カテゴリー 「今日も聖書を読む読む」 RSS

2016-09-10

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ルカ伝の続き。

なんか祈りのやり方が書いてあって笑った。これを模範にせよということらしい。ありがたく参考にさせていただきます

あとキリストの生涯を描いた映画を観た。『最後の誘惑』とかいうやつ。十字架かけられて痛いのは嫌だなぁ・・・人並みにセックスしたいなぁ・・・と悩むイエスの姿が描かれる。欧米圏では結構荒れたらしいけど、こういう解釈もありなんじゃない?と思った。

2016-09-06

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ルカ伝の続き。

有名なマグダラのマリアが出てきた。

有名な割にあっさりと退場する。他の福音書活躍するんかな?

2016-09-04

[]貧富に対する聖書の態度

1. 結論

(1) 理想状態

富は神が人類に賜うたまものである。ゆえにもし世が神の御心に合う世であるならば、貧者も富者もないはずである。このような世にあっては以下の状態普通である

「多く集めた者も、余ることはなく、わずしか集めなかった者も、不足することはなかった」(コリント後書8章15節)

(2) 現実

現実は、「多く集めた者」は「余」り、「わずしか集めなかった者」は「不足」している。

この神に背きたる不自然社会にあって、富はたいていの場合において不自然であり不当である

たいていの富はその所有者が作ったものではなく、社会の多数を占める貧者が作ったものである

この罪の世にあっては、少数のいわゆる「まわり合わせの良い者」が富者になるのであって、本当に自分の力で富を作り出したという人はめったにない。

(3) 各階層に対する評価・態度

怠惰の結果としての貧:×同情しない

社会の多数を占める貧者:◎幸いする

③勤勉の結果としての富:○褒める

相続幸運によって得た富:△罪ではないが不幸

⑤不当の分配によって得た富:×呪う

以下、①、⑤、②について各論する。

2. ①怠惰の結果としての貧:×同情しない

キリスト教は、怠惰の結果、貧を己に招いた者に対して同情を表さない。

手のひらに欺きがあれば貧乏になる。勤勉な人の手は富をもたらす(箴言10章4節)

金持ち財産は彼の砦。弱い人の貧乏破滅箴言10章15節)

3. ⑤不当の分配によって得た富:×呪う

イエスは弟子たちに言われた。「はっきり言っておく。金持ち天の国に入るのは難しい。重ねて言うが、金持ち神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」(マタイ伝19章23-24節)

4. ②社会の多数を占める貧者:◎幸いする

(1)キリスト教はどう見ても貧者の宗教である

イエスは目を上げ弟子たちを観て言われた。「貧しい人々は、幸いである、神の国あなたがたのものである。」(ルカ伝6章20節)

心より貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものであるマタイ伝5章3節)

兄弟たち、あなたがたが召されたときのことを、思い起こしてみなさい。人間的に見て知恵のある者が多かったわけではなく、能力のある者や、家柄のよい者が多かったわけでもありません。ところが、神は知恵ある者に恥をかかせるため、世の無学な者を選び、力ある者に恥をかかせるため、世の無力なものを選ばれました(コリント前書1章26-27節)

わたしの愛する兄弟たち、よく聞きなさい。神は世の貧しい人たちをあえて選んで、信仰に富ませ、御自身を愛する者に約束された国を、受け継ぐ者となさったではありませんか(ヤコブ書2章5節)

(2)なぜ貧者は幸いであるか

上記理想状態から見て、貧者は神の賜物のより少ない分配しかあずかっていない。したがって、のちにその不足を補われることになる。

他方、富者はより多くの分配にあずかったものであるから、のちにその余分を徴発される。

(貧しき)兄弟たち、主が来られるときまで忍耐しなさい(ヤコブ書5章7節)

富んでいる人たち、よく聞きなさい。自分にふりかかってくる不幸を思って、泣きわめきなさい。あなたがたの富は朽ち果て衣服には虫が付き、金銀もさびしまます。このさびこそが、あなたがたの罪の証拠となり、あなたがたの肉を火のように食い尽くすでしょう。あなたがたは、この終わりの時のために宝を蓄えたのでした。御覧なさい。畑を刈り入れた労働者あなたがたが支払わなかった賃金が、叫び声をあげています。刈り入れをした人々の叫びは、万軍の主の耳に達しました。あなたがたは、地上でぜいたくに暮らして、快楽にふけり、屠られる日に備え、自分の心を太らせ、正しい人を罪に定めて、殺した(ヤコブ書5章1-6節)

