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はてなキーワード: 「時代」とは

2024-01-09

anond:20240109191741

まず「時代」っていうなら、芸能人限定するなよって突っ込みをしたい

次に、テレビに出てる人間を「芸能人でない」とすると、どこまでが芸能人なのかって話になるのでやめてくれ

最後に、許されてないならなんでテレビ出てるんだよ

許されないってのは番組キャンセルされたりそういうことをされる状態のことを言うんじゃないのか?

おまえの定義ガバっててわかんねえ

2023-11-17

anond:20231117165602

続き

(さらに続く)

http://jiyujoho.a.la9.jp/urak23.htm

2023-06-02

渡辺明という時代

 死んだように寝た。

 渡辺明が敗れて、私は死んだように寝た。

 第81期名人戦番勝負第5局。18時53分藤井聡太竜王が決め手となる一手を放つと、名人渡辺明はすぐさま頭を下げ、駒を投じた。この瞬間、名人戦番勝負が決着。藤井名人位を奪取し、史上最年少名人、そして七冠を達成した。一方の渡辺は、唯一のタイトルだった名人を失冠。2004年以来、約18年半ぶりに無冠へと転落した。

 重苦しい沈黙が対局室を支配した後、対局者へのインタビューが行われた。まずは勝者の藤井。いつもどおり、慎重に、丁寧に言葉が紡がれていく。一方、座して待つの渡辺藤井へのインタビューがひとしきり終わった後、ようやくマイクは向けられた。この将棋のこと、名人失冠のこと、そして無冠のこと。待ち続けた後に投げかけられる問いは、どこまでも厳しく、容赦がない。それでも渡辺は、こちらもいつもどおり、きっぱりと、はっきりと言葉を発していた。

 対局後の儀式を、半ば虚空を見つめるように眺めていた私だが、しばらくしてニュースに現れた「渡辺九段」の文字に心は決壊した。体と心の全部がそれを拒絶した。到底受け入れられないと思った。あらゆる思考強制的に断ち切りたいと思った。布団をかぶって、枕に顔をうずめた。そのまま、死んだように寝た。渡辺明が敗れて、私は死んだように寝た。

 翌朝になって、渡辺ツイッターを見た。なんと渡辺は、終局直後にツイートをしていた。しかもそれは、私を含む将棋ファンへの言葉だった。「長い間、タイトル保持者として充実した時間を過ごすことができたのは、将棋ファンのみなさまのおかげです。ありがとうございました」。

 どうして、終局直後に当人がこれだけの発信をできるのだろうか。無冠になった夜に。ただの一ファンがショックで不貞寝していた夜に。その胆力に打ち震え、「あなたファンでよかった」と思うとともに、無冠への転落もまた現実であることを同時に突き付けられるのだった。

 2004年に、弱冠20歳で初タイトルとなる竜王を獲得した渡辺。以降現在まで、一度も無冠となることなタイトルを守り続けてきた。渡辺の同世代に、渡辺ほど突出した棋士はいない。若き頃は、最強と呼ばれる羽生世代相手にまさしく孤軍奮闘、その剣を振るった。2015年になって、ようやく年下の棋士タイトル戦を戦うようになるが、ここも譲らない。奪取や防衛を重ね、後輩の棋士を寄せ付けなかった。渡辺は、「たった一人」を除いて、年下の棋士タイトル戦で敗れたことがない。竜王9連覇、棋王10連覇。圧倒的な戦績で、2つの永世称号資格を獲得。通算タイトル獲得数は31で、歴代4位を誇る。

 これだけの戦績を残す渡辺だが、早い段階から、自らの立ち位置を冷静に見つめていた。「羽生藤井の間」。つまり時代を築く絶対王者系譜に自らはいないということを公言して憚らなかった。時代のいわば谷間で、孤独に闘い続けた。残酷な言い方をすれば、「次の時代の到来を待っていた」そういうことになるのかもしれない。

 渡辺言葉裏付けるように、その「たった一人」がタイトル戦の舞台に現れたのは2020年の夏だった。それから今日まで、思い返せば一瞬のように過ぎた。「すごい人が出てきた」の棋聖戦自身初のストレート負けで散った翌年のリターンマッチ。2日制七番勝負王将戦で並んだ4つの黒星。「冬将軍」と呼ばれ、10連覇の強さを誇った棋王の失冠。そして名人戦。この間、ただ座して死を待っていた渡辺ではない。研究を深め、自らの将棋アップデートさせてきた。悲願の名人位を獲得し、3連覇を達成。「第二の全盛期」とも呼べるような充実ぶりだったが、たった一人、藤井がそれをあっという間に塗り替えていった。

