そもそもこの話題の議論、みんなが「女性が肌を見せる活動はすべて不道徳であり搾取、つまり社会悪」っていうスタートラインに立っているのがすごく不思議!
「水着グラビア=人のいやがる仕事、ヨゴレ仕事」っていう前提、なんか間違ってないですか?
話題の吉岡里帆さんは去年の写真集でも水着姿を披露しているし、フカキョンもごく最近水着写真集を出している。いずれも押しも押されぬ大スターになった後であり、ヨゴレ仕事は断れるしアサインされない身分。「事務所からの無理強いで」「売れるために仕方なく」撮らせたとはさすがに考えづらいよ?
おっさんなので例が古くて申し訳ないけど、平成の昔、ヌード写真といえば落ち目でジリ貧となった女性タレントが苦し紛れの最後っ屁として出版するイメージだった。
そのイメージを一変させるきっかけとなったのが篠山紀信撮影による樋口可南子のヘアヌード写真集。そのヒットによってアーティスティックなヘアヌード写真集を撮らせるのは女性芸能人にとってステータスとなり、平成のヘアヌードブームを現出した宮沢りえの「Santa Fe」を始め、続く菅野美穂の「NUDITY」、高岡早紀や井上晴美といった一連の人気タレントによる写真集も、多くは彼らのキャリアのピーク近くで出版されたものだ(個人的には石田えりの写真集「罪」がお気に入りだが)。
これらは目ん飛びなギャラを提示されて半ば札びらで頬を叩かれるように撮られた写真集だったのかもしれない。でも、それを断ってもタレント生命には特に影響のない案件でもあったはずだ。「仕事なのだから、いやなこともしなきゃいけない」どころではなく、彼らは仕事を選べたはずなのである。吉岡里帆が「今は水着グラビアをやってよかったと思っている」みたいなことを述べたのと同じように、ヘアヌード写真集を撮らせた彼らも誇りを持ってその仕事を選び、今でもその仕事を誇らしく思っていることだろう。
たしかにあの時、私達はテレビで見慣れた雲の上の美人タレントたちの無垢な裸身を見て、キンタマが枯れるまでオナニーした。性的まなざしをそそいだ。しかし、性的にまなざされることと、それが誇れる尊い仕事であることは矛盾しないんじゃないか? 両立するんじゃないか?
芸術かわいせつか、なんてそんな高尚なことを言おうとはしていない。「男が性的にまなざせばそれは搾取」みたいな、主客転倒した、因果関係のあべこべな、乱暴な持論を展開する人がいるようなので、それは違うと思う、と言いたいだけだ。
肉体美や肉体の持つセクシュアリティを資源として経済活動することは罪や穢れなのだ、みたいな、ほとんど宗教的な立ち位置から議論を始めたのでは、肝心の性的搾取のところにまでは議論が到達しないと思う。女性の肉体は美しいし、それを正しい手続きのもと鑑賞するのも人に鑑賞させるのも行いとして正しい。「が、しかし」から議論を始めるべきだろう。
そんな前提ないが。
毒親持ちでその後病んで自殺未遂した宮沢りえに対してそれ言うか…
へー知らんかった
女性に脱ぐ自由を持たせるべき、と女性が不当に脱がされることを防げも両立すると思うが あと、俺は性的に見たけど彼女らは脱いだ仕事後悔してないはずって決めつけはおこがましい...
どうでもいいけど デヴィ夫人のヌードを「溶けたアイスクリーム」と評した誰かのことと 西城秀樹のヌードのギャランドゥのことを思い出した
完全にキャリア確立してから芸術として脱ぐタイプを除いて、だいたい水着になったり裸になったりした時点では将来どういう人生を歩むかわからないわけよ。 幸いにして芸能の世界で...