2024-03-15

[] 2024-03-15

日本人であるからノアの法を守れば神に認められるらしいです。

ではなぜ日本人である私は、聖書を学び始めったのでしょうか。

私は善悪や知恵には、単なる好き嫌い相対主義を超えるものがあると考えています

しかし何が「絶対であるのかは全くわからないので、歴史的テキストとして聖書を学んでいるのです。

それを学んだことによって布教をするつもりもなければ、○○教徒であると言うつもりもないし、特定民族に気に入られようと考える気もありません。

まだ学び始めて浅いのですが、これまで読んだのは、創世記モーセ五書箴言、コヘレト言葉です。

実用的側面から箴言・コヘレト言葉・そしてヨブ記を読みたいと思ったのです。

なぜ実用的と思うかといえば、歴史的に残された「知恵」が現代に通じるのであれば、普遍的善悪について何かがわかるかもしれないからです。

私は「聖書の教えを守って神に認められよう」と考えているわけでは必ずしもありません。

それを「知恵」と呼ぶのであれば、善悪判断したり、円滑に生きるために役に立つと言える何かがあると思うわけです。

いくつかの道徳宗教が陥りがちな「相対主義」についていつも疑問に思います

相対主義が極端な形になると、「倫理は人それぞれ」などと言い始める可能性があります

すると、殺人肯定するような価値観も「人それぞれだ」といって許されるということになりかねません。

ちなみにノアの法では殺人禁止されます

善悪について気にしなければならない理由、と言われてもすぐにはピンときませんが、少なくとも悪人にはなりたくないでしょう。

私は自分遺伝性格から倫理判断が苦手であり、それによって様々なトラブル経験してきました。

そうすると、何が正しくて何が間違っているのか。それを知りたくて懇願しています

世の中には、まるで蛇のように曲がったことを言う人たちがいます

蛇に騙されて自分がどんどんと悪の方向に流されているなら、自分の中で善を持つ必要があると思うのです。

一般的日本人本能レベル倫理性を持っているところを、私は持っていないので、知恵の本に頼るしかないのです。

  • 悪即善 善即悪 一切に分別なければ苦もなし楽もなし 色即是空 空即是色 一切の縁を見れば道は自ずと見える 迷いは恐れ、迷いは無知、迷いは美徳、迷いは不覚 迷うなら知るべし 知...

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