 藤井20勝、渡辺4勝。気付けば、圧倒的な星の差が付いていた。藤井渡辺の対戦には、星の差が信じられないような名局が多い。中盤から終盤にかけての、白熱の競り合いと斬り合い。しかしそれらは、渡辺の敗局となっていった。星の差は、勝負の運で生まれものでないこと。紙一重の差は、とてつもなく大きなものであること。不思議の勝ちはあっても、不思議の負けはないこと。そのことは、渡辺自身が一番よく分かっているはずで、だから渡辺言い訳をしなかった。「実力不足」そうきっぱりと言い残して、名人戦舞台を去った。

 今回の名人戦渡辺が唯一勝利した第3局が忘れられない。終盤、渡辺が勝ちの局面になり、決め手となる一手が生まれた。その手自体は一瞬で見えていた渡辺だが、なかなか盤上に手が伸びない。勝利の一手を決断するまで、実に93分を要した。これは渡辺の勝局だが、ファンにとってはまるで負けを味わわされているような、非常に重たく、苦しい時間だった。藤井という圧倒的な存在。目の前にいる「時代」。そこに一矢でも報いるのはこれ程までに過酷ことなのかと、勝利したことで逆に思い知らされる一局となった。

 壮絶な戦いを終え、無冠となってしまった渡辺に、今どんな言葉がかけられるというのだろう。自分では、なかなか言葉を見つけることができなかった。しかし、しっくりくる言葉があった。今回、藤井に最年少名人の記録を破られた谷川浩司十七世名人言葉だ。

 「藤井さんを盤上で孤独にさせてはいけない」。

 将棋とは、対局者二人で創り上げるものである。そして、藤井に真の力を引き出させることができるのは、渡辺を含むほんの一部のトップ棋士しかいない。トップ棋士が諦めたとき藤井は盤上で孤独になる。七冠達成とは、類まれなる偉業であり、それと同時に、プロ将棋にとって存亡の機でもあるのではないだろうか。

 しっくりくる言葉とは言ったが、よく考えてみれば、こんなに残酷言葉はなかったかもしれない。なぜなら、これまで孤独に闘い続けてきた渡辺に、これからは「藤井さんを孤独にさせてはいけない」と言っているのだから。どれだけ過酷ものを背負わせようとしているのだろうか。残酷な響きに後ろめたさを覚えつつ、それでもなお、私はこの言葉を選ぶ。「無冠になったことで将棋への向き合い方が変わるわけではない」。失冠の日、こう言い残した渡辺にすがる。

 何が好きかと問われれば、その将棋の質、それに人柄と振る舞いだ。理路整然とした勝ちへの道筋。細い攻めをつなげ、厚い攻めをさらに分厚くしていく技術。「将棋仕事」とドライに割り切りながらも、その仕事できっちりと結果を出す仕事人ぶり。本質を包み隠すことのないきっぱりとした物言い。画面の向こうにいる将棋ファンのために行われる明朗快活な感想戦ツイート。そこにある第一人者としての責任感。弱さも含めて自分さらけ出す強さ。それらの全てだ。

 将来、将棋歴史がどう定義付けられようと構わない。渡辺明は、私にとっての「時代」だ。過去形にはしない。今はただ、渡辺次の一手が見たい。

 

