はてなキーワード: イソジンとは
正論がどうのって最近よく言うけど、正論じゃない考え方の方が珍しいでしょって思う。
が正論なら
腹減ったらドカ食いしよう
根本的な前提だとか、複数ある前提の優先順位が違うだけで、どっちも目的のために適切なアプローチをしている訳だし。目的そのものは共感できるかどうかだけで、正しいも間違いも問いようがないし。
正論じゃないって言ったらもっとこう、歌が上手くなりたければイソジンで足を洗いましょう、みたいな支離滅裂な事を言うんじゃないかと思う。
正論なのは当たり前でその上で順位をつけるって事なら、目的が同じで合理性を単純比較できるならどちらがより効果的かという話になるだろうし、そうでなければどちらにより共感出来るかという話になるんじゃないかと思う。
よく言われてる「正論」は一般的な社会規範に即している、だとかより共感を得やすい、くらいの意味合いで使われてるよなって思う。
「"Ireversible Damage" の内容について "科学的に否定されている"」のは、この本の内容が、「コロナはインフルと同じ」「コロナはイソジンで治る」レベルのことをいっぱい書いてある本だからだ。
例えば、deviantart(アメリカのpixivみたいなもん)では、トランスジェンダーへのオルグが行われている、という主張に注があったから、何かの論文かなと思って見て見たら、deviantart内の掲示板の書き込みだったよ!
もちろんデータとか提出してる系のじゃなくて、俺がそう思うというだけの一般ユーザーのただの書き込み。
"Ireversible Damage"は、そういう低レベルの本なので、科学的に即座に否定できるような雑な話も一杯載ってる。
米国 "ジェンダー肯定モデル" の医療について、様々な議論、反論があるのは確かで、それについての情報提供は重要だし、反対、批判側の資料で訳出すべきものもあるだろう。
でも俺の女は頼まなくてもイソジンのコップを出してくるよ?
大学の頃、付き合っていた彼女から「増田ってカフェイン抜きのコーヒーだよね」と言われた事があった。
そのときは要領を得ず、僕はカフェイン抜きコーヒーが好きなわけでもなければ、彼女の前で飲んだことがあるようにも思えなかった。
ただ優柔不断なことは自負しており、単純にそのことなのだろうなと僕は高層レストランの窓をうっすらと見ながらそう考えていた。
その後社会人となって関係を持ったのは同僚の女の子で、彼女からも「増田さんは、カフェイン抜きのコーヒーみたいですよね」と言われた。
彼女は快活な子で、嫌味を口にするような女の子ではなかったから驚いた。
だからそういうものなのかと思い直すことにしたものの、やはり違和感は拭えなかった。
今にして思えば、どういった意味なのか直接的に問うべきだったのかもしれない。
そして先月のこと。
お金を払って一緒に寝た相手から「あなたって、カフェイン抜きコーヒーよね」と言われたのだ。
なるほど、と僕は服を着ながら思った。彼女は最後、僕に抱きついてキスをする。
でも僕はカフェイン抜きらしい。
どうやら僕は、そういう人間らしい。