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はてなキーワード: 正室とは

2022-05-27

養女たちへの性虐待

また、先のポルトガル人宣教師フロイスによれば、秀吉は、「重立った貴人たちの大勢の娘たちを養女として召し上げ、彼女らが十二歳になると己れの情婦」(『フロイス日本史』)にしたといいます。つまり12歳の養女たちを大勢犯していた、と言うのです。

https://president.jp/articles/-/44860?page=5

秀吉ロリコンではありません。

正室北政所結婚したのは、彼女が18歳の時と伝えられ、

淀殿側室になったのは19歳であり、

どちらも当時としては、成人女性です。

その他の側室も、皆、同年代秀吉の許に上がっているので、

十代前半の女性に手を付けた記録はありません。

また、秀吉は他の大名奥方人妻に手を出したという噂が多く、

これらの点を考えても、どちらかと言えば、

大人の女性の方が好きだったと考えられます

ロリコンだったとすれば、養子になった秀次の方です。

秀次が罪を得て切腹し、彼の妻妾も処刑されましたが、

その妻妾の多くは、非常に年若い女性ばかりでした。

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14225226119

どっちが正しいのか

2022-05-11

anond:20220511165035

Q1.徳川は妻と長男信長の命で殺すくらいの従属だったけど

北条から人質とかあったの?

Q2.北条織田に臣従したなら、正統後継者豊臣にも臣従したはずだよね?

Q3 関八州を押さえた北条織田と組んで、武田に対抗したのでは?

徳川家康正妻築山殿が、家康命令により殺害。またこれに続いて9月15日には、築山殿と家康の間に生まれ長男松平岡崎)信康も切腹を命じられ自害した。

この事件真相は、信康の正室信長の娘である五徳(徳姫)が、不仲となった夫信康の素行の悪さを父信長に告げ口したとか

2021-11-19

条例ときは、前田利家正室出産年齢まで自主規制がかかった。単なる歴史的事実自粛対象になった。

これマジ?表現規制オッカネー

2021-09-14

anond:20210914210201

から大奥とかってどうやってたんだろうね?

基本的には処女の人らが室になるわけじゃない。

そうなるとやっぱり男がリードして、ってなるだけど

魅力がないと下手したら一度きりということもあるわけだろ。

から初回から無理してでも侍女に仕込まれた手練手管を

使ってきたのか、それとも運命のままに自分の魅力だけで勝負したのか。

ひょっとしたら正室の人とかはそういう部分が強すぎて忌避されるパターンが多かったのかな?

それとも正室たるもの閨房でも威厳を保ってとかあるから従順側室流れるのか。

とはいえ男と女から結局相性なんだろうけどさ。

2021-07-15

anond:20210715150820

小山田 信茂(おやまだ のぶしげ)は、戦国時代武将甲斐武田氏の家臣で譜代家老衆。甲斐東部郡内領の国衆武田二十四将の一人に数えられる。

信茂の勝頼離反から滅亡

岩殿城

天正9年12月織田信長徳川家康武田領攻めを開始し(甲州征伐総大将織田信忠副将滝川一益)、信濃木曽郡国衆木曾義昌が離反する。また、これに伴い相模後北条氏武田領への侵攻を開始した。義昌の離反を契機に信濃領国は動揺し、翌天正10年(1582年)2月2日に勝頼は信濃諏訪上原長野県茅野市)に出兵し、『甲乱記』に拠れば信茂もこれに従ったという。2月29日織田信忠伊那郡高遠城仁科盛信(信盛)を攻め、信忠は矢文で盛信に降伏を促し、信茂らが勝頼から離反したと伝えているが、この段階で信茂が勝頼から離反していることは虚報であると指摘されている[15]。

勝頼は天正9年に新府城山梨県韮崎市)を新たに築城甲府から本拠移転しており、『信長公記』によれば同年3月3日に勝頼は新府城放棄し、小山田氏の郡内へ逃れたという。『甲陽軍鑑』によれば勝頼嫡男の信勝は新府城における籠城を主張したが、これに対して信濃国衆真田昌幸上野岩櫃城群馬県東吾妻町)への退避を提案した。しかし勝頼側近の長坂光堅小山田を頼り郡内の岩殿城大月市岡町)へ逃れることを主張したという。一方、『甲乱記』では信勝や昌幸の提案を記さず、勝頼が信茂に対し郡内への退避を諮問したとしている。

