はてなキーワード: 星雲賞とは
1989年、少女小説『星からきたボーイフレンド』(津原やすみ名義)でデビュー。また3年間、代々木アニメーション学院にて特別講師を務めた。
1996年、『ささやきは魔法』を最後に少女小説から引退し、翌年、津原泰水名義での長編『妖都』を上梓。
1997年、津原やすみ名義の作品が北京語版・朝鮮語版で発売される。著者名は「津原靖美」と表記されている場合がある。
2003年、『少年トレチア』で第56回日本推理作家協会賞長編及び連作短編集部門候補。
2006年、高校時代の吹奏楽部での体験をもとにした『ブラバン』を発表。ベストセラーとなる。
2010年、尾崎翠原案の『瑠璃玉の耳輪』を上梓。翌年には尾崎翠フォーラムにて講演を行う。(講演録は文庫版に収録。)『バレエ・メカニック』で第41回星雲賞日本長編部門候補。
2011年、「五色の舟」「テルミン嬢」(『11 eleven』所収)ともに、第42回星雲賞日本短篇部門候補。『ブラバン』で第1回広島本大賞候補。
2012年、『11 eleven』で第2回Twitter文学賞国内部門1位。
2014年、近藤ようこにより漫画化された『五色の舟』で第18回文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞。
2016年、『ヒッキーヒッキーシェイク』でSUGOI JAPAN AWARD 2017 エンタメ部門候補、第33回織田作之助賞最終候補。
「無いのが不思議だから書いてみた」と思ったことを形にする姿勢はいい。そこは評価ポイント。
小説を読んでみたが、面白そうになりそうな話題を膨らませずに、余計な部分ばかり多い。
宇宙の知識を仕入れたければ、こんな小説読まずにニュートンを読む。如何にも「僕は宇宙について知ってます」という説明はいらない。
設定の陳列も、設定が余り面白くないため、鬱陶しくなっている。
設定を開示する場合、何か目的が必要。設定自体が面白いと思うから書くのか、それとも、今後起きる出来事を理解させるためなのか。そこが不明瞭な印象を受ける。
単純に「こういう設定を考えたから、書いてみました」以上になっていない。
個々の話も、膨らませれば面白くなる部分が多々あるが、そこを軽く流してしまっている。めちゃくちゃもったいない。オバケが出るレベル。
例えば、第二話のラジオの話なんか、めちゃくちゃ話を膨らめられる部分。めちゃくちゃもったいない。バナナを剥いて、中身を捨てるようなもんだ。ちゃんと中身は食べろ。
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異世界転生モノで、「こういうの書けば面白いんじゃないか」っていうアイデアはそこらに溢れていて、「実際に書いてみました」という小説もたくさんある。
でも、今はそんな「書いてみました」という一発ネタだともう全くウケない。
既に「異世界転生大喜利」は飽和状態だ。今はもう「一発ネタ」をどれだけ真面目にやるか、という勝負になってきている。
最低限の文章は書けていると思うし、基礎的な知識はあると思うのだが、ただ、圧倒的に「物語」が不足している。
もし、今の話を続けるなら、たくさんSFを読め。とにかく読め。そして、それぞれのSFでどこが面白かったか、感想文を書いてみろ。どんな書き方をしているか、分析してみろ。
「俺はフィリップ・K・ディックだ」と叫びながら、窓から飛び出してみろ。SFの売り上げに貢献しろ。
「SFがガルパンの人気を取り込もうとしている!」と勢い込んで抗議してみれば、
「ガルパンはぜんぜん特別じゃないから」と言われてさらに怒るガルパン信者。
自意識過剰、恥ずかしい。
仕事が暇なので書きました。後悔はしていない。
3遊 しあわせの理由(グレッグ・イーガン)
5右 シェイヨルという名の星(コードウェイナー・スミス)
7捕 たんぽぽ娘(ロバート・F・ヤング)
9投 たったひとつの冴えたやりかた(ジェイムズ・ティプトリー・Jr.)