2023-05-23

オタク推し燃ゆを読んだ

なんか朝起きたらとんでもなくめんどくさい仕事の連絡がきていて、ああ、って思った。

からミーティングがあったのでそれだけこなして、今日はもう仕事はせず、PCの画面すら見たくないと思った。

出かけようかとも思ったけど雨だし、お金もないのでずっと積んでいた本を読むことにした。

買うだけ買って、ビニールすら剥がしていない本がいくつもある。

とりあえず、以前数ページだけ読んだまま放置していた「推し燃ゆ」という作品に手を伸ばした。

推し炎上から始まる、1人の女の子人生の話だった。

私は女性地下アイドルオタクだ。コロナ流行って現場が無くなった頃からVtuberも見ている。

から、というわけではないが、界隈の特色もあって私自推し炎上するいう経験は何回かある。

ここから先は本編のネタバレを含む内容。

感想を率直に述べるとすれば、「私はまだ大丈夫な方だ」だった。

主人公はおそらく、ADHDの診断を受けているのだと思う。

作中で明確な病名が明かされているわけではないが、病院で言われた、人と同じようにできない、という描写からそのように解釈した。

じゃあどうして私がそのような感想に至ったかというと、自身も似たような境遇にあるからだ。

数年前、躁鬱の診断を受けた。

ADHDも躁鬱も、レントゲンを撮ったり、血液検査をして明確なエビデンスの元下される診断ではない。言って仕舞えば、患者気持ち問題だ。

実際、病的なまでに人と違う点があるのだから病気”とされているが、気持ち問題が含まれるために世間から理解も乏しくなってしまうのだと思う。

重要になってくるのは、その病気に対してどう向き合うかだ。

この作品主人公は、どうも病気に甘えているような印象を受けた。

わたし病気から仕方ない。そういったニュアンスの心情描写が何度も見受けられる。

かに病気から仕方ないところはある。努力してもどうにもならないことはある。

けれど、そこで「私は病気から」何もしなくていいというわけではないのだ。理解を得たいのであれば努力をしなければならない。

最近、心の病気に対する世間認識は徐々に変わってきているように思う。少しずつではあるが、確実に、理解を得られるようになってきている。

しかし、日本社会は甘くない。

世間から認めて欲しいのであれば、病気だろうがなんだろうが努力するしかないのだ。

趣味を全うしたいのであれば、それ相応の働きをしなければならないのだ。

好きなことだけやって、やりたくないことはやらない、なんてことは現代日本社会ではまず許されることではない。たとえ病気だったとしても。

努力なんていうものは、尺度ベクトルも人それぞれだ。

自分がどんなに自分なりに努力していたって、世間から認められないのであればしていないのと同じになってしまう。

では、努力を人に認めてもらうにはどうすれば良いのか。

回答は明快だ。「世間尺度に合わせれば良い。」

作品の後半で、主人公高校中退してしまう。

この作品だけ読めば、まるで推し炎上きっかけに人生が壊れていくさまを描いているようにも思うが、登場人物人生だって地続きだ。推し炎上してもしなくても、同じ結果だったのではないかと思う。炎上は時期を早めただけだ。

中退した後、主人公家族から就職をするように言われる。

それを言われた主人公は、数ヶ月の間で数社の応募をしたのだという。

数ヶ月の間で数社、というのは世間尺度で見れば到底努力しているとは言えない数だ。もしその状況を正当化させたいのであれば、相応の理由がなければならない。

だって人間だし、親だって生きるのに金がかかる。無償の愛などこの世には存在しない。

この本の帯に、このようなコメントが添えられている。

未来考古学者に見つけてほしい。時代を見事に活写した傑作。」/朝井リョウ

この感想を得た朝井さんがどの部分に「時代」見出したのかは定かではないが、私はこのコメントを見て酷く納得した。

かに推し炎上」という題材はこの令和ならではだと思うが、この作品が打ち出す「時代」というのは、今回つらつらと書いた精神疾患の方にあるのではないかと思う。炎上は、そのテーマを引き立てるためのものしかない。

からあった病気ではあるのだろうが、その存在が明るみになり頻繁にメディアで取り上げられるようになったのはここ数年のことだと思う。

世間から理解を得難い病気を患ってしまった自分が、どのように世間と接していけばいいのか。そういった教訓が、この本に描かれているのだと私は解釈した。

私は今日仕事からの逃避をするためにこの本を手に取った。間違いではなかったと思う。

このあとまた、とんでもなくめんどくさい連絡と向き合わなければならない。

しかしそれは給料を得るためだけではなく、己の信用獲得にも繋がるのだと、この記事を書きながら痛感している。

躁鬱というハンデを伝えた上で採用された会社だ。恩がある。

ぜひ、所謂オタクよりも自身ハンディキャップに苦しむ人に読んでほしい。そんな本だった。

2023-05-11

しかし、あっちのポスターAIと全く関係がないのに、こうして同時期に問題になるというのが「時代」なんだなぁと。

2023-05-07

anond:20230507124004

例えば今回の事件は、今までの騎手なら「八百長インサイダー防止のため」と一言いえば防げたが、Z世代はそういう1段階の理由付けでは腹落ちしてくれない。「スマホ使っていても、八百長インサイダーしなければいいじゃん」になってしまうのだ。先述の動画閲覧や、角田大河今村聖奈の2名による通話もその流れで起きたと考えられる。

「Z世代」というよりも、「『Z時代』(2010年代後半~2020年代前半の日本社会を想定)の発想」という理解の仕方をすれば、なるほど、いい説明だなと思った。

世代」を限定するのではなく、世代を問わず「時代」の流れだと理解すると、この部分の主張がよく分かった。

Z時代の1つ2つ前の時代(1990年代後半~2010年ごろを想定)は、「納得・理解を得るためには、何か理由を付けてあげる必要がある」と言われていた。だから、何かとつけて、理由説明になっていない「理由」を添えることが求められていた。

Z時代になって、「〇〇じゃなければいいじゃん」という発想・行動が、世代限定せずに広がっているように感じる。「〇〇」には、八百長インサイダーといった不正行為のほか、要は「『あらゆる"全ての"他人』への迷惑」(-に、なっていなければいいじゃん)が入る。

日常生活の中で言えば、たとえば公共の場(電車の中)で「お行儀よくしましょう、静かにしましょう」というマナールールに対して、

・うんうんと昔では、「騒いで何が悪い」(マナーとは何ぞ?)

・だいぶ昔では、有無を言わさず「静かにしなさい」(そのマナールールはどこから来た?)