なお、岩殿城小山田氏の詰城とされているが、小山田氏の本拠である谷村城(都留市谷村城)から距離があることから岩殿城小山田氏の城とするか武田氏の城とするかで議論がある[16]。なお、天正9年3月20日岩殿城武田勝頼が在番衆派遣している事実も注目されている[17]。

武田勝頼一行が郡内領へ退避するさなか信茂は勝頼から離反。勝頼は田野(甲州市大和町)において織田方の滝川一益軍勢と戦い、武田宗家は滅亡した(天目山の戦い)。

信茂離反に関して、武田側の史料では、まず『甲陽軍鑑』に拠れば勝頼一行は郡内領への入り口である鶴瀬甲州市大和町)において7日間逗留し信茂の迎えを待っていたが、3月9日夜に信茂は郡内領への道を封鎖し、勝頼一行に対して木戸から郡内への退避を呼びかけると見せかけ、信茂の従兄弟小山田左衛門と勝頼の従兄弟武田信堯(のぶたか)が信茂の人質を郡内へ退避させ、信茂は勝頼一行に虎口から鉄砲を放ったという。信堯は正室御宿友綱の妹で、信茂とは相婿の関係にある。なお、『武田三代軍記』『理慶尼記』でも同様の話を記し、『理慶尼記』では信茂の離反を7日の出来事とし、信茂が郡内への入り口を封鎖した地を笹子峠大月市甲州市)としている。一方、『甲乱記』では信茂離反の日付を記さず、勝頼は柏尾甲州市勝沼町)において信茂を待ち、駒飼(甲州市大和町)に移動したところで信茂の離反を知ったとしている。

甲斐善光寺

一方、織田徳川方の史料として、『信長公記』では勝頼は小山田の館まで辿り着いたが、信茂は勝頼の使者をはねつけたと簡潔に記している。『三河物語』では小山田左衛門が登場し、勝頼が郡内領へ逃れる途中に小山田左衛門を信茂のもとに派遣したが帰還せず、信茂離反を知ったという。

織田氏・徳川氏勢により甲斐が平定された後、信茂は嫡男人質として差し出すために信長拝謁しようとしたが、織田信忠から武田氏への不忠を咎められ処刑された。

信長公記』では3月7日条に成敗した「小山田出羽守(信茂)」の名を記し、『甲陽軍鑑』では武田信堯や小山田左衛門らの名も記している。一方、『甲乱記』、『甲斐国志』に拠れば、3月24日甲斐善光寺で嫡男、老母、妻、女子とともに処刑されたという。享年44。長生寺『月日過去帳』・森嶋本『甲斐国志草稿』に記される伝存しない同寺所蔵の位牌によれば戒名は「青雲院殿武山長文居士」。信茂の命日は『甲乱記』、長生寺『月日過去帳』に「24日」と記され、『甲乱記』では3月11日の勝頼自害から13日後としている。

人物

武田家において信玄の「弓矢の御談合七人衆」に両職の山県・馬場重臣と共に名を列ねている。

武田の小男と恐れられた山県昌景に「若手では小山田信茂、文武相調ひたる人物はほかにいない」と評される。

設楽ヶ原の戦いにおいては、早々に撤退して戦線を崩した武田信廉・穴山信君ら一門衆とは反対に、山県昌景隊の後備として最前線で戦い続けている。

鉄道唱歌(作詞福山寿久)には「川を隔てて聳ゆるは 岩殿山の古城蹟 主君に叛きし奸党の 骨また朽ちて風寒し」と詠われており[20]、小山田信茂は「奸党」とまで蔑まれている。

