はてなキーワード: アジア人とは
もちろん下手やとは思ってへんやで。
母国語でもないのに世界のメディアを向こうに回してあれだけの長時間しゃべるんや。大したもんや。
ワイらアジア人にとっても聞き取りやすい、ストレートな英語でストレスなかったしほんま良かった思う。
一方で、ゴーン氏の英語は、ブリティッシュやアメリカンとは全然違う発音で、語彙もない修辞も使わないあの英語を聞いて、日本人の英語はもうちょっとああいうのを目指すべきなんちゃうんかなと思ってん。細かいことは知らんけど、我が道を行くで!みたいな。
旦那と義父とディナーに行ったとき、入り口で「この後、他の客もみんな体調悪くなったら彼女(私)のせいだね」と笑っていて私は聞こえないフリをしたが、こういう冗談を平気で言えるイタリア人の性質が本当に嫌い。
嫌い過ぎて反吐が出る。
https://twitter.com/neghidaku/status/1223012317476147206?s=19
(上のツイートを引用して)「じゃあ、迷惑かけちゃいけないし、私だけここで帰りますね(ニコリ)」とか「そういう人種差別辞めてよ!(キレる)」のが正解のようですが、そうするとイタリア人からしたら「ジョークを流せない面倒なやつ」のレッテルを貼られるので二重で全く笑えない。
https://twitter.com/YurieAdachi/status/1223289747554144256?s=19
要するに受賞者を選ぶ際には、作品の出来で選ぶのではなく、黒人と白人が均等になるように配慮しようという考え方である。
だがちょっと待ってほしい。
オリンピックの100m走で、アジア人の金メダルが少ないからアジア人に金メダルを割り振ろうと考えたことがあるだろうか?
ない。実力で選ばれるのが本来の栄誉だ。
アカデミー賞というのは要するに政治的な賞なのだ。政治的にイケていれば、賞が取れる。だからこそ娯楽に徹した大作は作品賞をとれない。
アベンジャーズキャストにアカデミー賞を散々盛り上げてもらうようにお願いしつつも、作品賞だけは絶対に与えない。
作品賞ではなく、どうでもいい録音賞だの視覚効果賞だのでお茶を濁す。「いやーすごい爆発だったねえ。いやーすごいメイクだったねえ」と、ごみのような評価で、実際に面白い映画であっても作品賞は与えなかった。
だからこそ、スティーブン・キングの「クオリティだけで判断してる」というのは「嘘だ」と言いたい。
しかし、建前としてはそれが正常だ。
だというのに、ポリコレにかぶれたバカどもは「多様性が重要だから。キングは間違えてる。老害だ」とか寝ぼけたこと言いやがる。
それどころか、底辺ポリコレ作家になると、一作や二作、幸運で作品を世に出した後は、延々とポリコレで世の中の作品を断罪するだけで、まともに作品も作らず、作家でござい、って顔してやがる。
この作品はどうのこうのとか、大御所ぶってる暇があったら作品を作れ。
大体、アカデミー賞が公平な選考を行ってるとは全く思わない。ダークナイトに至ってはノミネートすらされなかった。
しかし、それであっても建前だけはきちんとしていないといけないのに、ポリコレの馬鹿どもは、そのことすら忘れる。
今年は何が受賞するかな?
確実にあの作品は受賞しないだろう。
アメコミで、悪役で、インモラルで、反ポリコレだから。主演男優賞と脚本賞と作品賞は最低でも取らないと、賞の品位にかかわるが、絶対に作品賞は受賞しないだろうなあ。
・日本人を含む東洋人が直面するもう一つの「からかい」があります。それは…「手を合わせてお辞儀」です。
・ドイツ人が日本人にニヤニヤしながら近づいてきて、イキナリ手を合わせてお辞儀をする、という「からかい」です。
・この「からかい」について、ドイツやヨーロッパの事情をあまり知らない日本人にお話しをすると、必ず「そのドイツ人は日本人とお友達になりたかっただけなんじゃないの?」と言われます。
その「お友達になりたかったんじゃないの?」を聞くたびに、私はなんて純粋なんだろう! と感激するのですが、残念ながら実際は「お友達になりたい」のではありません。
・一部のドイツ人の目には、日本に限らずアジアの「お辞儀」そのものが「ペコペコしている」というふうにうつるようです。お辞儀自体をバカにしているのです。
だから東洋人にニヤニヤしながら近づき「手を合わせてお辞儀」をするのです。
「ほーら、アジア人ってみんなこうやってペコペコしてるんでしょ?」と言いたげに