はてなキーワード: 池袋とは
ようやく落ち着いてきたので、昨日、起きたことを覚えている限りの事を書き残そうと思う。
都内某所の繁華街を彼女と二人で歩いていたら、身長160cmくらいの男の買い物袋が俺の膝に当たった。
その家電量販店の紙袋の中身に何が入ってたかわからないけど、固くて、痛かった。
で、振り返って、その男に聞こえるように「痛ってぇー!おーいマジかよ。クソ!」って言ったわけよ。
チビでなんとなく気の弱そうな感じだったから、暴力は振るわないまでも、ちょっと思い知らせてやろうくらいの気持ちでいた。
彼女の前で、注意できる俺を見せてやりたかった。
バカだった。
「おい!今、何て言った?」
・・・あれ?キャラ違うよね?君、そういうキャラじゃないよね。話が違うんだけど。
しかも、すっげぇ、怖い顔してる。
その予想外のキャラに対し、俺パニックになって「いや・・・当たってるんだけど、それ。膝に。」
完全に先手取られた気分。
男「は?そんな事聞いてない。今、何て言ったか聞いてるんだよ。」
俺「え・・・だからさ・・・痛かったんだけど。」
男「違うだろ。正確に言えよ。」
俺「・・・」
そんな俺を見かねて、彼女が「ねぇ・・・やめなよ。もう行こうよ。」って俺に言うんだけど、
それを聞いた男が「ダメだ。行くな。ちゃんと答えろ。」
もう完全に主導権は向こう。
男「ねぇ?ケンカするの?なんで、あんな事言ったの?」
俺「袋当てたのはそっちだろ?」
男「我慢しろよ。ちょっと、当たったくらいで、いちいち声出すなよ。だから、どうしたいの?さっきの調子だとケンカ売ってるようにしか感じないんだけど。」
男「早く答え出せ。」
よく見たら、背低いけど、ガタイが良くて、なんか腕太い。完全に相手を間違えた気分。
黙ってる俺に対し、彼女が先に行動した。「ごめんなさい。私たちの不注意でした。」って頭下げたんだよ。女はこういう時度胸あるな。
それを聞いた男は少し間を置いて、今までで一番冷たく恐ろしい顔と静かな声で、彼女に言った。
「あんたに聞いてない。黙れ。」
もう、背筋がゾッとした。彼女も同様にゾゾっとしたのを俺も感じ取ることができた。
何?この迫力。これ絶対、君のキャラじゃないよ。なんで、そんなに恐ろしくなれるの?
男は続ける
「で、どうするの?さっきのお兄さんの声から始まってるんだから、自分で決めろ。」
もう"お兄さん"って完全に見下されてる。
俺「いや、ケンカはしねぇけど・・・」とかそんな事くらいしか言えなくて、沈黙が続く。
ため息をつきながら、男はとんでもない行動に出た。
下を向いていた彼女に対し、
男「おい、こっちを見ろ。」
戸惑う彼女。
「おまえの顔覚えたぞ。」
「え?」と驚き、男の顔を見ると、恐怖を悟り、彼女は俺の背後に隠れ、体を震わす。
「あっ・・・あ・・・」とか声にならない様子で震えてた。
いくらなんでも、これはおかしい!だから、男に言った。
俺「彼女は関係ないだろ!やめろよ!」
男「は?何が悪いの?」
俺「卑怯だろ!」
男「(鼻で嘲け笑い)・・・おまえバカだろ?ケンカ売った相手が外道じゃない保証なんてどこにあるの?」
もう、完全に負けた。最初から負けてたけど。
そこから先は男にいろいろ言われたけど、もう、自分が情けないのと、彼女に申し訳ないのとで、なんかよく覚えていない。
その後、向こうも気分的にgdgdになったのか、飽きたからなのか、よくわからないけど、
「もう、行っていい。」って言われて、正直、命拾いした気分だった。
怖がってる彼女を落ち着かせるため、喫茶店で、休んでたんだけど、やっぱり、気分が悪いとかで、デート中止。
彼女を部屋の前まで送って、別れ際「今日はごめん。」って謝ったんだけど、彼女無言でカギかけた。
本当、自分が情けない。ケンカする度胸もなかったのに、なんで、あんな事しちゃったのか。
男に言われた"ケンカ売った相手が外道じゃない保証なんてどこにあるの?"はおそらく一生忘れない言葉になると思う。
[トラバの反応を見て]
反省してるんだよ。マジで。彼女の心に傷を負わせてしまったのはマジ反省してる。
今は本当、後悔の感情が強い。でも、DQNと言われるのはちょっと想定外だった。
あぁー、俺、DQNなのか。嫌だなー。このアウェイな感じ。
でも、仕方ないのかな。
とりあえず、みんなも俺みたいになるなよ!って事を言いたかっただけなんだ。
人を見かけで判断するなよ!
育った町は関東に位置している田舎だ。電車に乗れば東京まで一時間半か二時間程度の場所だが、それでも十分田舎だった。電車を目の前で逃すと一時間は待たなければならない。隣駅は無人駅で、最寄駅は7時にならないと自動券売機で切符が買えない。バスに至っては二時間来ないこともざらだ。終電や終バスの時間も早く、夕方が差し迫ってくれば、乗り継いで行った先の終電のことを考えなければならない。東京は近くて、でも遠い街だった。
電車に乗ってあの町が近づいてくると、見渡す限りの田んぼとその中をうねうねと伸びる農道が見える。街燈がぽつぽつとしかない道を闇におびえながら全力疾走で駆け抜ける夜も、夏になると井戸からくみ上げた水が滔々と流れる用水路も、稲穂の上を渡る金色に光る風も、その中を喜んで走る犬も、道端で干からびている車にひかれたイタチも、うっそうと道上に生い茂り時々大きな枝を落としている木々も、なにもかもが呪わしかった。どこへ行くにも車がなければ不便で、こじゃれた店は大規模なショッピングモールの中にしかない。それで、中高生はいつもそこに特に理由もなくたむろしていた。
みんな都会に行きたかったのだ。すぐにつぶれてしまう店も、郊外型の広い駐車場も、市街地から外れればとたんに何もなくなって農耕地だけになるニュータウンも、なにもかも厭わしかった。私たちはたまに触れるなにか新しいものを含んだ風にあこがれ、騒がしい日常を羨み、便利さに憧憬を抱いた。都会に行かなければいけない、という思いはまさに呪縛だった。こんな田舎にいてはいけない、田舎はつまらなく、古びていて、垢抜けない。だから都会に行かなくてはいけない。
高校を卒業するとともに私を含めほとんどの友人は都会へと向かった。何人かは都会に住みかを確保し、住みかを確保できなかった人たちはどこかに拠点を確保して、毎日何時間もかけて都会へと通った。
私は住みかを確保できた幸運な一人だ。山の手のかたすみにある、静かな住宅地に最初の下宿はあった。学生用の木造二階建ての、半分傾いたアパートだ。四畳半で風呂がなく、トイレと玄関は共同だ。同じ値段を出せば、田舎では1DKが借りられる。しかしそんな場所でも、私にとってそこは「トカイ」だった。
トカイでは駅までの道に田畑はなく、駅では10分も待たずに電車が来る。どの駅でもかなりの人々が乗り降りし、夜が更けても街燈が一定の間隔で並んで夜を追い払ってくれる。月明かりに気付く余裕をもって往来を歩けるほどの安心が都会にはあった。そのくせ、私が慣れ親しんできた大きな木々や古い河の跡や、四季はきちんとそこにいて、祭りがあり、正月があり、盆があり、そうやって人々は暮らしていた。盆正月は店が閉まってしまうということを知ったのも都会に出てからだった。
都内にありながら広大な面積を有する大学の中には山があり、谷があり、そして池があった。そこにいると、田舎のように蚊に襲われたし、アブラゼミかミンミンゼミくらいしかいないとはいえ、蝉の声を聴くことができた。近くに大きな道路が走っているはずなのに、喧騒はそこまでやってこず、昼休みが過ぎると静寂が支配していた。水辺で昼食をとるのが私は好きで、亀と一緒に日を浴びながらパンを食べた。