「SF版『山月記』。大好きなので。短いページ数ながらも切れ味のある読み応えと広い守備範囲を考慮して、1番センターで起用しました」
「星新一については、小粒ながら小技の利く選手が多いため、当初は2番セカンド『宇宙の男たち』で起用するつもりだったのですが、タイプの似た選手であるレイ・ブラッドベリとの兼ね合いから、比較的長打力のある『午後の恐竜』をサードで起用することにしました。終末SFとしての情景の美しさは随一ではないかと思います」
「説明不要、大正義グレッグ・イーガン先生の代表作。抜群の身体能力と懐の深さを備えた守備、勝負強いバッティングを考慮した結果、3番ショートでの起用となりました。全盛期のジーターみたいなもんです」
「コメディータッチの導入部から、突然ホラーに変わる異色の短編です。放射能に汚染された島に生物学者が調査に向かう話。筒井先生が『結末を考えずに書き出してみて、途中でオチ思いついた感』満載なのが笑えます。大好きなので入れました。一応星雲賞をとっているのですが、大変読む人を選ぶ短編で、ハマる人はハマる。ダメな人はダメ。アダム・ダンのような味わいがあります。最後の植物の名前は作中で明記されていませんが、おそらく『カリクビ』なのでしょう」
「囚人たちが地獄を思わせる惑星に送られる話。4番がバクチ性の強い打者なので、ある程度確実性のある、コードウェイナー・スミス先生の代表作を5番に選びました。結果、3番大正義からの4番・5番は『この世の地獄』つながり、という大変邪悪なクリンナップが形成されたのではないかと思います」
「認知症患者の看護をするアンドロイドの話。連作短編『アイの物語』の中の一編です。5番打者としての起用も考えたのですが、下位打線を『ハートウォーミング』つながりにしたいと考えたため、6番に繰り下げました。率も残せて長打もある、将来の4番候補。『アイの物語』は、他にも読み応えのある短編の多く、お買い得感があります」
「『悲運の少女』つながりで投手陣を起用しているため、彼らの球を受けるキャッチャーには、ロマンチックSFの代表作を起用しました。タイムマシンで未来からやってきた少女と出会う話。一時期、『ビブリア~』効果で価格が高騰しましたが、新訳が出たので価格は落ち着いた様子。プレミアがついてるうちに売っとけばよかったかな、という邪まな思いが頭をよぎります」
「タイムマシンで未来を見てきたという男と、彼にインタビューをするアナウンサーの話。『霧笛でも万華鏡でもなく、なぜこの作品なのか』と不思議に思う方もいらっしゃるかと思います。ひいき起用です。SF界の吟遊詩人がつづる『嘘とはなにか』という大演説にしびれます。なお、個人的ブラッドベリの最高傑作は『ウは宇宙船のウ』の序文。
「『悲運の少女』その1。少女と、彼女の脳に寄生したエイリアンの友情。説明不要の大投手。怪我さえなければ300勝できます」
「『悲運の少女』その2。人間そっくりなアンドロイドと、彼女を教育する科学者の話。唯一の漫画からの選出です。マナカナが若いうちに、世にも奇妙な物語で実写化するべきだと思います。オルセン姉妹ならなお良し」
「『悲運の少女』その3。隔離された世界から飛び立つことを夢見る聡明な少女の話。連作短編『キリンヤガ』の中の一編です。ヒューゴー賞・ローカス賞・SFクロニクル賞・SFマガジン読者賞・ホーマー賞受賞作の鉄壁のクローザー。是非とも沢村賞サイ・ヤング賞を取っていただきたい」
こちらからは以上です。
元増田は、ライトノベルの実質的な定義を見誤っている。(たぶん、わかっている人は同じ指摘をしていると思う)
「ライトノベル」とは、「ヤングアダルト向け」という言葉を出自としており、もともとは販売上の対象読者のカテゴライズとマーケティング上のキーワードでしかない。
要するに、書店での「海外作家コーナー」「18禁コーナー」と同じ意味合いで、販売形態のひとつだ。
海外の作家だってジャンルにそった小説を書くし、ミステリ仕立てだったりコメディだったりしてもエロければ(ほんとうなら)18禁だ。
トム・ソーヤーの冒険や不思議の国のアリスに、イラスト調の表紙、挿絵、扉絵などをつけ、登場人物と訳者が会話しちゃうようなあとがきでもくっつけて、「ラノベレーベル」から販売すれば、それは「ラノベ」だ。
だから、元増田の質問に回答が集まっても、分析なんて意味がないよ。
でも回答してあげる。
わたしのスペック。
現在はライトノベルレーベルから刊行された作品を主に読むことが多いが、お気に入りの作家が「一般向けレーベル」から出版すれば、とうぜん読む。
※これは人によるんだろう。「フルメタルパニック!」はバカ売れしたが「コップクラフト」は売れてない。つまり、作家買いするひともいれば、「作品のファン」というひともいるということ。
※「ラノベファンは」って聞き方が、すでにおかしい。「あなたは」でいいじゃないか。
※だいいち、「小説に求めるものが文章」とか書く時点でアレだ。文章の美醜や内容、その他から得られる己の情動が重要なのに。
※いい年したおっさんが子供向け作品で情動を刺激されるなんて幼稚だって?うるせぇ。
なにも思っていない。個人としては好みのタイプではない。
※アニメ化などについてはどうしようもない。ある程度の人気があれば販路を広げようとするのは、商売ならそういうもんだろう。