・Z時代の1つ2つ前の時代では「他の方への迷惑となるので、静かにしましょう」(一応「理由」が添えられるようになった)

・Z時代においては「『他の方への迷惑になるので、静かにしましょう』と言うけれど、『他の方』って誰?誰が迷惑しているの?そいつ他人迷惑を掛けていないの?違うでしょ?ならば静かにする理由がないですよね?」(潔白性の追求)

こういう変遷をしているように感じる。また、それは「Z世代」(出生年代を区切られる世代)に限定されず、「Z時代」(出生年代を問わずない)の広い年齢層において起きているように感じる。

しかすると、「総ひろゆき化」の方が理解やすい話なのかもしれない。2000年前後2ch草創期~全盛期の若者(15~35歳)だった世代20年を経てして35~55歳となり、加えて2010年代後半からひろゆきを見ている世代(現在10~30歳)が若年層にも拡がっている。つまり、(全ての人が、とは言わないが、各世代一定数は存在するという意味で)何等かの形で「ひろゆき」に感化された者が一定存在する世代が、若年層から壮年層まで広がったことで、「それってあなた感想ですよね?」という世論を作っている時代が、いまの「Z時代」だと理解できる。

スマホ使っていても、八百長インサイダーしなければいいじゃん」

「それってあなた感想ですよね?」のような言い方をすれば、「『スマホを使ったから、八百長インサイダーが疑われる。』って、それってあなた感想ですよね?」となり、それに「証拠はあるんですか?『疑わしきは罰せず』・『悪魔の証明』って知ってますか?」と、ひろゆき論法をすれば続いていくように見える。

2023-05-01

中島みゆきにどこで遭遇した?

ぼく(1982生まれ)は日本テレビ系列ドラマ家なき子主題歌「空と君のあいだに」 ちなみに当時シングルCDを買ったらカップリングが「ファイト!」で、すっかりそっちにやられた覚えがある。

今は無き母(1955生まれ)は「悪女」か「時代」だったらしい。

30歳の友人に聞いたところ「空船」「銀の竜の背に乗って」「糸」がつよい。

意外にも「地上の星」がなかったけど、これは観測範囲が狭すぎてたまたま出なかっただけだと個人的に考える。これも相当な人に中島みゆきファーストインパクトを与えたよね。

みんなの中島みゆきはどこから

2022-11-01

anond:20221031213304

時代の流れ

って言うけどさ、空想性愛排除する「時代の流れ」なんて↓みたいな意味での「時代の流れ」でしかないだろう。

https://togetter.com/li/1719565

時代の流れで、入店を断る入浴施設は増えています

暴力団排除しよう」という「時代の流れ」は確かにマジョリティかもしれないが、「タトゥーアイデンティティとする人々に対する差別をやめよう」という「時代の流れ」だってあるわけで。

話を戻すと,論文でもメディアでも「フィクトセクシュアル」が何度も取り上げられ、戸定梨香の一件はリベラルメディアでもVtuber側に味方する論調が目立った。そういう「時代の流れ」だってあるわけで。

規制されるのが「既定路線」みたいな言い方する人、いくらなんでも「時代」が見えてなさすぎる。

2022-10-13

anond:20221013093457

概ね同意なんだが、一般少年漫画エロで売れない時代になってる、ってのは少しズレると思うな。 

経済軸はそうでも、売り上げではなくてツイフェミとか社会運動家めんどくせぇ、っていう炎上対策コストコトロールのはず。

要するにフェミSNS燃やされるのめんどい、なんだ。

 

俺は、君の言う「時代」SNSっていうテクノロジーと広い意味でのインフルエンサーに作られた側面があると思っていて、

そんなもん何でひっくり返るかわからん

たとえば、誰かが「炎上上等の方が盛り上がる」という経営上の発明をしてしまうかもしれん。

 

そうはならんやろとしても、需要が消え去った時代だ、とか考えるのは間違いのもとなので。

2021-09-25

オブジェクト指向はすでに粒度時代にあっていない」を読んで

記事

@kis (id:nowokay) さんの以下の記事についてです。

https://nowokay.hatenablog.com/entry/2021/09/25/042831

ブコメにもあるようにちょっと内容が雑というかわかりにくいせいで賛否両論になってしまっていて、もしかしたら近いうちにアンサー記事が出るかもしれませんが、自分自身理解を助けるためにも言わんとしていることを推測しつつ、自分認識もまとめておこうと思い書くことにしました。明らかに誤読してそうな箇所があれば、指摘してください。

前提

まずは前提を書いておかないと論点がぼやけると思うのでいちおう。

自分バックグラウンドは以下:

その他の前提:


本文およびブコメを読んで思ったこ

2000年代に入って関数型プログラミングが脚光を浴び始めたのは、コンピュータ資源が潤沢になりパフォーマンスをそれほど気にしなくってよくなったことが大きな理由ではないか、という認識があります