あるいは、田舎でそうしていたようにどこへ行くにも自転車で行き、アメ横からつながる電気街や、そこから古書街、東京駅、サラリーマンの街あるいはおしゃれな店が並ぶ一帯までどこへでも行った。都会は平坦につながっているように見えるが、どこかに必ず境目があるのだった。境界付近では二つの街の色が混ざり合い、ある臨界点を超えると途端に色彩の異なる街になってしまうのが面白かった。その合間にもところどころ自然は存在していて、いつからそこに植わっているのか知らない大きな木々が腕を広げて日陰を作り、その下にベンチが置いてある。くたびれた老人がその下に座り、コミュニティが形成される。それが私の見た「都会」だった。
山の手の内側で育ち、閑静な住宅街で育った人たちは、ここは「イナカ」だから、東京じゃないという。私はそれを聞くたびに笑いをこらえきれなくなる。あなたたちは田舎を知らない。電車が10分来ないとか、駅まで10分くらい歩かなければならないとか、店がないとか、繁華街が近くにないとか、そんな些細なことを田舎だと称するけれど、田舎はそうじゃない。
田舎は不便だが、時に便利だ。車で移動することが前提だから、どこか一箇所にいけばだいたいのことを取り繕うことはできる。都会のように一つの場所に店が集まっていないせいで、あちこち足を運ばなければいけない不便性が田舎にはない。確かに近くに店はない。駅も遠い。でもそんなことは本当に全然大したことじゃないのだ。
大きな木が育っていてもそれを管理せずに朽ちていくばかりにする田舎、邪魔になればすぐに切ってしまうから、町の中に大木は残らない、それが田舎だ。古いものは捨て、新しいもので一帯を覆い尽くすのが、田舎のやりかただ。昔からあるものを残しながら新しいものをつぎはぎしていく都会の風景とは全く違う。人工の整然とした景観があり、そことはっきりと境界線を分けて田畑が広がる区域が広がる。その光景をあなたたちは知らない。人工の景観の嘘くささと、そこから切り離された空間の美しさをあなたたちは知らない。新しく人が住む場所を作るために農地や野原を切り開いて、道路を通し、雨になれば水が溜まる土壌を改良し、夏になればバスを待つ人々の日陰となっていた木々を切り倒し、そうして人工物とそれ以外のものを切り離していくやり方でしか町を広げていくことのできない田舎を、あなたたちは知らない。人々は木漏れ日の下に憩いを求めたりしないし、暑さや寒さに関してただ通りすがった人と話をすることもない。車で目的地から目的地へ点と点をつなぐような移動しかしない。それが田舎なのだ。あなたたちはそれを知らない。
盆や正月に田舎に戻ると結局ショッピングモールに集まる。友人とだったり、家族だったり、行くところはそこしかないから、みなそこへ行く。しばらく帰らない間に、高校時代によく暇をつぶしたショッピングモールは規模を拡大し、店舗数も増えていた。私が「トカイ」で足を使って回らなければならなかったような店が、都会よりずっと広い売り場面積で所狭しと並ぶ。それがショッピングモールだ。上野も秋葉原も新宿も池袋も渋谷も原宿も東京も丸の内もすべて同じところに詰め込んで、みんなそこは東京と同じだと思って集まる。田舎は嫌だ、都会に行きたいと言いながらそこに集まる。
ABABというティーン向けの店でたむろする中高生を見ながら、私は思う。下町を中心としたチェーンのスーパーである赤札堂が展開しているティーン向けの安い服飾品を、田舎の人は都会より二割か三割高い値段で喜んで買う。これは都会のものだから、垢抜けている、そう信じて買うのだ。確かにその服はお金のない中高生が、自分のできる範囲内で流行りを取り入れて、流行りが過ぎればさっさと捨てるために、そういう目的に合致するように流通している服飾品だ。だから安い代わりに物持ちが良くないし、縫製もよくない。二、三割その値段が高くなれば、東京に住む若者はその服は買わない。同じ値段を出せばもう少し良いものが変えることを知っているからだ。田舎に暮らす私たちにとってのしまむらがそうであるように、都会に住む彼らにとって最低限の衣服を知恵と時間をかけてそれなりに見えるように選ぶのがABABだ。そのことを彼らは知らない。
ABABのメインの事業である赤札堂は、夕方のサービスタイムには人でごった返し、正月が近づけばクリスマスよりもずっと入念にかまぼこやら黒豆やらおせちの材料を何十種類も所せましとならべ、思いついたようにチキンを売る。あの店はどちらかというと揚げ物やしょうゆのにおいがする。店の前には行商のおばさんが店を広げ、都会の人たちはそれを喜んで買う。若いこどもはそれを見てここは「イナカ」だという、そういう光景を彼らは知らない。田舎ではショッピングモールの商品棚のなかにプラスチックでくるまれた商品があるだけだ。そうするほうが「トカイ」的で便利でコミュニケーションがいちいち必要ないから、田舎の人間はそれを喜ぶのだ。
そして私は「トカイ」という呪縛から逃れていることに気付くのだ。
どちらもよいところはあり、悪いところはある。便利なところはあり、不便なところもある。都会の人も「トカイ」にあこがれ、ここは田舎だというけれど、「トカイ」というのは結局幻想でしかないということを、私は長い都会生活の中で理解したのだった。便利なものを人は「トカイ」という。何か自分とは違うと感じるものをひとは「トカイ」のものだという。それは憧れであり、決して得られないものだと気づくまで、その呪縛からは逃れられないのだろう。
「イナカ」はその影だ。「トカイ」が決して得られない憧れであるなら、「イナカ」は生活の中に存在する不便さや不快さや、許し難い理不尽やを表しただけで、「トカイ」と表裏一体をなしている。「イナカ」も「トカイ」も幻想でしかない。幻想でしかないのに、私たちはそれを忌み嫌ったり、あこがれ、求めてやまなかったりする。だから田舎はいやなんだというときのイナカも、都会に行けばきっとと願うときのトカイも私の心の中にしか存在しない、存在しえない虚構なのだ。
私はオフィス街の中で聞こえるアブラゼミの声が嫌いではない。でも時々その声が聞こえると、田畑を渡る優しく澄んだ夕暮れ時の風を思い出す。竹の葉をすかす光とともに降り注ぐ、あの鈴の音を振るようなヒグラシの音が耳に聞こえるような気がする。
記憶の片隅に、一面に広がる田んぼと、稲穂の上で停止するオニヤンマの姿が残っている。
父方の田舎は、人口の一番少ない県の市街地から車で一時間半かかるところにあった。周りは山と田畑しかなく、戦前から10軒もない家々で構成される集落だ。隣の家は伯父の家だったはずだが、確か車で15分くらいかかったと思う。幼いころにしかいなかったので記憶はもうほとんど残っていない。免許証の本籍地を指でなぞるときにふと頭の中によぎる程度だ。父はあの田舎が嫌いで、転職と転勤を繰り返して、関東に居を構えた。あの村で生まれて、育ち、その中から出ることもなく死んでゆく人がほとんど、という中で父の都会へ行きたいという欲求と幸運は桁はずれだったのだろう。時代が移り変わって、従兄弟たちはその集落から分校に通い、中学卒業とともに市街地へ職や進学先を求めて移り住んでしまった。今はもう老人しか残っていない。日本によくある限界集落の一つだ。
