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2024-01-31

anond:20240130160759

ゲドは「影との戦い」を映像化するだけで名作になるはずなのに

なんであそこを映像化したうえでオリジナル要素入れてくるのか

ほんと誰かちゃんと作ってよ

2023-07-22

君生き感想宮崎監督、『名作』をありがとう!~

自分宮崎駿監督に対する身勝手な期待とか甘えを供養するために書く。今作品は期待半分、不安半分という気持ちだった。宣伝なしということだったし、宮崎駿監督作品を事前情報一切なしで視聴できる機会というのはおそらく最初最後であろうと思ったので、早バレ等も避けるために数日SNS断ちして初日に見に行った。ただ映画館に向かう足取りの中で最後感じていたのは恐怖感だった。子供のころにもののけ姫を見たときの衝撃を再び与えられて、おっさんになった今再度、人生観を揺るがされるかもしれないと―。

さて、いざ蓋を開けてみると、途中まではリアル物なのかファンタジーのどっちなの?というドキドキや不安感。方向性が確定したとき期待感MAXとなったが、それ以上膨らむことはなくしぼんでいった―。

総論

美術アニメーションの美しさは申し分ないが、ストーリー感情移入できない半端な作りと言ったところで、結局、いつもの宮崎監督後期作品という他ない。今、振り返ってみると監督キャリアハイとしての作品千と千尋の神隠しあたりになるのだろうが、その千と千尋も後半から、この半端さの片鱗がある。例えば終盤、千尋は豚の中に両親がいないことを見抜くが劇中にその説明はない。しかしながら説明不足ではあっても、千尋とハクとの心のふれあいみたいなものが十二分に描かれているから、感情的に押しきれている。手を離すシーンとか思い出しただけで泣けるわ。

しかしながら、君生きはストーリーっぽいもの感情の揺らぎみたいな表現はあるものの、説得力というか、それ自体根拠がはっきりと提示されないから、大抵の観客は感情移入できずに戸惑いを覚えると思う。例えば劇中で主人公自傷行為や継母の拒絶が描かれるが、その感情の根っこが分からないので観客は困る。自傷もっと構ってもらいたかったのかな?とか拒絶はやっぱり連れ子がうざかったのかな?とか想像はできるけど見てる側はそれを確定させる要素がないから、多分こうだろうとか理由を補完して見ていくしかない。つまり作品に気を遣う状態になるわけで、それは相当きつい。忖度要求されるが、圧倒的な感情の「分からせ」がない(※)。監督が一人で突っ走ってる。観客は置いてけぼり。かつて宮崎監督は、見終わったあとに2階から出てくる感覚になるような映画がいいとか言っていたような気がするが(ソース探したが見つからず)、君生きは観客が一生懸命2階への階段必死に探すものの見つけられないまま塔の中で迷子になり、最後パヤオけが悠然と2階から出てくるという感じだろうか(画・浜岡賢次想像してもらいたい)。

あとはヒロイン?3人は多すぎる。実母に継母に婆さんでしょ?詰め込み過ぎて破綻する典型。正直、継母は全部削除して、序盤で実母エピソード増やして、実母を探しに塔に行く形にして、最後、実母ときれいに別れてで多少は形になったろうにね。もっとシナリオ段階で練ればいいのに…もったいない

もう一つ、主人公が大叔父と話した後に、急にインコに囚われてるシーンになるが謎過ぎる。壁につながれた手が映ってからの下にパンしたときに、実母でも継母でもなくお前かーいってなったのが一番面白かったかもわからない。宮崎監督過去インディジョーンズの潜水艦移動を批判していたが( https://ei-gataro.hatenablog.jp/entry/20131030/p1 )、それと似たり寄ったりだろう。いくら異世界?だからといってワープしすぎである

※ 宮崎監督とも対談したことのある養老孟司は「バカの壁」において強制了解という語をつかった(p.41)。例えば数学においては前提と論理を共有しているのであれば同じ結論に達せざるを得ない。ある定理証明を正しく説明されたのであれば、その正しさを了解せざるを得ない。そういった強制力を強制了解と呼んだ。そうした強制力は感情においても成立する。例えば電車子供が騒いでるのをぼけっと放置している父親がいたとして、普通はそれを理解できないが、もし父親が「実は母親病院で亡くなって帰る所で、これからどうしていこうかと悩んでいたところなんです」と説明されれば、事情理解できるだろう。事情が分かれば感情了解できる。それは物語を受容する過程でも同じことが言えると思う。