(3)貧者は現世においてどうすればいいのか

こう祈りなさい。『わたしたちに必要な糧を今日与えてください。』(マタイ伝6章11節)

空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないかマタイ伝6章26節)

金銭に執着しない生活をし、今持っているもので満足しなさい。神御自身、「わたしは、決してあなたから離れず、決してあなたを置き去りにはしない」と言われました(ヘブル書13章5節)

(4)貧者だけ持つ富

あなたがたは、わたしたちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためだったのです(コリント後書8章9節)

貧者は緊張の生涯である。そして緊張のうちに信仰も起こり、愛も希望も生じる。貧者は貧にいて主イエスを最も深く知ることができる。

イエスと共にあることだけが最大の富であるキリスト教徒はこれ以上の富を要求しない。

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今回からルカ伝。基本的キリストの生い立ちの話とかなんで大した注釈もなくガンガン進む。

面白かったのは以下の話。

キリスト「今から漁をしなさい」

シモン「いやー先生、さっきまで夜通しやって何も捕れなかったんで多分ダメですよ」

キリスト「いいからやれ」

大漁

たとえ半信半疑でも信仰するといいことがあるよ、というお話らしい。

2016-09-02

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出エジプト記終わった。

ヨブ記イザヤ書ロマ書(半分)⇒出エジプト記と来てる。

とりあえず今回は十戒解釈面白かった。


偽証してはならない」のところの説明が、注釈者(内村鑑三)が不敬事件世間からボコボコにされた経験からか、めちゃくちゃ熱くなってて笑った。俺も小保方さんのことを悪く言わないようにしよう。

次は創世記を読みたいんだけど、四福音書のどれも読んでないのもアレな気がしてきたのでルカ伝でも読もうかな。

2016-09-01

[]※ブコメ返信

出エジプト記の続き。

キリスト教って何となく死刑廃止論イメージがあったんだけど、「人を打って死なせた者は必ず死刑に処せられる」(21章12節)って書いてあってびびった。

一応同じ出エジプト記に「殺してはならない」(20章13節)ってのがあるのだけど、注釈を読むと、前者は後者例外らしい。

あと関連して、ロマ書の13章に、政府には従えよ~お前ら~税金もちゃんと払えよ~って書いてあってびびった。反権力的なイメージがあったけど違うんだね。

ブコメ返信

いつもありがとうございます。相変わらずの博学で大変勉強になります指定された箇所を見て、こんな記述があったのかと驚いております

また変なこと書いてたら教えてください。どうぞよろしくお願いいたします。

2016-08-31

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カラマーゾフの兄弟』で描かれる「罪」の理解がどうもよく分からんと思っていたら、ロマ書の5章12節~21節の理解が違うためだったらしい。

この箇所では、アダム1人の罪で人類全体が罪人とされる一方、キリスト1人の恵みにより人類全体が義とされることが述べられる。

しか聖書注釈者によってはこの箇所を、人類1人の罪で人類全体が罪人とされる(連帯責任を負う)ことを意味する、と拡大解釈することがあるらしい。

これが通説的な理解かどうかはよく分からないのだが、どうもドストエフスキー自身はこういう解釈に立って小説を書いていたらしい。

その結果、人類1人1人の愛で人類全体が徐々に義とされるという理解になるらしい。

2016-08-30

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カラマーゾフの兄弟』をうまく説明している(と思しき)論文発見し、大変面白いのでこれに合わせてカラ兄を再読している(何だか全体的に作りが稚拙だと思ったら、なんと学部生が書いた論文らしい)。

その論文解釈が正しいとすれば、ドストエフスキーの「罪」の解釈ってのはかなり珍しいというか、もはや異端レベルなんじゃないかと思い、大変モヤモヤしている。

あとカラ兄のせいで、大体理解できたと思っていたヨブ記理解がまたも混乱させられている。

2016-08-29

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マタイ福音書に「人を裁くな」っていう言葉が出て来て、注釈者によっていろんな解釈がされているんですが、そういうものを読んでいると、どうもこの言葉の射程は①他人宗教的に裁く場合だけでなく、②裁判官被告被告人を裁く場合にも及ぶらしい。

しかし、ネットに転がっている牧師さんの説教なんかを読んでみると、どうもこの立場を徹底しておられない。どういうことかというと、牧師さんは②の場合にこの言葉適用することはするのだが、裁判官合理的判断をする限りで、この言葉例外なんだ、罪ではないんだ、ということを言っていたりします。