関数型プログラミング言語の内部実装を読んだことがないので推測ですが、データを不変にするということはその都度メモリ領域を新たに割り当てることになり、そのオーバーヘッドプログラムパフォーマンスに影響を与えるので、パフォーマンス要件がをシビア場合、どうしてもメモリ割り当てや計算効率を考えるとミュータブルにせざるをえないと思います。が、ウェブアプリケーションに限っていえば、データベースアクセスネットワークアクセスレイテンシが大きいので、そうした相対的に細かいオーバーヘッド無視しても(大抵の場合は)問題にならなくなった、というのが「時代」の流れなんだという認識です。

いっぽうで別の観点もあって、REST API や FaaS が一般化して、関数単位で処理を分割し、アプリケーション外部に配置することが当たり前になってきた現状があり、マイクロサービスのようにアプリケーション自体モジュールの一単位として考えると、アプリケーション内部のモジュール同士でも関数ベースでやりとりする形になっても不自然ではないと考えられます

記事にもありますが、RPC派生実装?)として生まれJava の CORBA や MicrosoftDCOM みたいな振る舞い付きのオブジェクトコンポーネント)を共有しようという世界観は廃れ、REST API のような単一の振る舞い(エンドポイント)とそれにひもづく JSON のようなデータ構造のみを受け渡すやり方が一般的になったアプリケーション通信の潮流と、計算資源が潤沢になって再度脚光を浴びた関数型プログラミングが、レイヤーの違いを飛び越えてひとつになろうとしているのではないか、と。

まり、元記事に書かれている「時代に合ってない」というのは、「データ構造と振る舞いが一体となったオブジェクト」のような「なにか」は、そうした背景があるために、どこにも存在する必要がなくなってきているのではないか、と解釈しました。

なので、以下のコメントちょっと論点がずれてると思いました。

はあ?「再利用する方法としてはWeb APIが主流」って、その中身をオブジェクト指向設計することは、全く矛盾しません。 部品化の単位は、慣習や柵などで大きく変わりますオブジェクト指向とはほぼ無関係です。

https://b.hatena.ne.jp/entry/4708813645995359202/comment/suikyojin

なんでサービスとして外とやり取りする話とサービスの内部設計の話をごっちゃにしてんだ。なんか理解度が怪しくない

https://b.hatena.ne.jp/entry/4708813645995359202/comment/ssssschang

しかに、アプリケーション単位アプリケーション内部のモジュール単位とでその表現形式を合わせる必要はないんですが、元記事の言わんとしていることはこの一文に端的に表れていると思います

ソフトウェア記述をまとめるという視点では主にステートレス関数を分類できれば充分で、データと振る舞いをまとめたオブジェクトというのは大きすぎる、システムを分割して管理やすくするという視点ではオブジェクトというのはライフサイクルリソース管理視点が足りず小さすぎる、ということで、オブジェクト指向粒度でのソフトウェア管理は出番がなくなっているのではないか、と思います

個人的にわからなかったのは以下の部分です。

オブジェクト指向でなぜつくるのか」という本がありますが、「え、いまどきオブジェクト指向でつくらなくない?」っていつも思います。内容的には、もうほとんどはオブジェクト指向関係ないソフトウェア工学の紹介になっていますね。

当該書籍は読んだので後半はまぁわかるんですが、前半は「え、いまでもオブジェクト指向でつくるのが主流じゃないの?」って思ってしまますオブジェクト指向定義が「データ構造と振る舞いが一体となったオブジェクトの集まりとしてソフトウェア組織化すること」なのであれば)。

おわりに

Joe Armstrong が "Why OO Sucks" を書いたのが2000年とのことなのですが、そろそろこうした議論収束に向かってほしいと個人的には思います(とっくに収束していると感じている方もいらっしゃるでしょうけど)。

https://gist.github.com/posaunehm/4087971

2021-09-11

anond:20210911011552

ブコメ書いたけど100文字じゃキツい

https://b.hatena.ne.jp/entry/4708159802939025090/comment/mobile_neko

前提としてVTuber排除ニュース下地にあるので「今のフェミニストのおばさん達」は、公共の場から萌え絵エロ系の表現排除しようとしている「全国フェミニスト議員連盟」のような人のことを指していて、「気持ち」というのは、公共の場から萌えエロなどを排除したいという気持ち、と言うことになる。

現状「男」は「今のフェミニストのおばさん達の気持ち」を理解する事ができない、なぜならフェミニストと違って公共の場所で「エロい女」を見ても、性的対象として見られる不快感治安への不安などの苦痛を感じることが少ないから。

もし「時代」が変わり何らかのテクノロジーとか超常現象で、パートナー以外の男性女性性的視線を向けると「腕や足が粉々になって使い物にならなくなる」など直接的な被害を被る世の中になった場合は、男性自衛のために公共の場からエロなどを排除するようになり「今のフェミニストのおばさん達の気持ち」を理解できるようになるだろう。

という主張じゃないか

2021-06-02

anond:20210602071506

RPG黎明期の話をどうこう言っても意味なくない?