なお、この流れで養老他人気持ち理解できることを重視すると同時に、「個性」信奉を批判する。そんなに個性大事かと。存分に「個性」を発揮している人は病院にいるという。白い壁に毎日、大便で名前を書く患者がいるらしい。芸術的にみればすごいかもわからないが、現実的には大変迷惑でたまらないだろうとのこと。奇しくも本作においては継母の美しい顔が鳥糞まみれになる描写があるのでそういう個性的なスカトロジー芸術理解を示す人はいるかもしれない。

自分映画

こうした一見てんでバラバラに見えるような物語の断片も、もしかしたら宮崎監督だけには分かるのかもしれない。スピルバーグだか有名監督が誰にも分らない映画つくるのはホームムービー撮ってるのと同じだ的なことを言っていた気がするが、もしかしたら本当に宮崎監督ホームムービーを撮ってしまったのかもしれない。自分けがわかる映画作品を作れるとしたら、映画監督としては最高の贅沢だろう。自分用の映画私小説と言われたらなるほどという気もする。今回、宣伝がなかったという点でも符号する。これはもはや天才にだけ許された所業なのかもしれない(現実に実行可能という意味で)。

ナウシカだったと思うが、興行的に大失敗とはならなかったこから次の作品を作るチケットを手に入れたみたいな監督インタビューがあった気がする。ジブリブランド確立するまではコケたら次はない状態であったろうから興行面は大変重視されたことだろう。つまり天才大衆に合わせてくれていたわけであるしかブランド確立された今となっては、大衆を気にすることなく好きな作品を作れるというわけであるジブリ体制を維持できなかった点には目をつむるとして)。だから今もしかしたら「天才が本当にやりたかたこと」を我々は目にしているのかもしれない。

過去パヤオ感性としてはもっとアニメーション表現に全振りしたかったのだろうが、それじゃあ興行的に成立しないから、ストーリーもしっかりさせていたというのが過去の名作への向き合い方だったのだろうか。我々、一般大衆天才現実的妥協のお陰で、(大衆的には)名作となる過去珠玉を見せてもらえていたということなのだろうか。凡人が天才ちょっと付き合ってもらったという感じ。天才ちょっと退屈していたのかもしれない。大衆は今の退屈を嘆くのではなく、昔、天才に付き合ってもらっていたということを感謝すべきなのかもしれない。

この作品のそういった諸々の分からなさに対してなんとか理解しようとする感想や、なんとか説明しようとする解説記事などが上がっているのを見かけるが、なんとも物悲しい。めっちゃ面白作品を骨までしゃぶりつくしたい!という渇望からまれてくる文章はいい。例えばもののけ姫においては「『もののけ姫』を描く、語る 」というムック本があったのだが、それには一ファンから文筆家まで様々な人々の作品に対するとてつもない熱量で溢れている。でも味のしない作品をなんとかして食えるようにしたいという動機から解説を書いたり、それに群がることの虚しさよ。宮崎監督から面白いはずなんてことはない。権威主義的だし、もうそれは諦めて次に行こうよ。これを知っていれば、本当は面白いんだよって本気で思っている人もいるかも知れない。でもそういう解説必要とすればするほど、その面白さが作品内で素直に伝わってないことの裏返しである野球大谷いくらいからって彼の(打者としての)ファールや三振をありがたがったりしないでしょ?今回の打席は残念だったねでいいじゃんね。(もちろん宮崎監督場合、次があるかは分らんが)

「問い」として捉える

さて、作品表題に立ち返ってみると、これは疑問形である作品としては名作とはとても言い難い。しかし聴衆に対する問いであると捉えたらどうであろうか。物語がてんで成立していないのに問いかけを見出すことができるのか?うーん正直、自分には無理。味がしないんだから問われたとも感じない。

しかし確かに思ったことがある。それは、大叔父のようなお爺さんに期待するんじゃなくて、自分が見たい作品があるのなら、他にそれを提供してくれる別の人を見つけるか、もしくは自分で作るべきだということ。初めから品質保証なんてものはなかった。自分勝手に期待して、勝手失望しているだけのことである