2021-05-02

死ぬほど言われてることだと思うけど、

正室側室ありにしろよな。

それで少子化解決なんだから

富が少数に集まってるんだからそれしか打開策がなかろうに。

2020-10-11

「烏に単は似合わない」が嫌いだ

烏に単は似合わないとは、八咫烏シリーズと言われる作品の第1作目、著者のデビューである

それが嫌いだ

あの1作目を読んで、続きを読む人はタフだとおもう。

嫌いな理由

主人公応援していたら、裏切られる

主人公は過ちを犯すが、断罪されるだけで、そのまま物語から追い出される

主人公でない脇役が、主人公の座を乗っ取って終わる

この3点。

私は特にファンタジー主人公が苦難を乗り越え、成長し、目標を達成するのを読みたくて読んでいたから、ひどく辛かった

以下、詳細。

私は本屋平積みされた文庫版を買うも、なかなか手をつけられず積んでいた中、ウェブ漫画版が全編公開され、そちらを先に読み、心が折れた。

再読も嫌でしていないので、キャラ名前ちゃんと覚えてないところがあり、誤りがあるかもしれないことを先に謝っておく

あとネタバレがあるので、嫌な人は読まないで欲しい。

この作品は嫁取りの話だ。

中央の若君の嫁に、中央と近い東西南北の家から若い娘が選ばれることになっている。

今回も、中央にある屋敷をあてがわれる。主人公は東の、若く物知らずだが、音楽の才に長けた娘「あせび」だ。

主人公は幼い頃、こっそりと屋敷から抜け出し、若君と知らずに若君を見かけ一目惚れをした。

一目惚れをした相手が若君だと知り、あせびは「選ばれたい」と強く望むようになる。

暗闇での、謎の相手との逢瀬、物知らずな馬鹿な娘と思われていたあせびの音楽の才能に周囲が驚く様子…

少女小説が好きな読者には、ときめく展開が続く

しかし、暗転

恋人との駆け落ちを企て、失敗した挙句恋人下手人として処分されたのをみて発狂する北の娘。

昔、寵愛を受けながらも正室の座を射止められなかったあせびの母の謎を知るために、調査を依頼をした側仕えも謎の転落死をする。

家同士の力関係、腹の探り合い。嫁に選ばれるのは誰か…

終盤、あせびが無垢であるが故に、自分を好いた相手を悪意なく利用する習性がある。それは母譲りのもので、母も同様の過ちを犯した。母は帝とは別の相手関係を持ち、あせびを身篭ったため、正室の座を射止められなかった。

というのを、今までほぼ出番のなかった若君に突然やいのやいの言われる。

何お前

そして、若君はそもそも正室を愛する気はない、形だけのものだと隠さずいい、恋心を募らせていた相手に、「それでも、お前は嫌いだ」と罵られるあせび。

なにそれ

そして、あせびは罪の自覚もないまま、家に帰され、脇役だった南の娘が、昔から若君の幼馴染みとして親しくしていたとして、愛がない関係だと知りつつも正室の座を射止める。

若君は南の娘を特別に思っているエピソードが、最後差しまれる。

もうぽかんとしてしまった。

なんだそれは、最初から南の娘を主人公しろ

続編に出てくるだろう、若君も南の娘も、応援できる気がしない

2020-08-08

同性婚メリット結婚特権問題

結婚って社会的メリットが大きい。税金の控除もそうだし、例えば外国に引っ越すとかなると配偶者ならビザ自動で出たりする。細かな問題はありつつも結婚というのは世界的に見ても家族として保障されているものだ。同性婚というのは少し異常があって異性より同性に性的に惹かれるという人達にこれらの特権を与えるのかどうかっていう問題。で、この少し異常があるの異常の部分をどこまで広げるかってのは完全に恣意的ものだよな。夫婦というのはキリスト教的な価値観では男女の番いだ。伝統的な西洋的な価値観だった。世界はいろんな文化があって、例えば一夫多妻イスラム世界では存在するし、昔の日本の殿様だって正室側室とか存在した。夫が死にがちな世界では一妻多夫文化もある。これらも認めるのか。多夫多妻は?年齢はどうだ?例えば石油王14歳結婚するのが西洋的には虐待だなんて言われるが価値観の違いでしかないだろう。

2020-01-21

anond:20200121145255

結婚は家で決めるものから自由恋愛不倫、だけど男が不倫するのは許容されてたけどな

本妻正室)以外に妾(側室)を持ってるのが普通時代もあったわけで

んでその愛人が男でも別に構わない時代もあった

2019-12-12

anond:20191212164225

から現代までそうじゃない?

毎日暇って事は家事育児介護なんかは全部使用人にやらせてて奥様はやらない、って家庭の話だろうし

(その場合の奥様の仕事は精々出産くらい?下手すりゃそれも側室仕事正室子供産まなくてもいいって時代の話かもな)

そんなもん雇えない大多数の庶民家庭の専業主婦家事育児介護無償でやるのが当たり前だったわけで

2019-11-12

anond:20191112150748

それ言ったら江戸時代みたいに一夫多妻正室以外は子供ができた時点で側室扱い、ってのが合理的だろ

正室は家同士の関係で決まるから子供産まなくてもいいし

子供を産むのが仕事側室妊娠した時点で初めて認定される、という

これだと多くの女が一部の権力者の男に独占されて、一人の妻も得られない男が大発生するんだけど

2019-05-17

anond:20190517143745

次男三男?そりゃ世継ぎが生まれない状態長男天皇崩御とか退位とかになれば、消去法としてそうなるだけだろ?