一言「時代」しか言えないじゃん。

そこからはじまったシリーズから、いまも「勇者」の概念がずっと伝統として続いてるだけだろ?

水戸黄門の印籠にけちつけてるようなもんじゃん。理解出来ようが出来まいが、そういう時代に出来たもんだからさ。

2020-11-04

anond:20201104102956

意図してすぐ後ろの「時代」を削っただろ?w

当然今の話はしてないぜ

2020-09-17

津田太郎教授はどう感想を言ったらあの先生きのこれたのか

やあ!匿名の卑怯者だよぉ(ニチャァ

ちなみにこの件で増田投下は初だよぉ。他の増田諸氏とは違うから(目の裏原っぱじゃなきゃ読んでで分かるぞ)、よろしくねぇ~

んじゃ、今日表題通り、津田教授があの時感想をどう言えばセーフだったかを考えていきたいと思いまーす。

プロフィール

まず慌てて変えた以前のプロフィールからアヤは付きだす。

東京私大メディア政治社会学?を教えていますhttps://researchmap.jp/read0147163

大学で教えている、少なくともアカデミック権威であることを誇示しています。「?」がついてるから無効なんてぇ言い草は通りません。しかも、リンク先を見れば、教授であることはすぐわかる。

キョージュ様のご意見であるぞ!ひれ伏せ!と言っている御立派なプロフィールです。

さらに本人の言では「匿名でやってたけどこっちに変えた」との供述があり(https://twitter.com/brighthelmer/status/1305058021031030785)、

んじゃやっぱ最低限でも承認欲求クレクレタコラ普通考えたら肩書で殴りたかった下心見え見えじゃんとしか言えません。すでに不誠実1200万パワーです。

さて、問題ツイート

https://twitter.com/brighthelmer/status/1304248768896921603

銀河英雄伝説リメイク。3期以降も続くのかな。もしそうなら、男女役割分業の描き方は変更せざるをえない気がする。旧アニメのままだと、さすがに時代にそぐわない。作品として大変に面白いのは踏まえたうえで。…なんてことを書いたら炎上するかな。

銀河英雄伝説リメイク。3期以降も続くのかな。

まず注意したいのはこの時はまだ、3期情報が来てないんだよねぇ(後日3期発表有)。でもキリがついたから発表は間近そうでもある。

まり、これは「次はあるのかな?ないのかな?」という不安をあおる一言なのよね。布石です。

もしそうなら、男女役割分業の描き方は変更せざるをえない気がする。

「変更せざるを得ない気がする」。これ、主語は何なんですかね。気がしている主語津田だけど、津田に思わせているナニモノか、即ち教授様より「大きな力」が示唆されているわけです。さらに「変更せざるを得ない」先は直近で割りに見えてる代物なんですな。

そして、頭で「もしそうなら」と3期が来ない可能性、即ち圧力で潰せる可能性を示唆しているわけです。

アニメのままだと、さすがに時代にそぐわない。

この「旧アニメ」が何のことなのか(OVAなのか、2期までのノイエなのか、津田の頭の中にだけある架空劇なのか不明)ですが、時代にそぐわないと断言。時代ですよ時代。つまり国民ひいては世界の総意にそぐわない、そう断言するわけです。エビデンス社会学にそんなものねぇよ!

ここで、さきほどの「より大きな力」が「時代」、すなわちどこから出てきたかもわから国民の総意であることがはっきりします。

これが個人の感想、なんですかねぇ。

作品として大変に面白いのは踏まえたうえで。

ただの感想に見えるが、そんな簡単ものをわざわざ置く訳がないじゃないですかツイートを見たファンに「面白いものの続きがあるかどうかは、国民総意に背かないかどうかにかかってるんだぞ?」という念押しです。そうと思うならば、変えろ、さもなくば突撃隊を出してお前らを蹂躙する、お前らそれ守る価値あるよね、じゃあおとなしく城下の盟を結んで屈服しろよ?という言外の恫喝のためにわざわざここに置かれているといっていいでしょう。ここだけ取れば個人の感想ですが、全体を通した場合意図のある発言感想ではありません。

まとめれば、このツイートの構文は「津田くぅん、君、奥さんいたねぇ。夜道が月夜だけだといいねぇ。僕のところ元気のいい若い衆が一杯いてさぁ、美人さんだと心配じゃない?」と言ったのと同じです。典型的恫喝ですよねこれ?