すでに名作はあるのに、なぜおかわりを望むのか

最後に話がそれるが、しかしながらなぜ我々大衆は次々と名作を望むのであろうか。新作を批判すると「じゃあ、過去の名作繰り返し見とけや!」って言われるかもしれない。そう言われるとちょっと答えに窮する。何度も見ればストーリーも覚え、感動も薄れてくる。やっぱり初見の衝撃に叶うものはないということだろうか。それを再び味わいたくて次の名作を追い求めているのかもしれない。キリがないし、わがままだなって思われるかもしれないが、正直人としての性としか言いようがなくないか?そこを内省しだしたら仙人になるしかない気がする。

あとは現実がつらいからね。時には金払ってちょっといい気分になりたい!ぐらい許してほしい。こっちは作者の高尚な構想にがんばってついていく苦行やマラソンじゃなくて、自動で楽しませてくれるジェットコースターに乗りたいの!

で、初見という点で最近思っていることは「私の体験」を大事にすることが重要なんじゃないかと思っている。ゲームでもなんでもあまりレビューを見ずに体験するように心がけている。あらかじめレビューを見て他の人が面白い!星4以上!と言っている作品なら、安定して面白いかもしれないが、半分ネタバレのようなものではないか

若い人にはタイパを優先しすぎて自己の視聴体験プレイ体験を損なっていないかと問いたい。面白さの保険料として自身体験・感動を売っていないか?と。おじさんおばさんは子供のころに自分図書館で本を表紙で選んで借りた体験とか、ネットもない時代ゲーム屋で「クソゲーかも知れんがままよ!」と覚悟してゲーム買った記憶とかを思い出してほしい。そういう多少、損するかもと思ってもクソ作品を引く勇気をもって、一対一で作品と向き合う、ぶつかってみるということを時々でもした方がいい気がする。だから、今回、作品に対しては残念だったが後悔はない。純度100%の自分感想を持てた。展覧会的な感じでいろんなアニメーションを見せてもらったという感触では数千円も損したという気もしない。今後もどんどん色んな作品に触れていきたいと思っている。例えばポノックの次作品ちょっと子供向けだろうけど、子供と一緒に見に行こうかなと思ってる。

各論

ゲド戦記を思い出した

視聴しながら、ぼんやり宮崎監督ゲド戦記作るとしたらこんな感じだろうなと思った。影との戦いでゲドは船で移動するし、ところどころの魔法感や大叔父大賢者になったゲドのイメージだなと感じた。大叔父のイケオジ度は過去最高かも分らんので一見価値はあると思う。

東映アニメ長靴をはいた猫』を思い出した

インコ大王を追いかける時に螺旋階段を落とされるシーンがあったが、長靴をはいた猫での魔王主人公たちとの大立ち回りを彷彿させた。この作品監督宮崎ではないが、そのクライマックス部分は大塚康生との二人で原画担当した箇所であり、とにかく面白い( https://www.ghibli.jp/shuppan/old/pickup/nagagutsu/ )。1969年作品なので絵のきれいさはどうしても現代作品には見劣りするがアニメーション面白さは今でも通用する。未見の人はぜひ見て欲しい。君生きよりよっぽど面白いと思う。で、君生きでは大王ラスボスっぽくでてくるが大した戦いもなく終わってしまうのであっけない。長靴をはいた猫でのアクションを思い出しただけに、「あ、これだけなのか・・・」という虚しさが半端なかった。念入りに階段落とさせたり、序盤で主人公の着替え丁寧に描写するぐらいならもっと面白カット増やした方が良かったろうにって思っちゃう

音楽

使いまわし多いし、特に盛り上がる曲もなし。3日で作りましたと言われても信じるレベル久石譲も「これぐらいの作品ならこれでいいや」って感じだったと思う。絶対名曲ストック持ってるだろうと思うが、映像側がそれを引き出せなかったというのは至極残念に思う。米津曲も悪くはないけど、作為ちょっと鼻についたかな。いつも何度でもみたいな作品とのマッチ感は正直ない。と言っても作品の味がしないのでどうしようもない気もする。そういう意味では米津もかわいそう。

2020-03-23

約束のネバーランド鬼滅の刃,HELLSING,そして人の尊厳矜持について

可哀そうに あなたはなぜ そんなにもひもじく飢えているの?

誰より豊かで何だって手に入るあなた

何かと思えば…妾がひもじい?飢えている?

「ええ あなたは飢えている」

いくら食べてもいくら手に入れてもいくら上りつめても満たされない

可哀そうに 哀れだわ 本当は何が欲しかったの? 何を恐れているの?

