はてなキーワード: キャスバルとは
月曜から夜ふかしに出てた、ガノタの親から生まれたガノタの「義連」さん
凄まじい名前よな
親、やりたい放題だな
義勇が居るんだから義連が居ても良いと思うけど
それにしたってザビ家よ
全然関係ないけど、このあいだジオン水泳部3体を足して3で割ったみたいなモビルスーツと戦闘を繰り広げる夢を見たんよ
茶の間でこたつを挟んで闘ってたから、モビルスーツの全高は人の身長くらいしか無いってことだろうけど
そんでこっちは生身だったと思う
徒手空拳ぽいのにちゃんとモビルスーツに攻撃してた。たぶん素手で頭とかぶっ叩いてたよ
どこをどう攻めればいいか考えあぐねてたんだけど、「これ以上やると大変なことになる(殺られる)」と思ったところで目を覚ますことにした
あぶなかったわ
めちゃくちゃ笑っちゃったんだけど、よくよく考えると悲しい台詞だ。
旦那に勧められ、最近ガンダム00と初代ガンダムを並行して観た。両方ともアニメとしてすごく面白かったし、自分がガンダムに対して抱いていた偏見(パイロットの少年たちは戦争兵器であるモビルスーツに憧れて乗っているものだと思っていた、ガンダムのテーマ性を全く理解していなかった)が解消された。どちらかと言うと初代ガンダムの方が話も絵柄も好みだった。今は引き続きZガンダムを視聴している。
・あのOPからは想像できないくらい、全編にわたって重い話だった。もっとマジンガーzみたいな感じかと思っていた
・ガンダムの表情が豊か(ロボットの描き方が今ほど安定していない)。たまに鼻の下が伸びまくったガンダムを見ると可愛いなと思う
・シャアは「仮面とグラサンを使い分けるクールなイケメン」というイメージだったが、視聴後は「悲しい過去を持つ、心がぐちゃぐちゃのイケメン」になった
・アムロが想像以上にいい奴だったし、正統派主人公だった。特にカツレツキッカがホワイトベースを離れるかもしれない時の「小さい子が殺し合いを見るの、よくないよ」みたいな台詞が忘れられない
・一番好きなキャラはカイさん。きっと子どもの頃観たら嫌いだったんだろうなと思う(でもタイプの男はブライトさん)
・ミライさんに対して「皆はセイラさんやマチルダさんに夢中だろうけど、オレはお前の魅力を“理解“ってるぜ…」的な感情を抱いていたので、元恋人やスレッガー中尉、ブライトさんへのアレコレを見てショックを受けた。勝手に恋して勝手に失恋した。今はセイラさんが好きです
・ジオン側だとランバラルさんが誰よりもカッコよかった。今Wikipedia見てたら35歳と知り腰を抜かした
・ニュータイプであることにアムロは驕っているものだと思っていた。全然そんなことなかった
・最初の方で頻繁にあった、シートベルトがぐわんぐわんするシーンが大好きだったのに後半なくなったのが悲しかった。でも00でその演出が使われていたのを観て「やっぱり皆好きなんじゃん!!!」と嬉しくなった
シャアって「スマートでかっこよくて白い歯を輝かせながらいつも余裕の表情で笑う爽やかなイケメン」ってイメージ(偏見)だったから、二話にして「アルテイシアにしては強すぎる」って台詞をかなりマジのトーンで言っていたので、はちゃめちゃに笑ってしまった。
でも話が進むにつれシャアの生い立ちやセイラさんの過去が少しずつ明らかになっていくと、その台詞が全然笑えなくなった。シャアの中でのセイラさんが、全く成長していないことに気がついたからだ。
全編見終わってから振り返ると、この台詞はシャアがいつまでも過去に囚われていることを端的に表現した言葉なんだなと思う。シャアの中のアルテイシアは、きっと今でも「キャスバル兄さん」と無邪気に笑いかけるような、優しくて美しい妹なんだろう。幸せだった時代を共に過ごした存在(過去の象徴)なのだから、彼女の成長にシャアの心が追いつけないのも仕方ない。
これだけなら「悲しい過去を背負ったイケメン」にイメージがアップデートされていたと思う。でも後半、彼の目的が「ザビ家に復讐すること」から「ニュータイプの世界を作る」的なものに変わっていったと分かった回で、私のシャアに対する印象が変わった。そこにララァという、昔の作品に描かれがちな「男性にとっての理想的な女性」がシャアの大事な人として登場したことによって、さらに混乱する。