津田もかつて

https://twitter.com/brighthelmer/status/1169101430797389824

ヤクザに「月が明るい夜ばかりだとは思わないほうがいい」とか「お子さん可愛いですよね」と言われて、それは純粋事実の表明であるから脅迫にあたらないと考える人が世の中には多いのだろうか。言葉意味文脈によって強く左右される。

と言っていますね。分かっててやっています当然。

ま、ヤクザじゃなくたって、「月夜ばかりじゃない」っつったら、普通恫喝ですけどね。お子さん可愛いも見知らぬ人間が何の文脈もなく言ったら、害意の告知でしょうよ。

で、津田銀英伝に「可愛い子だねぇ」と言って納得できるほどの仲だったんでしょうか?検索すると

https://twitter.com/search?q=from%3Abrighthelmer%E3%80%80%E9%8A%80%E8%8B%B1%E4%BC%9D&src=typed_query&f=live

あれれ?一っ言とも触れてませんねぇ?

まりは、おしめを変えて飯を食わせ好みも嫌いもよっく知ってる知り合いの小父さんが言った「可愛いねぇ」ではなく、通りすがりおっさんがニソニソしながら言う「あの子可愛いねぇ。さらわれないか心配だねぇ(ニチャァ」なんですわ。これ、文字通りの可愛い=「面白い」ですか?

これを「個人の感想でした」というのはあまりに身びいき。大体「時代」とやらを判定する機能権力津田に与えた覚えはこちとらありません

…なんてことを書いたら炎上するかな。

これがまた小狡いから、燃料を投下してるわけ。しか炎上する主体がどっちだか書いてないよね?ノイエ燃えてもこの予言は実現される。上手いなぁw

これこそチェーホフの銃で、ここに炎上と書くことによって、炎上を起こす意思があることが明確なのです。ただの感想素人さんが言う時にわざわざこんなこと書かないよね? 

肩書があって、燃やす意思があるからここに銃を置く。まして140字の中に大学教授不要なモノを置きません。

まりこいつは、燃えるか燃やされるか、完全な決闘モード宣言ですよ。勝った気になってますけど。別してパブリックエネミー「社会学者?」を名乗る以上はねぇ。放火意図は、津田ファシストにしたい意図より明瞭にダダ洩れなのであります

ではどう書けばよかったか

まず感想感想垢にまとめましょう。混同イクナイ!

承認欲求もあろうから相互フォローと同アイコン使用までは認めますさらに言えば、いっちょ噛みでないことを示すためにせめて何を視聴してるのか常々感想垢に一言書けば「ああ、初回から見てるな」というのが分かります

さらに、時代とか大仰な主語を持ってくるようなことは止めましょう。お前の感想はお前の脳からしか出てなくて、それはお前ひとりの意見です。

そうすると、まあこんな感じすかね

Shotaro感想アカbrighthelmer_kanso

brighthelmerが感想つぶやきますツイート内容は個人の考えで、組織役職としての公式見解ではありません。

銀河英雄伝説の新作。3期以降もあるといいな。

もしそうなら、僕としては男女役割分業の描き方は変えてほしい。2期のままだと、ヤンとフレデリカとかちょっと違和感があった。面白かったんだけどそこだけ残念。3期が早く見たい最終回だった

ちゃん時代にそぐった書き方をしようねぇ?

2020-08-23

anond:20200823171040

貴君が浮世絵師の画風が似通っている原因を「時代」だと思うことを許可する。

anond:20200823170652

問. 江戸時代浮世絵師の顔の書き方が似通ってる理由「時代」概念を用いず説明せよ(10点)

anond:20200823164952

萌え絵作風「時代」一言で片付けるのか。それも増田でなら許される。

2020-07-14

現代平常運転なんだろうけど、自分記事に読解力のない的外れブックマークコメントスターがいっぱいついて上位にランクインしてると暗澹たる気持ちになる。

それってつまり記事を全部読まないうちに結論を出しているってことですよね。お前が思うんならそうなんだろうお前の中ではな、と言わざるを得ない結論を。

これは、YouTube視聴者はガマンせず待てないので、少しでも動画に間があるとスキップしたり視聴をやめたりするのと同じ傾向なんだろうか。

YouTuberが基本的早口で喋ってスキマ無く編集する(ジェットカット)のは、そういった忙しい視聴者最適化して適者生存した結果らしい。

現代の音楽ってイントロが短くなっているそうだ。同様に歌が始まるのを待てないせっかちな人がそれだけ多く、聴いてもらえないので、適者生存で短くなったのか。

中島みゆき「時代」時代を先取りしすぎた。

ワイが小学生のころ、先生が授業中に「いまの子どもは15分しかマンできない。TVCMが15分ごとに入るから」とか言ってたが、いまの子はそれが15秒にでもなっているのだろうか。