足りていると感じることさえできたなら 別の未来もあったでしょうに

際限のない欲望に囚われて 神への敬意も忘れ 世界をむさぼり

結果自らを破滅に導いてきたのだとあなたは気づいていないのよ

(中略)

いいわねムジカ あなたはずっとあなたもの

鬼は何者にもなれるが何者でもない

飢えが怖い 退化が怖ろしい

長く生きてさえたまにわからなくなる

どこまでが自分なのか 自分が何者なのか 何者になりたいのか

――白井カイウ/出水ぽすか約束のネバーランド


殺し続けていた

私の中で 私の命を

三百四二万四千八百六十七 一匹以外は 全員殺して殺し尽くしてきた

もう私はここにいる

もう私はどこにもにいるし どこにでもいれる

からここにいる

――平野耕太HELLSING

私にはね インテグラ

吸血鬼が あの恐ろしい 夜の世界を統べる不死身の化け物が

ひどく哀れな 哀れな弱々しく泣き伏せる童に見える」

――平野耕太HELLSING

「おまえはおれだ!!」

「お ま え は お れ だ !!」

「おれもこの通りの有様だった 俺もこの通りの様だったんだ!!」

「カッ カハ… カハッ… カハ…ッ カハハ…ッ カハッ」

「鬼が泣くなよ 童に追われたか

鬼が泣くな 泣きたくないから鬼になったのだろう

人は泣いて涙が枯れて果てるから

鬼になり化け物に成り果て 成って果てるのだ

ならば笑え 傲岸に不遜に笑え いつもの様に

はいく お前はいつまで生きるのだ

哀れなお前はいつまで生きねばならぬ?

膨大な私の過去を 膨大な私の未来が粉砕するまでだ

なに 直ぐだ 宿敵よ いずれ地獄

――平野耕太HELLSING

きっと吸血鬼になれば素晴らしいのだろう

無限永久に生きて 無限永久戦い続けられれば

それはきっと歓喜なのだろう

だが私はそれはできない それだけはけっして

不死は素晴らしい 能力は眩しい

血液通貨とした魂の命の同化

失 せ ろ !!

俺の心も魂も命も 俺だけのもの

他者との命の共合 生命(いのち)の融合

精神統合 吸血鬼本質

何と素晴らしい それはきっと素晴らしいのだろう

きっとそれは歓喜に違いない

だが冗談じゃない 真 っ 平 御 免 だ ね

のものは俺のものだ 毛筋一本 血液一滴

私は私だ

私は私だ

私は私だ!!

うらやましいね

眩しい 美しい

からこそ愛しく だからこそ憎む

からこそお前は私の敵だ 敵に値する

遂に私は宿敵を見つけたぞ

私の戦争

そして我々はそのための準備を営々とはじめた

50年かけて

――平野耕太HELLSING

私は永遠が何かを知っている

永遠というのは人の思いだ 人の思いこそが永遠であり不滅なんだよ

――吾峠呼世晴鬼滅の刃

「これきりなのね…………」

「手術が終わったらこの気持もかき消えてしまうのね」

「いや そうじゃない」

「この瞬間は永遠なんだ」

――手塚治虫ブラックジャック

やろうと思えば刑務所くらい俺も出られる。

ただ俺は今たいした不自由を感じちゃいないんでね。外出する必要もない

さ、戻ろうや所長。バカバカしい…

世界自由でなければ自由を感じられないなんて

なんて不自由な男だい

板垣恵介範馬刃牙

ノミっているよなあちっぽけな虫ケラのノミじゃよ!

あの虫は我我巨大で頭のいい人間にところかまわず攻撃を仕掛けて 戦いを挑んでくるなあ!

巨大な敵に立ち向かうノミ…これは『勇気』と呼べるだろうかねェ

ノミものは「勇気」とは呼べんなあ

それではジョジョ!「勇気」とはいったい何か!?

勇気」とは「怖さ」を知ることッ!「恐怖」を我が物とすることじゃあッ!

人間讃歌は「勇気」の讃歌ッ!!

人間のすばらしさは勇気のすばらしさ!!

いくら強くてもこいつら屍生人は「勇気」を知らん!

ノミ同類よォーッ!!

