はてなキーワード: 時代劇とは
もっとも、ひらがなの「こども」表記なんてそれこそ子供向けの表記であり、大の大人が使うのもどうかとおもうけどな
それに「こども家庭庁」などと国家組織がダセェ名前使ってんじゃねえよ、と思うけどな
それでも「子ども」よりはずっとましだ
「ども」だけひらがなにしてるから、「子」・「ども」の違う語句を組み合わせてるみたいじゃねーか
なんつーか、時代劇口調か、べらんめえ口調みてーじゃねーか
時代劇で悪党が「野郎ども、やっちまいな!」と言って殺陣になるやつみたいな
「子供」を「子ども」なんて表記したらそれこそ、「子ども、やっちまいな!」みたいな意味になるじゃねーか
発音のイントネーションも、子供【こ→ど→も→】、子ども【こ↑ど→も→】、みたいに違ってくるだろ!?
あー、わかってるわかってる
『道』という漢字は、生首を持って練り歩くこと…、とか
もういいよ!!
半端に漢字使ってんじゃねーよ
半端に漢字使ってるせいで意味が違うし発音も違うし、しかもその意味も発音も余計に失礼な物になってるじゃねーか
そんな時代じゃないというか。時代漫画だと、泰三子の新しく始まった川路利良の漫画の「だんドーン」のキャラなんて誰も方言使ってないけど「薩摩弁使え!」「江戸弁使え!」なんて文句言ってる読者ははてブでもいないじゃん。みんな気にせず絶賛ばかり。ドラマでもドラマはドラマでどうせフィクションなんだから全員標準語というか普通の現代語喋らせれば良くて、このキャラは九州出身だから~このキャラは東北出身だから~って考証してまで方言なんて使う必要ないんだよ。
必要なのは方言ではなく役割語。これもネットでは嫌われる対象だけど漫画では使われ続けてる。「だんドーン」でも殿様は殿様キャラとして「~じゃ」みたいな殿様語を喋る。
ヴィジュアル系やバーチャルユーチューバーを「Vの者」と呼んだり「○○歳」といった年齢を「○○の代」って呼ぶのって、時代劇っぽくて好き。
昔は見ていたんだけど、ある時期から興味がなくなって今は見ていない。
というのも登場人物の感情というか、出来事への反応というか、倫理観というか、が現在のものだなって思ったんだよね。設定だけが当時のもので感情が今のものってすごくチグハグじゃね?って。
例えば今って多く場合、子どもが亡くなるとすごく感情的にショックとなると思うけど、昔は子どもは何人か産んでそのうち1人くらいは死ぬことも珍しくないってことを前提にすると感情もそこまで重くなかったりすることもあるんじゃないとか。
まあ、観客が現代人である限り、現代的な感情に寄り添うのは間違いじゃないんだろうけど、個人的にはそれなら変に引っかかる時代劇よりもSFとかファンタジーとか完全フィクションのほうがスッキリ見られるんだよね。
昔は見ていたんだけど、ある時期から興味がなくなって今は見ていない。
というのも登場人物の感情というか、出来事への反応というか、倫理観というか、が現在のものだなって思ったんだよね。設定だけが当時のもので感情が今のものってすごくチグハグじゃね?って。
例えば今って多く場合、子どもが亡くなるとすごく感情的にショックとなると思うけど、昔は子どもは何人か産んでそのうち1人くらいは死ぬことも珍しくないってことを前提にすると感情もそこまで重くなかったりすることもあるんじゃないとか。
まあ、観客が現代人である限り、現代的な感情に寄り添うのは間違いじゃないんだろうけど、個人的にはそれなら変に引っかかる時代劇よりもSFとかファンタジーとか完全フィクションのほうがスッキリ見られるんだよね。
・自分が読んだのは15年ほど前だが、劇画なので作品は当然何十年も前
・おそらく『シグルイ』ブームで、「南條範夫原作」か、それに類する「残酷時代劇もの」として復刊されていた
・作者名は覚えていないが、復刊されているので有名な作者なはず(平田弘史・とみ新蔵クラスだったかもしれない)
とある貧しい夫婦がいて、女房の方が山賊に連れ去られてしまう。
純朴な夫はその道中で山賊に襲われたり、騙されたりと、いくつもの酷い目に遭う。
ボロボロになりながら、もう会えないかもしれない女房を何年も探し続ける姿に、行く先々の人から呆れられる。
途中で知り合った浪人に
「いろんな山賊たちに犯された女房を何故そこまで必死に追うのか?もう昔のままでは無いかも知れないぞ」と聞かれ、
「獣の肉を食べたからと言って、人間が獣に堕ちる訳ではない。山賊に犯されたからと言って、女房自体が変わることはない」
と返すセリフが凄く印象に残っている。