単なる復讐だけなら、私の感性でも理解できる範囲の人間だった。でもかつて父が目指した理想を体現しようとしたり、ありのままの自分を受け入れてくれる少女(※大人の女性でないところがポイント)に心を許してるっぽいシャアを見て、「シャアってもしかして、めちゃくちゃねじ曲がってるんじゃないか?戦争が彼をこんな風にさせたのか?」と、なんとも言えない気持ちになった。
ララァの女性像についてや、精神的に未熟な年頃の少女を寵愛するシャアの批判がしたいわけじゃない。そういう描かれ方は、意図的なものだと思っている。
ただ戦争に巻き込まれたことによって、生き方や人の愛し方が変わってしまったシャアやララァのことを思うと、本当に悲しい。シャアとララァの互いを想う気持ちと、ランバ・ラルさんとハモンさんの想い合う気持ちって絶対違うじゃん。前者は歪みを感じるけど、後者はそれほど感じないっていうか…ハモンさんが自立した大人の女性っぽく描かれてたのが大きいと思うんだけど…何が言いたいのかだんだん分からなくなってきた。
とにかく、ガンダムはめちゃくちゃ面白かったです(雑なまとめ)。43話とは思えないボリュームだった。
昔のアニメって、思わずそのキャラのバックボーンを考えちゃうような演出や台詞が多いような気がする。それが物語に奥行きを持たせて、いつまでも人の心に残る作品になるんだろうと思った。エンタメとしての完成度も高いけど、感性に訴える面もある感じ。
マジで何が言いたいのか分からなっちゃったから終わります。Zガンダム、Netflixのあらすじ見たらカイさん登場するらしくてワクワクする。ていうかZになったら急に絵が上手くなっててびっくりした。あと全然書いてないけど、00もめっちゃ面白かった。絵が苦手で当時見なかったことを後悔した。大好きなコーラサワーさんが大好きなカティさんと結ばれてハッピーだった。変わっていくことがテーマだったろうあの作品の中で唯一(たぶん)初志貫徹した彼が、私にはなぜだか一番眩しい存在に思えた。おわり
に関連して思い出したけど
セイラさんって子供の頃の優しいキャスバル兄さんが好きなだけで
ファーストでシャアの追っかけやってた理由も全てその頃の貯金だけで
いざ面と向かって会話したシーン、その後のブライトとの会話から思うに
セイラさんのシャアへの感想は基本「何やってんだ!この馬鹿兄貴!正気に戻ってよ!」だよね
欠片もといっていい程、シャアの行動、理想に共感していないよね
シャアがところどころで拠り所にする、または期待される理由の一つである
ジオンズムダイクンの息子であるという肩書きは妹のセイラには全くの無意味だから
お父さんが暗殺されたからあそこまでアクロバティックな人生になってしまうのは仕方ないとは
同様の立場の妹は納得しないだろう(矢面にたったのは兄の方だから多少の同情はあったろうけど)
ZZで登場した際のシャアへのいっそ死んでくれればというセリフは
気にはかけているけどファーストの頃のように必死で追いかけていく気も
ましてや刺し違えるとかもなく、自分がこの先、生きていく中で永遠の悩みの種になるより
死んでくれてしばらくの間、悲しみの種になってくれる方が気が楽という吐露なんじゃないかな
という妄想
シャアというかキャスバルは、ニュータイプという概念を提唱した指導者の息子でありながら、本人ニュータイプではないにも関わらず抜群に多才で胆力もあるハイスペックイケメンなせいで周囲が誤解しまくって自分も引っ込みがつかなくなってしまった結果あんなんなってしまった不幸な人だと思う。
気づいてるかどうかということでいえば、アムロもカミーユも薄々「こいつ俺(達)とは違うぞ」くらいのことを感じていたのではないか。でも「なんにせよこいつはニュータイプの理解者のはず、なんつってもダイクンの息子だし」ってところで思考停止してたきらいがある。
たぶんララァには自分の弱い部分をさらけ出せていた(弱い部分を見抜いてなお包み込んだ)のではないか。でもララァは母親と同じように早々といなくなってしまう。結局のところ問題は母でありララァなのであって、アムロやカミーユによってシャアが救われるとかそういうことはなさそうだし、シャアはそういうのをアムロやカミーユに絶対に悟られまいと虚勢を張り続けるだろう。シャアにとっては、アムロやカミーユはシロッコと同じポジションにいる。
チャンスがあったのはハマーンだが、ララァとは違って見た目はあんなだけどバブみどころかむしろ男に依存するタイプなので無理だった。というか、ハマーンもカミーユもカツもシャアからすればむしろ自分が庇護すべき対象であって、この人はニュータイプどうこう以前に「親」になれないんだろうなあ。