はてなキーワード: 便器とは
ふと思ったのだが、トイレで小をするたびに水を流すのはもったいなくはないか。一人暮らしなら便器に尿をためておいて、1日1回流せば良い気がする。そこでトイレの水道代が一ヶ月いくらかかるか計算してみた。
1回6リットルの水を使うとして1日5回(30リットル)*30日=900リットル
0.1円*900リットル=90円
確かに日本には良くも悪くも忖度する文化があり、国に関係なくある程度「行間を読む」ことは生きていく上で必須である。
だから、理論的に矛盾した言葉を目にしても、本当はこう言いたいんだろう、と予測は容易にできる。
でも、それでも、これだけは納得がいかない。
もちろん、大便を便器から取り出して別のゴミ箱に捨てたり、持ち帰って捨てたりだとかが正しい使い方であるとは微塵も思わない。
だけれども、この言葉は「大便をトイレに流すこと」を明確に否定している。
このことは、日本国憲法9条の条文とその解釈に似ていると思う。
「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」とあり、「戦力」を明確に否定しているが、実際には自衛隊は存在しており、日本に不可欠な組織となっている。
だが、決定的に違う点は、憲法は国民投票でしか変えられないが、トイレの貼り紙は作成者の独断で自由に変えられるということである。
なのになぜ、あの矛盾の帝王のような貼り紙が連綿と受け継がれ、今日もまた新たなトイレに貼られようとしているのだろうか。
あの文言は今まで100回くらい見ただろうが、今でも見るたびに心の中で何か引っかかるものを感じる。
せめて、「トイレットペーパー以外の異物は流さないでください」等に変えようと考える人が、もう少し存在しても良いと思うのだが。
政権が嫌いって愚痴ると、政治的レッテルを貼られる昨今のネット世の中
先日、極めて高尚な増田を拝見した。
https://anond.hatelabo.jp/20190919170504
増田曰く、この国の首相のことをいつも考えて怒りを覚える当事者意識高い系であって、無意味なことだそうだ。
確かに増田の言うことは正しい、他人に政権への不満を愚痴ったり、ネット上で批判してても世の中が変わることなんてあり得ないだろう(さらに言えば便器の上でダラダラこんな増田を書いてることもだ)
でも、政権が増税しようとしていることは普通に嫌だし、増税対策が通販に適用されるかもわからずパソコンを買うことに踏み切れずにいるし、
ペットにICチップ埋め込みを義務化するのも、拒否感が拭えないし、ゲノム編集された食物の表示義務が無いのもいかがなものか
そういった政権への賛同できない気持ちと、将来や身の回りの不安で、一日中ネガティブな気持ちが拭えないでいる
せめての気を紛らわせるために、アニメを見てみたり、食事を野菜メインにしたり、一駅分歩いてみたりしながら、それでも拭えない気持ちが延々と心にとどまっている中、はてブで見かけた政策のニュースに賛同できない気持ちを吐き出す事すらも我慢しろというのか
私の勤めている会社の行事に年四回、休日に会社に集まって社内の掃除をするというものがある。もちろん無給である。
勤務時間外に掃除をさせていることになるため、大抵の人はブラック認定するだろう。
明日がその日で不満が溜まってきたため以下に吐き出そうと思う。
「あ~、みんな不満に思いつつ何十年も前から続いてるから言い出すタイミングもなくてやめられないパターンでしょ?あるある〜」と言われそうだが、この行事を社長が発案したのは3年ほど前である。働き方改革やブラック企業という言葉が社会にだいぶ浸透してきた時期にこのような社内行事を思いつくとは……。
掃除の効率的なやり方をシェアすることが業務の効率化、社内コミュニケーションの活性化に繋がるという信念で始めた様だが、仕事に関わるなら業務時間に行うべきではないだろうか。
総務部長も労基にバレるとまずいと思い、社長に休日出勤扱いにすべきと進言したようだが突っぱねられたようだ。どうやら無償という点が重要らしい。見返りを求めず懸命に掃除に励むことがチームの結束を強めるとでもいうのだろうか。
ちなみに営業に対しては値下げや無償サービスばかり要求する相手とは取引するなと言っているので、見事なダブルスタンダードである。
用事があるといって参加しないことや途中で帰ることが多い。にも関わらず参加率の低い社員を注意するなど、社員は参加して当然と思っているフシがある。
集合時間より早く来て便器を磨き続けるようなことをされたらそれはそれで迷惑だが、他人に要求するなら自分が毎回参加している姿を見せてからにしてほしい。
とりあえず思いつく限りの不満はぶちまけたし、
有意義にうんちしよう^^って勤務中にトイレへ行ったら便器が真っ赤に染まった。
人生で初めて下血した。
びっくりしてその日の仕事終わり職場近くのクリニックに駆け込んで検査の予約をする。
検査したら炎症おこしてるポリープのせいでしょうってとってもらった。
少し経ったらまた下血した。
ストレスないですか?と聞かれたのでたまたま仕事で忙しい時期だったのを話すと、
じゃあストレスのせいでしょうって言われて薬をもらった。
薬を飲みきる少し前に忙しいのを乗り越えて穏やかな生活に戻った。
それなのに、次の週もその次の週も下血した。
なんだか疲れてしまった。
放っておこうかと思ってたけど、まわりに心配されるので通いやすそうな家の近くのクリニックに行く。
胃カメラしますよ~って台に移動して注射されてから記憶がない。
小さいときに胃カメラが鼻から入らないって言われたから今回も口からだったのかな。
それとも鼻から入るようになったのかな。
大変でしたねって看護師さんに言われたけど記憶にないからなにも大変じゃない。
なにが大変だったんだろうね。
なんで下血するのかもわかんないし、世の中わからないことだらけ。
街を歩けばナンパされる。怖い思いもする。
ここまでは理解できる。でも、
"好きでもないどうでもいい男にばかり好かれて、本当に自分が好きな人には全然相手にされない。"
というのが、全く理解できない。この言葉を聞くたびに、ふざけんなっ、と言いたくなる。自業自得だろ、馬鹿じゃねーのと。
そんな自分が特別だと思ってるなら、好きな男くらい手に入れてみろよ。
男はみんな好きな女に振り向いてもらおうと努力してんだよ。努力して努力して、もがいて、やっとの思いで手に入れてんだよ。
女も努力してる?