引越をした日のことは今も覚えている。きれいな街だと思った。計画的に開発され、整然と並んだ町並み。ニュータウンの中には区画ごとにショッピングセンターという名の商店街があり、医療地区があり、分校ではない学校があった。電柱は木ではなくコンクリートだったし、バスも来ていた。主要駅まではバスで40分。駅前にはマクドナルドも本屋もミスタードーナツもある。旧市街地は門前町として栄えていたところだったから、観光向けの店は多くあったし、交通も車があればどうとでもなった。商店に売られているジュースは何種類もあったし、本屋に行けば選ぶだけの本があった。子供の声がして、緑道があり公園があり、交通事故に気をつけろと学校では注意される。
バブルにしたがって外側へと広がり続けたドーナツの外側の淵にそのニュータウンは位置しているが、新しい家を見に来たとき、祖父母はすごい都会だねぇと感嘆混じりに言った。
父は喜んでいた。田舎には戻りたくない、と父はよく言った。都会に出られてよかったと何度も言った。ニュータウンにはそういう大人がたくさんいた。でも、都心で働く人々にとってニュータウンは決して便利の良い町ではなかった。大きな書店はあっても、ほしいものを手に入れようとすると取り寄せるか、自分で都心に探しに行くしかない。服屋はあるけれど、高いブランド物か流行遅れのものしかない。流行はいつも少し遅れて入ってきていた。都心に日々通う人たちはそのギャップを痛いほど実感していたに違いないと思う。教育をするにしても、予備校や塾は少なく、レベルの高い高校も私立中学もない。食料品だけは安くて質のいいものが手に入るが、都会からやってくる品は輸送費の分、価格が上乗せされるので少し高かった。都会からじりじりと後退してニュータウンに落ち着いた人々にとって、言葉にしがたい都会との微妙な時間的距離は苦痛だったのだろう。
子供にはなおさらその意識が色濃く反映された。簡単に目にすることができるからこそ、もう少しでつかめそうだからこそ、都会は余計に眩しいものに思えた。引力は影響を及ぼしあうものの距離が近いほど強くなるように、都会が近ければ近いほどそこへあこがれる気持ちも強くなるのだ。限界集落にいたころには市街地ですら都会だと思っていたのに、ずっと便利になって都会に近づいた生活の方がなぜか我慢ならない。
そして子供たちは大きくなると街を出て行き、後には老人だけが残った。さながらあの限界集落のように、ニュータウンもまた死にゆこうとしている。幸運なことに再び再開発が始まっているようだが、同じことを繰り返すだけだろう。
祖父母にとって東京は得体のしれないところだった。東京駅に降り立った彼らは人込みの歩き方がわからず、父が迎えに来るまでじっと立ちつくしていた。若いころだってそうしなかっただろうに、手をつないで寄り添い、息子が現れるまで待つことしかできなかった。そういう祖父母にとってはあのニュータウンですら、生きていくには騒がしすぎたのだ。あれから二度と都会へ出てくることはなく二人とも、風と、田畑と、山しかないあの小さな村で安らかに一生を終えた。
たまに東京に出てくる父と母は、あのとき祖父母が言っていたようにここは騒がしすぎて疲れる、という。どこへ行くにもたくさん歩かなければならないから不便だと言う。車で動きにくいから困ると言う。智恵子よろしく母は、東京にイオンがない、と真顔で言う。私が笑って、近くにイオン系列のショッピングモールができたし、豊洲まで出ればららぽーともある、といっても納得しない。田畑がない、緑が少ない、明るすぎるし、どこへ行っても人が多い。すべてがせせこましくてあわただしくて、坂が多くてしんどい。それに、とことさら真面目な顔になって言う。犬の散歩をする場所がない。犬が自由に走り回れる場所がない。穴を掘れる場所もない。彼らはそう言う。
あんなに都会に出たいと願ってやまなかった若いころの父と母は、あのニュータウンの生活に満足し、さらに都会へ出ていくことはできなくなったのだ。それが老いというものかもしれないし、身の丈というものなのかもしれない。生きてゆくべき場所を定めた人は幸せだ。幻想に右往左往せず、としっかりと土地に根を張って生きてゆくことができる。
私の住む東京と千葉の境目も、不満に思う若者は多いだろう。都内とはいっても下町だからここは都会ではない、と彼らは言うかもしれない。都下に住む人々が都会に住んでいない、と称するように自分たちの住む街を田舎だと表現し、もっともっとと願うのかもしれない。引力は近づけば近づくほど強さを増すから逃げられなくなるのだ。でも、もしかすると、都会の不便さを嫌って、彼らは田舎を志向するかもしれない。一つのところへ行きさえすれば事足りる、点と点をつなぐだけの便利な生活。地をはいずりまわって丹念に生きる必要がある都会と違って、郊外は行く場所が決まっているし、ネットがあればなんとかできる。彼らには、私たちが引力だと思ったものが反発力として働くかもしれない。未来は分からない。
それでもきっといつかは、みんな、どこかに愛着を抱くか、よんどろこのない事情で立ち止まるしかなくなるのだろう。祖父母がそうであったように、父と母がそうであるように、どこかに満足して、ここ以外はどこにも行きたくない、と主張する。それまではきっと都会と田舎という幻想の間を行き来し続けるのだ。
鶯谷いいじゃないか。オレは好きだぜ。
したがって、記事が大変長文になることをお許しください。
●●さんは有名なのではなくて、その道の先にその家しか無いからだと思われます。
1日目、
「東京人は他人に無関心」「東京は危ない所」「東京人は無愛想」
そんな噂を聞いたことがあり、内心ビクビクしていました。
話しかけても無視されるんじゃないか。スリとかうじゃうじゃいるんじゃないか。
飛行機では不安しか頭に浮かびませんでした。降りた瞬間、むわんとした暑さにびっくりしました。
荷物を受け取りに行くまでの距離が長かったため、エスカレーターの平行バージョン的なものに乗ろうとしたのですが、
乗ったら負けな気がしたのでひたすら歩きました。
さて、どこへ行こう、と考えた結果、羽田空港から京急線に乗って、浅草まで行くことにしました。
着いてから多くの階段が待ちうけており、キャリーバックを預けなかった自分に後悔しました。
雷門までたどり着くのに少し迷いましたが、無事到着。
外国人の多さにびっくりしました。右も左も外国人。とくに韓国人が多く、
「韓国って日本嫌いじゃなかったっけ」と、ネットの知識を鵜呑みにするのはいけないと感じました。
お土産屋を見て回り、なんとなく満足したので、昼食を食べることにしました。
しかし、どこの店が美味しいのかわからなかったので、誰かに聞こうとしたのですが、そんな勇気があるわけもなく、30分以上浅草をうろうろしました。
でも空腹に耐えきれなくなったので、意を決して交番にいるお巡りさんに話しかけることにしました。
私「あのー…このへんで、安くておいしい食べ物屋さんありませんか?」
警官「安くておいしいの?うーんとねぇ、俺ら食べるのだったら、ラーメンとか?」
1人に話しかけたつもりが、もう1人もこっちに来ました。
警官「若いからパスタとか?あーでも東京じゃなくても食べれるもんねー」
私「あっ、じゃあ、鰻で美味しいとこないですか?」
警官「うんとねー、(地図を使って説明を受ける)、ここにあるから!」
意外にも親切に教えてくれた警官の方に感謝して、鰻がおいしいとされる店まで向かいました。
店に入ると、「え、お一人様?」みたいな雰囲気になって申し訳なかったので、2,000円する鰻を食べました。美味しかったです。
その後スイートポテトを食べて、東京メトロまで向かい、電車に乗って、上野まで行ったのですが、
電車に乗る時に、1番線なのか2番線なのかがわからず、5分間くらい軽く悩みました。
何でどっちも渋谷行きなの!どっち乗れば行けるの!わけわかんない!
