はてなキーワード: れもんとは
ツイッターのこの人のこと。君のこと
https://twitter.com/fprvu かつどん
https://twitter.com/steak65tr ステーキおいしい
https://twitter.com/uuy56sd いくらぐんかんねぎまぐろ
https://twitter.com/torityaaa/ とりチャーシュー
https://twitter.com/trutoui とりめし弁当
https://twitter.com/ramue9y ラーメン屋台
https://twitter.com/tgyish くろわっさん
https://twitter.com/sgtaid ハンバーガ
https://twitter.com/eqgdgy れもんてぃ こんな人です
表紙のギョロ目キャラに全然惹かれなくて読まず嫌いしてたけど、ふと読み始めたら止まらない
浪人か侍が主人公のフィクションだと思ってたら、新選組?を結成する前の沖田とか近藤の話だった
自分的にはマイナスイメージがよーやくゼロになったくらいで、毒にも薬にもならないマンガではあるけど、変に心を動かされずに淡々と読めるという意味では貴重なマンガな気がする
ひねくれもんだから、大概のエンタメに触れるときは、おもしろい!と思ってドハマリするか、クソだなと一刀両断するかの二択になることがほとんどなんだよね
だからニュートラルに楽しめるものってのは自分にとってはなかなか貴重なのです
作者調べてみたら毎月父さんの人だったのか
他で見た指摘は省いています
http://anond.hatelabo.jp/20130205153620
鷲巣麻雀も決勝二人麻雀も導入目的は明らか。「普通の麻雀より、相手の思惑を推理できる要素を増やす」よ。
福本は「相手の策を読み、裏をかきあっての心理戦」が描きたい(読者もそれが読みたい)が、
麻雀というゲームそのままでやるのは無理があるので特殊ルールにしてるのだ。
そもそも、麻雀漫画で闘牌がメインになっているもの(ギャグとか実録物とか「麻雀をめぐる人間模様」がメインな話とかはとりあえずここでは置いておく)は、
「麻雀というゲーム」か「麻雀を打つ人間」のどっちかで嘘をついてる。麻雀が運ゲー過ぎる(少なくとも短期戦では)からだ。
前者はどういうことかというと、「麻雀はこうこうすれば捨て牌から相手の思惑を読みきることができるゲームだ」とか
「麻雀はこうこうすれば運気の流れを自分のものにすることができるゲームだ」とかいう嘘(麻雀は運ゲーじゃないよ、という嘘)。
一般的に麻雀漫画というのはこういうのを想像されがちだと思うが、現実にはこれは無理。
手配読みとか、100%嘘ではないが、あんなピンズドで読むのは条件が相当限られないと無理。
「嘘じゃねえ!流れはあるんだ!」と言いたい人もいるとは思うが、一応、現代の麻雀戦術では、流れというものはないし、
相手の手牌を読むのは条件が相当限られないと無理ということになってるのだ。納得できなくてもそういうことにしておいてくれ。
バトルマンガで例えて言うなら「拳銃持った相手と素手で戦う時、銃口の向きを確認して高速で動けば全部避けられる」みたいなもんで、
「一見理屈は通ってるけど、現実にはそれ無理やろ」という話やね。
もちろん「嘘だからつまらない」なんてことはなくて、嘘の付き方がそれっぽければ面白いわけだ。
麻雀漫画でこの手のだと、土井(旧ペンネームは山根)泰明原作(『勝負師の条件』『幻に賭けろ』など)が特に素晴らしいね。
福本の特殊麻雀はこの変形で、「相手の待ち牌を読まなきゃ勝てない」とか「相手の手牌が部分的に見える」みたいなルールをプラスすることで、
「それっぽい理屈が成立しそう度」を上げてるわけだ
(まあ鷲巣麻雀とか二人麻雀は実際にやったことないので、もしかしたら「成立しそう」ではなくマジで理屈が成立してるのかもしれないが)。
こんな七面倒臭いことせず、限定ジャンケンみたいに新しいものを作ったほうが無理ないけど、近麻でそれできなかったろうし。
ちなみに後者は、「雀士には人智を超えたすごい奴が居る」という嘘(人間は運をねじふせられるよ、という嘘)。
この代表例は来賀友志原作(『あぶれもん』『ザ・ライブ』『てっぺん』『天牌』など)。