の子がなんだって母親正室だろうが側室だろうがそんなの関係なく、長男長男

ついでに言うなら女性天皇だって男の世継ぎが成人するまでとか、繋ぎの要素しかなかったのは歴史証明している。

というわけで、結局は長男ありきなわけで。

2019-05-07

anond:20190507175156

別に男系女系に限らず、『とにかく天皇の子であれば皇位継承可能』で良いと思うけどな。

というか悠仁くんが生まれてなければそうなっていた可能性は割と高かったと思うのだが、かつての女系天皇容認論に図らずも止めを差した形の悠仁くんに男の子が出来なくて天皇血統が跡絶えるとなればそれはそれである種感慨深い(?)

側室制度に関して言えば、『正室』と『側室』の区別をするのではなく、『等しく天皇正妻である』という建前であれば人権問題は生じにくいのではなかろうか。

2019-05-04

anond:20190504222313

そもそも皆「側室になりたがる女性豊富にいる」と言う前提なのが謎

正室ですら見つかるか微妙な所だろうに

2019-05-02

正室(皇后中宮)からまれ天皇

神武媛蹈鞴五十鈴媛命:綏靖

綏靖&五十鈴依媛命:安寧

安寧&渟名底仲媛:懿徳

懿徳&天豊津媛命:孝昭

孝昭&世襲足媛:孝安

孝安&押媛:孝霊

孝霊&細媛命:孝元

孝元&欝色謎命:開化

開化&伊香色謎命崇神

崇神&御間城姫:垂仁

垂仁&日葉酢媛命:景行

景行&八坂入媛命:成務

仲哀&神功皇后:応神

応神&仲姫命:仁徳

仁徳磐之媛命:履中・反正・允恭

允恭&忍坂大中姫:安康・雄略

仁賢&春日大娘皇女:武烈

継体&手白香皇女:欽明

欽明&石姫皇女:敏達

舒明&斉明・皇極:天智・天武

聖武藤原安宿媛孝謙称徳

桓武藤原乙牟漏:平城嵯峨

嵯峨橘嘉智子:仁明

醍醐藤原穏子:朱雀村上

村上藤原安子:冷泉・円融

一条藤原彰子:後一条・後朱雀

朱雀&禎子内親王後三条

白河藤原賢子:堀河

鳥羽藤原璋子:崇徳・後白河

鳥羽藤原得子:近衛

高倉平徳子:安徳

順徳&九条立子:仲恭

後堀河&九条竴子:四条

嵯峨&西園寺姞子:後深草亀山

後水尾&徳川和子:明正

大正九条節子:昭和

昭和香淳皇后明仁

明仁&正田美智子:徳仁

正妻からまれ天皇は3人だけ」はミスリード

過去400年間では側室の子どもではない天皇は3人だけとか言うのをちらほら見かけるが

そもそも室町江戸時代皇后は一人もいなかったし(明治皇后が復活)

中宮(=正室)がいた天皇も少数派だった(後醍醐・長慶・後水尾・霊元東山・光格・仁孝の7人だけ)

という事を知らないといろいろ誤解を招く(誤解させたいのかもしれんが)

anond:20190502110003

そもそも側室になりたがるまともな女いるとは思えないけど…

正室ですらそうなのに

昔みたいにただの借り腹、誰でもいいってならいるだろうけど

現代だとそれで変なのが入り込んで将来の天皇の母でございますとなったら猛反発食らうだろうし

家柄教養知性思想美貌全て問題なしの女なら天皇側室になる必要全然ないわけだし…

2018-11-24

白状しま

今の今まで「後妻」を「こうさい」と呼んでました

変換に出ねえ出ねえとスペースキーを連打しまくって気付きました

まぁ後妻どころか正室もおりませぬ私には縁のないことばではあります・・・





追記

後妻をうわなりと読むなら側室で間違いでもないな

本当は一度嫁と書いたが意味が違うなと思って書き直したのだ

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