上野はとても綺麗で、いかにも女の子という感じの建物でした。かわいい財布があったのですが、店に入る勇気はありませんでした。
次にどこへ行こうか迷った末、秋葉原へ行って本場のメイドさんを見ようと思いました。
そこで山手線を使って秋葉原へ行ったはいいものの、人の多さと暑さと独特の雰囲気にびっくりし、
特に何もすることなく、ただうろうろするだけで終わりました。メイドさんを見ることができただけよかったです。
次に、大きな本屋さんが池袋にあるという噂を聞きつけたため、山手線で池袋まで行きました。
降りてからどこに本屋があるのかわからないので、とりあえず外に出て30分くらいうろうろしたのですが、
足が疲れたこともあり、喫茶店で休憩することにした。すぐ左に本屋があることに気が付いたのは店から出た後でした。
本屋には、地元には売ってないような本が豊富にあり、沢山買いたかったのですが、予算と重量の関係上5冊だけ買いました。
そこで2時間程過ごした後、原宿へ向かおうと考えたのですが、暑さに負けてしまい、仕方なくホテルまで向かうことにしました。
よって山手線で品川まで。夕食が無いと気づき、駅で済ませました。駅内にはお菓子が沢山販売されており、
私は土産用にマカロン、自分用にケーキとアイスを買いました。何故アイスを混ぜながら歌うのか理解するのに苦しみました。
そしてそこから京急線に乗るのですが、ここで迷いました。「ここは出口ではありません」…じゃあどこから電車乗るんだよ!もう切符持ったままだよ!
乗り換えの切符を買う時に提示しなければならないことを理解し、直接窓口で切符を買いました。
そしてホームに並ぶのですが、この並び方も不思議だったし、電車の表示の仕方も不思議でした。
無事に電車に乗って、ホテルのある大森海岸まで行きました。ホテルに着いて部屋着を忘れたことに気が付き、近くのデパートまで行きました。
そこで部屋着と明日の朝食とお菓子を購入しました。途中で雷が鳴ってびっくりしました。
2日目、
この日は行かなければならない場所(親戚の家)があるため、午前だけの行動となりました。
やはり高校生だから原宿には足を運びたいと思ったため、朝から京急線で品川へ向かい、山手線で原宿へ向かいました。
店の半分ほどは閉まっている状態でしたが、町の雰囲気を味わうべく、周辺をぐるっとうろうろしました。
途中歩道橋を渡ろうと思ったのですが、キャリーバックとバッグ2個を持っている私はそこに立ち尽くしていました。
ここで止まっててはいけないと思ったので、一気に駆け上がりました。それからすぐ下へ降りるために休憩していたら、
通りがかりのスーツの男性に「荷物手伝いますか?」と言われたため、遠慮なく持っていただくことにしました。
少しの雑談をして、すぐに男性は去って行きました。駅に戻る頃には、ほとんどの店が開店していました。
私は原宿でリュックとバッグと服を買って満足したため、山手線を使って新宿まで行きました。
新宿駅をうろうろしていたが、物の値段が高いため欲しいものを買うことができず、昼食だけ食べることにしました。
ロコモコ丼が1,000円もすることに怒りを感じたのですが、とても美味しかったので許すことにしました。
京王線に乗らなければならないのですが、現在地から京王線までどうやって行っていいのかがわからなくて、
あっちへ行ったりこっちへ行ったりして、地図を見て確認していたところ、
「どこへ行くの?」と私に声をかけてくれた男性がいました。
私「あのー、京王線に行きたいんですけどー」
男性「ああ、じゃあここからこう行って云々…」
と、親切に教えていただきました。私は迷わず京王線の乗り口に到着することができました。
そこから府中で降りて、行先がわからずに歩いていると、道路越しに、
「●●さん家へ行くのー!?」と、女性が叫んできました。
私「そうですー!」
女性「それならねー、ここをまっすぐ行ってねー、左に曲がって道なりにあるからー!頑張ってねー!!!」
まさかの応援をいただいて、私は目的地を目指しました。
道なりにあるのにも関わらずまた迷ってしまったので、水を飲んで休憩していると、前からサラリーマンの方が歩いてきました。
男性「●●さん家へ行くの?」
私「はい!」
男性「じゃあここをまっすぐ行って、神社を右に行ったらあるから」
さっきの人もですが、なぜこの人は聞いてもいないのに私の行きたい場所がわかるのだろうと不思議に思ったのですが、その通り進んで到着しました。
3日目、
新宿に再び戻ってきたのは13時頃でした。お腹が空いたので、今日もここで昼食をとることにしました。
次にどこへ行こうかと考えたのですが、17時までに空港に行かなければならないことを考えて、山手線で再び原宿へ向かいました。
というのは、昨日原宿でかわいい帽子を見つけたのに買わなかったことを後悔していたからです。
そういえば山手線でいつも思っているのは、なんでそこまで急ぐのだろう、ということです。
数分おきに電車が来るのにも関わらず、駆け込み乗車をしている人々を見ると、時間に余裕が無いのかと考えてしまいます。
急ぐくらいだったらもっと早くから行動すればいいのでは…などと考えていました。
私が住んでいる場所では、電車が1日2本しかないため、そう思ってしまうのです。
話を戻して原宿へ行ったものの、昨日の人の多さとはかけ離れた量の人間がわらわらしていたのにびっくりしたため、
そこを避けて、喫茶店を探して入ることにしました。そこは賑わっている所からは少し外れた場所にありました。
喫茶店のコーヒーはとても美味しくて、地元では飲める味ではないと感じておかわりをしていたら、最終的に2,000円を超えていました。
元気を取り戻して帽子を買いに人ごみへ入っていき、求めていた帽子を購入しました。
もういい加減疲れたので、少し早いのですが京急線で羽田空港へ向かうことにしました。
空港に着いて、荷物を預けて空港内を散策しようと思ったのですが、空港内にうろうろする場所がありませんでした。
ただ広いだけで、食べ物がメインにあるためか、雑貨を売っている場所が少なかったのが残念です。
なので仕方なく喫茶店に入って本を読んでいました。そして飛行機で無事帰って来ました。
今更ですが、飛行機の飛ぶ時と降りる時はとても怖いです。行きは大きな飛行機だったので安心ですが、
帰りが小さな飛行機だったためかすごく揺れました。降りた瞬間にベルトから抜けて滑ってしまって恥ずかしかったです。
ですが、私が暗い中で本を読んでいた時、隣の席の男性がさり気なく電気をつけてくれました。
なるほど、こういうのができる男性なんだなと思いました。
「どこから来たの?」と話しかけてくれたり、「切符落としましたよ」と言ってくれたり、
それはもしかして普通のことかもしれないけれど、最初の評判が悪かっただけに安心しました。
幸い3日間とも雨が降ることなく終わってよかったです。
また東京に行きたいなと思いました。
ごめんよ、ちょっとギャグ交じりに言うつもりが言い過ぎた。
あの辺りに該当店なんてナンボでもあるし。
まぁ、単に俺のゴキトラウマに触れただけだから気にせんどいて。
あと、民家でも近くにゴミ屋敷があると詰むから注意してな!
