はてなキーワード: 便器とは
わたくし、31歳NY駐在のサラリーマン。接待でマンハッタンの焼肉屋へ行った。ビール飲んで気分も良くなりレバ刺しも食べられて満足、接待はつつがなく終わった。相手もこのまま帰る流れになり、俺は車で来たけど相手は電車で、といっても駐車場も駅も途中まで方向は同じなので一緒に歩いていたところ、急に便意が来た。あまり胃腸が強くないのに久しぶりにレバ刺しなんて食べたからか? ヤバイと思いつつも相手との会話は弾む。ヤバイ。ここで漏らすわけにはいかないと思って、完全に嘘なんだけど「あ、僕駐車場こっちなんで!!」と方向転換して別れ、急いでトイレを探す。ここはニューヨーク。東京のように至る所にコンビニがあるわけではないが、コンビニのようにスタバがある。スタバはニューヨーカーの公衆トイレなのだ。iPhoneを取り出してSiriにStarbucks around here!と叫ぶと2ブロック先にスタバ発見。営業時間は9時半までだったがまだ9時15分、いける。スタバに入店し「あとで注文するから先にトイレ使わせて!」とお願いしたら、「さっき掃除したところでまだ濡れてるから無理」。濡れてるくらいなんだよ! もう閉店だからトイレ使わせたくないだけだろ!! 糞が。注文はせず退店。便意は限界。と、ここで思いついた。グランドセントラル駅、あそこのトイレなら絶対開いてる! グランドセントラル駅、通称グラセンは全米最大のターミナル駅で、地下にはレストラン街があり、以前何度かそこのトイレを使ったことがあったのだ。グラセンまで少し距離があるが早足で歩く。途中2回程限界を感じ、近くのホテルに入ってロビーのトイレを確認したが、部屋のキーがないとトイレのドアが開かない仕様。もうグラセンしかない。グラセンまであと1ブロック、荘厳な建物が目の前に見えてきたところでついに漏らした。歩くテンポにあわせて肛門からニョ、ニョ、ニョ。Oh shit。どうやら柔らかめだ。量的には2割程肛門から漏れたが、ブツはまだ尻の割れ目かパンツの中に収まってるようで被害は少ない。急げ急げ。グラセンに入る。地下に降りる。レストラン街は人もまばら。トイレを探す。トイレはどこだ。たしかエスカレーターの近く。ここの通路だ! 入った先はATMコーナーだった。気が抜けたその瞬間、残りの8割が一気に流れ出た。ニュルニュルニュルニュル!!!ズバババババ!!ムモモモモ!! 完全にふくらはぎの方まで垂れて来てるし、チノパンにも染みてる。終わった。すぐ近くの別の通路の先にトイレを見つけた俺はゆっくりと角の個室に入り、30分かけてチノパンとパンツをトイレットペーパーでひたすら拭いた。まだチノパンには染みてるけどうんこはだいたい拭き取れたし、パンツは便器の水で洗って、たまたま持っていたジップロックに入れた。何より、もう俺が失うものはないという思いがあった。月曜日はMemorial Dayの祝日。この国ではこの日を境に夏が始まるが、まだ夜は肌寒い。持っていたパーカーを腰に巻いてチノパンの染みを隠し、臭いで気づかれないように早足で駐車場まで歩いた。ドラッグストアでシャワーカーテンを買って車のシートに敷いた上に座り、窓全開で運転して帰った。風呂場で汚れた服と身体を洗い、洗濯機を回して寝た。
洋式便器で男がおしっこするとき、立ってやると周りにおしっこが跳ねて汚いから、座ってやれ、と。
対して、座って小便なんかできるか、と。そういう論議をよく耳にするので、もうね、言っておきます。
立ち膝でやれ、と。
スタイルとしては、片膝です。ヨーロッパの王様から勲章を受け取るときにする、あの感じです。
この状態で、ちんちんを便器のふちにのせる感じでおしっこしてみてください。
私はこのスタイルを何年も続けていますが、全く不満を感じることがない。むしろ立ってやりたくない。
立ってやる時は、そもそも、コントロール重視になるから(距離があるから)、リラックスできないんですよ。
また、先割れでおしっこが二方向に飛ぶときなんかもありますからね、意識せずに床に散水してしまうこともある。
座ってとなると、さらに嫌。なんか、うんち出そうになるし。
座っているのに、うんちが出ていないことに、身体の違和感を感じる。
そもそも、男は、おしっこは立ってするものだと、本能レベルでインプットされているから、
座ってのおしっこというのは、生命体としてのプライドをずたずたにされる気がするんですよ。
これだと、座っていないから、立ってするときの爽快感はそのままに、
現代の住宅事情に合わせた安全性も両立するという、ハイブリッド小便スタイル。
ぜひお試しあれ。
自分は40代のおっさんだが、いまさらながら会社でおならをしたいとなった時のセーフアウトラインがわからない。
何言ってるんだとは思うだろうが会社で指導されたこともなければ、マナー本でも見かけたことはない。
面倒だとは思うが40代のおっさんが書いてるんだけど、将来入社してくるであろうJKやJDに教えるつもりで考えてくれるとありがたい。
さて、自分の席でするのはもちろんアウトだ。廊下だって無理だ。漂わしてはいけない空間である。
じゃぁトイレはどうか?