――荒木飛呂彦ジョジョの奇妙な冒険:ファントムブラッド




タイトル引用だけで9割が伝わる人もいるだろうから、これ以後はもはや蛇足である

約束のネバーランド18巻を読んでから連想感想

冒頭で引用した、鬼の女王レグラヴァリマのとの会話が印象的だった

まり、これは「主観的地獄」についての話なのだ、と思った

 餓鬼は、三途・五趣(五道)・六趣(六道)の一つ。餓鬼は常に飢えと乾きに苦しみ、食物、また飲物でさえも手に取ると火に変わってしまうので、決して満たされることがないとされる

 「正法念処経」では36種類の餓鬼がいると説かれている。

 鑊身:私利私欲動物を殺し、少しも悔いなかった者がなる。眼と口がなく、身体人間の二倍ほども大きい。手足が非常に細く、常に火の中で焼かれている。

――wikipedia餓鬼


誰が地獄を作るか、それはまさに仏教的な意味での「縁起」や「十二因縁である

現代的かつ限定的に例を出せば、基本的信頼感とも言える

人は足るを知らなければならない

人を知る者は智、自ら知る者は明なり

人に勝つ者は力有り、自ら勝つ者は強し

足るを知る者は富み、強めて行なう者は志有り

その所を失わざる者は久し

死して而も亡びざる者は寿し

――老子

逆説的というか、皮肉にもというか

「欲しい」と思い込んでいるものを求め、望み、手に入れれば入れるほどそこから遠くなっていく

それが物質であれ、行為であれ、関係性であれ

現代於いて、それは「依存症」という形で結実している

依存症を救うのは、常に人間関係であるという

詳しい解説松本俊彦の著書でも引用すれば良いが、そうなのである

そも、依存を引き起こすのは何か、何を求めてそれだけの執着になるか

冒頭で引用したセリフにあるように、「何を求めているのか」が掏り替わっているのだ

掏り替わり続け、世界と擦れ違い続けた結果、その主体者の主観的世界地獄に生まれ変わる

潔癖症人間が、自らの認識作用を総動員してその主観的世界汚物で席巻するように

それは、人間というシステム原理的に持ち得てしまうある種のエラーである

その救いとして、この世界では「自分意思」というものを一つの解答とすることが多い

恐怖や不安直視し、良いものも悪い物も等しく自分の中に置き、「曇りなき眼」で見続ける

倒すことはできない、消すこともできない、「ただそこに在るだけ」をそのままにしておくこと

これは、ACTの考え方とも同義である

ACTは従来型のCBTと異なり、クライアント自分自身の思考感情感覚記憶など私的出来事のよりよいコントロール方法を教えるということはしない。むしろACTクライアントに教示されるのは、「ただ気づいていること」、受容すること、私的出来事を思ったままにすることである特に、自らにとって望ましくない事柄についてそうすることが求められる。

――Wikipediaアクセタンス&コミットメントセラピー

 最後に、くり返しになってしまうがまとめておこう。他者はいつでも私にとっては「理解きぬ不気味な存在」でありえる。その不気味さが同じチームのなかで突然浮かび上がることがあるし、理解という手法でそれを解決することはできない。むしろ、その「理解できなさ」こそが、一種の救いなのだ他人の心に踏み込んでいったり、他人自分を同じ存在だと思ってしまったりすると、正常な距離は失われることになってしまう。

 だから、互いに「理解できない不気味な他者」として関わり、そしてそれゆえに「共にいる」こと。わたしたちはそうした関係に満足しているべきだし、そうした関係にこそ価値がある。

――ティッシュ専用ゴミ箱2 「女児向けアニメで描かれる「他者の理解できなさ」について。あるいは、女児向けアニメは家族の問題とどのように向き合ってきたか。-『プリティーリズム』『プリパラ』を一例にして」

の子を解き放て!あの子人間だぞ!

黙れ小僧!お前にあの娘の不幸が癒せるのか?

森を侵した人間が、我が牙を逃れるために投げてよこした赤子がサンだ!人間にもなれず、山犬にもなりきれぬ、哀れで醜い、かわいい我が娘だ!お前にサンを救えるか!?

からぬ……だが共に生きることはできる!

ハハハ!どうやって生きるのだ?サンと共に人間と戦うと言うのか?

違う!それでは憎しみを増やすだけだ!