ぶざけんな。化粧とかオシャレのどこが努力だ。そんなの当たり前だろ。そんなの男の努力からしたら屁みたいなもんだよ。
お前らは肉便器がお似合いだよ。
就活のストレスで頭がおかしくなってしまいカウンセリングでも何でも良いから早く専門の人に話を聞いてもらいたいと思い、当日でも行けそうな精神科にとにかく電話をかけまくったことがある。いのちの電話は話しすぎると電話料金が異常にかかることを友人から聞いたので使わなかった。
電話をかけた時の会話はあまり覚えてないけれど、「今、本当に辛くて苦しいんです。早く診てもらいたいんです」と切羽詰まった声で電話越しの女性に訴えたところ「大丈夫ですよ。今から来ることはできますか?」と優しく応対してもらえたことだけは覚えている。
今まで行った精神科は、「今日は空いていません。来週以降に予約することになりますが大丈夫ですか?」とその日に行くことは不可能なことばかりだったので、こういう場所もあるんだなと少しびっくりした。
バスや電車を使う体力は残っていなくて、化粧もコンタクトもせず、すぐに着れるような適当なワンピースでヨロヨロと立ち尽くしながらタクシーを呼んだ。運転手のおじさんは、最初は朗らかに世間話を降ってきたが、乗客の様子がおかしいことに段々と気付いてきたのか心配そうな声色へと変わっていき、帰り際に飴を渡してくれた。今思い出すと、なんて優しい行為なのだろうと思ったけど当時の自分はそんなことを感じる余裕もなく「早く病院に行って全てをぶちまけたい」という気持ちしかなかった。
病院の中に入ると、10人ほどの老若男女が待合室に座っていた。今まで行った精神科の中で一番汚い病院で少し引いてしまった。1時間ほど適当に待っていると、名前を呼ばれ先生のいる診断室に入った。
先生に「就活が辛くて寝ることができません」「過去行った病院でADHDの疑いを受けたことがあります」「ふと自分に価値がないのでは、と思うことがあって死んだ方が良いのではと思うことがあります」とテンプレートのような回答をただつらつらと述べた覚えがある。
そうすると先生は自分の足の腱の部分を柔らかいトンカチのようなもので叩き、いわゆる身体の「反射」の行動を起こすと「あなたは普通の人よりオーバーに反射の動きが見られます。これはADHDの人によくあるものです。」と伝えたのだった。
その後、「別の病院を紹介するので心理検査と脳検査を受けてください」と「死にたいと思った時はまたすぐここにきてください」という言葉を私にかけ診察は10分ほどで終わってしまった。
その後、よく精神科でやらされる木の絵を描かされて、膨大な量の質問シートに答えさせられた後、尿検査もやることになった。トイレに行くと、男性が立ち小便をしていて少しびっくりしてしまった。なんとこのトイレは男女共同だった。個室トイレのすぐ横に男性用の小便器がある構造になっていた。
男性は「あ、すみません」とそそくさと立ち去ったが、自分は感情がおしまいになっていたので何も思わず提出した覚えがうっすらとある。今だったら意味がわからなすぎてインターネットに即座に呟いていたと思う。今こうやって書いているわけなのだが。
処方箋をもらって病院に行くと、数日分の睡眠薬とジプレキサと漢方薬が出されていたのがその時に分かった。何も考えられてない状況だったので、その時にどんな薬が出ていたか分かったのだった。
ジプレキサと漢方薬を飲んでみたところ、吐き気しかなく食事ができなくなったので飲むのを止めた。病院に「この薬を飲むと体調が悪くなるので飲まなくて良いですか」と聞いた所、「大丈夫ですよ」と言われた。病院から指定された脳検査と心理検査はADHD力が高まりすぎて行くことすらしなかった。
深夜に希死念慮が増す時に睡眠薬を一錠飲んで無理やり寝ると希死念慮をかき消せることを知った。その後、ネットでコンサータというADHD治療薬があると知り、コンサータを出してくれそうな近所の病院を発見し、コンサータと睡眠薬を飲みながらギリギリ就活を続けることができた。
就活が終わった時は、ストレス自体が消え失せたことで希死念慮を感じることがなくなった。
今は、コンサータである程度の生活能力を維持しながら、時々睡眠薬を飲んだりしたりしてなんとか生き延びている。
あの時の精神科の出来事をふと思い出すたびに、「ほぼ無駄足だったけど、当時の自分は行くしかなかったのだろうな」としみじみとしてしまうのだった。
「また肉便器にして」って言えばいいじゃん。