ただ、ここには2点疑問がありまして、一つは、不完全な被造物である人間同士に起こった紛争に、これまた不完全な人間が作った法律適用して解決しようとしているわけですから、真に合理的解決なんか出てきやしないんじゃないかという点。

もう一つは、多数の裁判官に対する取材によれば、実際の訴訟においては結論が先に直観という形で現れ、それに合わせて法を解釈していくというのだから、その判断合理的解決であるという保証は何もない(せいぜい国民常識に適っているかどうかが確認できる程度)んじゃないかという点です。

ここからやはり、冒頭の言葉文言通り「人を裁く」のは例外なく罪に当たる、と解すべきなんじゃないかと思うのです。

こんな解釈は見たことないんで、間違ってる可能性100%なんですが、読んで受けた印象としてメモしておきます

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そういや聖書読んでるし『カラマーゾフの兄弟』もちったぁ理解できるようになったかな、と思って読み直してみたら大分見通しがよくなった。つーか聖書読んでないと無理じゃんあれ。

2016-08-27

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スピノザの『神学政治論』っちゅうのを立ち読みしたら、「聖書記述ってのは恣意的解釈をして相手を屈服させるためにある」とか書いてあって草生えた。

買おうと思ったけど聖書通読してからかな~。

2016-08-24

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マーティン・スコセッシ作品って何かキリスト教っぽいなぁと思ったら、牧師志望だったらしく、キリストの生涯を描いた映画も撮っているらしい。

なるほどな、と思った。

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出エジプト記の続き。

パン自由か」「絢爛たる奴隷生活平穏無事な軛よりも、苦難にみちた自由をこそ選ぼうではないか」という問いがこの時点で出てるのは面白い

2016-08-22

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ロマ書に飽きたので出エジプト記浮気ロマ書は解説がくどすぎて疲れる。

出エジプト記は、当時の超大国支配されていた民衆が、人類史上初めて自由を獲得するお話らしい。

エジプトと言われるとピンと来ないが、今でいうアメリカだと考えろ、との注釈にハッとさせられた。

2016-08-21

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ロマ書の続き

Q. キリスト教信じるのはいいけど風俗行きまくりたいよ。どうしたらいいんだよ。

過去風俗行ったことで一体どんな実りがあったかを考えよう!風俗奴隷になってただ死ぬか、神の奴隷になって義となるか、2つに1つだ!

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ロマ書の続き。

信仰効果は以下の3つ。

1. 義とされること:罪を許された状態になる。

2. 恩恵に入ること:①罪の苦悶がなくなる、②心に平和が来る、③天国をしのん現在の艱難を耐えることができる、④天命にしたがって確信をもって行動することができる状態になる。

3. 神の栄えにあずかること:神に似た者に化せられること。

また、信仰により、苦難を耐えることができる、忍耐により信仰は練達する、信仰が練達すれば決して裏切られることのない希望を得られる、とある

マルクスが「宗教民衆アヘンである」っつったのはこの辺なんかな。

2016-08-19

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ロマ書の続き

信じるだけで救われるとすると、例えば信仰によって許されることを見越して殺人を起こしたりするやつも救われてしまうのでは?と思ったが、どうも心から罪を悔いた上でキリストに帰順する必要があるらしく、こういう不逞の輩は排除されるとのこと。

他方、大量殺人鬼であっても、心から罪を悔いてキリストに帰順を誓うのであれば、神はこれを救うとのこと。つまり、こういう状況にある者をさらに責めたてたところで、善を為すわけがいからだ。

2016-08-18

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ロマ書の続き。

道徳がなぜ存在するかという点について、日本教育現場キリスト教で、考え方が全く異なります

1. 日本教育現場

日本道徳教育においては、道徳は、これを”守らせる”ために存在します。

しか道徳(いわゆる忠孝仁義)を守ることが大変困難、ないし不可能であることを、我々は経験上知っています

守ることが不可能だと分かっているルールを誰が守るのでしょうか。道徳教育効果は甚だ怪しく、むしろ他人に対する道徳的批判を鋭敏にしただけではないかという疑問が湧いてきます増田ネットの小競り合いを観ていて特にこれを思います)。