マンション買う時とか絶対に注意した方がいい。
「幾ら対策してもゴキ出る!」って人がいてさ。その家をどんだけ調べても
原因になるよーなモンなかったわけ。どっかで配管から水漏れしてコロニーになってると踏んだんだけど。
そんなわけで、調べて調べて下水開けてみたら配管を伝ってゴキブリ一族お隣さんからお引越し中だったことがね…。
これがゴキならいいけど、ミッキーさんもパンデミックするからね。
池袋なんざ、ゴキブリと同じ勢いで増えるゴキブリのよーな国の人がウジャウジャいるから
そりゃもうお察しという感じで。基本、あの国とあの国とかあの国の人の付近はヤバイな。いや、店によるけど。
うむ、下働き時代の果てしない太郎さんミッキーさんとの苦闘のトラウマがね!
ノーガード戦法「いやなら来るな!」って店もあるけど。
ただねー、結局水なんだよね。ドライキッチンにしてもダメなんだからもー。
しかし、飲食店さんってのはそうもいかなくてねぇ。
「あの店ゴキブリデタノヨー」ってネットでやられると、ナチュラルに死ねるのが飲食店なので
こういう匿名の環境ではついついものもーしたくなる。店の人間としては口が裂けても言わんけどね。
結局、一店で頑張ってもダメなのよ。テナントの中に一戸アレなのがあるとそこから爆発的に増える。
薬剤何百個配置しようがどんどん供給される。しかも、池袋みたいな町だとそれはそれはもうね…。
もし、徹底回避したいのであればメシ食うときに都心部を避けることだね。あの辺りの密度は異常だから。
ヘイおじょーちゃん、あんた池袋とか行っちゃダメだよ。ウィーンとかそういう街に住んだ方がいいよ。
んで、飲食店の店内でスプレーなんか使えるかヴォケ!んなもん撒き散らすくらいならゴキブリ放置の方が100倍マシだ。
大体、場末のコ汚い(うまいまずいとは無関係な。名店もあるぞ)しかも地下の店にゴキブリが出るなんざ、
コーラを飲んだらゲップが出るくらい普通なわけですよ。挙句、池袋新宿なんかの歓楽街は
人多い+ゴミ多い+水場多い+高温で、ほぼゴキの養殖所ですよ。あなたが気づかないだけで、
多分人よりはるかはるかはるか多く、ゴキのいる町ですよ。日本最強のゴキタウンで「勘弁して欲しい」とか
もう人間が移住した方が早いレベル。歌舞伎町なんか「ゴキの街」と呼んでいいレベル。
まぁ、おそらく池袋でエンカウント率が高いのがゴキの巣窟になりがちな場末店が街全体に散ってるからでしょうね。
新宿でもオサレタウンは外見上でないように頑張ってるし。コ汚い飲み屋街に行けば死ぬほどイルヨー。
それでねー、おじょーちゃん店員さんはねー
特にそーいうお店の店員さんはねー、ゴキくらい素手余裕なんですよー。
まぁ、素手がダメっていう育ちのいい人はティッシュ一枚くらいで楽勝です。新聞でベシ、でもいいです。
その辺のものでスパっと片付けて「ごめんねー」ってビール一本サービスするんですよ。
ちなみに、俺が働いていた店は「名門」と言われるイタリアン。店内は極限まで清掃され、
ゴキが客の目に映らんように努力してましたが、それでも夜の調理場はゴキの運動会です。
あなたが食べたオシャレパスタもオシャレ子羊もオシャレラビオリも、多分全部ゴキに齧られてるとオモウヨー。
標準報酬月額っていうのがありましてね。
サラリーマンなら名前くらいは聞いたことがあると思いますが、その仕組み自体を理解している人は、あんまりいないのではないかなぁ…と思ったり思わなかったり。
少なくとも、私はつい最近までさっぱりでございました。
社会保険料とは、厚生年金保険料や健康保険料の事。健保厚年っていうとプロっぽい。
給与明細を見れば、健康保険料と厚生年金保険料でかなりの金額が引かれているので、これだけの金額を支払っているのだから、仕組みくらい理解しないといかん!と。
そう思った訳です。
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一応、ここからの話は、私が調べた限りの事なので間違ってるかもしれません。
なんせ、専門家じゃないし専門家が周りにいないので、正解かどうか確認することも…。
ただ、そこまで大きく間違ってないと思うんですが。
あ、一応、厚生年金は「支払った分が帰ってくる(はず)」なので、多く払えば、安定した老後が待っているはずです。たぶん。
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たとえば、標準報酬月額が30万だとしたら。
厚生年金保険料は18等級で46,050円。労使折半なので、自分の負担は23,025円
健康保険料は22等級で24,600円。労使折半なので、自分の負担は12,300円。
http://www.sia.go.jp/seido/iryo/iryo11.htm
上記金額は全国健康保険協会管掌健康保険料。大きなカイシャの保険組合は同じ等級であってもかなり安かったりします。トヨタなんか5,850円ですぜ。従業員負担額。全然違う!
まぁ、そんなわけで月々35,000円くらいが引かれていくわけです。この場合。
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では、この標準報酬月額はどのように決まるのか?
それは、4月5月6月の固定的賃金と、非固定的賃金の平均額で決まります。
これが、いわゆる定時決定と言われるもの。
8月に確定し、9月分の保険料から適用され、10月の給与より引かれます。一ヶ月遅れで。
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固定的賃金とはなにか?
固定的賃金とは基本給や扶養手当、住宅手当、通勤手当、都市手当、住宅手当など。
毎月定額で支払われるモノ。だから、固定的賃金。
非固定的賃金とはなにか?
時間外手当(残業代)、各種勤務手当(夜勤手当等)、皆勤手当、精勤手当など。
支払われたり、支払われなかったり、金額が変動したりするモノ。だから、非固定的賃金。
この固定的賃金と非固定的賃金の4月5月6月の平均額が、標準報酬月額となるのです。
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私はここで「え?」と思いました。
得に、通勤手当は非課税なのですが、標準報酬月額の算定には含まれます。
尚、通勤手当や住宅手当はカイシャによっては半年に一度や四半期に一度、まとめて支払われると思いますが、これは自動的に月ごとに分割されて計算されます。ご安心を。
たとえば、柏から池袋に通い(定期代77,110円)、月々4万円の住宅手当を貰っている社員と、池袋に実家があり、実家から通っている社員だと、標準報酬月額がどれくらい違うのか?