前述のように、元増田の認識が間違っている。ジャンル自体は存在するし、販売上の理由でジャンル分けが重要であればジャンルわけするだろう。
※そもそも、どこで「まとめて」語られているの?「売上でラノベ好調!」といったふうな見出しは見たことがあるが、内容についての話じゃないだろう。
※本格ミステリ要素があるような作品だと、ラノベレーベルから出版されていても、「このミス」なんかにランクインすることがある。星雲賞なんかはラノベレーベルの作品が受賞することもある。つまり、あるジャンルの中では、販売形態や発表形態によって生まれる差なんてない。
アイドルについては、んー、グラビアアイドルなんかはまあ好きだけどw、
ここでは関係ないので除外する。
歌って踊ってバラエティやドラマ出て、みたいないわゆるアイドルについてだけど、
うん、たしかに俺はテレビを見ないので、アイドルは詳しくない。
知らないのに語ってみたわけだが、不快に思ったのなら謝る。申し訳ない。
で、申し訳ないついでに、さらに知らないのに語ってしまう。
ミクについては、「アイドル」としても捉えられるんじゃないかと思うんだ。
単純に割り切っていえば、もちろんただのソフトウェアだ。「楽器」だ。絵だ。
でも、「初音ミク」というブランドとして、キャラクターとして、完全に一人歩きしている。
誤解を恐れず言えば、今、同じ楽曲を中川翔子と初音ミクがそれぞれ同時に出せば、
初音ミクの方が売れるだろう。
それはさすがにない、というかもしれないが、少なくともいい勝負にはなると思う。
それは何故か。
初音ミクが、「楽器」としてではなく、アイドルとしての商品価値を持っているからだ。
http://www.crypton.co.jp/mp/pages/prod/vocaloid/cv01.jsp
最初から「アイドル」として明記してある。
初音ミクは当初、どちらかというと、「ボーカロイド」という「新しいソフト」、
もう一歩進んで「バーチャル・シンガー」として認識されていたかも知れないが、
当初から「アイドル」として設定されているのだ。
多少歌が下手でも、そのタレント性、スター性、かわいらしさで許される「アイドル」。
ただここにきてsupercellの躍進で一気にメジャーに殴り込みをかけ、圧勝して見せた
(もちろんlivetuneの活躍もあったが、今センター街を見てみれば、supercellの凄さが分かる)。
「歌って踊れるカワイイ女の子」ではなく、偶像としての、「時代」としての「アイドル」だ。
初音ミクの登場以来、何が起こったか。
ニコ動でのボーカロイド旋風、はちゅねの登場、ねんどろいどやfigmaの爆発的ヒット、痛車コラボ、
星雲賞受賞、グッドデザイン賞を受賞、「桜ノ雨」旋風、そして、supercell。
もちろん「人間」ではないし、「アニメキャラ」ともいえないので、
単純に比べられないが、社会現象としての「初音ミク」は発売2年が過ぎようとしても、まだ続いている。
ブームではない、まったく新しい現象。
今までも声優がアニメキャラ名義でCDを出して売れる、てのはいくらでもあったが、
当然ファン自体が作った曲ではない。
たとえファンが勝手にイメージソングを作ったとしても、声優が歌うわけではない。
その意味で、「アイドル」のために歌を作って、その「アイドル」に歌わせることが可能な初音ミクの存在は、
音楽の教科書か(「桜ノ雨」は載りかねない)、社会科の教科書かわからないけど、
日本だけでなく世界中のクリエイターを刺激して、もっと面白い革命を起こしてくれると思っている。
ビートルズが音楽のアイドル=偶像だったように、初音ミクは21世紀のネット界のビートルズになる。
さすがにこれは言い過ぎか。
なにがって今回の日本SF大賞ですよ
2007年度最低の駄作たる電脳コイル(通称:低脳コイル)が受賞してしまいました
正直ここまで露骨なお手盛り受賞なんてのがあるとは思ってなかったので
怒るのを通り越して唖然としています
明らかに圧力がかかったとしか思えませんね
要するに、大金を注いで作ったアニメが全然人気がなくて
ジブリなどかつてのアニメを引っ張ってたプライドが傷付けられて、悔しいんでしょうね。
それで、無理やり大きな賞を受賞させて目立たせようと。
そんなことしたところで現実では全然人気出ませんが。
娘から口が臭いと言われて口をきいてもらえなくて
無印良品で、”じっさいにいそうな感じの”小学生キャラでTVの前でシコシコしてるんでしょう。
実に醜悪です。
そしてこういった最低の人種たちが今のSF界を牛耳ってるわけで、そいつらが団結して
電脳コイルにSF大賞や星雲賞あげたり、ハルヒやらき☆すたのアンチキャンペーンを張ってるのでしょう
なんというか、これまでは日本のSF関係者のことが好きでも嫌いでもなかったのですが、
やはり低脳コイルを持ち上げるようになってから、
何か憎悪のようなものを感じるようになりましたよ。
こんな低視聴率のアニメ持ち上げてハルヒやらき☆すたを黙殺するなんて目が腐ってるとしか。
それで、2chのスレでも無理やり絶賛しまくってて実に気持ち悪いですね
http://dubai.2ch.net/test/read.cgi/news/1228216734/l50
まあこの痛々しさは低脳コイルのクソっぷりにあってるといえばあってるとは思いますが。