2. キリスト教

他方、キリスト教では、人が道徳を守ることをハナから期待していません。

道徳は、これを守らせるためではなく、万人に罪の認識を起こさせるためにあります道徳を完全に守ることが不可能である以上、「だれ一人神の前で義とされない」のです。

その結果、人は行き詰まります道徳いくら守ろうとしたところで罪から逃れられないからです。

窮地に陥った人類を救うため、ロマ書ではある提案します。

おわり

2016-08-17

[]自殺ダメなのに、「自然死を望むこと」はなぜOKなのか

http://anond.hatelabo.jp/20160817222557

1. 話の前提

・私はクリスチャン歴1週間の超ひよっクリスチャンなので、以下の話は話半分に聞いてください。私の話と矛盾することを言っている人がいたら、たぶんそっちが正しいです。

聖書(の中でも特にヨブ記)は多様な解釈を許す書なので、そもそも「自殺を望むのはNGだけど自然死を望むのはOK」というのも一つの解釈(私の読んでる注解書の解釈)です。反対説もあります

2. 議論の整理

その上で、まず議論を整理します。聖書は何を禁止しているかをまとめます

(a) 「自殺をすること」:絶対禁止

(b) 「自殺を望むこと」:おそらく禁止

(c) 「自然死を望むこと」:OK

*なお、ここでは「自然死」を病死災害死、事故死、他殺を指す言葉として使います。そのため「自然死を”する”」ということは言葉定義上あり得ません。

3. 上の結論理由

ではなぜ上の結論になるのでしょうか。

(1) まず、(a)「自殺をすること」、(b)「自殺を望むこと」が禁止理由クリスチャンの間でも議論が分かれるところなので調べてください。私には、このような深遠な議論をまとめる能力がありません。

(2) その上で、(c)「自然死を望むこと」はなぜOKなのでしょうか。

ア. まず、自然死はい死ぬ点では自殺と一緒ではないかという疑問が生じます

しかし、両者はやはり異なります第一に、自然死を望んだところでそれが実現される可能性は低いです。自然死を望んだ直後に、偶然殺人鬼がやってきて自分を殺したり、交通事故に遭ったりすればいいですが、そのようなことが起きる可能性が低いことは統計的感覚的に分かることだと思います。第二に、自殺は「自分による自分に対する殺人」という意味合いがありますが、自然死にはこれがありません。

イ. 他方、自然死を望むのは、精神的に健康とは言えず、これも禁止すべきではないかという疑問が生じます

しかし、私としては、ここが聖書のやさしさなのだと思います人生つらいことがあったときに、そのつらい状態から脱する手段として死を望むことは人間自然感情です。この感情を持つことまで禁止してしまっては、あまりに人を追い詰めすぎるのではないでしょうか。

4. まとめ

以上をまとめると、「自然死を望むこと」はなぜOKなのかというと、①望んだところで実現可能性が低いから、②殺人意味合いがないから、③聖書はやさしいから、ということになります

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ヨブ記の続き

1. 神が全知全能なら、どうしてこの世界に苦しみなんてあるんだよ。

だってお前ら苦しまないと聖書読まないし、救世主のことも信じないじゃん。成長を促してやってるんだよ。

2. そうはいっても今どき神とか救世主とか信じられないよ・・・。

そんなとき自然を見よう!創造主の偉大さが分かるし、自分が神の下僕しかないことにも気づくはず。そうすれば神が与えた苦しみにも何か理由があるということに思い至るはずさ。

3. とはいえヨブ虐め過ぎじゃない?

一見理不尽に見えるが、神は罪の有無にかかわらず苦しみを与えることがあるとしておけば、自分の今のつらさは(罪の無い者に課せられる)試練であると解する余地が出て来るぞ!

おわり

2016-08-16

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ヨブ記がすげーのは、人生でめちゃくちゃつらい時があったとき自殺を考える/するのはダメだけど、自然死を望むのはOKってところ(「死のう」はダメだけど、「俺を殺してくれ」はOK)。些細なようでまるで違う。

それと、つらいときはついつい人や社会を呪ってしまうけど、そうではなく自分誕生日呪いましょうというのも面白い。何で誕生日なんだwという疑問は湧くけれど、結果として誰も傷つかない。これはすごいことだと思うよ。

2016-08-15

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ロマ書の続き読んでたら、やっぱり信仰だけじゃだめらしい。いや良いんだけど、信仰してたら悪い行いとかまさかしないよねぇぇええみたいなプレッシャーを感じる。

2016-08-14

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ロマ書によれば、信仰さえすれば救われるらしい。浄土宗並みの緩い条件だ。

2016-08-13

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イザヤ書が終わったかロマ書に進む。順番通り読んでたら挫折しそうなので関心がある順に行く。

2016-08-11

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注解と照らし合わせつつ読む。内容のすばらしさに圧倒されて、1日に(注解書の)10ページぐらい読むと、満足して先に進めなくなる。

こんなすげぇ本が紀元前にあった時点で、神っているんだなって思う。

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