定期代は6ヶ月で割るので12,851円。家賃とあわせると月々約53,000円。
社会保険料の等級は2万円で1等級あがります。53,000円だと2等級ないし3等級違う。
1等級上がる毎に、健康保険料は約1,000円。厚生年金保険料は約1,500円。(注:大雑把)
標準報酬が30万と34万だと、4,710円(折半済み)変わってくるのです。
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「4月から6月(実質は3月から5月)までは残業代抑えておけよ」なんていう事を言われたりしませんでしたか?先輩に。それは、この標準報酬月額の算定月だからなのです。
じゃ、年度末や年度初に忙しくて、それ以外が暇な人には凄い不利じゃん!と思うでしょう。
その通り、そういう人達には、もの凄い不利だったりするのです。この計算方法。
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大げさな例えではありますが、固定的賃金が20万円の人で。
3月から5月の超勤が20万円を越えていて、残りの月が0円の人と。
前者の人は、厚生年金38,375円と健康保険20,500円の58,875円を1年間。
後者の人は、厚生年金23,025円と社会保険12,300円の35,325円を1年間。
その差額は、23,550円。月給だけで、年間282,600円の差。後者の方が、年収は多いのに!
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そんな!
年末調整って、こう言うためにあるんじゃないの!?
沢山払った健康保険料と厚生年金保険料が年末調整では帰ってきません。
社会保険料を何のために支払っているのか考えれば、当然ではありますが。
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でも、でも!
随時改定ってあるじゃん!給与が変動したら、随時改定が発生するんじゃないの?
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随時改定とは、以下の両方の条件に当てはまった場合に発生します。
1. 固定的賃金に変動があったこと。
2. 固定的賃金の変動があった月以後引き続く3か月の間に受けた報酬(非固定的賃金を含みます。)の平均月額によって求めた標準報酬の等級と現在の標準報酬の等級との間に2等級以上の差が生じたこと。
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はいココ、テストにでるよー!この辺がもの凄く重要なんだよー!
ってなわけで、随時改定は固定的賃金の変動でしか発生しません。
非固定的賃金が100万円変わろうが、随時改定は発生しません。残念賞!
固定的賃金の変動は昇給改定で基本給が変わったり、通勤経路が変わって通勤手当が変わったり、子供が生まれて扶養手当が増えたりしたら、随時改定のトリガになります。
2等級以上変動ということは、月々4万円の変動です。
昇給改定や、通勤経路、扶養手当くらいで4万円は普通変わりません。
固定的賃金のみで随時改定が発生するとしたらば、住宅援助金の新規付与くらいでしょう。
だがしかし!先ほどの条件を見てみてください。
「非固定的賃金を含みます」と書いてありますよね。つまり、残業代とかも関係してくる。
非固定的賃金の変動だけでは随時改定が発生しないのに、固定的賃金の変動の際に発生する標準報酬月額の再計算では、非固定的賃金が入ってくるのです。基本給が変われば、当然超勤の基礎額も変わってくるので、当然と言えば当然ですが。
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たとえば、11月に通勤経路が変わって通勤手当が6,000円増えました。
一ヶ月あたり、1,000円です。当たり前ですが、それだけでは随時改定しません。
でも、12月がとても忙しくて1月の給与で12万円の超勤が発生しました。
その人は標準報酬月額が30万円です。
11月の給与と12月の給与は、両方とも30万でした。でも、1月は42万。超勤代込み。
標準報酬月額は「固定的賃金の変動があった月以後引き続く3か月の間に受けた報酬(非固定的賃金を含みます。)の平均月額」です。(30万+30 万+42万)/3ヶ月は、34万円。
30万円から34万円は2等級差。目出度く、標準報酬月額はUPとなるのです。
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なお、固定的賃金が増えた場合には随時改定を計算するトリガとなりますが、固定的賃金が増えた場合には、非固定的賃金がいくら減ろうが随時改定は発生しません。
逆に、固定的賃金が減った場合にも随時改定を計算するトリガとなりますが、固定的賃金が減った場合には、非固定的賃金がいくら増えようが随時改定は発生しません。
なので。
3月~5月にスゲェ忙しい人が、6月の昇給(普通の企業は昇給改定は4月なのですが、カイシャに因って色々です)によって随時改定のトリガが発生しても、減るのは非固定的賃金ばかりなので、残念ながら標準報酬月額は変わりません。
さらに言えば、6月に昇給する人は5月~7月の非固定的賃金に因って随時改定が発生する可能性があったりするので、さらに注意。とはいっても、さすがに3月~7月の超勤を抑えるなんて言うことは、マトモに働いていれば、できないですよねぇ。
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給与からは所得税、住民税、厚生年金保険料、健康保険料と色々引かれているのですが、その実の所を、私はあまり理解していませんでした。毎月見てるのは振り込み金額だけで。
「愛している」の反対語は「無関心」だそうで。
私は俗物ですから、オカネをそれなりに「愛している」訳で、そうだとしたら「無関心」でいるわけにはいかないのです。愛しているならそれなりに関心をもって、考えていかないと!
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厚生年金保険料は2004年から2017年度にかけて、段階的に4.72%引き上げられます。
2004年度には13.58%だったものが、2017年度には18.3%に(労使折半だけど)。
毎年0.354%ずつ上がっていくと殆どの人は気がつかないと思いますが、ざっくりと計算してしまえば、年収500万の人は、2004年度に約 34万だったのが17年度には約46万という計算。
物価スライドや昇給や改定があるので、たとえ話にしかならないんですけど。賞与は別だし。
厳密に言えば、厚生年金は絶対に払い損にはならないし(足りなければ国税から補填されるだけなので…その国税も、所得税とか消費税ですけど)、会社が未加入の場合を除いて払わない方法はないし(違反です)、労使折半なんだから、さくっと払った方が楽です。…たぶん?
ま、頭が悪いので、政治や経済なんかの難しい話は理解できないってのもあるんですが。
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ただ、標準報酬月額の算定だけは解せない!
給与計算が手計算で行なわれていて、標準報酬月額の申請が書類で大なわれていた数十年前ならまだしも、今は殆どの会社で人事給与システムが構築されて、社会保険庁への標準報酬月額の申請までシームレスに行なわれているはずなのに、旧態依然の仕組みのまま!
システム化によって、月ごとに変動した支払額の算出だって可能なはなのに。
さらに、昔に比べて非固定的賃金の割合が増えて、月々の給与の変動が多くなっているので、4月から6月の給与が1年間の社会保険料の基礎額になるのは、如何なモノかと!
一応、4月に定期昇給とか給与改定(ベア)が行なわれるからっていう大義名分はあるけど、殆どの会社で忙しい時期って言ったら、そりゃ、年度末年度初に決まってるじゃんねぇ…。
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ま、長々と書きましたが。
毎月の支払い額が多くても将来年金いっぱい欲しい人は、3月から5月に仕事頑張りましょう。
6月に昇給とかある場合には、5月から7月にも頑張りましょう。もれなく上がります。
住宅援助金貰って、さらに遠い所んで通勤手当を上げれば、さらに増額!
将来不安でも、今遊ぶ金が欲しい人は、逆の行動を。
ついでに!
算定期間中に、福利厚生費とか申請すると、それも非固定的賃金に含まれてラッキー!