数年後、夫はついに女房を見つけるが、女房は良家の侍に救われて再婚していた。
今の生活を捨てたくない女房から他人扱いされ、夫は、狼藉ものとして切り捨てられてしまうのだった。
という話だったと思います。
作品をご存知の方がいたら教えてください。
英語はよくわからんので、機械翻訳を活用というか、大活用している。
同人ゲームのRPGというと、たいていは舞台は中世であり、王様や皇帝とか、司祭とかそういうのがいる世界である。
これを機械翻訳すると、"天皇陛下がおかしくなってしまったのでしょうか?"となる。
現在世界で唯一のEmperorは、天皇なのだから、こういう翻訳になってしまうのはまあ仕方ない。
ただね、こういう訳文がたくさん出されると複雑な気持ちになる。
もう日本は帝国ではないのだから、そろそろ天皇の英語訳をEmperorから変えてもいいんじゃないたろうか。
では何に変えるのか? 日本は立憲君主制なのだから、王様(King)でもいいとは思う。
彼らが言うには、東洋の中華文化圏では、王というは帝の一つ下であって、馬鹿にされるという。
よく意味が分からないが、まあ、そういう価値観もあるのだろう。
それなら、せめて、Tennouみたいにローマ字読みでいいんじゃないか。
読み方変えますよって言うだけでいいのだ。
その手間もかかるから、優先度は低いんだろうけど。
終戦で大日本帝国が滅んだ時に、変えてくれたらこんな手間もなかったのになー。
ちなみに、皇帝と訳される時もある。
皇帝を倒せ!
→
Defeat the Emperor!
→
皇帝を倒せ!
ただ、そうじゃないときもある。
沙村広明って妙ちくりんな漫画沢山描いてる型に縛られない漫画家ってイメージが強いじゃないですか。
舞台も設定も微妙に普通を外してきて、その中でキャラクターには生々しい遊びを持たせることで固有のリアリティ感を獲得していくスタイル。
そんな作風に対して「超強いお侍が主人公。主人公はチート能力で再生する。妹がちょっとヤバイことになってるけどカワイイ」っていう伝言ゲーム失敗した鬼滅の刃かよオメーはとなってしまう無限の住人ってかなり浮いてるというか、ここの構成要素が王道過ぎて沙村広明っぽさがないんですよね。
強いて言うなら主人公側が敵側みたいなスキルを持っていて、それに甘えた戦い方をするっていうこれまた敵側みたいな事をしてる所は沙村広明っぽい外し方はありますが、概ね王道の熱血系時代劇です。
一作目特有の固まってなさは随所に感じるので、とりあえず王道で行ったということではあるんでしょうが、その後の経歴から見るとかなり浮いてます。
時代劇に詳しいんだ
いやまあ正直、厳密にはそうなんだけど、
じゃあ実際にそれが今の邦画で実現できてるか?って考えると、「できてない」んだよね。
「試行錯誤すれば」の、
こういうの、昔は「役者たちが自分で」できてたことなんだけど、今の役者はできなくなってる。
だから、衣装係がやらなければいけないんだけど、今の衣装係にも、その知識がない。
さらに、どこの現場でも「(浪人ですらも)着崩れていないこと」が当たり前になっている。
今の時代劇じゃ、安いTVみたいなペカペカした着こなしが普通になっている。
そんな状況で「わざわざ」着崩れさせるリアリティを入れるためには、
監督なり「上の権限がある人間が、気合を入れて指揮してやらないと」いけなくなっている。
けど、そんな面倒くさい(時間がかかる=金がかかる)ことは、できない。
「衣装係」を勉強に行かせるところから金を払わないといけない。
ただでさえ時代劇はセットなどの大道具に金はかかるし、時代考証だの専門的な部分が多くて、
まあとにかく面倒くさい、金がかかる部分が多すぎる。
だから、
結果的に、簡単なノウハウがロストテクノロジー化する、という話。
「そんなわけねえだろ」と思ったのもわかるが、
もうすでに、「そんな惨状」に時代劇は陥ってるんですよ、という話でもある。
「そんなわけねえだろ」が現実。
顔だけはドーランで汚してるけど、全然「浪人に見えない」学芸会みたいなルックの時代劇になるのは、
こういう原因が100万個くらいあるわけよ。
もちろん、
そういう着崩しなりなんなりが「できてる時代劇」だってちゃんとある。
今の映画撮影は「一回の撮影で、現場自体が解体されてしまう」。
せっかくそこで培った技術も、「その場限り」で終わってしまう。
次の現場で監督やプロデューサーから「そんなことしてる余裕ないから」と言われたら、それでおしまい。
現場が知識をもっていても「そんな面倒くさい事いいじゃーん」となる。
こういう状況なわけ。