくらいなら健全です、と確信を持って言えるだろうか?

年齢に関わらず、女性はスタアを志した時点で自らの「女性性」を資源にしている。

極端な話、地上波歌番組でピョンピョン踊っているアイドルと、アダルトビデオでドロドロにされている女優は地続きである距離的な隔たりこそ大きいが、その間には滑らかなグラデーションが広がっいて、セクシュアリティ比重というパラメーターがアナログに異なっているだけだ。

性の商品化と言うが、むしろ商品でない性などありえない。

もし原田知世ちんちんが生えていたら、と想像してみればいい。

2023-05-31

anond:20230531131635

大人同士で同意があればセックスしても誰も傷つけない」と主張する人もいますが、それは間違いです。

現実には大学生新入社員など、20代前半の女性が酒やドラッグ酩酊させられ、「同意」を捏造するという性犯罪の手口が横行しています

大人同士であろうが、同意があろうが、「生きた人格のある人間相手セックスしてもよい」という狂った倫理観肯定すること自体性犯罪蔓延奉仕しているのです。

そもそも対人セックスなんて人生必要はありません。

生きた人体の内蔵と内蔵を擦り合わせて性的快楽を得るという危険行為に走らずとも人は生きていけるし、性的に満足することも可能です。

あなたセクシュアリティ肯定するために、対人セックス必要ないはずです。

先進的な人々は既に対人セックス卒業しています

あなたも早く意識アップデートしましょう。

自分空想の子供にしか興味がないと思っていたけど、現実の子供もいけるのかもしれない」と気付いてしまうことは、「自分は異性にしか興味がないと思っていたけど、同性もいけるのかもしれない」と気付くのと同程度にはありうるだろう。セクシュアリティというのは流動的なので、異性愛者がある日から同性愛に興味を持つように、非対人性愛者がある日から対人性愛に興味を持つことも、絶対に無いとは言いきれない。

一方、「自分現実大人しか興味がない」という人は、そうしたセクシュアリティの変遷を経験することなく、「現実の子供に興味を持つ」ことができてしまう。「子供は好みじゃない」と嘯きながら、子供たちに「大人のフリ」をさせることによって、擬似的な「成人性愛」を脳内に実現することができてしまう。それが全ての対人性愛者たちの特性なんだよね。

対人性愛というのは、それ自体差別暴力支配構造と不可分な欲望なのだから現代社会ではもはや許されなくなりつつある。全ての対人性愛者たちは、自分たちの欲望こそがそのような構造を支えてきたのだと反省して、二度と同じ過ちを繰り返さないためにも、一日でも早く対人性愛卒業することが望まれるよね。

2023-05-30

自分空想の子供にしか興味がないと思っていたけど、現実の子供もいけるのかもしれない」と気付いてしまうことは、「自分は異性にしか興味がないと思っていたけど、同性もいけるのかもしれない」と気付くのと同程度にはありうるだろう。セクシュアリティというのは流動的なので、異性愛者がある日から同性愛に興味を持つように、非対人性愛者がある日から対人性愛に興味を持つことも、絶対に無いとは言いきれない。

一方、「自分現実大人しか興味がない」という人は、そうしたセクシュアリティの変遷を経験することなく、「現実の子供に興味を持つ」ことができてしまう。「子供は好みじゃない」と嘯きながら、子供たちに「大人のフリ」をさせることによって、擬似的な「成人性愛」を脳内に実現することができてしまう。それが全ての対人性愛者たちの特性なんだよね。

対人性愛というのは、それ自体差別暴力支配構造と不可分な欲望なのだから現代社会ではもはや許されなくなりつつある。全ての対人性愛者たちは、自分たちの欲望こそがそのような構造を支えてきたのだと反省して、二度と同じ過ちを繰り返さないためにも、一日でも早く対人性愛卒業することが望まれるよね。

自分空想の子供にしか興味がないと思っていたけど、現実の子供もいけるのかもしれない」と気付いてしまうことは、「自分は異性にしか興味がないと思っていたけど、同性もいけるのかもしれない」と気付くのと同程度にはありうるだろう。セクシュアリティというのは流動的なので、異性愛者がある日から同性愛に興味を持つように、非対人性愛者がある日から対人性愛に興味を持つことも、絶対に無いとは言いきれない。

一方、「自分現実大人しか興味がない」という人は、そうしたセクシュアリティの変遷を経験することなく、「現実の子供に興味を持つ」ことができてしまう。「子供は好みじゃない」と嘯きながら、子供たちに「大人のフリ」をさせることによって、擬似的な「成人性愛」を脳内に実現することができてしまう。それが全ての対人性愛者たちの特性なんだよね。