私はそれを知らずに、7月に元気よく申請して、今泣いてます。嗚呼。
こんにちは。昨日初めて風俗に行ってきました。僕は20代前半で浪人とか留年とかしてる大学生です。コミュ力が著しく欠如しています。いわゆる非コミュというやつです。もちろん童貞です。僕自身は童貞であることにコンプレックスはないのですが、インパクトを出すために書いておきます。彼女ができたことはありませんし、友達もいません。そして仮性包茎であることを付け加えておきます。
そんな僕がどうして風俗に行ってみたかというと、この増田(http://anond.hatelabo.jp/20100507012152)を読んだからです。なんだかものすごく羨ましく思えました。セックス、そして女の子への憧れが、それなりのお金と、店の門戸を叩く勇気さえあれば叶うのです。だったらやってやろうじゃないかと一念発起し、バイトで稼いだお金を握りしめ池袋のとある風俗店を訪れました。
ちなみにいきなり店に行ったわけではなく、結構な時間をかけて風俗についてぐぐり、知識は万全といったところでした。ぐぐって決めた店は雑居ビルの中に事務所のようなところがあるだけで、実際の行為は近くのラブホテルを客自身で借り、そこに女の子がくるというシステムでした。店の中は安っぽくはありましたが普通にきれいで、コワモテのお兄さんもおらず、スーツを着た会社員っぽい男性が何人かいるだけでした。病院みたいな感じで、ほんとに普通です。怖いとこじゃありませんでした。店が店だけに入るのに勇気がいりましたが。
僕は形式的な会話は普通にこなせるので、説明を受けたりするのもさほど緊張しませんでした。すんなり受付を済ませ、お店の人が言っていた安いホテルを探しに、夜の池袋を歩きました。もちろんラブホに入るのも初めてです。でもラブホもそんな大したことありませんでした。映画館みたいな感じです。窓口で利用時間言って料金払うだけで部屋の鍵をくれました。
部屋に入って風俗店に電話をしました。仮名を使ったのですが、危うく本名を言いそうになりました。しかし落ち着いて、ホテル名と部屋の番号を言いました。それでこの部屋に女の子が来てくれるというわけです。到着するまで数分待ちました。この間に部屋を観察しましたが、至って普通です。さっきから普通ばっかり言ってますが、ベッドがダブルという以外、ほんとにビジネスホテルと変わりません。
部屋のチャイムが鳴りました。女の子が来たようです。僕は事前に彼女の写真を見ていて、やっぱりかわいかったので彼女に決めたのですが、でも写真なんかいくらでも加工できるわけで、あんまり期待するなよ的なことはよく言われてます。しかし、扉の向こうにいた彼女はかわいかったです。やっぱり写真は相当加工されていましたが(ほくろすら消されてた)、地味な感じ(失礼ですね)が逆に好印象でした。オタが好きそうなタイプの子と言ったらわかりやすいでしょうか。ショートの黒髪に、華奢な体でした。年はどうでしょう、たぶん僕より下だと思います。
しかし最大の問題はここからで、僕は会話ができません。どんなに気が合いそうな人とでもろくに話せません。仮にもう一人の自分が現れたとしても仲良くできる気がしません。男と会話ができないのに、どうして女とできようか。沈黙が支配して女の子を困らせたらどうしようとかそういう負い目はありましたが、こっちは2万円近く払ってるわけで、ちょっとくらい困らせてもいいだろうと思いこむことにしました。
とりあえず無難に挨拶をしました。で。この後どうすればいいかわからないわけで。うじうじ。もううじうじするしかありませんでした。そしたら、とりあえずシャワーを浴びましょうかと彼女に言われ、服を脱がせてくれました。いやあ恥ずかしすぎます。なので僕は自分で脱ぐことにしました。となりで、彼女も服を脱いでいます。え、なんなんでしょうこの状況。なんか裸の女の子がいます。僕もちんこ出してます。え、え……
バスルームに入りました。彼女は体を洗ってくれました。石鹸のついた小さな手が、僕の胸を、足を、性器を撫でていきます。しかも彼女のおっぱいとか股間の毛とか見えています。正直もう謎です、僕はおっぱいとか見たかったんじゃないですか、それで、今見てるんですけど。混乱と緊張のせいか、勃ちそうで勃たない少し勃ったちんこといったところでした。この間、何を話してたっけな。天気の話とかかな。彼女は雨が降ると体調が悪くなるそうです。こういう天気とか一般的な話題ならなんとか返せるので、まあなんとかなったんじゃないでしょうか。
バスルームを出て、彼女は着替えました。制服です。イメクラということです。恋人コースという無難なコースです。これまでは確かに、中学高校と制服の女子を眺めては果てしなき妄想を繰り返してきたので、制服だった方が興奮できると思っていました。が、そのときは別に着てなくてもいいような気がしました。でもせっかく持ってきてくれたんだし着てもらいました。今は着ないで裸のままでいてもらえばよかったと後悔しています。こういう思ったことを言えないってのは損をするだけなので、できるだけ言ったほうがいいですね。
そしてベッドに入りました。なんか女の子と寝てます。これから事を為すわけなんですが、僕はいかんなき童貞力を発揮し、またもうじうじしました。いやあ初めてでして。そんなことを彼女に話しました。あ、じゃあ私がどんどんやっていった方がいいですか? でも好きにしてもらっていいですよ。そんな、好きにしてってどこのエロゲですか。実際に言われてみると結構破壊力あります、
そんなこんなでキスをしました。ファーストキスというやつです。ばっちりイソジンの味がしました。ここで僕はある違和感を覚えました。僕はどこぞの女子中学生かというような感じでキスに対して強い憧憬を持っていました。電流走っちゃうんじゃないかと。でも実際してみると、はてこんなものか、といったところでした。柔らかな唇が押しあてられ、舌が口径に粘度を持った液体を運んできます。それなのに、なんだか感動がないような。
気を取り直して、僕は彼女の体に触れることにしました。肩を撫で、腕を撫で、いや、胸が触りたいんですよ、順番にかっこよくとかやれないです。胸に手を当てたものの、おや感触がありません。彼女のプロフィールのよるとBカップで、Bってのは服の上からじゃあんまりわからないんだなあという事実を知り、一つ大人になりました。今まで胸は小さい方がいいなあと思ってたんですが、いざ触るなら大きいのもいいかもなと思いました。感触を確かめるために、ブラウスを脱がしました。ブラジャーはありません。なんだか残念です。さっきバスルームで見ているのでそれほど感慨もありません。本物のおっぱいはやわらかい…… ですが、僕の胸もそんなに負けてない気がしたのは秘密です。乳首を指で撫でると、すぐに反応がありました。僕は少し大きくなった乳首を口に含みました。彼女の息が荒くなります。やっぱり演技なんだろうなと思いましたが、ありがたかったです。で、それからどうすればいいのかわかりません。好きにしてって言ってたし、順番にいくとあそこなのかなあと。なんかもうわからないからあそこでいいやということで、下着の上から触れました。合成繊維のなめらかな丘陵を撫でます。湿り気は、まあ感じられません。このまま触っててもなあ。別に気持ちよかないだろうなあ。まんこ見ていいでしょうか。脱がせちゃっていいですか? あ、はい。と彼女が答えました。僕は初めて女の子の秘境を目にしました。毛に隠れていて、どういう風になっているのかよくわかりませんでした。とりあえず触ってみました。触ってもどうしたものかわかりませんでした。ひらひらと触られてイラつかれてないかと心配になったので舐めてみました。毛が口に入ります。少しすっぱくて、においはあまりしませんでしたが、そんなにいいものじゃないんだなと思いました。気持ちよくさせられるなんて思い上がりはありませんでしたが、彼女は声を殺していました。喘ぎ声ってやつです。次第に彼女の腰が持ち上がり、性器が顔に押し当てられ、体が痙攣しました。おそらくフリなんでしょう……。僕はやけに落ち着いていました。なんなんだろう。何年も憧れてきたことをしてるのに。