人によってはトイレ空間ならどこでもセーフかと思うかもしれないがトイレの中にもレベル感がある。
トイレのレベルを以下に示すが、どのあたりからセーフなのか教えてほしい。
帰省のたびに感じてるんだけど、羽田空港の第2ターミナルってボーディングブリッジ降りてから荷物の受け取り口までの間のトイレの数が極端に不足している思う。
飛行機って着陸15分位前からトイレ行けなくなるじゃん?絶対に機内では漏らせないという緊張感と相まって、飛行機降りたら即トイレに行きたい人ってかなり多いと思うんだけど、羽田の第2ターミナルって飛行機降りてから荷物受け取り口までの間にトイレが2箇所(飛行機降りる場所が遠い時は3箇所になったりもするけど)しかない上に、その2箇所トイレ内の小便器が信じられないことにそれぞれ2〜3個しか無いんだよね。だもんで、飛行機が到着するたびにトイレが大行列になってる。
田舎の空港でも10個くらい小便器が並んでるのが普通なのに、羽田の第2ターミナルって一体全体どんな設計思想で作られたんだろう。めっちゃ我慢してようやく飛行機降りたと思ったらそこからがまた地獄という。
いくらなんでも日本一の大空港のトイレに小便器が2個しか並んでないって異常すぎると思うんだけど、どうにかならんもんだろうか。
次に入る人の事考えろよ。
これほど開けるのが嫌な蓋はそうそうないぞ。
中がどうなってるか開けるまでわからねーんだぞ。
蓋さえ開いてれば、遠くから判るから、他の個室を選ぶなり、覚悟を決めてとりあえず洗浄レバーを目指すなりできるが、
蓋を開けないと分からないとなると、至近距離でそれとご対面する可能性を考えて無駄に緊張するんだよ。
そうでなくても、ニオイが篭もって開けた瞬間モワっとくるんだぞ。
誰がうれしいんだよそんなの。
いいな。わかったな。
虚空を貫く稲妻のように、私の体を痛覚が走り抜ける
「このウンコはビッグでハードだ。私はこのウンコを生み出す痛みに耐えられない」
私が便座の上で悶えたのは、その数秒後だ。ウンコが空気に触れるその刹那まで、私の体は痛みを感じることすらないのだ。
そして私の体はあらかじめわかっていた痛みに悶える。雷雨をいち早く察知する漁師のように。大海原でそれを避けることは誰にもできないのだ。
痛みの後に押し寄せてくるのが、臭いだ。
ウンコが着水するそのゼロコンマ数秒の間に、匂いの粒子は私の鼻に到達する。
こんな臭い物体を身に宿して、誰もが自分を地べたを這っている。
まるで自分は普通の人だと訴えるように。自分は今まで臭いウンコをしたことがないように。
しかし、現実問題として私のウンコは臭い。昨日食べたシーチキンの匂いがする。確かに咀嚼されたはずのシーチキンは、姿を変えてTOTOの便器の上に鎮座している。このシーチキンも、何ヶ月か前はあの大海原を自由に泳いでいたはずなのに。
シーチキンにとってせめてもの救いは、転生したその姿がビッグハードウンコだだったことだ。
宿主に呻き声を上げさせる、ソリッドなウンコだ。
あんな柔らかく芳醇なシーチキンが、どうしてこんなに固く拳を握りしめて、私の肛門を裂くんだろう?
まあ、もう手遅れだ。なんにせよ、ビッグハードウンコは私の体を裂いたのだ。
あれだけ硬いウンコならば下水管を流されても、ウンコとしてプライドを保ち続けるのではないか?
そして、そのウンコはいつか大海原に到達し、回り回ってまた再びシーチキンになるのではないか?
そのとき私は、自分が生み出したビッグハードウンコに気がつくことができるのだろうか?遠い日に離れ離れになった恋人たちが、お互いの体臭を嗅ぎ当てる様に?
全てはまた遠い未来の話だ。さよならビッグハードウンコ。次に出会う時は、もっと健康な消化器官を持って、適切な固さと控えめな匂いで生まれ落としてやりたい。