『ザ・ライブ』で、神業的な打ち筋を見せた主人公がなぜそう打ったのかと問われて
「明確な説明は僕にもできません」とはっきり答えたり、
『てっぺん』で「何を切るかではない何を引くかだ それが超一流の条件!」ってアオリがあったのが典型的だが、
「すごい奴ってのは理屈ではなく当たり牌を切らない」「すごい奴ってのは理屈ではなくツモる」って具合なんね。
さっきの例えで言えば、「すごい奴ってのは堂々としてるだけで拳銃の弾が当たらない」みたいな感じ。
理屈にはなってないが、ある意味リアリティはあるとも言える(そういう「持ってる」って言いたくなる人間って居るじゃん)。
『哭きの竜』なんかも土井作品(クレジット無いけどあれ土井)にしては珍しくこっちだし、
『むこうぶち』も、理屈は出てくるけど本質的にはこっち(傀が負けるところ想像つかねー)だと思う。
で、上の二つが分かりやすいけど、「強い! 絶対に強い!」という黄金バット的サムシングを読者に納得させることが出来るキャラクター造形であれば面白くなるわけだ。
なお、咲とか兎、片山まさゆきの『ミリオンシャンテンさだめだ!!』とか『まんちょくスナイパーとどめ』(どっちも片山作品の中では知名度低いが超名作)とかはこの変形で、
人間力的な漠然としたものではなく限定的な異能にしてるわけやね。
ちなみに、「咲は麻雀漫画としてはダメ」とか言うのを見ると「それはどうか」と思うのは、
「麻雀が分かってる人間なら、咲が『牌にドラえもんが描いてあったって成立する』ようなもんじゃなく、
ちゃんと牌譜作ってあって、ネト麻とかとつげき東北以降の戦術をベースにしてることは見て分かるだろ」って気持ちが半分と、
「能力麻雀だってdisるの、片山の名作群をdisるってことだから承服しかねる」ってのが半分。
イカサマものはまあまた別論にしといてくれ。哲也とかのヒット作があるので勘違いされやすいけど、80年代以降の麻雀漫画シーンでは一貫して傍流(『(旧)バード』『凌ぎの哲』『ショーイチ』だけ読んどけばいいよ)だし。
途中までならよくあるひねくれもんで、
俺も十代の頃はそんなんだったから咎める気になれないんだが、
(ちなみに「ひねくれもん」てのはサッカーを楽しめないことじゃなくて
「サッカーを楽しめないボクチン」というつまんない話で殊更声を挙げる点な)
なんか全体主義的な、そういう気味の悪さを感じる。
ここで完全に気持ち悪くなってる。
あ、なーんだ結局客観性は無く「自分が正しい」みたいに思い込んでる奴じゃん、と。
「全体主義」とかそういう用語持ち出すとこも浅はかなタイプのサヨクっぽくて知能の低さがビンビンだし。
俺も危なかった、十代の頃にサヨク知識に触れなくて良かった。
なんと言っても、すぐ誰かにギーギー言ってる文句多い女が嫌いです。
病院一歩手前レベルにヒスい姉がいたのと関係あるのかないのか不明ですが
女が一声「キー」みたいな声を出し始めると、言い分を聞く前に張り倒したくなります。
次に、メソメソ言ってる役に立たない女が嫌いです。
友人のことについて心を痛めて「○○だよう…!」とか言って泣いてるの見ると
(このタイプの女キャラの半分ぐらいは男が描いてるのでこれをミソジニーと言うべきか謎ですが)
いっつも陰口と悪口で盛り上がり、仲間同士にすらすぐ批評を向ける。
批評の内容は神経症じみた言い掛かりですが聞いてるほうは誰もたしなめず同意。
更に、女らしくない女を自負する女が嫌いです。
経験上このタイプは、女の腐ったとこと男の下品なところを併せ持ち、双方の美点を失ったクズばかりです。
攻撃にブレーキの外れた人間が多く、「あの子は仕事が出来ないから」みたいな話をすぐ始めます。
「あれだからアタシは女って嫌いなの!」と言ってるお前は女からも男からも一番の嫌われもんであることに気付いてください。
何かいつも自信のない情緒不安定を撒き散らしているので張り倒したくなります。
ネットにまるごとこうして書くとまあミソジニー呼ばわりされるでしょう。
そういうわけで
まず張り倒したいのは唯と紬ですが、一番念入りに張り倒したいのは律です)、
まどかマギカ見てるときだけは何故かこの発作が起きないんです。
決して上記のチェックポイントにあてはまっていないわけではないのに!
つまり長々書いてきましたが
まどかマギカ最高!