なんかこう、若くなるにつれて脳の報酬系がすごいことになってそう(小並感

2020-04-30

anond:20200430001058

漫画アニメだとどうしても「ヒロインになりやすヒロイン像」というのがあるけど、

エロゲはそれぞれに個性の違う複数ヒロインを主役にしたオムニバス的な構造から

新しいヒロイン像、新しい物語類型が、エロゲの中で生まれていったんだよ。

それまではサブヒロインに甘んじていたようなキャラ設定でもフィーチャーされるようになった。

90年代はいまのオタク向け物語類型が出始めた頃だけど、それがエロゲによって大量生産されて、

これまでに見たことがないような物語が一気に生まれてきたイメージだな。

あと、文章+絵+音楽で数十時間の完結した物語を一気に読ませるっていうのも特徴だよな。

深夜に何時間もひたすらエロゲやってると妙な没入感があってな。

切れ目がないから鬱展開とかもやりやすいし、タイムループみたいな回りくどい構成にも向いてる。

大長編からこそ出来る新しいストーリーってのはあったと思うよ。

あと、これは「時代」の話になるけど、

エロゲの最盛期って夕方アニメから深夜アニメへの移行期だったから、人気のアニメがあまりなかったってのもあるよな。

エヴァとかで盛り上がった感情を向けられる新しいアニメが無くて、行き場をなくしたオタクたちが泣きゲー流入した。

もちろんインターネットの普及もあった。

たこともないような物語をみんなで受容していく新しい体験っていうのかな。

初期のニコ動とか、ちょっと前までの小説家になろうとかは、それに近い体験だと思うけど、

そういう思い出ってやっぱり深く心に刻まれるんだよな。

2020-02-16

メモ

「先行きの見えない時代組織ではなく、個のチカラが試される時代自分なら相手に対して何なら役に立てるか、お金の前に、人の役に立つ、を最初に考える。みんなが知ってためになること、実現したいゴールまでの道を一緒に考えて成し遂げるのに、ウチもソトもない。信用こそ第一に考えよう。」

言ってることがちぐはぐだし、なんにしても「時代」自分で何もできずにただただ世の趨勢翻弄されるだけの未開人の発想じゃないの。

そもそも「時代」というものはどういう形であれ、自分たちで作ってきたものからね。

2019-10-22

分かるけどそうじゃない

増田の言うことには一点だけ同意で、要するにこの槇野さんも一人の「ジョーカー」なんだよな。


実際、「病気怪物フェイスにもなったし悲惨介護現場も知ってるしアーサーより全然不幸だぜ私。まあブログ承認欲求満たせてるけどな」っていうカミングアウトジョーカーまでもうあと一押しじゃん。ブログSNS失ったら、もう全然ジョーカーになるでしょこの人。

「誰もがアーサーのやったことに勝手意味づけをして、アーサーを置き去りにしてピエロフェイスで暴れ回る。でもってアーサーはそれを幸せな顔で見つめてる。」これって、あの映画の末尾に描かれる状況だよね。で、誰もがあの映画を見て勝手解釈して暴れ回ってる。映画ネタにしながら、実際の映画を置き去りに、自分の不満だけ見つめて文句を言い回る。でもこれって全てあの映画想定内出来事なんだと思うんだよ。誰もが自分の不幸という棒を手にして、アーサーの姿を借りて、目に付いた社会の片隅を殴り飛ばしまくる混沌の状況……あの映画が描いていたのはそういう世界だよね。いや、これまったく今の私たちの眼の前の現実のものやん?

もちろんさ、槇野さんの感想的外れなんだよ。だけど槇野さんには槇野さんの「ジョーカー要素」があるわけで、槇野さんは勝手なアーサー像を想像して勝手に暴れ回るという行為によって見事に「ジョーカー」が名作であることを証明してるわけ。今のこの世界って要はゴッサムティだよね、っていうあの映画メッセージ体現してるわけ。

それは、あの映画が半世紀以上も前の映画の要素……つまり「母一人子一人、清く貧しく正しく夢を追う青年が、世間の荒波に揉まれながら、隣人や理解者に支えられ、偶然のきっかけで表舞台に立ち、(その過程で憧れの世界との血縁あきらかになり)、華やかなデビューを飾って無事成功する」というおとぎ話のようなサクセスストーリーの要素を完全に踏襲しつつ、それを100%裏返してみせるという手法を取っていることによっても明らかなんだよ。あの映画に「誰も悪人がいない」という指摘は槇野さんの言うとおりで、つまり、ほんの少し状況が違えば、実はこういう馬鹿みたいな「サクセスストーリー」も実は決して夢物語では無いはずのだ。なのに、結果として生まれたのはジョーカー……だとすると、悪いのは特定の誰かなのではなく、あの街であり時代であり私たち全てだとしか言いようがない。「ジョーカー」が描いているのは、特定人間ではなく、特定人間を生み出す「状況」や「時代」世界」そのものなんだと私は感じる。この町では、ほんの一押しでみんながジョーカーになってしまうのだ。だからバットマンの戦いは絶望のものなんだよ。

というわけで、これ以上〈槇野=アーサー〉を叩かなくていいんじゃないかな、っていう。なんか普通にジョーカー化しそうな方だしさ。まあそういうこと分かった上で、かつ「いから、もうジョーカー誕生させよ?」っていう流れで叩いているならもうどうしようもないんだけどもさ。

anond:20191022025053

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