――宮崎駿もののけ姫」

ゲドは勝ちも負けもしなかった。自分の死の影に自分の名を付し、己を全きものにしたのである。すべてをひっくるめて、自分自身の本当の姿を知る者は自分以外のどんな力にも利用されたり支配されたりすることはない。ゲドはそのような人間になったのだった。

――アーシュラ・K・ル=グウィンゲド戦記影との戦い

2018-02-19

小説"火花"が素晴らしい文学作品である理由

火花出版されてから3年近く経ったようだが、読んでみた。

結果、素晴らしい文学作品だと感じた。その理由文章にしたくなったので、筆をとってみる。

まず、僕が思う"文学"という言葉意味を紹介したい。

文学という言葉は広く使われていて、人によって認識が異なる。

また、文学意味定義認識していないのにも関わらず、「文学香りがしない」などという人がいる。

自分スタンスを明らかにせず、批評するのは誠実ではないと思う。

僕は"僕の文学"を明らかにして、火花を絶賛したい。

僕の文学定義は「個たる人間の根源においてその社会世界宇宙とのつながりを全体的に把握しながら、人間であることの意味認識してゆこうとする言葉作業」だ。

ゲド戦記 影との戦い岩波少年文庫)のあとがきから頂戴した。僕が思う文学を一番的確に表す言葉だ。

この言葉の補足をしよう。

文学に置いて、個人主義思想は最も重要トピックの1つだ。

夏目漱石私の個人主義を読んだ事がない人は読んで欲しい。定義では、「個たる人間」で表現している。

個人主義思想を得た人間社会世界と衝突する。

文学の1ジャンルである教養小説において、それは顕著だ。

教養小説は、簡単にいうと若者社会の壁にぶつかりつつ、自我に目覚め、他者を認め赦していく小説だ。自己形成小説とも言われる。

社会世界とのつながりを全体的に把握」「人間であることの意味認識してゆこうとする言葉作業」とは上記のような事を指している。

宇宙との繋がり」は説明が難しいので、省略する。

"火花"は「個たる人間の根源においてその社会世界宇宙とのつながりを全体的に把握しながら、人間であることの意味認識してゆこうとする言葉作業」にあてはまるだろうか?

答えはYesだ。

実例を出して説明する。

文章文庫火花文庫版が手元にあるので、ページ数はそちらを参考にして欲しい。

・21P

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まりな、欲望に対してまっすぐに全力で生きなあかんねん。

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神谷さんの生きる理由。そして人間である意味を表す言葉だ。

堕落論坂口安吾)では、"生きよ堕ちよ、その正当な手順の外に、真に人間を救い得る便利な近道が有りうるだろうか"という言葉がある。

神谷さんは"生きよ堕ちよ"を実践した人だ。

社会の通例に囚われず、自己を見つめた人だ。

・60P

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確固たる立脚点を持たぬまま芸人としての自分形成されていく。

その様に自分でも戸惑いつつも、あるいは、これこそが本当の自分なのではないか右往左往するのである

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夏目漱石私の個人主義やそれに関する作品群を思い浮かべた。

火花徳永自己形成物語だと思った。

その自己形成に、神谷さんが深く関係している。

・153P

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神谷さんから僕が学んだことはことは、「自分らしく生きる」という居酒屋の便所に貼ってある様な単純な言葉の、血の通った劇場実践編だった。

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徳永個人主義思想を得た事を示す言葉だと思う。

・155P

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もし、世界漫才師自分だけやったら、こんなにも頑張ったかなと思う時あんねん。

周りに凄い奴がいっぱいいたから、そいつらがやってないこととか、そいつらの続きとかを俺たちは考えてこれたわけやろ?

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神谷さんの社会世界との繋がりを認識させてくれる言葉だ。

そして、文学的意味での繋がりを感じさせてくれる。

彼は実生活ベースでの繋がりについては、きちんと認識できない人だ。

生活ベースでの繋がりとは、社会ルールなどを差す。

物語後半、神谷さんはジェンダー論を刺激する様な行いをして徳永に怒られる。

火花は、文学的意味人間的だが実社会に馴染めない神谷さんや、芸人社会を中心とした現代日本社会を通して徳永自己形成する物語だ。

ここでいう自己形成とは、神谷認識していた文学的な繋がりと、実社会における繋がりどちらも差す。

現代日本舞台社会と折り合いをつけつつ「自分らしく生きる」事を示してくれた。

そんな価値提供をしてくれる傑作なんだ。

2017-11-09

anond:20171109134621

外伝まで行って戻ってきたら、案外と影との戦いがいまひとつなのな。個人的な好みだけど。

後の方になるほど読みごたえがあるように感じる。テナーの描き方は、腕輪よりも帰還のほうが好きかな。

 
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