就活のストレスで頭がおかしくなってしまいカウンセリングでも何でも良いから早く専門の人に話を聞いてもらいたいと思い、当日でも行けそうな精神科にとにかく電話をかけまくったことがある。いのちの電話は話しすぎると電話料金が異常にかかることを友人から聞いたので使わなかった。
電話をかけた時の会話はあまり覚えてないけれど、「今、本当に辛くて苦しいんです。早く診てもらいたいんです」と切羽詰まった声で電話越しの女性に訴えたところ「大丈夫ですよ。今から来ることはできますか?」と優しく応対してもらえたことだけは覚えている。
今まで行った精神科は、「今日は空いていません。来週以降に予約することになりますが大丈夫ですか?」とその日に行くことは不可能なことばかりだったので、こういう場所もあるんだなと少しびっくりした。
バスや電車を使う体力は残っていなくて、化粧もコンタクトもせず、すぐに着れるような適当なワンピースでヨロヨロと立ち尽くしながらタクシーを呼んだ。運転手のおじさんは、最初は朗らかに世間話を降ってきたが、乗客の様子がおかしいことに段々と気付いてきたのか心配そうな声色へと変わっていき、帰り際に飴を渡してくれた。今思い出すと、なんて優しい行為なのだろうと思ったけど当時の自分はそんなことを感じる余裕もなく「早く病院に行って全てをぶちまけたい」という気持ちしかなかった。
病院の中に入ると、10人ほどの老若男女が待合室に座っていた。今まで行った精神科の中で一番汚い病院で少し引いてしまった。1時間ほど適当に待っていると、名前を呼ばれ先生のいる診断室に入った。
先生に「就活が辛くて寝ることができません」「過去行った病院でADHDの疑いを受けたことがあります」「ふと自分に価値がないのでは、と思うことがあって死んだ方が良いのではと思うことがあります」とテンプレートのような回答をただつらつらと述べた覚えがある。
そうすると先生は自分の足の腱の部分を柔らかいトンカチのようなもので叩き、いわゆる身体の「反射」の行動を起こすと「あなたは普通の人よりオーバーに反射の動きが見られます。これはADHDの人によくあるものです。」と伝えたのだった。
その後、「別の病院を紹介するので心理検査と脳検査を受けてください」と「死にたいと思った時はまたすぐここにきてください」という言葉を私にかけ診察は10分ほどで終わってしまった。
その後、よく精神科でやらされる木の絵を描かされて、膨大な量の質問シートに答えさせられた後、尿検査もやることになった。トイレに行くと、男性が立ち小便をしていて少しびっくりしてしまった。なんとこのトイレは男女共同だった。個室トイレのすぐ横に男性用の小便器がある構造になっていた。
男性は「あ、すみません」とそそくさと立ち去ったが、自分は感情がおしまいになっていたので何も思わず提出した覚えがうっすらとある。今だったら意味がわからなすぎてインターネットに即座に呟いていたと思う。今こうやって書いているわけなのだが。
処方箋をもらって病院に行くと、数日分の睡眠薬とジプレキサと漢方薬が出されていたのがその時に分かった。何も考えられてない状況だったので、その時にどんな薬が出ていたか分かったのだった。
ジプレキサと漢方薬を飲んでみたところ、吐き気しかなく食事ができなくなったので飲むのを止めた。病院に「この薬を飲むと体調が悪くなるので飲まなくて良いですか」と聞いた所、「大丈夫ですよ」と言われた。病院から指定された脳検査と心理検査はADHD力が高まりすぎて行くことすらしなかった。
深夜に希死念慮が増す時に睡眠薬を一錠飲んで無理やり寝ると希死念慮をかき消せることを知った。その後、ネットでコンサータというADHD治療薬があると知り、コンサータを出してくれそうな近所の病院を発見し、コンサータと睡眠薬を飲みながらギリギリ就活を続けることができた。
就活が終わった時は、ストレス自体が消え失せたことで希死念慮を感じることがなくなった。
今は、コンサータである程度の生活能力を維持しながら、時々睡眠薬を飲んだりしたりしてなんとか生き延びている。
あの時の精神科の出来事をふと思い出すたびに、「ほぼ無駄足だったけど、当時の自分は行くしかなかったのだろうな」としみじみとしてしまうのだった。
就活こわいね。増田はなんだかんだで土壇場の生命力は強そう。