ちなみにファッションヘルスは挿入できないので、この後どうすればいいかまた困りました。困ったので、彼女の隣に横になり、抱きしめてみました。温かい。ああ。このまま寝ていたいと思いました。これだけで、何もいらないような気がします。中学高校の頃は挿入欲っていうんでしょうか、実際の行為がしたいだけだったんですが、20歳を過ぎた頃から女の子抱きしめたいなああったかいんだろうなあいいにおいするんだろうなあみたいな欲求の方が強くありました。うんよかった。これだけは叶いました。でもにおいがしなかったのが残念です。
しばらくして彼女が、私も触っていいですか?と言って、またキスをしました。そのうち唇はゆっくりと僕の体を這っていき、胸に、腹に触れていきました。そして硬くなったペニスにたどり着きました。僕は以前から、女の子に触られたら30秒くらいで発射しちゃうんじゃないかと思っていました。で、実際に触られるというかペロペロというかちゅぱちゅぱされ……。でも全然、なんともありませんでした。彼女は一生懸命口に含んでくれていたんですが、正直、なんともありませんでした。彼女がペニスから口を離して息を継ぐ光景は、見ていて申し訳なくなりました。全く気持ちよくならないまま、60分を知らせるタイマーが鳴り響きました。彼女はそれでも、僕をいかせるためにフェラチオを続けました。僕はもうこの頃には外側から自分を冷めた目で見ていました。飲み会なんかで、なんかみんなわいわいやってるなと思いながら一人ではしっこにいるときの気分です。このままやってもらってても悪いなと思い、僕から時間は大丈夫ですか?と声をかけました。彼女は、ごめんなさい私が下手なせいで……と謝りました。でも彼女は悪くありません。僕は、すいません、緊張しちゃってて……と言うしかありませんでした。
その後シャワーを浴び、また体を洗ってもらいました。その間に彼女は大学生で、バイオリンをやっていたと話してくれました。こんな普通な子がこういうバイトしてるんだから意外だなあと思いました。バスルームから出て着替えている最中は、音楽の話をしました。僕は、クラシックでなにかおすすめはないかと聞きました。彼女はバイオリンの曲を教えてくれました。僕はそのとき、家に帰ってからYoutubeで聞いてみようと思って、曲名を心に刻んだつもりでした。しかし、帰りの電車に揺られているときにはもう忘れていました。今日のできごとをいかに増田に書こうかと、頭で文章を練っていました。こうして書いている途中でようやく曲名を忘れていることに気付くざまです。僕は他人に興味がありません。
彼女と一緒にホテルを出ました。なんか恋人っぽいなと思いました。でも僕はもう完全に自分の世界に入っていて、正直一緒に歩いていたくありませんでした。こうなると、彼女が何か話しかけてくれても、ろくな返事はできません。だから誰かと一緒になんていたくないんです。だから一人でいたいんです。別れ際、彼女は頬にキスをしてくれました。これが恋人コースですか。周りの目が痛いです。ありがとうございました、よかったらまた来てください。いえ、こちらこそありがとうございました。楽しかったです。そんなことを言い合って別れました。歩きだして、振り返ったら彼女が手を振っていた気がしました。でも暗くて、メガネをかけていなかったので、よくわかりませんでした。
で、帰宅して思い返してみても、なんだかあまり感動がなかったなあと。2万損した、とかは思わないんですが。あんなに憧れてたのに、実際はこんなもんなのかって。僕にとって、セックスって(今回のは違うけど)最終手段というか目的地みたいになっている部分があって、こんなもんなら別に彼女なんていらないなって思ってしまいます。そもそも、男でも女でも、人と一緒にいて楽しいと思ったことがないんですよ。だから人とコミュニケーションを取るなんてありえないし、さらにセックスもしなくていいと思ってきて、もうこの世に思い残すことはないんじゃないかとも思えます。
風俗って、楽しむ技術がないとつまらないところなんじゃないでしょうか。僕は人生何をしてても正直つまらないので、楽しむ技術を持っていないんだと思います。楽しむ技術っていうのは、簡単に言うとバカになることです。飲み会でもライブでもなんでも、バカになれない人は楽しめないんですよね。人とのコミュニケーションも一緒で、自分を解放して出せないと仲良くなんてなれないんですよ。僕はそれが全くできません。100メートルを10秒で走ることくらいに無理です。会話においては、自分を出すなんていうと大げさだけど、言葉を発しようとする瞬間、無意識に言葉を発さないよう制御が働きます。制御とは、こんなことを言ったら嫌われるんじゃないだろうか、とかだとよく言われてますが、僕は会話の最中に何を考えているのかよくわからないです。脳みそがいつもの10 パーセントくらいしか動いてない気がして、ほとんど真っ白な感じです。この制御のせいで無駄なメモリを喰ってるんでしょうが、わかっていてもこの制御を意識できないんですよね。こういうのを非コミュっていうんじゃないかなあと思います。会話できないのは話題が少ないからじゃなくて(少ないのも原因だけど)、脳みその動きが根本的に違う。ほんとどうしようもないです。最後の砦だったセックスすら突破され、なんかもうどうしようもないです。女の子への憧れがなくなって、今後性欲って出てくるんでしょうか。この憧れってすごく特別できらきらしたものだったのに、もうなくなってしまったんです。たぶん全く違った形の性欲になってる気がします。
射精できなくて落ち込んでるわけじゃないけど、またしても自分の欠落っぷりに気付かされた、そんな初風俗でした。たぶんもういかね。でももう少し安い値段で女の子抱きしめられるだけの風俗があれば行きたいです。長くてすいませんでした。読んでいただいた方、ありがとうございました。
元増田です。
http://anond.hatelabo.jp/20100524095725
50回で0というのも普通にありえると思う。受身しかしない客や、本番をしたいと思わない客は0になっても何ら不自然ではない。きれいに遊んでいるということだから、いいことなのではないか?
http://anond.hatelabo.jp/20100524100109
必ずしも好まれているから本番、ということにはならない。単に嬢がサービスの手抜きをするために本番をする場合もある。客が勝手に腰振って逝ってくれるならこれほど楽なことはないと考える嬢もいる。
http://anond.hatelabo.jp/20100524102753
自分の場合は東京23区内、特に渋谷と池袋で遊んでいるだけなので、厳密にはわからないが、地域差はあると思う。業種別の差もありそうだ。人妻系は多いし、若い子の店でも店舗型よりホテル型のほうが多い気がする。デリヘルは使ったことが無いが、かなり多いという情報を見たことがある。
http://anond.hatelabo.jp/20100524113308
追加料金ありで本番というのもカウントすべきだと思う。ただ自分はまだ追加料金を誘われたことはない。運よく良心的な嬢に当たっていたのだと思う。
いい男の皆さん、池袋東口に今すぐ集合ですよ。