対人性愛というのは、それ自体差別暴力支配構造と不可分な欲望なのだから現代社会ではもはや許されなくなりつつある。全ての対人性愛者たちは、自分たちの欲望こそがそのような構造を支えてきたのだと反省して、二度と同じ過ちを繰り返さないためにも、一日でも早く対人性愛卒業することが望まれるよね。

自分空想の子供にしか興味がないと思っていたけど、現実の子供もいけるのかもしれない」と気付いてしまうことは、「自分は異性にしか興味がないと思っていたけど、同性もいけるのかもしれない」と気付くのと同程度にはありうるだろう。セクシュアリティというのは流動的なので、異性愛者がある日から同性愛に興味を持つように、非対人性愛者がある日から対人性愛に興味を持つことも、絶対に無いとは言いきれない。

一方、「自分現実大人しか興味がない」という人は、そうしたセクシュアリティの変遷を経験することなく、「現実の子供に興味を持つ」ことができてしまう。「子供は好みじゃない」と嘯きながら、子供たちに「大人のフリ」をさせることによって、擬似的な「成人性愛」を脳内に実現することができてしまう。それが全ての対人性愛者たちの特性なんだよね。

対人性愛というのは、それ自体差別暴力支配構造と不可分な欲望なのだから現代社会ではもはや許されなくなりつつある。全ての対人性愛者たちは、自分たちの欲望こそがそのような構造を支えてきたのだと反省して、二度と同じ過ちを繰り返さないためにも、一日でも早く対人性愛卒業することが望まれるよね。

2023-05-29

自分空想の子供にしか興味がないと思っていたけど、現実の子供もいけるのかもしれない」と気付いてしまうことは、「自分は異性にしか興味がないと思っていたけど、同性もいけるのかもしれない」と気付くのと同程度にはありうるだろう。セクシュアリティというのは流動的なので、異性愛者がある日から同性愛に興味を持つように、非対人性愛者がある日から対人性愛に興味を持つことも、絶対に無いとは言いきれない。

一方、「自分現実大人しか興味がない」という人は、そうしたセクシュアリティの変遷を経験することなく、「現実の子供に興味を持つ」ことができてしまう。「子供は好みじゃない」と嘯きながら、子供たちに「大人のフリ」をさせることによって、擬似的な「成人性愛」を脳内に実現することができてしまう。それが全ての対人性愛者たちの特性なんだよね。

対人性愛というのは、それ自体差別暴力支配構造と不可分な欲望なのだから現代社会ではもはや許されなくなりつつある。全ての対人性愛者たちは、自分たちの欲望こそがそのような構造を支えてきたのだと反省して、二度と同じ過ちを繰り返さないためにも、一日でも早く対人性愛卒業することが望まれるよね。

自分空想の子供にしか興味がないと思っていたけど、現実の子供もいけるのかもしれない」と気付いてしまうことは、「自分は異性にしか興味がないと思っていたけど、同性もいけるのかもしれない」と気付くのと同程度にはありうるだろう。セクシュアリティというのは流動的なので、異性愛者がある日から同性愛に興味を持つように、非対人性愛者がある日から対人性愛に興味を持つことも、絶対に無いとは言いきれない。

一方、「自分現実大人しか興味がない」という人は、そうしたセクシュアリティの変遷を経験することなく、「現実の子供に興味を持つ」ことができてしまう。「子供は好みじゃない」と嘯きながら、子供たちに「大人のフリ」をさせることによって、擬似的な「成人性愛」を脳内に実現することができてしまう。それが全ての対人性愛者たちの特性なんだよね。

対人性愛というのは、それ自体差別暴力支配構造と不可分な欲望なのだから現代社会ではもはや許されなくなりつつある。全ての対人性愛者たちは、自分たちの欲望こそがそのような構造を支えてきたのだと反省して、二度と同じ過ちを繰り返さないためにも、一日でも早く対人性愛卒業することが望まれるよね。

大人同士で同意があればセックスしても誰も傷つけない」と主張する人もいますが、それは間違いです。

現実には大学生新入社員など、20代前半の女性が酒やドラッグ酩酊させられ、「同意」を捏造するという性犯罪の手口が横行しています

大人同士であろうが、同意があろうが、「生きた人格のある人間相手セックスしてもよい」という狂った倫理観肯定すること自体性犯罪蔓延奉仕しているのです。

そもそも対人セックスなんて人生必要はありません。

生きた人体の内蔵と内蔵を擦り合わせて性的快楽を得るという危険行為に走らずとも人は生きていけるし、性的に満足することも可能です。

あなたセクシュアリティ肯定するために、対人セックス必要ないはずです。

先進的な人々は既に対人セックス卒業しています

あなたも早く意識アップデートしましょう。

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